名参謀 〜名古屋編〜

どんどんタイガー

第1話

 某名古屋プロ野球球団事務所の中に、俺はいた。今日からこのチームが、俺の仕事場となる。今から待ち構えている数々の試練を思い、俺は身を奮い立たせるのだった。



 俺の名前は島野秀樹(しまのひでき)、45歳。たった今から名古屋ブルーネッツのヘッドコーチとなった、元プロ野球選手だ。

 俺は高校、大学を経て地元大阪の大阪ハリケーンズに入団。内外野を守れるスーパーサブとして、15年間現役生活を送ったのち、NHKの解説者として活動していた。

そこから8年、なぜ俺が再びプロ野球の現場へ、しかと縁もゆかりもない名古屋の地でコーチをすることになったのか、それはこのブルーネッツの新監督、原田明紀(はらだあきのり)の働きかけに他なかった。

 ブルーネッツは今シーズン、3年ぶりにBクラスとなる5位に沈んだ。しかし、前の年まで2連覇を成し遂げていたこともあり、前園大地(まえぞのだいち)前監督の続投は既定路線と思われていた。しかし、チーム最終戦、試合後の監督挨拶の中で、前園監督は突然の退任表明をする。続投はマスコミに発表され、来シーズンのコーチ人事の話もほぼ決定した中での辞任だったため、まさに晴天の霹靂(へきれき)だった。

 球団は後任の監督人事に大慌てで着手した。その中で抜擢されたのが、二軍監督を務めていた渡慎太郎(わたりしんたろう)だった。彼は俺の3つ下。現役時代はブルーネッツの看板選手で、高卒から23年間ブルーネッツ一筋で現役生活をまっとうした生え抜きで、「ミスターブルーネッツ」の称号を手にしていた。引退後は将来の監督候補として、まず二軍監督として経験を積む、という球団の方針の元、指導者1年目のシーズンを終えたばかりだった。

 ブルーネッツはセ・リーグ、ハリケーンズはパ・リーグだったため、俺と渡が対戦する機会は少なかったのだが、交流戦で手痛い1発を何度も喰らった覚えがある。

 俺にとってはその程度の認識でしかなかったのだが、なぜ彼は俺にヘッドコーチとして声を掛けたのか、それは彼から要請の電話を受けたときに教えてもらった。

 彼はコーチの多くを二軍監督として共に戦ったメンバーから選んでいたのだが、どうやらヘッドコーチの人選で苦労していたようだ。その中でNHK解説者としての日本シリーズでの俺の解説を聞き、俺と野球観が合うと

思ったそうだ。当初、俺で良いのかと聞いたところ、彼からは「島野さんしかいません。よろしくお願いします」と返事された。まるでもう決まったかのような強引な要請だったが、「一度家族と話し合う。すぐに結論を出す」と言い、その日は電話を切った。

 女房の千佳(ちか)にこのことを話すと、「いいじゃん。ずっとこのまま解説で良いなんて思ってないんでしょ。せっかく話来てるんだったら受けたら。藍(あい)のことだったらもう高校生だし私1人でもなんとかなるよ。今まで送り迎えとかありがと」とありがたい言葉をもらった。藍というのは俺と千佳の娘で、今は高1。現役時代はなかなか家のことができなかったので、休みの日はパートをしている妻に代わって家事をしたり、藍が習っているダンスの送り迎えもやっていた。家族の時間がなかなかとれないことを詫びると妻も快く了承にてくれ、藍も「お父さんのユニホーム姿、楽しみにしてるよ」と言ってもらった。これで俺の腹はほぼ決まっていた。

 あとは解説をしているNHKへの報告だった。NHKの解説陣は俺の他にも、それぞれ他球団ではあるが2人ほどコーチの話が来ており、担当者には「島野さんはウチの貴重な戦力だったんで惜しいですが、ブルーネッツのコーチとして頑張ってください。ブルーネッツを強いチームにしてください。来年はブルーネッツの日本シリーズを中継できることを楽しみにしています」と激励していただいた。後で聞いた話だが、他球団でコーチをする2人にも全く同じことを言っていたらしいが。

 後日、俺の入団交渉が行われ、年俸2500万、背番号は80に決定した。就任会見では「渡監督の手となり、足となり、また選手たちには活躍への指南役となれるよう、精一杯頑張っていきます」と決意表明をした。やるからには全力を尽くす、その一心だったのだ。

 その場で渡監督とも顔合わせをし、「よろしくお願いします。ウチは過渡期だと思っているので、島野さんと僕たちで新しい力を育てて、黄金期を作っていきましょう」と言っていただき、俺も「勿論です。私にできることは全てやるつもりです」と言い、固く握手をした。

 そう。渡監督の仰る通り、ブルーネッツは過渡期にある、それは俺も解説をしていて感じる部分だった。連覇こそしたが、クライマックスシリーズで2年連続で敗退し、日本シリーズへは駒を勧められなかった。まだまだこのチームは課題山積だな、でも安定した強さがあったのだから、選手個々に一つ一つ丁寧に課題と向き合わせれば、このチームはもっともっと強くなる、そう思っていた。

 ただ決してこれからの道のりは平坦ではない。これから背負うヘッドコーチとしての重責に思わず身震いをしながら、まずは直近の秋季キャンプへと目を向けた。


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