第三話『ハゲタカの夜』その4
パタ、パタ、と、屋根瓦を打つ雨の音。
胸元に竜の鍔の重みを感じ取り、勢十郎はようやく目を開けた。
「気が付かれましたか、勢十郎どの」
「……なんてツラしてんだよ、お前」
自分の顔を覗き込む濃紺の瞳が、ひどく頼りない。勢十郎が黒鉄のそんな顔を見るのは、これで二度目だった。
察するに、襲撃騒ぎの後、勢十郎は自室に運び込まれたらしい。汚れた服は脱がされ、気休め程度の包帯が巻かれているが、いつも通り特に傷はなかった。
勢十郎は布団を押しのけて、半身を起こした。
「……で、お前は俺が何を言いたいか、分かるか? 松川」
いかにも高そうな衣に身を包み、湯飲みを
「私は『法力僧』。ここには『モノガミ』がいて、それを狙う『刀仙』を追ってきたのさ」
彼女は教室で見たのと同じ、笑顔を浮かべた。
クラスメイトの破天荒な説明に、勢十郎も
「つうか、お前の家、神社だろ? 坊主は寺じゃねえのか」
「ははは。『法力僧』は国際用語なのさ。心霊災害の除去解決を目的とする集団は、世界中に数あれど、日本ほど問題の発生頻度が高い国はそうはないよ。結果、国や人種、宗教の壁を越えて『法力僧』という、対心霊災害におけるスペシャリスト集団が編成された」
「他の連中は?」
切絵があっけらかんとしているせいで、勢十郎は軽率な質問をしてしまう。
そして、彼はすぐに後悔した。
「
クラスメイトの表情に変化はなかったが、勢十郎が事態の異常性を知るには充分な台詞だった。横合いから湯飲みを差し出した黒鉄は、そんな彼の動揺を察して説明を加える。
「勢十郎どの。心霊災害は常に死と隣り合わせ。法力僧はそれを
単純明快なその意見に、だが勢十郎は黙り込む。人の形こそしているが、黒鉄は所詮、死の恐怖とは無縁の化け物なのだ。人間の痛みなど、考えるべくもないほどに。
雨音が、少しうるさくなった気がした。
「今度はこちらから質問だ、大槻君」
「なんだよ?」
切絵は自分の数珠から珠を一粒引き抜くと、それを布団の上に放り投げた。
先ほどの戦闘で見た破壊兵器を思い出し、黒鉄はとっさに身構えた。
だが、それは
「なんだこりゃ? すげえな」
「
二人の物珍しそうな反応に、切絵はご満悦の様子だった。
「霊圧計を見るのは初めてかい? そこに出ている数値は、君の体が放射してる霊気量だよ。個人差はあるけれど、一般成人男性の平均値が1.0
「どこで売ってんだよ、こんなもん。秋葉原か?」
「いや、アメリカだよ。霊媒研究がアジアの専売特許だったのは、1950年代の話でね。もう一度、霊圧計の数値を見たまえよ。0.03A。つまり君は、常人の三パーセントにも満たない霊気で生きている、という事さ」
いまいちピンとこない勢十郎は、ただ「少ねえな」としか答えられなかった。スリープモードに移行した霊圧計は、すでに球体へ再変形している。
彼の疑問に答えたのは、黒鉄だった。
「勢十郎どの、すべての生き物にとって、霊気とは生命力そのものです。極端に少なければ、健康を損ねてしかるべきだと、松川切絵は言いたいのですよ」
確かに大槻勢十郎の頑健な肉体は、黒鉄の言う理屈に反する存在である。しかし、そもそも彼が霊気という超常の力を知ったのは、つい二日前の話だ。
「そういう奴もいるんだろ、きっと」
「まぁ、そういうケースも考えられるね」
切絵は教室で会った時と、そして昼間七期大社で見た時とも同じ顔だった。つまり今夜の出来事は、彼女にとって日常に過ぎないのである。
松川切絵は、それほど深く、長く、法力僧という闇の世界で生きてきたのだろう。
六畳間の壁掛け時計を見ると、天狗の襲撃からまだ三時間ほどしか経っていなかった。が、それにしてはやけに強烈な空腹感があるのに、勢十郎は少し戸惑う。
「……東条つったか。あの天狗野郎はなんだったんだ?」
黒鉄は目を泳がせて、質問の核心に迫るのを避けているようだった。だが、幅の広い赤頭巾を持て余していた切絵は、神職には不釣り合いな茶髪を揺らして
「あの男は『
「……とう、せん?」
「時代遅れの
ブラックユーモアたっぷりの説明に、勢十郎はげんなりする。
「あの男、また来るよ」
聞いているだけで、ろくでもない連中なのは勢十郎にも察しがついた。実際に、天狗の言動を目撃した勢十郎には、あの男の危険性が身に
「そして君と、君の刀を狙うだろう」
憎悪すら感じさせる刀仙への評価に、切絵は最後にこう付け加えた。
「だからこそ、狩り甲斐のある『獲物』なんだけどね」
「お前……」
松川切絵は、法力僧なのである。心霊災害の除去、解決をお題目にしているが、その実体は
勢十郎は有機デバイスを埋め込んだ
「お前は、その……、何が目的で?」
「もちろん金さ。霊気の扱いに
勢十郎がちらりと見ると、黒鉄はいかにも不快そうな手つきで茶を入れていた。
彼女にしてみれば、モノガミを金としか捉えていない切絵の考えは、卑しく感じられるのだろう。
重い沈黙は六畳間を包み込み、大花楼には
忘れる前に、勢十郎はとりあえず筋を通しておく事にした。
「遅くなったけど、一応礼は言っとくよ」
切絵は教室で見せたのと同じ口元で、からからと笑った。
「これで貸しが二つだね。三つたまったら、学生らしくスイーツでも
「お前に奢るのは気が引けるな。破産しそうだ」
「くっくっく。覚悟しておくんだね、大槻君。……ふむ。少し、席をはずそうか?」
「ああ、悪いな」
予定調和のように、切絵は茶を飲み干して席を立つ。
クラスメイトの足音が襖の向こうに消えるのを待つ間、勢十郎は夜が明ける前の静けさに、大花楼の広さを思い知る。それが寂しさのせいだと気付くのに、さして時間はかからなかった。
「……言いたい事が、あるんだろ?」
黒鉄のほうを見ないまま、勢十郎は言った。
濃紺の瞳は、嵐のような感情に揺れている。
黒鉄が爆発寸前の怒りをなんとか持ち
黒鉄は静かに尋ねていた。
「……御自分の命を、なんだと思っているのです?」
「くだらねえこと聞いてんじゃねえよ」
「あ、あなたはずっとそうだ。……大治郎と喧嘩になった時も、あの刀仙が現れた時もそう。どうしてわざわざ危険を冒すような真似をするのです? 多少体が頑丈だからといって、安心していたのではないですか? 御自分が絶対に死なないとでも?」
「なぜです……ッ!」
「お前はモノガミだから、
黒鉄は天狗の去り際に見せたあの顔で、息を呑む。それは、身を
しかし、勢十郎の言葉はそこで終わらない。
黒鉄も耳を疑うような暴論が飛び出したのは、その直後だった。
「死ぬ時は、あっさり死んだ方が良いんだよ。そいつを逃しちまったら、あとはもう、
「い、生きる事が、惰性ですって?」
「俺を助けんのは、お前の自由だ。だから、その事に文句を言うつもりはねえよ。命を救ってもらった分際で、手前勝手なこと言ってんのも分かってる。けどな、お前と松川がやったのは、俺にとって親切なんかじゃねえ、ただのお節介なんだよ」
「ほ、本気で言っているのですか? 本気で……?」
黒鉄は強烈な危機感に襲われていた。
現代人の観点からみても、大槻勢十郎の考え方はあきらかに異常である。
たかが十六、七の少年が口にするには、あまりにも達観し過ぎた死生観。見た目はどこにでもいそうな高校生に過ぎない彼が、何故そのような結論に至ったのか、黒鉄には想像することさえ
「……あなたは頭がどうかしている。あの人なら、八兵衛殿なら、けしてそんな事は言わない」
それが、けして言ってはならない失言であった事に、黒鉄は気付いていなかった。
勢十郎は、この少年にしては珍しく、冷たい眼で彼女を見る。
……我慢の限界にきているのは、このモノガミだけではない。彼も同じだった。
「……いい加減にしやがれ。どいつもこいつも、口を開けば八兵衛ハチベエってよ」
「それは、あなたが八兵衛殿の孫だから……」
「ジジイの思い出に振り回されんのはウンザリなんだよッ! 見ろッ! 惰性で生きた結果が、親戚中からハブられた
「な……ッッ!? 取り消せ! 勢十郎ッッ!」
思わず食ってかかる黒鉄を、勢十郎は白けた顔で見ていた。
「お前、あの東条とかいう奴が来るって、はじめから知ってたんじゃねえのか?」
「そ、そんなことはありません! わかっていれば、あんなことには……ッ」
「お前、俺の事を主だなんだ言ってる割には、隠し事ばっかしてんじゃねえか。法力僧だの刀仙だの言う以前に、俺はお前の事、何も知らねえんだよ」
つまるところ、勢十郎の黒鉄に対する不信感は、彼女に対する無知からきているのだ。彼は大花楼に来て以来、次々に理不尽な状況へ放り込まれ、その都度必要最低限の情報しか与えられないというパターンには、完全に嫌気が差していた。
おまけにこの屋敷のモノガミ達は、ことあるごとに八兵衛を引き合いに出して、自分と祖父を比べようとする。それが、勢十郎にはとてつもなく不愉快だった。
袴の裾を掴む手が小さく震え、黒鉄は深くうつむいた。
「……
「ああ。お前が化け物じゃなかったら、な」
――、パン。と乾いた音がして、勢十郎の右頬がじわりと熱くなった。
平手を振り抜いた黒鉄は、とっさの事に次の言葉が出てこない。代わりに彼女が勢十郎へ向けたのは、真っ赤に充血したつり目だった。
寝ている間もずっと着けっぱなしだった鍔の首飾りが、今は固く凍えている。
天狗が襲ってきた時にはあった、あの包み込むような暖かさはない。その理由に、勢十郎はもう想像がついている。……この竜の鍔を依り代にしている黒鉄が、彼に本気の敵意を向けているからだ。
勢十郎は赤ジャージのジッパーも締めないまま、首飾りを畳に叩きつけていた。
おそらく黒鉄は、殴りかかってくるだろう――。そんな風に思っていたばかりに、声を殺して泣く彼女を見た途端、勢十郎はどうしていいのかわからなくなった。
「……人も、モノガミも、一人では何もできません」
腹が立っているのは、黒鉄にか、それとも自分にだったのか。
雨音は、いつの間にか止んでいる。
勢十郎は乱暴に襖を開けた。
「あばよ、黒鉄。今度の『主』はもっと……、ちゃんと選ぶんだな」
いずれにしても、血がのぼった頭で考えるには、難しい問題ばかりだった。
◆ ◆ ◆
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