静河政男 ~ 2 ~

08 Make a Love Song

 二〇〇五年七月九日 土曜日

 七本槍ななほんやり南商店街


「シズ!」

 自分を呼ぶ声に振り返る。

(チッ、ナオフミか)

 声だけでも判別はついたが、あまり見たくはなかった顔だ。シズは再び前を向き、歩みを止めずにEDITIONエディションへと向かう。

「待てって!シズ!」

 シズを呼ぶ声が走りながら近付いてくるのが判ったが、何もとことん逃げてやろうとまでは思わない。シズはナオフミが追いつくまで少しだけ歩く速度を落とした。

「シカトすることないじゃん!」

 シズの隣に追いついたナオフミがシズの肩を掴んで言う。

「シカトすることないけど、話すこともねぇし」

 ナオフミは以前シズが所属していたバンドThe Seeシー Killキル Lowロウのベーシストだ。ドラムスとは良く息が合っていて、バンドのリズム隊としては申し分なかったのかもしれないが、シズとの相性は良くなかった。

 大体にしてリズム隊の人間というものは、リズムが確りしているバンドは格好良いなどと言われてイイ気になっている人間が多い。そんなシズにしてみれば都市伝説級の胡散臭いウワサを真に受けて自分達がバンドの土台を創り上げている、という思い込みが激しい、ろくでもない人種のように感じる。もちろんリズム隊を務めている人間全員がそうだとは言わないが、そう思い込んでいるドラマーやベーシストはかなりの数いると常々肌で感じていた。

 それは勝手に思い込んでいれば良いし、その思い込みが自身の繋がるのならばいくらでも思い込めば良いが、それをギタリストやボーカルにコツコツと語るようなリズム隊では、今度はフロントがのびのびとプレイできない。リズム隊が確りとリズムを作るのは、フロントの人間が確りと表現できる場を作るためのものだ。

 上から言う訳ではないが、そんなことは態々口に出すまでもなく当たり前の仕事だ。もちろんフロントがフロントとしてしっかり表現をするのも当たり前の仕事だ。

 リズムだけ確りして、それにカッチリ、リズムキープだけに特化した音楽には何の魅力も感じない。ナオフミがそう言っていた訳ではないが、ドラムはそのくらいのことを平然と口走っていた。

「お前になくったって俺にはあんの!」

 ナオフミはそう言って苦笑した。

「何?」

「ギター持ってるってことはまたバンドやってんだろ?良かったよ」

「まぁ好きでやってるし」

「邪険にすんなよ……。俺はさ、シズが抜けるの反対だったって知らなかったろ。俺、中々シズとは合わなかったけど、いつか絶対合わせてやる、って思ってやってたんだぜ」

 ばつが悪そうな顔をしてナオフミは言った。ナオフミが一生懸命なのは知っていた。ただ、一生懸命やって巧くなっても、フィーリングが合わなければバンドとしては成立し難いものだ。バンドのフィーリングを考えればシズは外れて当たり前だった。千晶と知り合って、一緒に音を出すようになったからなのか、今ならそれが良く判る。

「まぁでもさ、バンドのこと考えりゃこれで良かったでしょ」

 始めてナオフミに笑顔を向けてシズは言った。自棄になって言っていることではない、とナオフミに伝えるために。

「オレみたいな厄介なのが抜けてさ。オレはオレで今のバンドすげえ楽しいし、お互いこれで良かったんじゃん?」

「……ライブは?」

 穏やかに言うシズにナオフミは訊ねてきた。何だか奇妙な空気だが、不思議と悪い気はしない。お互いに、勝手に辞めた、追い出してしまった、という気持ちが何となく緩和されているようにも思える。ナオフミはシズが辞めてゆくのを反対していたようだし、シズもナオフミと直接喧嘩をしたわけではない。そんな、何とも言い難い事実から生まれてくる空気感だ。声をかけられた瞬間に感じた嫌悪感は既に感じなくなっていた。

「やるよ」

「行くよ」

「じゃナオフミだけな。他の連中はどうせ見下してこねぇだろうし」

 特にドラムスは。一番シズとは衝突していた人物だ。取っ組み合いの喧嘩になったのも、千晶ちあきと出会ったあの日が初めてのことではない。都度ナオフミにもボーカルにも迷惑をかけてしまっていた、ということだ。

「見返してやりゃいいじゃん」

「……音楽は上下じゃないんだぜ、ナオフミ」

 どの口が、とも思わないでもないが、シズはあえてそれを口に出した。なるほど、千晶の言っていたことも少しは判りそうな気がしている。

「よく言うわ。でもま、そういうコト言えちゃうメンバーに出会えたってことか」

「うん。いいヤツラなんだ」

 先日のBeatビート Releaseリリースとの対バンライブで問題に挙がった、音楽の勝ち負けだとか、上下だとか、そういった問題はシズの中で答えが少しずつ変化している。確かに勝負したいし白黒はっきりつけたいという気持ちは持っているが、目に見える結果はシズにも想像はできなかった。音楽や食べ物で一等賞をつけるのは土台無理な話だ、ということは判ったような気がする。ただ、集客数の勝ち負けよりも、技術の巧い下手よりも、気持ちでは勝ちたい。誰にも負けたくない。自分だけではない。莉徒や千晶、拓、みんなが、Koolクール Lipsリップスは絶対に良いバンドになると信じている。

「ちょっと悔しいな」

「負けなきゃいいじゃん、そっちだって」

「音楽は上下じゃないんだろ?」

「うはは、まぁね」

 言い返されてシズは笑った。気持ちの勝ち負けと技術の勝ち負けは別物だ。人気の有り無しも全く別の話だ。それを一々説明しなくてもナオフミには恐らく判っているのだろう。きっとシズ自身が気付くのが遅かっただけだ。

「じゃあさ、そのうち対バンしようぜ。いつまでも仲違いなんてアメリカのLAメタルバンドじゃあるまいしさ」

「……だね。まぁ他のメンバーも呼ぶなら呼んでよ。無理に呼ぶのだけはカンベンだけどさ」

 無理矢理連れてこられて楽しいライブなどある訳がない。こちらとしても無理矢理呼んで、つまらなかったと言われるのは避けたい。それにナオフミとはこうして話すことができたが、ドラムとボーカルはまだシズに対して嫌悪の念を抱いているはずだ。

「判ったよ」

「んじゃな、これから練習だろ?」

「あぁ、うん。ナオフミさ、今度飯でも食いに行こうか」

 The See Kill Lowにいた頃は、そういう付き合い方をしてこなかった。Kool Lipsでは毎回のように練習後には喫茶店に寄って、音楽の話や取るに足らない下らない話まで、様々なことを話している。

 社会人が仕事を終えた後に、気の合う仲間と酒を酌み交わす行為に似ているかもしれない。コミュニケーションの最も初歩で基本的なこと。そうしたことをしてこなかったのも、不和を招く原因の一つになっていたのかもしれない。

「……オッケ、おごってやるよ」

 シズからの提案に面食らった様子で、しかしすぐに笑顔に切り替えてナオフミはサムズアップを返してきた。

「お、言ったな!約束だかんな!」

「おおよ。これから練習なんだな」

「あぁ」

「そっか。んじゃがんばれよ」

 一本取られたような気持ちだが、嫌な気はしなかった。それはシズが子供だったという証左なのだろう。そして子供だったと思えるようになったシズ自身の、ほんの少しの成長なのだろう。

「あぁ、さんきゅ」

 手を振るナオフミを後に、シズは気合を入れ直すと、スタジオへ急いだ。



 同日 七本槍南商店街 楽器店兼練習スタジオ EDITION


 ひとまず休憩時間として、じゃんけんに負けた莉徒りずたくがコンビニエンスストアにアイスを買いに行っている間に、シズは用を足してロビーに戻ってきた。

「シズさー、今日何かあった?」

 千晶がシズの顔を覗き込むように訊いてきた。シズよりもかなり背の高い千晶に顔を覗き込まれるのはなんだか嫌なものだ。

「キモイ」

「……あーそうですか。なぁんか調子良さそうだからって思ったんだけど!じゃあいい」

「あーあー、ごめん!……いやさっきさ、前のメンバーに会ったんだわ」

 まさか拗ねるとは思わなかったので、少々焦りながらシズは訳を言った。大体千晶はいつもどこかで一歩退いて物事を見えるような、少し冷めた性格のはずだ。いや、もしかしたらこれが千晶の本来の性格の一部なのかもしれない。こないだの一件から少しずつではあるが、千晶の砕けた一面を見る機会が多くなったように思う。

「前のって、俺と会った日の?」

 きょとん、と目を丸くして千晶が言う。さわり、と自分の左頬を触ってしまったのは無意識だったのかもしれない。あの時ぶん殴られた千晶は気の毒に過ぎるが、あれはあれでもはや水に流してほしいものだ。そもそもシズが殴った訳ではないし、巻き込まれた千晶がどん臭いのもいけなかった。ともかく首が疲れるから座ろうじゃないか、とシズは開いている椅子にさっさと座りこんだ。

「そう。でもそいつはオレが抜けるの反対してたらしくてさ。あん時は知んなかったけど」

「ふーん」

 頷きながら千晶もやっと椅子に座る。椅子に座っても視線は上になるのがなんだか悔しい。

「なんかさ、音楽で認めたくねー部分ってあんじゃん。例えばオレならポップがそうだし、千晶ならヒップホップがそうじゃん」

「あぁ」

「その辺って何でかなぁ、とかちょっと考えたんだけどさ、多分単に好き嫌いなんだと思う訳よ」

「まぁそうだろうけどさ……」

 一口にバンド、と言ってもポップスバンドもあればヒップホップバンドもある。ヘヴィメタルやハードロック、LAメタルにスラッシュメタル、デスメタル、ドゥームメタル。シンフォニックスピードに、メロディックスピード、挙げればきりはない。

「したらさ、それ、ホントは認めらんねぇ!って本気で思ってんじゃなくて、本気で好きじゃないだけで、そういうのマジメに考えてる連中ってオレらも一緒なワケじゃん」

「え?待った、話飛んでない?」

 ぐり、と首を傾げた千晶に構わずシズは続けた。良い話というものは結びで全てが繋がるものだ。まったく気の早い男だ、とシズは一つ、大仰に溜息をつく。

「だぁからさ、ポップとかヒップホップとかをガチでやってるやつらからしたら、オレらみてーにロックロックって言ってんのも同じだろって!」

 取り組んでいる音楽に対し、好き嫌いは確かにある。だけれど、自分が嫌いなだけで、当人たちは真剣にその音楽に取り組んでいる。そうした真剣に取り組む姿勢だけを切り取れば、みんながみんな、音楽に真剣に取り組んでいるということになるのだ。

「あぁ、なるほどね。まぁそれは確かにそうだろうね」

 どんな音楽をやっていてどんな音楽を創っているとしても、一個人の好き嫌いになどいちいち合わせてなどいられないし、そもそも音楽はやりたくてやるものだ。数少ない反対意見を拾い上げて物事を考えることは、やりたいことから大きく外れてしまう。

「そういう部分てホントなら認めるべきだろ?ポップにしたってヒップホップにしたって、ロックにしたって、同じ音楽な訳じゃん。そうすっと、音楽好きで本気で楽しんでんのってみんな一緒な訳じゃん」

「まぁ、そうだね……」

 乱暴な考え方に傾いてしまうことはシズも重々承知している。食べることが好き、という人間にだって好き嫌いはあるものだ。だけれど、食事をするのが好き、でも、メシを食うのが好き、でも、和食が好き、でも、洋食が好き、でも、結局は同じことだ。

「日本のヒップホップなんかさ、楽器も歌もロクにできなくて諦めた中途半端なクソヒゲデブが何とかカッコつけようとして、でもそれしかやれねーもんだからしょーもなく上手くもねぇきったねぇ声でやるような音楽だとか思ってたのって、なんかすげえ失礼じゃんYO!」

 ヒップホッパーを象徴する手の形を作ってシズは更に続ける。

「俺はそんなこと思ってないけど……」

「韻踏んでヨーヨー言ってりゃイーじゃん、みたいなのってシツレーな訳YO!」

 親指と人差し指と中指を立て、千晶に手の甲を向けるように突き出す。

「シ、シズ……」

 がし、と千晶に形作った手を掴まれる。苦笑と言うのか、何とも言い難い表情で、とにかく迫力だけは感じる。

「お前それ、絶対ヒップホッパーには言うなよ……」

「え、言わねーって。今はそんなこと思ってねーし、そもそもヒップホッパーの知り合いいねぇし」

「……その割りには悪意が見える」

 真剣に音楽をやっている者同士だ、と今言ったばかりだというのに全く御しがたい男だ。

「それは千晶が歪んでっからだろ」

 別段シズはヒップホップというジャンル自体が嫌いな訳ではない。日本のヒップホップ正確にはヒップホップ・ミュージックであって、ヒップホップというジャンルを構成する一部でしかない。そして日本のヒップホップ・ミュージックは統計学的に見ると先ほどシズが言ったような歌い手が多いのが特徴の一つだ。

 海外でも評価されている日本人ヒップホッパー(というよりはラッパーというべきだが)は数少ないらしいし、いわゆる真似事でしかない連中は実際に安っぽい音楽番組などで良く見かける。例えばタオルを回すだけだとか、楽曲よりも先に誰にでも思いつくような何も考えられていないパフォーマンスが評価されていたり、どのアーティストが誰の唄を歌ったところで差し支えないような代わり映えのない、所謂安物のヒップホップが蔓延しているというのは、実際にニューヨーク、ブロンクスを発祥とする本場ヒップホップを好んで楽しんでいる友人に聞いた言葉だ。

「うるさい。歪んでない」

 ズビシ、と額を中指で突付かれた。その中指をどけてシズはまた口を開く。話は終わっていないのだ。

「だぁから!そういうの全部ひっくるめて、オレみたいな癇の強ぇのと付き合ってんだから、オレにはガンガン言ってきて欲しい訳」

「なんか前の話をまったく踏襲できないけど、まぁ、判ったよ」

「ホントに判ってんのかよー」

「お前がな」

 まだ千晶の中では話が繋がらないらしい。理解力の低い男だ、と思ったものの、シズにはまだ言うべきこともある。

「オレは判ってるっつーの。だからさー、千晶も認めちゃえよってことなんだな」

「シズ、悪いけど今のでまた話が見えなくなった……」

 お前はバカか、と言ってやりたいところだが、ここは一つ、ナオフミとの会話でほんの少し大人の階段を上った余裕とやらを見せてやるべきだろう。

「前のバンドの連中さ、今は千晶が抜けてうまくやってんのかもしんねぇけどさ、千晶だって今いーべ?」

「そりゃね。色々な面で見て、今のが全然いいよ」

「だからさ、ソレでいいじゃん」

 にこ、と笑う。結局莉徒や拓が言いたかったこともこれに行き着くのではないか。どっちが巧い、どっちがカッコイイ。場合によってはそれも大切なことだ。だけれど、オレはここが一番楽しい、という気持ちでなら誰と競ったって良いのではないだろうか。

「あー、つまりは楽しんじゃえばいーじゃん、と」

「そういうこと!」

 バンバン、と千晶の背中を叩くとシズは立ち上がった。理解力の低い男に高度な話を理解をさせるのは全く骨が折れるものだ。

「アイス買ってきたよー!」

 ひとしきり話が終わったところで、コンビニエンスストアに行っていた莉徒と拓が戻ってきた。何故立ち上がったかは思い出せなかったのでシズはもう一度椅子に腰掛ける。

「おー!オレ、ギャリギャリ君!」

 はいはい、と挙手をして三度席を立ったが。

「ないわよ」

「えぇ!フツーアイスったらギャリギャリ君デフォだろーがよぉ!」

 夏の王様ぁ、とまで言って挙手した手をだらりと下げる。なんと人の心を折る言葉だろうか。そう言えば二人がスタジオを出る前にリクエストがなかったことを今になって思い出した。

「バビゴならある。千晶ちゃん半分コしよっか」

「一人で食えばいいじゃん」

 莉徒の取り分が少なくなって後で文句を言われるかもしれないと踏んだのか。人の話を理解する能力は低いくせに千晶の判断力は中々のものだ。

「私に二個は多いのよ。それに千晶ちゃんちょっとお腹弱いんでしょ。こないだそんなこと言ってたじゃん」

「……お心遣い痛み入る」

 確かにそんなことを言っていた。

「おれは小豆バーだ」

 ごそごそと袋に手を入れて拓は小豆バーを取ると満足そうに小豆バーの袋を開けた。

「……拓さんジジくせー」

「馬鹿を言うな、小豆バーは例えるならば、そう、カレーにしたらググレかポンかザワかってくらいの代表選手だろ」

「ギャリギャリ君だってそうだぞ!」

 それもソーダ味は絶対に外せない。

「うるさいわねー。はい、シズはコレ」

 そう言って莉徒は黄緑色でメロン型の軟質プラスティックの容器に入ったアイスを袋から取り出した。

「うぉ!こ、コレはコレでいいセンス……」

 アイスと紙で放送された木製のスプーンを受け取り、シズは言った。久しく見ていなかったような懐かしさを感じ、さっそくスプーンの袋を割き、アイスの容器のふたを取る。薄黄緑色のアイスが顔を覗かせる。

「でしょ。で、千晶ちゃんは私と半分コ」

「三つしか買ってない訳ね……」

 苦笑しつつ千晶が言う。

「そ。エコでしょ」

「そういう時に使う言葉だろうか」

「まぁいいじゃないの」

 千晶は莉徒からバビゴの袋を手渡され、袋からバビゴを取り出して、半分に割ると一つを莉徒に渡した。

「こういうのもチームプレイだなー」

 アイスに木のスプーンを入れてシズは呟く。チームプレイとは少々大仰かもしれないが、コミュニケーションの取り方一つで気分も違ってくる。莉徒が今までどんな風にバンドを駄目にしていったのかは知らないし興味もないが、今の莉徒はそこから脱却できているのではないか、とシズには思える。

「音も大事だけど、コミュニケーションも大事でしょ」

「そうだなー」

 これでもう少しスタイルが良くて大人びていたらなぁ、という科白は口には出さないでおく。


 今日も兄の政希まさきは仕事が終わるのが遅かったようだ。部屋に戻ってきたのは二三時過ぎだ。

「お疲れ、兄貴」

「おー、さんきゅー。お前さ、ライブいつだっけ?」

「八月のケツだよ」

「そっかー。なんかさ、美里みさとが行きたいつってるから一緒に行こうかと思ってんだわ」

「マジ?」

 美里というのは政希の彼女で、何度か会ったことがあるが、可愛らしく控えめなタイプで兄にはピッタリな女性だ、とシズは思っていた。

(あとはスタイルさえもうちょい良けりゃ……)

 と何度も思ったが、言うと本気で傷付いて泣いてしまいそうなので言ったことはない。それで政希に睨まれてもシズには何の得もない。

「おぅ。ま、詳細決まったら教えてくれよ」

「判った、サンキュー兄貴」

 何やら美里には少々受けが良いらしいことは聞いたことがある。美里は一人っ子なので本当に弟ができたようで嬉しい、と。そんなに濃い付き合いはしていないどころか、顔を合わせるのも年に数回のことだが、美里にとってはそういうものなのだろう。姉であったとしてももう少し胸が大きければ、と思いはしたが以下略だ。

「チケ代はこないだのグローブレンタルでチャラな」

「えー!マジかよ」

「はは、嘘だよ。ま、楽しみにしてっからガンバレよ」

「おー!もうがんばっちゃうよ」

 笑顔を返したところで電話が鳴った。着信音はこの間コピーをした-P.S.Y-サイの楽曲、FOX Ⅲフォックススリーだ。

「お、莉徒じゃん……。もしもしー」

『あー、私。なんかさ……あ、今平気?』

 話し始めようとしてから莉徒は伺ってきた。

「おー、へーきへーき」

『なんかさ、千晶ちゃん、もう大丈夫っぽいね』

「結局莉徒のおかげだったじゃんよ」

 駄目だとかできないだとか言っておいて、結局一番動いてくれたのは莉徒だ。今日の千晶を見ていると随分と妙な気負いもなくなっていたように思うし、ライブもBeatビート Releaseリリースとの対バンライブというよりはKoolクール Lipsリップスのファーストライブ、というイメージを強くしているのだろうことが何となくではあるが伝わってきたように思う。

『そんなことないよ。大沢淳也おおさわじゅんやのおかげだったんじゃない?』

「それもあるなー。あの人に会わなきゃもしかしたら、莉徒も考え付かなかったかもしれないしな」

 あれはシズにも衝撃的な出会いだった。まさか大沢淳也と対面して話ができるとは夢にも思っていなかったが、あの喫茶店の店主がそれほどの大物だったとは知らなかった。しつこく通っていれば-P.S.Y-のベーシスト、水沢貴之みずさわたかゆきにも会えるかもしれない。

『そうねー。ま、楽しくできればソレが一番なんだけどさ、そんな簡単な問題でもなさそうな感じだったし』

「まーなー。あーもう早く学校終わんねーかなぁ」

 期末テストはまだ返ってきてはいないがどのみち惨敗だ。

『あー、明日テスト返ってくるよ……。憂鬱……』

「オレもだ……。レポートどうしよう」

 莉徒と千晶は同じ学校だが、シズは学校が違う。とはいってもテストの時期などはどこも変わらない。夏休みになれば課題はたくさん出される。それに乗じて赤点レポートも重なって来てはギターを練習する暇がなくなってしまう。

『一緒にやろっかー』

「オレの方が確実に多いけどな……」

『何、そんなヤバいの?』

「勉強してる時間ねぇし」

 とは言うものの、一日が仮に三十六時間になったとしても勉強はしないだろう。

『それで毎回時間無駄にしてんだ……。ま、私も人のこと言えないんだけどさぁ』

 勉強している時間があれば楽器を触っていたいのがバンド者の心情だが、楽器の練習をサボっても勉強はしない。勉強をしていれば赤点レポートを書く時間など確実に減ることは判っているし、テスト前の無駄な付け焼刃もする必要がなくなる。拓の言う通り、授業だけでも真面目に受けなければいけないのかもしれないが、シズではもはや授業についてはいけないだろう。

「とか言っといてアタマいいんだろー?」

 勉強なんか全然してないよーと言いつつ良い点を取るヤツなんか大嫌いだ。

『そうだと良いんだけど、そんなこともないのよねぇ』

 どうやら莉徒は違ったらしい。テスト前の憂鬱ぶりを見ていると確かにそれは頷ける。

「まぁ嫌なことはさっさと片付けちまうしかないよなー。じゃないとバンドに集中できねーし」

『そうねー。はー憂鬱だわ……』

「とりあえず次の練習までには何とか……」

 ギターを触る時間は長くても一時間に留め、後は寝るまでひたすらレポートに集中するしかない。

『今週中で何とかなんの?』

「なんとかするのが男」

 見えないだろうが、とりあえず胸を張ってみる。自信はまったくない。千晶が隣にいたら間違いなく『胸張ることじゃない』と突っ込まれるだろう。

『私も早めに片付けよう……。私さー、駄目なのよ、嫌なことって後回しでさー』

「夏休みの宿題も最後に一気にやるタイプか」

『そ。でも今年はライブあるし、何とか頑張るよ……』

 シズにも思い当たる節がありまくりの話で嫌になる。

「演奏に影響出たらたまんねーかんなー。おし、じゃあオレらん中で誰が最初に夏休みの宿題終わるか勝負しようぜ。ビリッケツにはペナルティ」

『えー!嫌よそんなのー』

「そうでもしなきゃやらなそうだもん、莉徒」

 オレも人のことは言えないけどな、とフォローもする。

『うー』

「おし、じゃあ負けたヤツは一曲すんげーごりっごりのあっまあまのラブソング作詞作曲!」

『げー!絶対嫌!』

 シズ自身も絶対嫌な罰ゲームだ。これだけは勘弁して欲しいが、罰ゲームが罰でなければ誰も真剣に勝負をしないだろう。

「んじゃがんばるこったなー。千晶にも言っとくわ」

『今年は絶対早くやるわ!』

 ひとしきり下らない話の後に通話を終えると、シズは机の上を整理し始めた。

「夏休みの前にまずはレポートだもんな……」


 Make a Love Song END

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