第五話『激突する一等星』その3

 地面を叩きのめすような雨音が、遠くから聞こえていた。


 東条が根城ねじろにしていた七期山の大洞窟は、全長数キロにも及ぶ天然の要塞ようさいだった。入り口は人目に付きにくく、つるや岩陰で巧妙に隠されていたが、勢十郎は黒鉄の案内によって、無数に枝分かれした洞窟の一区画に退避している。


 この洞窟に、黒鉄は一晩中幽閉ゆうへいされていたらしい。壁一面に揺らめく不思議な燐光りんこうは、東条の仕掛けた道術どうじゅつによるものと思われた。


 いきなり、勢十郎は黒鉄の平手打ちを喰らった。


「なぜ、こんな危険なマネをしたのです!」


 頬の痛みにはデジャヴを覚えたが、今の勢十郎は彼女が何を怒っているのか、ちゃんと理解できていた。


「……じじいの、本当の遺書を読んだ」


 勢十郎の首から提げた竜の鍔が、急速に冷たくなっていく。


 黒鉄は黙り込んでいるが、どんなに無表情を貫いていても、依り代である鍔は彼女の心を反映してしまう。こんな形で相手の気持ちが分かってしまうのは、勢十郎も不本意だった。


「なあ」

「……はい」

「…………お前、人間だったのか?」

「……どうして?」


 また、彼女は初めての顔になった。



「…………どうして、そんな事を聞くの?」



 勢十郎は答えなかった。


 確証はなかった。

 八兵衛が黒鉄の体を探していたという記述と、東条がハコミタマにこだわっていたという事実。この二つが、どうしても勢十郎の頭から離れないのである。


 人間だったのか? ……それは違う。

 勢十郎は黒鉄に、人間であってほしかったのだ。モノガミと人間の間に横たわる『違い』を、彼女だけが感じさせずにいてくれた。


 そんな黒鉄のあり方に、彼は賭けてみたくなったのだ。

 不器用で、真っ直ぐで、嘘さえつけないバカな女。


 赤ジャージの少年は、まっすぐに頭を下げていた。


「俺が無神経だった。お前は化け物なんかじゃねえ。それに、あわれでもねえよ」


 あの夜、大雨と稲妻の中で、東条は黒鉄を『憐れなモノガミ』と呼んだ。

 はたして、刀仙が何を以て黒鉄の事をそう評したのかは、分からない。だが勢十郎は、あの時、黒鉄が毅然きぜんと言い返したのを知っている。


 気絶寸前ではあったが、彼の耳にはちゃんと聞こえていた。


『……わたしは、憐れなんかじゃない』


 くだらないプライドが邪魔をして、はじめはその意味に気付こうともしなかった。

 勢十郎はそんな自分の愚かしさに、今は怒りすら覚えている。


 ビンタ一発でチャラにしてもらおうとは、ハナから考えていなかった。口先だけの謝罪など、黒鉄に伝わるとは思えない。だから勢十郎は、いっそ気の済むまで、彼女に殴られてやろうと決めていた。


「やれよ。もっとガツガツやればいい。それだけの事を、俺はやった」

「……あなたは、ずるい」

「ああ、卑怯者だ。だから好きに殴れって言ってるだろ」

「そんなことを言われて、殴れるわけ……ないでしょう」


 肩を落とした黒鉄の瞳が、洞窟内の明かりが差して鮮やかなあかね色になっている。


「もう一度、尋ねます。どうして、こんな危険なマネを?」


 またそれか、と勢十郎は思った。


 どうして彼女がそんな事を知りたがるのか、わからなかった。勢十郎にいわせれば当たり前以前の話なのだが、答えろというのなら、構いはしない。

 勢十郎はその感情に、もっとも相応しい言葉を選んだ。


「自分が一番、納得できるやり方だからだ」

「そ、そんなことの、ために……? これだけのことを?」

「きっと世の中には、もっとお上品なやり方があるんだろ。けど俺は、自分と他人の区別をつけて生きてんだよ。だから、どこかの誰かの真似事まねごとや、そういう風にしなきゃいけないって物の考え方が、どうしても無理なんだ。……だからここに来た。本当に、それだけなんだよ」


 黒鉄は、まるで異星人でも発見したような顔をする。

 しかし、それこそが大槻勢十郎の核心であった。


 異常に頑健な肉体と、途切れやすい意識をもつ勢十郎は、自他の区別をつけざるを得ない人生を歩んできた。だが、そもそもこの世の中に、一人として同じ人間はいない。生まれも、育ってきた環境も違うのだから、それが当たり前なのだ。


 まして黒鉄は、モノガミという人智を超えた存在である。だから自分の言葉がけして相手に届かない事も、勢十郎には分かっていた。分かったうえで言ったのだ。

だが、それくらいの気持ちでないと、彼女も絶対に本音で話はしまい。


 気持ちは、気持ちで返された。


「……それがしは、この七期山で、三百年前に生きていた女です」


 地面に座り込んだ黒鉄は、勢十郎から視線を外している。


「それじゃ、やっぱりお前……」

「勢十郎どのは、松川切絵が学校で話していた、竜退治の事を覚えていますか?」


「今はそんな事どうでもいいだろ」と言いかけて、勢十郎は茜色に染まった彼女の瞳が、ただならぬ真剣さを帯びているのに気づく。


「ああ。あの後、松川からあらためて聞いたよ。あいつの先祖せんぞが……、先祖、が……?」


 竜退治に必要な刀を作る為に、松川切絵の先祖は何をした?


 勢十郎の背中に、洞窟の寒さだけが原因でない、別の冷たさが駆け抜けた。


「ええ。あの若者は、竜を狩る日本刀作りに、人身御供ひとみごくうを使いましたね」

「お、お前、松川の先祖と知り合いだったのかよ!?」 

「いつも人目を気にする、落ち着きのない青年でした。ただ刀を打っている時だけは、まるで別人のようでしたが」


 黒鉄はなつかしそうに洞窟の入り口を、否、そのはるか先にある七期大社を見た。


「ひどいものでした。現代人の貴方には想像できないかも知れませんが、竜は実在したのです。あらゆる自然現象をつかさどる、神の化身けしん。当時の人間がアレをどれほど恐怖していたか、言葉ではとても伝え切れません」


 黒鉄の言葉が演技や誇張こちょうでない事は、すぐにわかった。にわかには信じがたかったが、彼女の生きていた世界には、確かに竜がいたのだろう。


 しかし、勢十郎が本当に戦慄するのはここからだった。


「当時、この地を治めていた篠塚藩しのづかはんは、竜退治にモノガミ刀を利用する手立てを考えました。それもただの刀ではありません。人間五人分の魂で起動する複合神通力駆動刀ふくごうじんつうりきくどうとう、つまり人工的なモノガミである『箱御霊ハコミタマ』の開発を命じたのです」


 人工のモノガミ、というフレーズに、勢十郎は目をすがめた。


 大治郎のように、刀の製作者の思念が結晶化した『人形見ヒトガタミ』。

 そして、先生やお蘭のような、経年によって後天的に刀へ宿った神霊『付喪神ツクモガミ』。

 しかし、目の前にいる少女は、そのどちらでもないいびつな存在である。


 それこそが人工のモノガミ、『箱御霊』の正体だったのだ。


「藩命を受けた松川貴生きしょうは、まぎれもなく作刀の天才でした。彼が考案したハコミタマは、日本刀の使用者を文字通り『超人』に変貌へんぼうさせる代物だったのです。脆弱ぜいじゃくな人間が、竜をほうむり去る為の最終兵器――」


 黒鉄の言葉に合わせて、勢十郎の記憶がよみがえる。


 授業中、切絵に見せられた七期大社のホームページには確かに、劣化の進んだ白鞘の日本刀が掲載されていた。かつて水害をもたらした竜を討ち取り、現在まで続く松川家の、権威の象徴しょうちょう


「それがあの神社にある、御神体……。竜尾羽喰たつのおはばみだってのか?」

「あれは影打かげうち。呼び名も竜退治の後につけられたあざなです」

「影打ち?」

「同じ刀を二り打った際に出る、『本物になれなかった刀』です。七期大社に納められることなく失われてしまった真打しんうちの名は、『晴之剣ハレノツルギ』。現代語に訳すなら、『非日常の剣』という意味になる」


 稀代きだいの天才刀工、松川貴生。

 彼がその名を歴史に刻んだ作品に、黒鉄のルーツがある。


 切絵の話を少しずつ思い出した勢十郎は、ふいに尋ねてしまった。


「それでお前は、刀の人身御供に志願したわけか」


 人身御供には、貴族の娘が志願した――。切絵の話はそう締めくくられていた。


 ところが、勢十郎に返ってきたのは、神の刀にその身を捧げた少女のものとは思えないほど、皮肉な笑みだった。


「……まさかあなたは、そんな話を信じているのですか?」

「なんだよ? そりゃどういう意味だ?」

「眼をつむれば、今でもはっきり思い出す。貴族の娘達が、畜生ちくしょう同然の生きはじさらすあの姿が。……よいですか? 勢十郎どの。


――――、


 勢十郎は、見えない手に首をめられた気がした。


「占いによって選ばれた娘達はみな、家の権威にすがりつき、あるいは小判をいて、己の身代わりを立てたのです」


 人づてに話を聞くと、それが自分と関わりのない、遠い世界の出来事のように思えてしまう。しかし、クラスメイトが勢十郎に語ったのは、生身の人間が織りなした『史実』である。それが、綺麗事だけで済むはずがなかったのだ。


 いつしか黒鉄の口調には、底知れぬ怒りが渦巻いていた。


「身分の低さを理由に、貴族共に白羽の矢を立てられた農民の気持ちが分かりますか? 親に金で売られた子の惨めさが、あなたに想像できますか……ッ?」

「……けど、お前はたぶん、貴族だったんだろ?」


 身に付いた礼儀や教養というものは、隠しようがない。

 勢十郎には、とても彼女に身分の低さを感じる事はできなかった。むしろ一層、高貴な家柄だったのではないか。そう思えてならないのである。


「ええそうですよッ! ! 命の価値を、身分で測ろうとする『大人の理屈』が、どうしても許せなかったッッッ!」


……こいつは、やっぱり馬鹿だ。

 勢十郎は袴を握りしめる黒鉄の姿をみて、本当にそう思った。


「……、黒鉄」

「だからわたしは、自ら炉の中に身を投げたッッ! 自分の責任を他人に押しつけるくらいなら、死んだ方がまし――」

「――、黒鉄ッッ!」


 たぶん「お前は間違っていない」だとか、「俺も同じ事をすると思う」だとか、そんな事を言おうとしたのだと思う。……肝心の口が、動いてくれなかっただけで。


 代わりに誤作動を起こした勢十郎の両腕が、黒鉄の細い肩を抱きしめていた。


 胸の中にある感触の、意外なほどの頼りなさ。それは彼女がモノガミである以前に、一人の少女に過ぎないのだという、確かな証拠だった。


「えっ? えっ? な、何を……ッ?」


 にえになった日、彼女達は何を考えていたのだろう? 


 己の命を刀にささげたその時、はたして黒鉄はどんな顔をしていたのか。


 きっと、彼女は止まれなかったのだ。

 勢十郎や東条と、同じように。


「……最後の質問だ」

「?」

「お前、自分のしたこと、後悔してるか?」

「いいえ」


 即答だった。


 抱きしめているせいで、互いの表情は分からない。だがおそらく今、黒鉄は真顔だろう。それが分かるのが妙におかしくて、勢十郎はつい声に出して笑ってしまった。


「そうか。後悔、してねえか」


 突き飛ばされないうちに、勢十郎は黒鉄から体を離した。


 雨はもう、止んでいるだろう。



「……やっぱ、そういうのがいいよな」



 彼を見上げる少女の顔は、まだ、ほんのりと赤かった。


◆     ◇     ◆ 

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