第7話 その指先に
「陽都、体育祭の実行委員に立候補したって、中園くんのママに聞いたわよ」
「げ。なんでそんなに情報早いの?」
「中園くんのママ、今年もPTA役員だから情報通なのよ。それにママ友だもの。毎日LINEでお話してるのよ」
「なるほど、これが筒抜けの恐怖……」
「何?」
「ううん、なんでもない」
朝食を食べに降りていったら、もう俺が実行委員に立候補したことを母さんが知っていた。
実行委員はわりと体育祭本番で表に立つことも多く、見に来られるとイヤだったから、言うつもりは全く無かったのに。
これが吉野さんがいう所の『筒抜けの恐怖』ってやつだ。
これだけでもイヤなのに、吉野さんはもっと見張られてるんだろうな、それを意識して生活してるんだろうなあ……と思ってしまう。
母さんはバナナにヨーグルトをかけたものを出しながら、
「やっと青春する気になってくれた? 高校生の時間ってものすごく貴重だから陽都には部活も委員会も、全部楽しんでほしいと思ってるの」
「……いや、まあ」
動機は恐ろしく不純だけど、委員会には入る気になった。
よく考えたら吉野さんが野球部マネージャーになったら、野球部に入ってしまうかもしれない。
自分がわりと怖い……。
母さんは自分用のコーヒーを机の上に置いてため息をついた。
「それなのに母さんったら、いつまでも陽都を働かせて……。あそこらへん本当に危ないから、必要なお金が欲しいならあげるからバイトなんてやめなさい」
「いや、俺は好きでバイトしてるんだよ。危ないかもしれないけど、あそこの店長とか、品川さんとか、全部好きなんだよ」
「子どもには刺激が強い場所だから楽しく感じるのよ。年齢にあった刺激が人生にはあるの。とにかく学校に集中したほうがいいわ、将来絶対後悔するんだからね。あとで後悔したって遅いんだから」
俺は「はいはい」と適当に答えてヨーグルトを食べて家を出た。
あのばあちゃんに育てられて、どうしてこうなるのか正直わからない。
求めるのは自分が追い求める『普通』ばかり。俺がなにを言っても『将来後悔するんだから』。
世に言う毒親とかじゃないと思うけど、ハマることが出来ない隙間に無理矢理ハメこまれるパズルの1ピースになったようで居心地が悪い。
「2m×2m……で、このペンで線を引けば良いんですか?」
「そうですね。縦の長さがほぼ2mなので、横だけ測って線引いて、切っていけばいいと思います」
体育祭の準備が始まった。
基本的には昼休みと放課後。いろんなことを手分けして準備を進めていく。
俺は隙あらばPC係にされてたけど(内田先生が泣きながらノートPCを持ってくる)なるべく吉野さんと一緒にいたいので、そっち側に動いている。
今日は昨日吉野さんたちが買ってきた布をクラスに渡すために切る作業だ。
「いよっしゃーー! そっちの机全部片付けちゃって布をベローーーんって床に引いてやらない?」
金髪の髪の毛で瞳は黒くまつげがすごく長いのに、身長がかなり低い……それでいて一目で『可愛い』と分かる女の子がピョンと跳ねた。
この子は四月から入ってきた一年生、森穂華(もりほのか)さんだ。
うちの学校には芸能コースがあり、そこにはスポーツや芸能で仕事をしている子たちが多く所属している。
穂華さんも芸能事務所で働くアイドルらしい。
一年生は実行委員をしなくても良いが、立候補して参加可能らしく、さっきから誰より楽しそうにしている。
はしゃぐ穂華さんを吉野さんが静かに窘める。
「穂華。それだと布に汚れがつくから、机を教室中に広げて、そこで切った方がよいと思うわ」
「なるほろ、さすが紗良っち。天才!」
「わかりましたから、はい、作業しましょうね」
どうやらふたりは昔からの知り合いらしく、昔から姉とアホな妹のような関係性だと穂華さんが自分で言っていた。
姉とアホな妹……なんかそう言いたくなるのもよく分かる景色だ。
「机並べてその上に、布びろ~んってしようよ」
「やりたいなら穂華が率先して机運びなさい」
「そしたらこの布を手放さなきゃダメじゃん?! そしたら最後の筒が無くなっちゃうー」
「そんなの誰も取らないわ」
最後の筒。あれか、布を最後まで使うと出てくる芯の部分か。
中学校の時も家庭科の授業で最後に出た芯の争奪戦があったな。
あれってチャンバラにしか使わないんじゃ……。思い出して苦笑してると、目の前に金髪があった。
「?!」
「君も筒を狙ったことがある種族?」
目の前に穂華さんがいた。片方の親が外国の人ということでハーフで天然の金髪と華がすごい……と思いながら、脳のどこかで「あ、全然吉野さんのが好みです」と思ってしまう俺。
吉野さんは奥に秘めた強さがあって、そこがすごく良い。この子は根っこに花が咲いている感じだ。
でもアイドルとか色んな人と話すのが仕事なら、これくらい根明でないとやっていけないのだろう。
穂華さんを前に冷静に口を開いた。
「いえ、筒は要らないけど中学の時にそれでチャンバラしてた人が居たなと思って」
「そうなの! こう、シャキーーーンッって」
そういって穂華さんはまだ布が巻き付いた状態の筒を持ち上げた。
しかしそれは予想より重く、俺の目の前で筒がグラリとなった。
危ない!
支えきれなかった穂華さんは机の上に落としてしまった。
そして机に上に置いてあったハサミや定規が派手な音を立てて床に落ちて広がった。
穂華さんは「いたーい!」と叫び腕をぶんぶんと振って、
「ごめんなさい、予想より重かったーー。チャンバラ出来ないーー、筒で手を挟んじゃったよー」
と嘆いた。委員会準備室にいた男たちは慌てて「保健室にいこう」「冷やしたほうがいいよ」「怪我してたら大変だ」と穂華さんを連れて出て行った。
芸能コースの子と話すタイミングを待ってる普通科の男は非常に多い。
大騒ぎしていた穂華さんが出て行き一気に静かになった委員会準備室。
俺は机から落ちたものを拾っている吉野さんに近付いて、
「……怪我しましたか?」
と声をかけた。机の下に丸まって色々な物を拾っていた吉野さんは、俺の言葉を聞いて顔を上げた。
実はさっき、机から落ちた定規を掴んだ吉野さんが一瞬だけ痛そうな表情を見せたんだ。
その定規すごく古くて尖っていたから、もしかして怪我したかなと思ったんだ。
吉野さんは机の下で膝を抱えた状態で、おず……と俺のほうを見て、
「少しだけ切ってしまいました」
と指先を見せた。血は出ていなかったけど、うっすらと指先が切れていた。
この状態なら……と俺は胸ポケットに入っていたバンドエイドを取りだして渡した。
それを見て吉野さんは、
「……はらぺこあおむし」
と小さな声で言った。そうなんだよな。でもこれしか持ってない。
俺は吉野さんに少しだけ身体を近づけて、
「(ミナミさんに大昔貰ったんだけど、恥ずかしくて使ってなかった。要らないし、使って)」
「(……ありがとう)」
吉野さんはそれを聞いてくしゃりと眉毛を下げて笑顔になった。
そして俺から渡されたはらぺこあおむしのバンドエイドをゆっくりと指先に巻き付けた。
マジでいつ貰ったか覚えてないくらい前から胸ポケットに生息していたはらぺこあおむしが役にたった。
「男子は可愛いバンドエイド持っててナンボ! 可愛いバンドエイドは紙幣!」と渡された気がする。
なんじゃそれはと思ったけど使えた。また今度お礼ポテトしよう。
机に下に落ちたものは四方八方に広がっていて、それを拾っていると穂華さんが戻ってきた。
そして吉野さんに近くに行って、
「ごめんなさい! 久しぶりに紗良っちと一緒だから楽しくなっちゃったの」
「わかったから穂華。落ち着いて作業しましょう。指は大丈夫だったの?」
「うん平気!」
保健室から戻ってすぐに元気を取り戻した穂華さんも一緒に作業を再開した。
「辻尾くん、こっちを手伝ってもらっても良いかな」
「はい」
吉野さんに呼ばれて、俺は吉野さんの横に立った。
並べた机の上に布を並べて、そこに1m定規をあてて、またあてて……2mを計測する。
吉野さんがさっき怪我した古い定規は部屋の隅に封印した。あんな危険な物体間違いなく捨てた方が良い。
俺が定規を押さえて、その定規の所を吉野さんがペンで線を引く。
シャーッと気持ちがよい音と共に布に一直線の線が引かれ気持が良い。
その指先には俺が渡したはらぺこあおむしのバンドエイドが貼られている。
深い傷じゃなくて良かった。
横目で見ながら作業していると、吉野さんが俺の横に来て小さな声で、
「(バンドエイドありがとう。あとでアイロン取りに行くから、一緒にいきたいな。校内一緒にお散歩したいの)」
「(……りょーかい)」
そう答えると、吉野さんは目元だけで微笑んだ。
吉野さんが右側に動くと、俺も定規を押さえながら右側へ。
目の前を見ると、吉野さんと目が合った。そして微笑んで、
「良い感じですね。あと20枚以上ありますよ。がんばりましょう」
「……はい」
ああ楽しい。すごく楽しい。
俺はニヤニヤしてしまう口元をなんとなくただして定規を持つことに集中した。
委員会準備室にはたくさんの人たちがいるのに俺たちふたりでずっと同じ作業をしていて、その守られた空気が心地よい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます