柚机莉徒 ~ 2 ~

06 Returns to the starting point

 二〇〇五年六月一九日 日曜日

 七本槍ななほんやり南商店街 楽器店兼練習スタジオ EDITIONエディション

 

「うん、そ。じゃそのLetaリータってハコで。できればBeatビート Releaseリリース』の前か後で。うん、客?客は結構入れられると思うからさ、その辺はちょっと工面してよ」

 歩きながら莉徒は明るく言う。後ろに歩く、三人の男の内の一人の視線が後頭部に突き刺さっているような気もするがあえて気にしない。

「うん頼むねー。今度映画くらい付き合ってあげるからさ。えー、嘘じゃないって!うん、うん、じゃ、宜しくー」

 ぱくり、と折り畳み式の携帯電話を畳み、電話を切る。

「取れた?」

「バッチリ」

「おし、んじゃ後は曲詰めないとな。一月半あるから何とかなんだろ」

「よぉーし千晶ちあきちゃん、気合気合!」

 見るからにげんなりした千晶を見て莉徒が肩を叩く。

「入らないって……」

「あのさ、私らもっと信用しなよ。たくさんのドラムも、私とシズのギターも歌も、もっと信じてよ」

 ハナから負ける、と思い込まれてはたまらない。このバンドはそれだけの価値も力もある、と莉徒は確信している。

「それは信じるよ。勿論。その前に俺がさ……」

「ロックはハートだぜ!」

 何も考えていないようにシズが元気いっぱいに言う。実際何も考えてはいないだろうが。

「今バカに……」

「してない」

「そ」

 でも勘だけは何故か良い。

「千晶さ、例えるなら、おれ達は戦車のキャタピラだ。おれ達がどんな悪路でもガッチリと地面に食いついてりゃ砲台は安心してぶっ放せるって訳。だけど片方だけ確りしてたり、片方だけ空回りしてたりしたらそれで砲台はロクに狙いも定めらんないじゃん」

 バンドの基礎論だろう。拓はバンドを戦車に例えているようだが、莉徒は一本の樹をイメージする。

 樹そのものを象徴する根や幹や枝はドラムやベース。光合成で萌える葉や、樹を彩る花や実はギターやボーカルだ。リズム隊の根や幹が確りしていなければ、立派な葉や花はつかない。どこか一箇所でもバランスが狂えば、それは樹としては立派な樹とは言えなくなってしまう。

「千晶ちゃんさ、多分優しい人なんだろうけど、そういう優しさからくる気弱さって、多分誰のためにもなんないよ」

 一番最初に感じていた、煮え切らないような態度。自分なりの意見はしっかりと持っているはずなのに、それをすすんでアウトプットしない性格なのだ。単純に内気な訳ではないところがまた厄介といえば厄介だ。

「そうだぜ千晶。男なんだからさ、見返してやるよ!どーよ!くらいのイキオイでさ」

「俺あんまりそういうのさ、思ってないんだ」

「若いのに淡白ねぇ」

「莉徒、それなんかオバチャンみたいだぞ」

 拓が笑いながら言う。

「なにぃー!これでもまだ中学生で通るんですよ!」

 少し落ち込んでしまった雰囲気を持ち上げるように言った拓に莉徒も便乗する。母方の遺伝なのか、柚机家の女はこぞって小さい。母も祖母も一五〇センチという大台に乗ったことがないのだ。身長百五十センチ超えは柚机ゆずき家代々の悲願でもあるはずだたぶん。

「自分で言ってそれ、自慢か?自慢になんのか?」

「や、なんないし、したくもないんだけどもさ……」

 夫婦漫才のようなノリを他所に拓が千晶の肩を叩いた。

「ともかくさ、気負うことないよ、千晶。楽に行こう」

「ん……」

 それでも千晶の覇気の無さは、気になってしまう。



 部屋に帰り、とりあえず教科書とノートをテーブルに広げては見たものの、やはりテスト勉強はやる気にならなくて、ベッドに身を投げ出す。最初に感じたことは、とにかくイラつく男だった、ということだ。大人しいのとは少し違う、煮え切らない男だと思った。

 だが、一度ベースを持てば、その性格とは正反対と言えるほどの弾きを見せる。伊口千晶とはそういったアンバランスな男だった。元々大人しい性格なのだろうことは判る。ただ、あの極端に競うことを避けようとする性格は、元々の性格ではないのではないか、と莉徒は考える。聞いた話では千晶は前のバンドのメンバーから除外された、とのことだった。もしもそれが原因になっているのならば、尚更対バンはするべきだと莉徒は思う。もちろんこのメンバーで、だ。

(せっかく芯のしっかりしたベースなんだから……)

 あのままの性格では困るのだ。そして、同じバンドメンバーである以上そういう時にこそ何とかしてあげなくてはならない。しかし、そうして莉徒がバンドを駄目にしてしまったことは一度や二度ではない。そんな私情などで壊したくないバンドに出会えたのだ。何とかしなければならないが、莉徒が自ら積極的に動こうというところまで、踏ん切りはつかなかった。

 しかし否応なしにライブは訪れる。ステージに立てば千晶も腹は括るだろうが、音はモチベーションに反映される。今のままの千晶ではBeat Releaseのメンバーの前で練習通りの音を出すことは難しいかもしれない。それともまだ早すぎたのだろうか。莉徒は自問する。莉徒が入る前の時のように、小さなイベントに何度か出て、自信とステージ度胸を回復させてやってからの方が良かったのだろうか。しかしそれでもBeat Releaseとの対バンになってしまえば同じような気がする。

 別段Beat Releaseとのライブは避けて通れない道ではない。当然Beat Releaseとのライブを避けて通る道もある。莉徒の推測でしかないが、Beat Releaseに切られたという負の感情など、このバンドには持ち込んでほしくない。だからこそ古巣を飛び出して、新たなる成長を実感すればきっと様々な面で自信を持てるようになるのではないだろうか。

(遅かれ早かれこうなるんだったら、やっぱり早い方がいいわよね)

 次々に新しい曲をやっていこう、というバンドのスタイル。常に今と次を考えなければならないというのに、ベーシストが過去に捕らわれっぱなしではいけない。

「っんとにいっらつくわねー、あの男!絶対彼氏にしたくないタイプだわ!」

 ベッドの上で寝返りを打って、莉徒は千晶のとぼけた顔を頭から追いやった。

「や、振りじゃないわよまじで」


 二〇〇五年六月二二日 水曜日 喫茶店 vultureヴォルチャー


「何でよ。そんなもん女のがテキニンじゃん」

 学校が終り、夕方になると莉徒は千晶曰く『くだんの喫茶店』、つまり喫茶店vultureでシズと落ち合った。たくにも話そうと思ったのだが、アルバイトが入っているらしく今日はこられない、と返信がきた。仕方なく莉徒は『考えてそうで考えてない、少し考えてる』っぽい、シズに話を持ちかけた。

(ラー油か)

「私はさ……、ダメなのよ、色々とそういうの」

 このバンドが発足したのはシズと千晶がやろう、と同意したかららしい。それならば、と莉徒はシズにだけでも話しておこうと思ったのだ。

「ふぅん。ま、いいけどさ」

(……止めときゃよかったかも)

 やはりリズムはリズム。拓に任せるべきだったのかもしれない。しかし、そこでふ、と考える。

「シズさ」

「んお?」

「あんた、心配じゃないの?千晶ちゃんのこと」

 シズはどこかで、人間性とバンドの演奏は別物だと考えている節がある。それは莉徒もどこかで似た感情を持っているからなのだが、時々そうした態度や意向をシズから感じ取れることがあるのだ。

「何でよ」

「だってあんなに嫌がってたじゃん、対バンすんの。こないだだってかなりヘコんでたし」

「ヘコましときゃいんだよ。だってさ、オレらってまだガキだけど、自分が好きでやってることくらい、自分で判ってんだろ。千晶だって同じだよ」

(そんなもんなのかな……)

 そうだったとしても、意気消沈したままでステージに立たれてはたまらない。

「あいつの手、触ったことある?」

「ある訳ないでしょ」

 恋人でもない男の手など用もないのに触れる訳がない。

「右手も左手も指の皮が硬すぎず、軟すぎずでさ、あいつはあいつなりに頑張ってんだってば」

 つまり硬くなってしまった指先の皮がさらに慣れて柔らかさが戻ってくる。それは弾き続けているからこその変化だ。そのくらいは判るが、それとこれでは話が違う。

「努力の量と本人の自信は別物でしょ」

「そぉかなぁ」

 確かにある程度の自信はつくだろう。それは千晶の出している音を聴けばある程度は判る。しかし、それは対峙しなければならない者への覚悟とは違う。そして心亡き人間の、悪意の揶揄に晒されればそんな努力の時間など簡単に灰と化す。そして無にしてしまったものに同情する者など一人としていない。

 そうして人は挫折する。あまりにも簡単に。そうした人間を莉徒は何人も見てきた。

「そんだけ言うんならやっぱ莉徒がやるべきなんじゃねぇの?」

「だから……、だめなんだってば」

 話しにくい。

「何でだよ」

「色々とあんのよ。あんたは知らなかったみたいだけど。今度誰かに聴いてみたら?柚机莉徒の悪名は結構高いわよ」

 自分から態々言う気にはなれない。濡れ衣だろうと、叩けば埃などいくらでも出てくる身だ。それをどう思うかは個人の自由だ。そうは思ったが、それももしかしたら違うのかもしれない。見せ方、伝え方一つで変わるのかもしれない。

「性格のことはトヤカク言わねーよオレは。いい音さえ鳴ってりゃ」

 やはりそういう考えは持っていたのか、と再確認する。そもそも莉徒は自身が万人受けする性格ではないことを自覚している。それを、こんな癇の強い男がすんなりと受け入れる訳もなかったのだ。

「メンバー同士の繋がりだってあんでしょ」

 今までの莉徒が癒えた義理ではないことなど百も承知だ。だが莉徒の悪い噂もシズや拓が気にしないのであれば、なおのこと我が身を正したいという気持ちが莉徒には芽生えていた。

「音の繋がりで充分じゃんか。性格がどーのってあんまカンケーねーよ。いい音が鳴ってりゃさ、それでいいと思わねぇ?」

「でもさ……」

 無用なトラブルを防ぐにはそれが最も有効な手段なのかもしれない。想いを寄せられても、誰かに思いを寄せるようなことがあっても、それをシャットアウトすれば、悪い噂など立つこともなかったのかもしれない。

「音の良し悪しと好き嫌いをごっちゃにしたって仕方ねーよ。どんだけいいヤツで性格良くたって音が根っこんとこで合わなきゃバンドとして成り立たねーじゃん」

 そしてそれは演奏力や技術が高い低いの問題でもない。

「……それは、確かにそうかもしれないけどさ、私ら人間なんだよ。そんな感情抜きで全部上手く行く訳ないよ」

 それでも、シズの言うことが正しいとしても、そんなにキッパリと全てを割り切れるものか、と莉徒は思う。

「そういうのでさー、バンド、出たり入ったりしてたんだよ、オレ」

(!)

 莉徒と同じ境遇だった、ということか。だとするならば。

「だったら尚更上手くやるべきなんじゃないの?」

「だからさ、ずっと上手くやろうと思ってダメだったんだよ」

(え……)

「オレだってそりゃ音が良くて仲も良けりゃいいと思ってたけど、音のことでガツガツ言い合えないとダメなのは判んだろ」

「まぁ表面上だけ仲良しこよしってのは確かに虫唾走るけどさ……。本音言い合えないなんて仲良しこよしでもなんでもないとは思うし」

 狎れ合いと仲が良いことは違う。

「そういうのあるからアンタだって性格良く知りもしねーオレらと組む気になったんじゃねーの?」

 どうしてこう、一面でしかものを見られないのだろう。

「確かにね、それはあるよ。だけど全部が全部そうじゃないでしょ。あんただってできりゃメンバーと仲良くやってった方がいいって思ってんでしょ。何でメンバーがヘコんでてそれを支えるくらいもしないでほっときゃいいなんて思える訳?」

 どん。

「うぃ、お待ち」

 突然頭上から男の声がかかって、目の前にコーヒーが二つ置かれた。コーヒーはもう先ほど飲んでしまった。テーブルを間違えたのだろうか。こんな時になんと間の悪い店員だろうか。

「……頼んでませんけど」

 男の顔も見ずに莉徒は言う。

「オレのオゴリ。中々面白い話だけど、もちっと頭冷やした方がいいんじゃん?お互いにさ」

 男はそう言って、莉徒の頭に馴れ馴れしくも手を置いた。

(あれ?)

 この店に男の店員などいただろうか。莉徒は頭に乗せられた手を掃おうともせずに、男の顔を見た。

大沢おおさわ……さん?」

「え!」

 莉徒が男の名を呼び、シズが声を上げた。ロックバンドThe Guardian'sガーディアンズ Knightナイトのギタリスト、大沢淳也じゅんやだ。多分間違いない。多分間違いない、というのも曖昧な話ではあるが。

「あれ?君ら常連だろ?店主の旦那の話くらい聞いてないの?」

 あっけらかん、と大沢淳也は言ってのける。店主の名が涼子りょうこだということは知っていたが、姓が大沢だったということなど知らなかったし、ましてやその夫が大沢淳也だったなどとは、知るよしもなく、想像すらつかない。カウンターの奥で洗い物をしていた涼子が悪戯っぽく舌を出し、笑顔になる。

「えぇー!」

「ん、待て、何か勘違いしてるな?オレはここの旦那の従弟だ。で、つまり、従兄のかみさんに手伝いに借り出されたこの状況を、君らは生涯を通じて口外してはいけない秘密として扱わなければならない。判るな?」

 え、と思う。大沢淳也の従兄といえばすぐに浮かんでくるのは元The Guardian'sガーディアンズ Blueブルー、そして現-P.S.Y-サイのベーシスト、水沢貴之みずさわたかゆきだ。二人が従兄弟同士だということはG'sジーズ系のファンならば誰もが知っていることだが、すると、ここの店主は水沢涼子で、その夫は水沢貴之ということになろうか。莉徒は必死に頭を回転させた。

「えぇー!」

「煩いぞ少女。まぁバンド内のゴタつきはいくらでも出てくるけどさ、冷静んなんないとロクな結果にならねぇよ」

 頭の上で手がぽん、と跳ねる。水沢貴之がここに住んでいるのならば、なるほど、シズ達が三人で出たイベントも見ていた訳だ。

「ちなみに貴のレコーディングが長引いてて、オレが代わりに手伝いに借り出されたことは絶対のナイショだ」

 悪戯小僧のような子供っぽい笑顔で大沢淳也は言った。


 シズと分かれ、家に帰り着いた後、莉徒は着替えもせずにベッドに寝転がった。あの後、色々と、しつこく、それこそバカみたいにシズは大沢淳也に色々な話を訊いて。

「いいか莉徒、バンドってのはメンバー同士の信頼を音で表すもんさ」

 と、大沢淳也が言った言葉をそのまま繰り返した。ただ、それは確かにそうだ、と莉徒も思った。

 それならば。

(バンドの柱になるような人間と信頼関係をつくるんなら)

 くやしいが、シズの言った通りなのかもしれない。メンタルな面でどうこう言うよりも、音で示すしかない。もっと、普通に、バンドが楽しいと思えるような気持ちを持たなければならない。いや、思い出さなくてはならないのだ。

 そうだ。みんな、知っている。

 初めて楽器を手に持って、コピーを始めて、引っかかった難しいフレーズが何とか弾けたときの嬉しさを。

 下手でも初めてコピーしようと思った曲を一曲通して弾けた時の達成感を。

 初めてリハーサルスタジオに入って仲間と音を合わせた時の喜びを。

 技術が向上して、もっと難しい曲を、もっと良い曲を、と思う気持ちから生まれる焦りにうずもれてしまっているだけで。千晶だけの問題ではない。個々の意識の問題もあるのだ。

(ただ、忘れちゃっただけなんだ)

 みんな年も近い。バンドを始めて数年しか経っていない自分たちがそんなことを考えるなど、単なる驕りだ。

 それを思い出すために、やるべきことを莉徒は一つだけ思いついた。

(確かに千晶ちゃんの言うことも一理あるんだ)

 他のバンドと勝ち負けを競ったところで仕方がない、という面では。ポップもロックも勝ち負けなんて関係ないことも、莉徒は重々承知している。負けた、と決め付けられていることに関しては冗談ではないと思うが、音を楽しむということに関してならば、どんな世界的ミュージシャンにだって引けを取らない。

「原点回帰」

 ヒトコト呟いて、莉徒はテレキャスターを手に取った。


 Returns to the starting point END

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