第213話 魅惑の殺人者イーディス

 王国領の南都ロダンから東北に20キロメートルほど離れた草原の道を、一台の馬車が進んでいる。

 固いかしの木と金属と硝子ガラスで作られた強固な客室を、4頭の馬が小気味の良いステップで引っ張っていた。

 一目で貴族のそれと分かる高級なその馬車を護衛するのは15名の騎馬兵たちだ。

 その馬車には王国の中級貴族の息子が乗っていた。

 

 ブレントという名のその若き貴族は、ロダンの街への遊興の旅を終えて王都へ帰る途中だ。

 彼は幸運だった。 

 ロダンがダニアの大軍勢に襲われる前日に街をっていたため、運良く難を逃れることが出来たのだった。

 もう一日出発が遅れていたら、彼も戦乱に巻き込まれていただろう。

 だが当の本人はそんなことはどこ吹く風で、となりに座る赤毛の美しい女の顔にもう数時間にも渡って見惚みとれていた。


「イーディス。信じられないよ。キミみたいな美しい子がダニアにいたなんて……」

「まあ、お上手だこと。ブレント様でしたら綺麗きれいな娘なんて見飽みあきていらっしゃるのでは?」

「とんでもない! 王都に20年住んでいるけれど、キミみたいな美貌びぼうの持ち主には出会ったことがない」


 そう言って自分を見つめるブレントにイーディスははにかんで見せた。

 その内心ではおろかな貴族の放蕩ほうとう息子を嘲笑あざわらいながら。

 彼女はダニア本家の宿営地で十刃長ユーフェミアを殺害した後、ロダンの街へと移動していた。

 そこで地下水路の中に設けられている侵入者対策用の鉄門を全て解錠かいじょうしたのだ。

 死兵の集団をロダンの街に迎え入れるための工作が彼女の任務だった。


 イーディスはそのままロダンの街を去り、次は同じ王国領内のダニアの街へと向かう予定だった。

 だが、任務で汚れた体を浴場で清めていたその高級宿で、ブレントに出会ったのだ。

 イーディスは彼が王国貴族の息子だと知ると、言葉たくみにブレントに近付き、ブレントはたちまち美しいイーディスにのめり込んだ。

 イーディスはそのまま彼と一夜を共にし、翌日、王都へ向かう彼の馬車に同乗することになったのだ。


 これはイーディスにとって渡りに船だった。

 先刻からの戦乱のせいで赤毛の女は、今は王国領では目立つ。

 単独行動であれば尚更なおさらだった。

 イーディスは家族の待つダニアの街へ帰らなければならないと言い、ブレントはそんな彼女を喜んで馬車に乗せた。


 貴族であれば、領内の移動時に王国軍と接触しても検問を受けずに済む。

 貴族のお坊ちゃんをだますことなど朝飯前だった。

 イーディスにとって男は便利な生き物だ。

 その美貌びぼうにつられた男たちは、ホイホイと自分の言うことを聞いてくれる。

 これまでの人生で彼女は、男を自分の都合に合わせて使うすべみがいてきた。


(フンッ。何も知らない貴族の坊やなんて簡単ね)


 ブレントも昨夜のしとねですっかりイーディスにらし込まれていた。

 共に王都に帰って父に紹介したいなどと、朝から熱心にイーディスを口説くどいてくる。

 それを適当にいなしながらイーディスは窓の外を見つめて、ここまでの任務を考えた。 


 ロダンの街は彼女の同僚であるグラディスが落とした。

 そして自分は本家の要となっている十刃長ユーフェミアの暗殺に成功。

 アメーリアから命じられた任務は順調に消化している。

  

 イーディスにとってアメーリアは従うべき相手だった。

 だがグラディスのように忠誠心からそうしているわけではない。

 アメーリアが自分では絶対にかなわない実力の持ち主であることと、彼女に従えば自分にとっても大きな利益があると考えているからだ。 


 砂漠島で育ったイーディスは幼き頃から美しく、そのために多くの味方と多くの敵を作ってきた。

 味方は彼女の美貌びぼうに魅了された男たちであり、敵は男を彼女に奪われた女たちだ。

 男を次々とらし込み、奔放ほんぽうに性を謳歌おうかしていた彼女はある時、一族中の女のうらみを買って数十人に取り囲まれて袋叩きにされ、殴殺おうさつされようとしていた。


 武術の腕にも覚えがあるイーディスだが、数十人のダニアの女に囲まれてしまえば成すすべは無い。

 だが、イーディスがその美しい顔を二度と見られぬみにくいそれに変えられる前に事態を収拾したのはアメーリアだった。

 砂漠島の頂点に君臨くんりんしていたアメーリアに逆らえる者はなく、以降イーディスはアメーリアの保護下に入った。


(あの時は危なかったわね。さすがに)


 もちろん、だからと言ってイーディスはアメーリアに恩義を感じるような性格ではない。

 単に自分は運が良かったのだと思うだけだ。

 だがそれからイーディスはアメーリアの元で各種の殺人術を学び、メキメキとその腕を上げていった。

 元より狡猾こうかつな性格のイーディスには人をあざむき、背後から刃を突き立てる所業がその性分に合っていたのだ。

 以降、イーディスはアメーリアに命じられて各種の汚れ仕事を手がけてきた。

 

 アメーリアにはイーディスを含めた直属の部下が3人いる。

 この3人はそれぞれ独立した権限を持つ。

 そのうちの1人は将軍職を与えられ本隊をひきいて戦う大女グラディスだが、そのグラディスもイーディスへの命令権限は無い。

 一族の中には今もイーディスを良く思わない女が多いため、彼女はアメーリアからこうして単独任務を与えられている。

 そして……最後の1人は先日、大陸へと運び込まれたばかりだった。


(あのケダモノ女は今頃、公国の都に着いているかしらね)


 そんなことを考えている彼女の内心などつゆ知らず、ブレントが思い詰めたような顔で語りかけて来る。


「イーディス。では私は王都に戻り、父上の許可を得てキミをダニアまで迎えに行く。どうかそれまで待っていて欲しい。お願いだ」

「まあ……情熱的ですわね。では、楽しみにお待ちしております。どうか早くこのイーディスを迎えに来て下さいましね」


 その言葉に有頂天になるブレントを尻目しりめに、イーディスは悠然ゆうぜんとダニアの街に降り立ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る