第五話『激突する一等星』その9
……ただ、無性に腹が立っていた。
身勝手な祖父の生き方も、そんな馬鹿野郎に
自由に生きる事は、美しくつらい。
水面下でもがき続ける白鳥のように。
「――、勢十郎どのッ!」
「……聞こえてるよ。心配そうな顔すんな」
実体化した黒鉄にそう返し、勢十郎は何事もなかったかのように立ち上がった。
「俺、どれくらい気絶してた?」
「? ほんの数秒ほどですが……」
彼の冷静さが、黒鉄はかえって不安に感じているようだった。
自分がどこから殴り飛ばされたのか、勢十郎がそれを知るのは簡単だった。あたりにはまだ火の手は回っていない。だが密生した竹林には、一直線に
「……ありゃ、なんだ?」
目の前に広がる炎の中に、ぼんやりと小山のような影が見えていた。
再び依り代へと戻った黒鉄の声が、勢十郎の頭の中に直接響いてくる。
『勢十郎どのは、なぜ刀仙があれほど忌み嫌われるのか、考えた事はありますか? モノガミに頼り、霊気を使い切った人間の末路……。今の東条の姿がその理由です』
徐々に近付いてくる東条の
そして何より、かつて東条だったモノの側頭部からは、確かに極太の大角がせり出していた。
黒鉄は、死刑宣告のように断言する。
『鬼です』
「東、条……。なんで、だ?」
炎の中を練り歩く怪物の足取りが、勢十郎にはひどく原始的にみえた。
「……なんでだよ?」
あれが、東条?
ショックを隠せない勢十郎の手元で、虎徹がぶるりと震えた。
『モノガミ刀は使用者の霊気を吸って神通力を起こします。ですがその力は、けして万能ではありません。霊気の欠乏はケガと同じ、深すぎれば二度と元には戻らない』
黒鉄の言葉は、今まさに刀仙モードになっている勢十郎にもいえる事だ。しかし、彼女はハコミタマとして授かった神通力によって、完全な霊気の運用を行う。必要以上の霊気を喰い尽くして、使用者を破滅させるのを未然に防いでいるのだ。
気が付くと、赤鬼はもう勢十郎の目の前にいた。
さっきの技の影響なのか、勢十郎の体は黒鉄の支配下を離れて自由になっている。しかし彼は、なぜか鬼に刃を向ける気にはなれなかった。
近くで見る東条は、すでに人間だった頃の面影を失っていた。
大きな鷲鼻に、口角から飛び出た犬歯という、絵に書いたような鬼の姿。ソフトボール大に膨れ上がった眼球が、上の方から勢十郎を見下ろしている。
『逃げて! 逃げて下さい!』
黒鉄の叫び声が聞こえたが、勢十郎は成すすべなく首を締め上げられる。
「……ナァ、ニィ?」
勢十郎を宙づりにしながら、赤鬼は野太い声で囁いた。
「なん……だ、よ。東、条。……何、言って……、やがる?」
「キミ、ヲ……」
「あぁ?」
「キミヲ、キミニシテルモノハ、ナニ?」
「はっはは……。さぁ、なんだろう、なぁ」
『離せ、化け物めッッ!』
肉体の支配力を取り戻した黒鉄が、虎徹と太刀で鬼の右腕を切り落としにかかる。
しかし、自我を失っているはずの東条は、刃の速さに先んじて、勢十郎を投げ飛ばした。
残り少ない霊気を駆使してアシストに徹する黒鉄は、着地と同時に勢十郎の体をバックステップさせていた。人類の最終兵器『ハコミタマ』たる黒鉄は、一度距離を取ってからスピードで
ところが、ここで彼女の計算を裏切る事態が起こった。
『な、何をしているんですか!? あなたは!』
どうしたことか、勢十郎が虎徹と太刀を手放してしまったのである。
ふざけるにしてはタチが悪すぎる。思わずペンギンと一緒に実体化した黒鉄は、勢十郎の赤ジャージの胸倉を力任せに掴んでいた。
「……やめだ」
それでも勢十郎は、炎の中の東条だけを見ていた。
「や、やめ? この期に及んで逃げるつもりか! 大槻勢十郎ッッ」
「ちげえよ。あいつは、もう刀を持ってねえだろ。だから俺も、素手でやる」
「しょ、正気ですか……?」
青ざめる黒鉄の足下からは、さらに刃物のような毒舌が飛んでくる。
「気でも違ったか、小僧? 冗談でなく、死ぬぞ?」
「かもな」
「考え直してくださいッ。いくらなんでも無謀ですッ」
黒鉄もペンギンも理解できないという顔をしていたが、勢十郎は構わなかった。
赤鬼は眼をキョロキョロと動かして、勢十郎を探している。
たった十メートルしか離れていないのだが、存外視力は悪いらしい。かと思えば、鬼は
それは、人間を人間たらしめる品性、知性からかけ離れた、ただの動物的反応に過ぎなかった。もはや東条は、勢十郎の知る彼ではなくなっていた。
最初で最後の後悔が、勢十郎の胸に押し寄せる。
大花楼の住人達に戦いの
「……認めてくれ」
黒鉄に、ではない。
他の住人に、でもない。
今はもうここにはいない、祖父八兵衛に、勢十郎は言った。
「あいつに勝ったら、俺が主だ。……大花楼の、主だッッ!」
「馬鹿者ッッ! 正面からいくなッッ!」
「勢十郎どのッ」
なにも勢十郎を止められなかった。
効率。合理性。そんなものはクソくらえだった。
空中から放つパンチなど、威力はたかが知れている。
だが鬼は知らなかった。
大槻勢十郎の本気の拳が、厚さ十センチのチタン合金さえ突き破るという、驚愕の真実を。
右側頭部にとんでもない左フックが炸裂し、鬼の巨体が大げさに
爆音に驚いたのも束の間、たたらを踏んだ赤鬼は、大慌てで自分の頭に手をやった。が、そこに、あるべきはずのものがない。
次の瞬間、直径二十センチはあろうかという
勢十郎の拳をまともに喰らった右角が、根本からへし折れてしまったのだ。
「こいよ、東条――、ぐッッ?」
わざわざ真正面に立っていた勢十郎の
ぼぎゅん、という冗談のような音がして、全身が軽く二メートルは浮き上がり、彼はそのまま地面へ落下した。
「こ、今度は、俺の番だな?」
終わりの予感が
だが勢十郎は、自分の数倍もある赤鬼の腰に組みつくと、そのまま山頂めがけて相手の巨体を押し込みはじめた。
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