第二話『ハレ、時々、ケ』その5
午後三時半。
勢十郎と黒鉄は縁側に腰掛けていた。
母屋の縁側から
市役所を抜け出した勢十郎は、生活用品の買い出しを手短に済ませ、大花楼まで戻ってきた。ところが、屋敷に戻ってくるなり、実体化した黒鉄はここまで彼を引きずってきた。理由も告げぬままに、である。
縁側には、勢十郎には
「で? これから何をするんだ?」
「まずはこれを」
頭巾こそ
できればもう一度、彼女の私服姿を見てみたかった勢十郎だが、今日のところはお預けのようだった。ちなみに昨夜の服は、お蘭の神通力で変身していたというのだから驚きである。
黒鉄が持つ四角い盆の中には、金属の串と丁子油と掻かれた小瓶、見るからに怪しい『白い粉』、そして
「なるほどな。つまりこの粉を紙に乗せて、火で
「使い方が激しく間違っていますが、やりたいのであれば、ご自由に」
「おい、止めろよ」
真顔になる勢十郎を華麗にスルーして、黒鉄は最後のブツを手に取った。
思わず「無視すんな」と言いかけた彼の視線は、だがあっさりと彼女の手元へ誘導されてしまう。
黒鉄が取り出したのは、黒塗りの鞘と、絹糸の
「刀の手入れは主の
「お、おう」
ところが、刀を受け取ろうとしたその瞬間――、勢十郎の腕は、第三者の
「おいおいおい! なんだこりゃ!?」
「……これ、
彼女の言葉で真後ろに振り向いた勢十郎は、今度こそ本当に
腕を掴まれるまで男の気配がなかった事に、勢十郎は戦慄する。ボロ切れ同然の着物に身を包み、なぜか
「こ、こいつも、モノガミなのかよ!?」
「ええ。この打刀に宿るモノガミで、名を大治郎と申します。ほら、いい加減に手を離せ」
黒鉄が
「離すつもり、ねえみたいだぞ?」
「やれやれ……」
やむなく、黒鉄は打刀を自分の膝に置き直す。すると、ようやく大男のごつい手は勢十郎の腕から外れ、背後へ戻っていった。
「つまり、俺に刀を触られたくねえ、って事かよ?」
「緊張しているのでしょう。よくあることです」
そう言われても、刀の安全を確保した般若の面の男は、あからさまに勢十郎への興味を失っていた。
縁側に降り注ぐ陽気は、いかにも春めいている。すでに筍の季節は過ぎかけているのだが、
ペンギンであった。
「せ、先生!? なぜそのような場所に……?」
「わかってるよ。理由なんか、ねえんだろ?」
黒鉄にサルベージされた下等生物は、相変わらず
「小僧や、大治郎はお主に『
「ヨリシロ? あぁ、コイツが宿ってる刀の事か。それが?」
「そもそもお主は、まだモノガミの事を何も知らん。勘違いも、多い」
別に知りたいとも思わなかったが、ここで下手に逆らって、隣にいる黒鉄に刺されたくなかった勢十郎は、「ソウデスネ」とだけ答えておいた。
そんな彼の態度をどう受け取ったものか、黒鉄はさっさと刀の手入れを開始する。ペンギンの話を聞きながら、作業手順は見て覚えろ、とでも言いたいのだろう。無茶な話だった。
ペンギンは隠し持っていた煙管で、マイペースに
もちろん、勢十郎の膝の上で、だ。
「灰を落としたら、焼き鳥にしてやるからな」
「……モノガミとは、世にあまねく物品に宿りし、神霊の総称じゃ」
「はっ。ようはお前ら全員、自分が
「ほっほ。小僧、多少はモノガミの事を知っておるようだの」
当たらずも遠からず、だったらしい。
すると、手際よく刀の
「勢十郎どの。モノガミとは、あくまでも物品に寄生する霊的存在の総称に過ぎません。ツクモガミとは、その中の一分類に当たるのですよ」
「何だそりゃ? 学問でも成立してんのか?」
「なぁに。モノガミに関する
日当たりの良い縁側に、ペンギンの吐いた極太の煙が渦を巻く。
刀身に打ち粉をまぶし終えた黒鉄が、また口をはさんだ。
「モノガミは大別すると『ツクモガミ』と『ヒトガタミ』の二種に分類されます。ツクモガミは経年とともに物品へ宿った神性であり、モノガミの中では高貴な方々なのですよ」
「ちなみに儂、ツクモガミじゃ」
「ああ、なんとなくそんな気はしてたよ」
無闇に態度がデカいからな、とは勢十郎も言わなかった。
「んで、ヒトガタミってのは?」
「ヒトガタミとは、制作者の思念が結晶化した霊的存在のこと。ゆえに『
「悪かった。話を聞いた俺も、俺の頭も悪かったよ。全く理解できね……、ん? 待てよ? するとモノガミってのは、なにも刀だけに宿ってるモンじゃねえ、って事になんのか?」
「御明察」と呟いた黒鉄が、珍しく素直な笑顔になっている。不覚にもドキリ、としてしまった勢十郎だが、彼にとって本当に興味深い話が始まったのは、そこからだ。
ペンギンは、大きく煙を吐き切った。
「モノガミとはその名のごとく、物品に宿る霊的存在。本来は日用品から美術品まで、いたるところにおるはずのモノよ。ところが、な。近代以降、西洋文化の影響を受けた日本は、物質消費型の社会形態になってしもうた。……小僧。これが何を意味するか解るかえ?」
「物が大切にされないと、ツクモガミは生まれない。んでもって、機械生産で物を作ってもヒトガタミは宿らない、ってんだろ? あんたら、人類史の中で
「ふふ、ふ。そういう事じゃ」
昔ながらの物品は次々に廃棄され、そこに宿るモノガミ達は姿を消した。しかし、日本刀は美術品として
壮大な話のスケールに勢十郎が天を仰いでいると、突然ペンギンが煙を吹きかけてきた。
「げっほげっほ!? なにしやがる!」
「話を戻すぞ、小僧。……大治郎は、お主に依り代を触らせなかったな?」
勢十郎は、バツが悪そうに頷いた。
ペンギンが膝に乗っているせいで、姿を見る事はできないが、勢十郎の背後にはまだ大治郎の気配が張り付いている。黒鉄が丸裸にした日本刀に彼が手を出せば、やはりまた阻止されるような気がした。
「それはな、お主が大治郎に信用されておらんからよ」
「信用されてねえのか、俺」
「当たり前じゃ。どこの馬の骨とも知れん輩に、おいそれと身を任せる馬鹿がおるものか」
俺は馬の骨かよ、と勢十郎は頬をヒクつかせるが、ペンギンの言葉にも一理ある。
「……それだけではありません」
刀身を拭い終わった黒鉄は、続いて刀を逆さまに持ち替えると、本来は柄の中に収まっているはずの
勢十郎は薄く
ところが、だ。
「……なんにも、ねえ?」
実際には、茎には
「刀の茎には
「記憶が、ない?」
「ええ。そのうえ、このように口数も少ないもので。我々にさえ、心を開くのに多大な時間が掛かりました」
これまでの苦労を思い出しているのか、黒鉄は苦笑交じりにそう言った。
つまり茎に刻まれる銘は、刀のモノガミにとって、身分証明書のようなものなのだろう。
「それじゃ、俺にどうしろってんだ」
「ほっほ、それは自分で考えるんじゃな」
ペンギンは煙管をくわえたまま、ヒタヒタと座敷の奥へ去っていく。
勢十郎の隣ではちょうど黒鉄が、打刀に装具を付け終えたところだった。
「ご覧になりますか?」
どこか誇らしげに黒鉄が掲げる打刀が、見違えるほどに美しい。
刀身に塗られた丁子油が新しくなり、曇っていた刃は
しかし彼の背後では、さらにとんでもない事が起きていた。
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