第五話『激突する一等星』その5
ぎりぎりのタイミングだった。
準備が済んだ途端に崩れてきた洞窟の天井を、勢十郎は素手で殴り返していた。
殴って、殴って、殴り倒して、地中まで這い出てきたのだ。腰に刀を差したまま。
「よぉ……、おあつらえ向きじゃねえか。刀は拾えたかい、東条さん?」
月光を浴びる東条が、ぴくりと肩を震わせた。
やはり刀を崖から捨ててやったのは、精神的にかなりのダメージを与えたらしい。自身もモノガミの宿る刀を持つ勢十郎だけに、あの暴挙には良心の
『信じられません。奴め、あの高さから落ちてまったくの無傷とは……』
勢十郎のベルトに差した虎徹から、なぜか黒鉄の声がした。
「そういや、言うの忘れてたな。アイツ、不死身らしいぜ?」
『はぁっ!? 早く言えばか!』
『先にそれを言わんかッ!』
『……ッッ!』
抗議と批難の三重奏は、彼の左腰からあがっていた。
勢十郎は「あー、わりい」とは言ったものの、戦えばいずれ分かる事だ。これはスポーツではない。条件の違いに文句を付けるほど、勢十郎は間抜けではなかった。
それにあの刀仙の本当の能力は、死に物狂いで鍛え上げた剣技に違いない。それを思えば、たかが不死身程度のアドバンテージ、驚くには値しなかった。
「……、カッコいいよな。あいつ」
東条には届かない音量で、勢十郎は呟いた。
小雨の去った夜空に、月が出ている。
「俺は、人間が何かにひたむきになって、他人の目を気にせず努力する姿は、恰好良いと思う。……東条を見てたら、どうしてもそう思っちまう。そこに、良いも悪いもないんだ、ってよ」
またしても、虎徹が震えた。
『勢十郎どの……』
「なぁ、黒鉄。お前も本当にやりたい事があるなら、我慢なんかするな」
『そ、それがしは……」
「後悔したくねえんだろ? なら、自分のしたいことぐらい、自分で決めろ」
その時、東条はようやく異変に気付いた。
大槻勢十郎が首から
東条はおそらく、今から何が起こるのか、正確に把握しているわけではない。だが刀仙の磨き上げられた直感は、「今すぐ大槻勢十郎を殺せ」と、東条に叫んでいた。
「なぁ、付き合ってくれるか? 俺に」
『某は……、それがし、は……』
直後、東条は大花楼の庭先でみせた超人的な動きで、瓦礫の頂上へ殺到する。
勢十郎には、すべてがスローモーションだった。
刀を構えた天狗が突進してくる、非現実的な光景も。
右手を添えた長曽祢虎徹から伝わる、彼女の体温や、呼吸まで。
この『竜の鍔』には、奇跡の力が宿っている。
それは三百年前にこの地で生きていた少女が、一生をかけて使うはずだった無限の可能性に他ならない。
一度きりの人生の中で、星の数ほど生まれては消えていく人の願い。
行きたい場所。
見たい景色。
食べたい物。
聞きたい音楽。
やりたい仕事。
夢。
希望――。
だが、彼女が思い描いた未来地図は、一辺数センチの金属片に押し込められた。
人類を救うために命まで差し出した、気高く、あまりにも愚かな少女。
お前は今、何がしたい?
『……つかって、ください』
「聞こえねえぞ。はっきり言え! 黒鉄ッッ!」
鋼のような、声がした。
『――、わたしは使って欲しい。あなたにッッ!』
かつてないほどに光り輝く、竜の鍔。
勢十郎が右手に掴んだ日本刀から、彼女の力が流れ込んでくる。
しかし彼を待っていたのは、とんでもない激痛だった。
すでに瞳の
数秒もしないうちに首から下の自由がなくなった勢十郎は、自分の意志とは無関係に左右の手で別々の日本刀を手にしていた。
右手に輝く、名刀虎徹。
左手にそびえる、歴戦の太刀。
急停止した東条は、赤ジャージを着た、二刀流の
「……その構えが何を意味するか、理解しているのか?」
憎悪さえこもったその問いかけに、勢十郎は唯一自由の利く口で言ってやる。
「……さんざん待たせて、いまさらカッコも何もつかねえけどな。ケンカしようぜ東条さん。コイツが俺の――――、刀仙モードだッッ!」
言うや否や、振り払った太刀の一発で、足下の瓦礫が同心円状に吹き飛び、あっという間に更地ができあがる。
しかし、東条には目
天狗面を被った刀仙は、恐ろしく長大な刀を構えたまま、変幻自在な
長刀の間合いが計れないでいる勢十郎に、東条は突きを繰り出した。霊圧で青白く輝くその刀身には、岩をも削り取る破壊力が秘められている。
ところがここで、左手に握っていた太刀がいきなり長刀の切っ先を弾き返した。しかし、驚いているのは勢十郎の首から『上』だけだ。
破天荒な動きに付き合った勢十郎の広背筋が、ビン! と張り詰め、背骨と
「こ、こっちの刀も、光ってやがる……ッッ?」
『言ったでしょう? わたしはハコミタマ。刀の遣い手を、超人に変えるためのモノガミです。この鍔は、遣い手の霊気を刀に分配し、その動作をも
つまり、この鍔の正体は、生体コンピューター。
刻一刻と変わりゆく戦いの中で、使用者の霊気を完全管理する『生きた脳』なのだ。そして刀仙である東条が黒鉄にこだわっていた理由であり、彼の目指す剣の完成に、限りなく近付くための『鍵』。
殺す気で打ち込んだはずの二段突きを防がれた刀仙は、驚きのあまり、足と手を止めていた。
互いの間合いは五メートル。
この瞬間、ついに東条の中で、『狩り』が『真剣勝負』に替わった。
百五十年のうちに時代は変わり、見るもの着るもの、すべてが変わっている。
しかし、東条はどこまでも
「……名乗れ」
「あぁ?」
「名乗れ小僧ッッ!!」
だから勢十郎も、こう答えるのが正しいと思った。
「――大槻勢十郎、十六歳。ただの、赤ジャージだ」
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