第214話 永遠の別れ

 夕陽が地平線に近付く黄昏たそがれ時。

 ブリジットは1人、馬で平原を駆けていた。

 分家との緊急会談を終え、クローディアと今後の方針を意思確認し合った。

 その会談の終わりに急に飛び込んできたのは訃報ふほうだったのだ。


 ダニア本家・十刃会の長であるユーフェミアの死。

 信じがたいその一報にブリジットはボルドのことをベラやソニアに預け、1人先行して馬を飛ばしたのだ。

 

(馬鹿な……ユーフェミアが……うそだ)


 ブリジットは頭の中でグルグルとめぐる思いを振り切る様に馬にむちを入れる。

 ユーフェミアは彼女にとって厳しい姉のような存在だった。

 武芸、勉学、作法。

 幼き頃より次代の女王となるべく厳格な指導を受けてきたのだ。

 新たな女王としてるべき姿になるべくユーフェミアから教えられたことは多い。


 そんな彼女をけむたく思い、遠ざけたこともあった。

 苦手な思いを隠そうともせず、ユーフェミアに冷たい態度をとったこともあった。

 ボルド処刑の一件では心底彼女を憎んで、2人の間の亀裂きれつはもうめられないと思った。

 それでもユーフェミアとブリジットの間には、望むと望まざるとにかかわらず切っても切れないきずながあったのだ。

 

 だからこそ彼女が死んだなどと信じられなかった。

 短命であるブリジットの直系の宿命に従って早世する自分を、ユーフェミアがとるものだとばかり思っていたのだ。

 母が旅立ち、リネットがき、そして今またユーフェミアが命を落とした。

 幼き頃から自分を見守っていた人々が次々とこの世を去っていく。

 永遠の別れは唐突に、そして避けようもなくやって来るのだ。

 それはどうしようもないことだと分かっているが、それでもブリジットは叫ばずにはいられなかった。


「くっそぉぉぉぉぉぉ!」



 ☆☆☆☆☆

 


 空からおおいかぶさるような暗闇くらやみが辺りを包み込んでいた。

 本家の宿営地から途中まで迎えに来ていた部下の連れてきた馬に乗り換えて走り続け、ブリジットは日が暮れてから本家の宿営地に到着した。

 宿営地には煌々こうこう松明たいまつかれ、ブリジットを迎えた部下たちの沈痛ちんつうな表情を浮かび上がらせている。


 待ち受けていた十刃会の面々に先導され、ブリジットは急ぎ足でユーフェミアの天幕に向かった。

 部下からユーフェミアの死の状況について色々と説明を受けながら歩くが、ブリジットの頭には話がほとんど入って来ない。

 ユーフェミアは自身の天幕の中で殺されていたという。

 そしていざその天幕の前に到着すると足が重く、おいそれと入ることが出来ない。


(この中に……本当に……)


 天幕の入口の前で立ち止まって動かないブリジットを部下たちが痛ましげな表情で見つめる中、天幕の入口の戸布が開き、中から1人の女が姿を見せた。

 それはブリジットもよく知っている自分と同じ年の女だった。


「ウィレミナ……」


 ユーフェミアの養子であるウィレミナだ。

 彼女がユーフェミアの亡骸なきがらを最初に発見した第一発見者だった。 

 ウィレミナがユーフェミアを母としてしたっていたことは一族の誰もが知るところだ。

 それゆえに彼女が最初にユーフェミアの変わり果てた姿を発見したという事実が、いかに残酷なものであるのかブリジットも痛感する。


「ブリジット。どうぞ中にお入りになって下さい。ユーフェミア様がお待ちです」


 気丈にウィレミナはそう言うが、その目は赤くれていた。

 母同然の人を失った彼女が狂おしいほどに泣いたであろうことは顔を見れば分かる。

 ブリジットはウィレミナの肩にそっと手を置くと、勇気を持って天幕の中に足を踏み入れた。

 天幕の床には白い布が引かれ、そこにユーフェミアの遺体が安置されている。

 ブリジットは息を飲んだ。


「ユー……フェミア」


 声がかすれてうまく言葉にならない。

 そこに確かにユーフェミアはいた。

 そしてすでにその体からたましいが抜け落ちてしまっていることが、現実として嫌でも突きつけられる。

 

「ブリジット。どうか母に語りかけてあげて下さい」


 そう言って天幕の外に出ようとするウィレミナの腕をブリジットは取った。

 ブリジットをユーフェミアと2人だけにしようというウィレミナの気遣きづかいだが、ブリジットはそんな彼女に優しく言った。


「ウィレミナ。おまえはここにいろ。娘がいなくてはユーフェミアがさびしがる」


 それからブリジットは横たわるユーフェミアのそばに静かにひざを着く。

 ユーフェミアは何者かに胸を刺されて殺されたというが、今の彼女はまるで眠っているかのように安らかな顔をしていた。

 全ての悩み苦しみから解放され、ユーフェミアは静かに眠りについたのだ。


「……ユーフェミア。おまえには苦労ばかりかけたな。不出来な女王でおまえもさんざん頭を痛めただろう。今もおまえの望む女王になれたかあやしいものだが、アタシなりに必死にやっている。おまえに教えてもらったことは……決して忘れない」


 ふいにブリジットの脳裏のうりにユーフェミアから厳しい教えを受けた日々が鮮明によみがえる。

 苦い思い出も多いはずなのに、今では幸せな日々だったと思える。

 それはきっとユーフェミアが厳しさの中にも優しさを持って自分を見守ってくれていたからだろうと感じ、ブリジットはこみ上げる涙を抑え切れなかった。

 背後ではウィレミナがこらえ切れずに嗚咽おえつらしている。


「もう……何も心配するな。ユーフェミア。おまえはこの世の辛さから解放され、天の兵士となって静かに眠るんだ。後のことは全部……アタシに任せろ。アタシが必ずダニアの一族を守ってみせる」


 そう言うとブリジットは冷たくなったユーフェミアの手を握る。

 これまでの感謝を込めて。

 そして彼女の冥福めいふくを心からいのって。


「おまえのおかげで我が一族は今日まで支えられた。誇り高き十刃長ユーフェミア。このブリジット。心から……感謝する」


 涙がほほを伝い落ちる。 

 ブリジットはそれをぬぐおうともせず、悲しみにおおい尽くされようとする心をふるい立たせた。

 泣くのは今だけだ。

 自分はユーフェミアが残してくれたこの一族を導き、守る使命がある。

 必ずそれを果たして見せると、ブリジットはユーフェミアの亡骸なきがらちかうのだった。

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