第五話『激突する一等星』その3
すぐそこで、地面を叩きのめすような、大粒の雨が降っている。
刀仙が
この洞窟に、黒鉄は一晩中
いきなり、勢十郎は黒鉄の平手打ちを喰らった。
「なぜ、こんな危険なマネをしたのです!」
頬の痛みにはデジャヴを覚えたが、今の勢十郎は彼女が何を怒っているのか、ちゃんと理解できていた。
「……じじいの、本当の遺書を読んだ」
彼は首から提げた竜の鍔が、急速に冷たくなっていくのを感じていた。
黒鉄は黙り込んでいる。だが、どんなに無表情を貫いていても、依り代である鍔は彼女の心を反映してしまう。こんな形で相手の気持ちが分かってしまうのは、勢十郎も不本意だった。
「なあ」
「……はい」
「…………お前、人間だったのか?」
「……どうして?」
また、彼女は初めての顔になった。
「…………どうして、そんな事を聞くの?」
勢十郎は答えなかった。
確証はなかった。
八兵衛が黒鉄の体を探していたという記述と、東条がハコミタマにこだわっていたという事実。この二つが、どうしても勢十郎の頭から離れないのである。
人間だったのか? ……それは違う。
勢十郎は黒鉄に、人間であってほしかったのだ。
モノガミと人間の間に横たわる『違い』を、彼女だけが感じさせずにいてくれた。
そんな黒鉄の
不器用で、真っ直ぐで、嘘さえつけないバカな女。
赤ジャージの少年は、まっすぐに頭を下げていた。
「俺が無神経だった。お前は化け物なんかじゃねえ。それに、
あの夜、大雨と稲妻の中で、東条は黒鉄を『憐れなモノガミだ』と呼んだ。
はたして刀仙が何を
気絶寸前ではあったが、彼の耳には黒鉄の声が、はっきりと聞こえていた。
『……わたしは、憐れなんかじゃない』
くだらないプライドが邪魔をして、はじめはその意味に気付こうともしなかった。
勢十郎はそんな自分の愚かしさに、今は怒りすら覚えている。
ビンタ一発でチャラにしてもらおうとは、ハナから考えていなかった。口先だけの謝罪など、黒鉄に伝わるとは思えない。だから勢十郎は、いっそ気の済むまで、彼女に殴られてやろうと決めていた。
「やれよ。もっとガツガツやればいい。それだけの事を、俺はやった」
「……あなたは、ずるい」
「ああ、卑怯者だ。だから好きに殴れって言ってるだろ」
「そんなことを言われて、殴れるわけ……ないでしょう」
肩を落とした黒鉄の瞳に、洞窟内の明かりが差し込んで、鮮やかな
「もう一度、尋ねます。どうして、こんな危険なマネを?」
またそれか、と勢十郎は思った。
どうして彼女がそんな事を知りたがるのか、わからなかった。勢十郎にいわせれば当たり前以前の話なのだが、答えろというのなら、構いはしなかった。
勢十郎はその感情に、もっとも
「……欲しいものが火の中にあったから、手、突っ込んだ」
「そ、そんなことの、ために……? これだけのことを?」
黒鉄は、まるで異星人でも発見したような顔をする。
欲しい物が燃え尽きてしまう前に、ヤケドを覚悟で手を伸ばす。程度にはよるが、誰でも考えそうな発想だ。
ただし、リスクがリターンを上回っていても、リターンがリスクそのものであろうとも、大槻勢十郎は止まらない。それだけが、他の人間とは決定的に違う。
「だから、来た」
この世の中に、一人として同じ人間はいない。生まれも、育ってきた環境も違うのだから、それが当たり前なのだ。
まして黒鉄は、モノガミという人智を超えた存在である。だから自分の言葉がけして相手に届かない事も、勢十郎には分かっていた。分かったうえで言ったのだ。
それくらいの気持ちでないと、彼女も絶対に本音で話はしまい。
勢十郎の予想は、的を射ていた。
「……
地面に座り込んだ黒鉄は、勢十郎から視線を外している。
「それじゃ、やっぱりお前……」
「学校で松川切絵が話していた、竜退治の事を覚えていますか?」
「今はそんな事どうでもいいだろ」と言いかけて、勢十郎は茜色に染まった彼女の瞳が、ただならぬ真剣さを帯びているのに気が付いた。
「ああ。あの後、松川からあらためて聞いたよ。あいつの先祖が……、先祖、が……?」
竜退治に必要な刀を作る為に、松川切絵の先祖は何をした?
勢十郎の背中に、洞窟の寒さだけが原因でない、別の冷たさが駆け抜けた。
「ええ。あの若者は、竜を狩る日本刀作りに、
「お、お前、松川の先祖と知り合いだったのかよ!?」
「いつも人目を気にする、落ち着きのない青年でした。ただ刀を打っている時だけは、まるで別人のようでしたが」
黒鉄は
「ひどいものでした。現代人の貴方には想像できないかも知れませんが、竜は実在したのです。あらゆる自然現象を
黒鉄の言葉が演技や誇張でない事は、すぐにわかった。にわかには信じがたかったが、彼女の生きていた世界は、今の常識が全く通用しない異世界だったらしい。
しかし、勢十郎が本当に戦慄するのはここからだった。
「当時、この地を治めていた篠塚藩は、竜退治にモノガミ刀を利用する手立てを考えました。それもただの刀ではありません。人間五人分の魂で起動する
人工のモノガミ、というフレーズに、勢十郎は目を
大治郎のように、刀の製作者の思念が結晶化した『
そして、先生やお蘭のような、経年によって後天的に刀へ宿った神霊『
しかし、目の前にいる少女は、そのどちらでもない
それが『
「藩命を受けた松川貴生は、まぎれもなく作刀の天才でした。彼が考案したハコミタマは、日本刀の使用者を文字通り『超人』に
黒鉄の言葉に合わせて、勢十郎の記憶が
授業中、切絵に見せられた七期大社のホームページには確かに、腐敗の進んだ
「それがあの神社にある、御神体……。
「あれは
「影打ち?」
「同じ刀を二振り打った際に出る、『本物になれなかった刀』です。七期大社に納められることなく失われてしまった
稀代の天才刀工、松川貴生。
彼がその名を歴史に刻んだ作品に、黒鉄のルーツがある。
切絵の話を少しずつ思い出した勢十郎は、ふいに尋ねてしまった。
「それでお前は、刀の人身御供に志願したわけか」
人身御供には、貴族の娘が志願した――。切絵の話はそう締めくくられていた。
ところが、勢十郎に返ってきたのは、神の刀にその身を
「……まさかあなたは、そんな話を信じているのですか?」
「なんだよ? そりゃどういう意味だ?」
「眼を
――――、志願者など、いませんでした」
勢十郎は、見えない手に首を絞められた気がした。
「
人づてに話を聞くと、それが自分と関わりのない、遠い世界の出来事のように思えてしまう。しかし、クラスメイトが勢十郎に語ったのは、生身の人間が織りなした『史実』である。それが、綺麗事だけで済むはずがなかったのだ。
「身分の低さを理由に、貴族共に白羽の矢を立てられた村娘の気持ちが分かりますか? 親に金で売られた子の
いつしか黒鉄の口調には、底知れぬ怒りが渦巻いていた。
「……けど、お前はたぶん、貴族だったんだろ?」
身に付いた礼儀や教養というものは、隠しようがない。
勢十郎には、とても彼女に身分の低さを感じる事はできなかった。むしろ一層、高貴な家柄だったのではないか。そう思えてならないのである。
「ええそうですよッ! でも、わたしには許せなかった! 命の価値を、身分で
……こいつは、やっぱり馬鹿だ。
勢十郎は袴を握りしめる黒鉄の姿をみて、本当にそう思った。
「……、黒鉄」
「だからわたしは、
「――、黒鉄ッッ!」
たぶん「お前は間違っていない」だとか、「俺も同じ事をすると思う」だとか、そんな事を言おうとしたのだと思う。……肝心の口が、動いてくれなかっただけで。
代わりに誤作動を起こした勢十郎の両腕が、黒鉄の細い肩を抱きしめていた。
胸の中にある感触の、意外なほどの頼りなさ。それは彼女がモノガミである以前に、一人の少女に過ぎないという確かな証拠たった。
「えっ? えっ? な、何を……ッ?」
生け贄になった日、彼女達は何を考えていたのだろう?
己の命を刀に捧げたその時、はたして黒鉄はどんな顔をしていたのか。
きっと、彼女は止まれなかったのだ。
勢十郎や東条と、同じように。
「……最後の質問だ」
「?」
「お前、自分のしたこと、後悔してるか?」
「いいえ」
即答だった。
抱きしめているせいで、互いの表情は分からない。だがおそらく今、黒鉄は真顔だろう。それが分かるのが妙におかしくて、勢十郎はつい声に出して笑ってしまった。
「そうか。後悔、してねえか」
突き飛ばされないうちに、勢十郎は黒鉄から体を離した。
雨はもう、止んでいるだろう。
「……やっぱ、そういうのがいいよな」
彼を見上げる少女の顔は、まだ、ほんのりと赤かった。
◆ ◇ ◆
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