第五話『激突する一等星』その9

 勢十郎は、ただ無性に腹が立っていた。


 身勝手な祖父や東条の生き方、自由気ままなモノガミ達のり方も。そして、そんな馬鹿にあこがれた自分にも、だ。


 自由に生きる事は、美しくつらい。

 水面下でもがき続ける白鳥のように。


「――、勢十郎どのッ!」

「……聞こえてるよ。心配そうな顔すんな」


 実体化した黒鉄にそう返し、勢十郎は何事もなかったかのように立ち上がった。


「俺、どれくらい気絶してた?」

「? ほんの数秒ほどですが……」


 勢十郎の冷静さが、黒鉄にはかえって不安に感じるようだ。


 自分がどこから殴り飛ばされたのか、勢十郎がそれを知るのは簡単だった。あたりにはまだ火の手は回っていない。だが密生した竹林には、一直線にぎ倒されたような跡が生々しく残っている。


 頭蓋が吹き飛んでもおかしくないほどの一発を受けた、勢十郎のこめかみが、今さらズキリと痛み出す。


「……ありゃ、なんだ?」


 目の前に広がる炎の中に、ぼんやりと小山のような影が見えていた。


 再び依り代へと戻った黒鉄の声が、勢十郎の頭の中に直接響いてくる。


『勢十郎どのは、なぜ刀仙があれほど忌み嫌われるのか、考えた事はありますか? モノガミに頼り、霊気を使い切った人間の末路……。今の東条の姿がその理由です』


 徐々に近付いてくる東条の上背うわぜいは、異様に巨大だった。


 羽織も小袖こそでもすっかり焼け落ちて、鋼鉄のような筋肉が露出していた。肌は炎に負けないほど真っ赤に染まり、腕や胸にはみっしりと体毛が生えそろっている。

 そして何より、かつて東条だったモノの側頭部からは、確かに極太の大角おおづのがせり出していた。


 黒鉄は、死刑宣告のように断言する。


「東、条……。なんで、だ?」


 炎の中を練り歩く怪物の足取りが、勢十郎にはひどく悲しかった。


「なんでだよ?」


 あれが、東条? 

 ショックを隠せない勢十郎の手元で、虎徹がぶるりと震えた。


『モノガミ刀は使用者の霊気を吸って神通力を起こします。ですがその力は、けして万能ではありません。霊気の欠乏はケガと同じ、深すぎれば二度と元には戻らない』


 黒鉄の言葉は、今まさに刀仙モードになっている勢十郎にもいえる事だ。しかし、彼女はハコミタマとして授かった神通力によって、完全な霊気の運用を行う。必要以上の霊気を喰い尽くして、使用者を破滅させるのを未然に防いでいるのだ。


 だが、その安全弁を持たなかった東条は……。


「あ……」


 気が付くと、赤鬼はもう勢十郎の目の前にいた。


 さっきの技の影響なのか、勢十郎の体は黒鉄の支配下を離れて自由になっている。 

 しかし彼は、なぜか鬼に刃を向ける気にはなれなかった。


 近くで見る東条は、すでに人間だった頃の面影おもかげを失っていた。

 大きな鷲鼻わしばなに、口角から飛び出た犬歯という、絵に書いたような鬼の姿。ソフトボール大にふくれ上がった眼球が、上の方から勢十郎を見下ろしている。


『逃げて! 逃げて下さい!』


 黒鉄の叫び声が聞こえたが、勢十郎はなすすべなく首を締め上げられる。そのまま彼を宙づりにした赤鬼は、野太い声でささやいた。


「……ナァ、ニィ?」

「なん……だ、よ。東、条。……何、言って……、やがる?」

「キミ、ヲ」

「あぁ?」




?」




「はっはは……。さぁ、なんだろう、なぁ」

『離せ、化け物めッッ!』


 勢十郎の肉体の支配を取り戻した黒鉄が、虎徹と太刀で鬼の右腕を切り落としにかかる。しかし、自我を失ったはずの東条は、刃の速さに先んじて勢十郎を投げ飛ばしていた。


 残り少ない霊気を駆使してアシストに徹する黒鉄は、着地と同時に勢十郎の体をバックステップさせていた。人類の最終兵器『ハコミタマ』たる黒鉄は、一度距離を取ってからスピードで攪乱かくらんすれば、この鬼ですら勝てない相手ではない、と判断したらしい。


 ところがここで、彼女の計算を裏切る事態が起こった。


『な、何をしているんですか!? あなたは!』


 いきなり、勢十郎が虎徹と太刀を手放してしまったのである。


 ふざけるにしてはタチが悪すぎる。思わずペンギンと一緒に実体化した黒鉄は、勢十郎の赤ジャージの胸倉を力任せに掴んでいた。


 晴之剣はれのつるぎの遣い手が目の前の勝利を放棄ほうきするなど、言語道断である。かつて、この地を破滅寸前にまで追いやった竜を討ち取るために、その命を刀に捧げた黒鉄にとって、そんな馬鹿げた話は許せるわけがなかった。


「……やめだ」


 勢十郎は、ただ炎の中の東条を見ていた。


「や、やめ? この期に及んで逃げるつもりか! 大槻勢十郎ッ」

「ちげえよ。あいつは、もう刀を持ってねえだろ。だから俺も、素手でやる」

「しょ、正気ですか……?」


 青ざめる黒鉄の足下からは、さらに刃物のような毒舌が飛んでくる。


「気でも違ったか、小僧? 冗談でなく、死ぬぞ?」

「かもな」

「考え直してくださいッ。いくらなんでも無謀むぼうですッ」


 黒鉄もペンギンも、理解できないという顔をしていたが、勢十郎は構わなかった。


 赤鬼はその間にも、眼をキョロキョロと動かして勢十郎の居場所を探していた。たった十メートルしか離れていないのだが、存外視力は悪いらしい。かと思えば、鬼は鷲鼻をヒクつかせ、すぐに勢十郎の匂いをぎ分けて笑い出す。


 それはすでに、人間を人間たらしめる品性や知性からかけ離れた、ただの動物的な反応だった。


 もはや東条が、己の知る彼ではないと知った瞬間、最初で最後の後悔が勢十郎の胸に押し寄せていた。


 大花楼の住人達に戦いの舵取りをゆだねてしまった事が、この喧嘩を買ってくれた東条の気持ちを裏切ってしまったのだ。刀仙があの鬼になる前に、勢十郎がその身ひとつ、拳ふたつで挑んでいれば、絶対に後悔などしなかったはずなのに。


「……認めてくれ」


 黒鉄に、ではない。

 他の住人に、でもない。

 今はもうここにはいない、祖父八兵衛に、勢十郎は言った。


「あいつに勝ったら、俺が主だ。……大花楼の、主だッッ!」

「馬鹿者ッッ! 正面からいくなッッ!」

「勢十郎どのッ」


 狼狽ろうばいしたペンギンの声、不安げな黒鉄の視線。


 なにも勢十郎を止められなかった。


 効率。合理性。そんなものはクソくらえだった。

 痙攣けいれんする体にむち打って、勢十郎は赤鬼へ飛びかかる。比喩ひゆではない、本当に飛んだのだ。


 空中から放つパンチなど、威力はたかが知れている。

 だが鬼は知らなかった。

 大槻勢十郎の本気の拳が、厚さ十センチのチタン合金さえ突き破るという、驚愕きょうがくの真実を。


 右側頭部にとんでもない左フックが炸裂し、鬼の巨体が大げさにった。


 爆音に驚いたのも束の間、たたらを踏んだ赤鬼は、大慌てで自分の頭に手をやった。が、そこに、あるべきはずのものがない。

 次の瞬間、直径二十センチはあろうかという円錐えんすい状の骨片こっぺんが足下に落ちているのを目撃し、赤鬼は震えあがった。


 勢十郎の拳をまともに喰らった右角が、根本からへし折れてしまったのだ。


「こいよ、東条――、ぐッッ?」


 わざわざ真正面に立っていた勢十郎の鳩尾に、彼の五倍はある鬼の拳がめり込む。

 ぼぎゅん! という、冗談のような音がして、全身が軽く二メートルは浮き上がり、勢十郎はそのまま地面に落下した。


「こ、今度は、俺の番だな?」


 終わりの予感がただよった、腹打ちの直後。

 だが勢十郎は、自分の数倍もある赤鬼の腰に組みつくと、そのまま山頂めがけて相手の巨体を押し込みはじめた。


◆     ◆     ◆



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