竜星の宰相 第二季 〜南部戦線波高し〜

瀬戸内弁慶

第〇話:新年、そして

 南方領先宮さきのみや

 その港は、凪にて静かで黒い絹を敷いたが如きになっていた。

 そんな穏やかな水面を覗くことの出来る政庁が一室に、周辺の支配者たちが雁首を揃えていた。

 中には、ツシキナルレ家のナテオのごとく――少なくとも表面上は――柔和な令嬢もいないこともないが、いずれも時代の荒波荒風を乗り越えた末にここに集った、勇壮な顔つきの者たちである。


 彼の勇者たちが今注視しているのは、この地の統治者、ラグナグムス家が未亡人ハンガである。

 貴婦人、というよりかはまるでヤクザ者の女房が如き佇まいで、金の光が時折混じる、白い髪を靡かせている。

 先夫もまだ二十代の若さであったから、彼女もまたその前後だろう。切れ長の眼差しは、なるほど下手をすれば骨細であった夫よりも他を圧し、導いていく威風を感じさせる。

 当主溺死という無惨な死に比して混乱が少なかったのは、この彼女の器量がためだろう。


「……周知の通り、昨年には先帝がお隠れになられ、その前の対尾つのおの戦においては我が夫、イクソンが非業の死を遂げた。その後の『紅の雨』では多くの真竜種しんりゅうしゅが旅立っていった。その悲劇を乗り越えて、我らは今この卓を囲んでいる」


 首肯、沈黙、哀悼。反応こそ様々であれ、気持ちは一つ。否定や反感を持つ者など、ありはしない。

 それほどまでに、老若男女誰しも苦しみを味わった激動の二年間だった。

 ハンガの側に侍る、ラグナグムスが家宰、夏山かやま星舟せいしゅうとて、例外ではない。


 たとえその場に居合わせる唯一無二の人類種であろうとも。

 ……その唯一無二の特質さえ、いずれ生命ごとに手放すことになろうとも。


「――以上! 辛気臭い話、終わり! 飲め!! 唄え!!」


 ……などという悩みなど、今の星舟にとってはかかずらっている場合ではなかった。


 本来議事や謁見を行うこの広間は作業机など男たちの手により撤去されて、絢爛豪華な山海の幸で彩られた食卓が並び、質を問わず量だけは取り揃えた酒類を交わしながらドンチャンとはしゃぎ回り、


「ヤーッ!」

 だとかの奇声をあげたり諸肌脱ぎとなって酔った勢いで筋肉量や戦傷の自慢を始める益荒男たち。


 そんな彼らを横目で眺めつつ、気苦労と杯が干されるまでもなく並々と注がれる酒の気に、


「ゔぁー」


 ……夏山星舟は白眼を剥き、魂が抜け出るような調子で嘆息した。


 〜〜〜


「もうダメだ、この仕事してたらおかしくなる……」


 夜風に当たってくることを名目に、その喧騒から抜け出てきた。


 あれこそが南方領の空気。日常。

 正月の席ということで一層強烈なものとはなってこそいるが、四六時中このはしゃぎようであった。

 二年経っても、未だ慣れないし、馴染んだ様子もない。


(そりゃナテオ嬢があぁなるわけだよなぁ)

 と、変な納得をするにも至った。


「もっと最悪なのは、あいつら、全然人の話、聞きゃしない」

 屋敷の壁にヤモリがごとく張り付き、爪先で屋敷の壁を小突きながら、毒づく。


 悪意や蔑視には慣れているが、それ抜きにしてこちらの意見を丸ごと無視するような連中である。もしくは、一旦は気前よく会談しても、その明朝には酒の席のことだのと言って忘れているか。


 とかく打つ手無しで無為の時間を過ごしてきた。

「……向いてないのかな、この仕事」

 などと、泣き言の一つも出てこようというものだ。

 酒気に当てられたせいか、仰ぐ天上の星々はいつもよりも滲んで見えた。


「ようやくお気づきですか?」

 と、皮肉めいた調子の甲高い声と土を摩るような足音が、背後から聞こえてきた。


「そもそも、あのような酔漢どもさえ持て余して壁に泣きつく貴方が、一国を預かることなど出来るはずもないでしょう。せいぜい文机に向かって一事務方をやっているのが似合いの器量しか持ち得ないのに」

 男物の軍服を多少持て余す身の丈。理知的で精悍な顔つき。出会った当初は気弱な少年兵としか見えなかったが、髪を伸ばした今となっては、冷淡な女丈夫そのものである。

「それが何を血迷って、人竜融和などという大それた看板を掲げるのか、理解に苦しみますね」


 まるで遠く帝都で国政を切り回す旧主の言葉を借りてきたかのような、情け容赦のない罵倒は、星舟の酔いを醒まし、また負けん気をも刺激する。


「……ずいぶんと、言ってくれるようになったじゃねぇか。シェントゥ」

 なお真名を知らず、偽りの名前で呼ぶ彼に、その女獣竜は蔑むがごとき冷笑を浮かべ、

「今の腑抜けた貴方に必要なことを正直に言って差し上げてるんです。せいぜい感謝してくださいね」

 と太々しく返したのだった。

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