Starry Sky of Wishes
皆戸新索
Starry Sky of Wishes
「ルールルルー……ルルー……」
その少年は鼻歌を口ずさんでいた。
失意に暮れ、夜道をただ独り歩いていたユウマの前に、そんな気軽さで彼は現れた。
「やぁキミ、ずいぶん暗い顔をしているね」
軽薄な笑みが癇に障った。
「……うるさい」
腹の底に溜まった鬱憤と一緒に低い声が出た。
「ははっ、本当に困っているんだね。僕で良ければ話を聞くよ」
「お前みたいな気楽な奴に、俺の何が分かる?」
突き放すようなユウマの言葉に、名前も知らない少年はうんうんと頷いてから口を開く。
「そうだね。分からないよ、何も。でもね、分からないのは人それぞれ違うからなんだ。それはとても素敵なことだと僕は思うよ」
のらりくらりと要領を得ない答えに、ユウマは苛立ちを募らせる。
「……何が言いたいんだよ」
「ついておいで。良いものを見せてあげるよ」
そう言って背を向けて歩きだした少年を、ユウマは無言で見つめた。
もう上弦の月が沈もうかという深夜に現れた少年にノコノコとついていく理由は無かった。
足を動かさないユウマに、少年は振り返らず言う。
「逃した機会は二度とやってこない、かもしれないよ」
「…………」
ユウマは何故かその言葉の持つ説得力に葛藤する気持ちが湧いていた。
これは本当に二度と無い機会なのだと、直感的に思った。
覚えた焦燥は足を動かすには十分なものだった。
* * *
ユウマの家は自然の残る郊外にある。
今歩いている場所も家からそう離れているわけではないが、近くに緑を感じられる程度には山奥の田舎という雰囲気があった。
前を歩く少年は坂になっている細い脇道に入った。
「どうだい? そろそろキミの話を聞かせてくれないかい?」
少年は歩きながら半身で振り返って尋ねてくる。
面白くもない話だが、ここまでついてきて今更黙っているつもりもユウマにはなかった。
「……受験に落ちたんだよ」
「そうなんだ」
吐き捨てるように言ったユウマに、少年は事も無げに相槌を打つ。
その態度はユウマにとってむしろ快かった。
それでその先が自然と口から出た。
「滑り止めは受かってるから高校浪人ってわけじゃないんだけど、納得がいかなくて」
「ふむふむ」
少年は頷きながら木々の生い茂る道へ足を踏み入れる。
「高校に受かるためにずっと頑張って勉強しててさ、その努力が否定されたみたいで……もう何もやる気が出ないんだよ」
「受かるために、か……」
少年は
「なるほど、分かったよ。そんなキミに元気を出してもらえるといいな」
少年の行く先、木々に遮られっていた視界が一気に開けた。
そこは丘の上だった。周りを木々に囲まれ、しかし、そこだけが開けた場所。
町の夜景が一望できる見晴らしの良さに、思わずユウマは声を漏らした。
「近くにこんな場所があったのか……」
しかし、眼下に町を望むユウマを窘めて少年は言う。
「違う違う。見て欲しいのは下じゃなくて、上」
「上?」
ユウマが視線を上げた先、そこには輝く星々が暗幕に浮かんで、その存在をこれでもかと主張していた。
「おぁ…………」
見たことがなかった。
千を超える光の群れが、今まで見ようともしなかった星屑達が、見向きもされなくてもずっとそこで輝いていたのだ。
「すごい」
呟いたユウマに、少年は得意げになって、
「だろう? でも本番はここからなんだ!」
虚空を手で差した。
ユウマの視線が何もないそこへ吸い寄せられ、パチクリと瞬きを繰り返すその間に、階段が現れていた。
空中に浮かぶそれは、水晶のように透明な
ユウマは驚愕をもって目の前の超常に問いかける。
「……お前、何者なんだ?」
少年はただ泰然と答える。
「僕はケイ。ユウマ、キミに夢を見せるために来たんだ」
ケイと名乗った妖しい少年は、相変わらず軽薄な笑みを浮かべている。
そのケイは、確かにそこにある透明な階に足をかけて、ユウマを手招きして誘う。
「ほらおいで、別に何かしようってわけじゃないんだ。ただキミに見せたいものがあるだけなんだ」
ユウマは目の前に現れた不思議を畏れながらも、その神秘的な光景に惹かれていた。
「…………」
無言のまま前に進み、ケイの手を取った。踏みしめた透明の階はびくともしない。
「ね、大丈夫でしょ」
「……空に浮いてるみたいだ」
ケイはユウマの手を引く。
「行こう。少し時間はかかるけど、見た目ほどじゃない」
夜空を登る。瞬く星のもとまで、どこまでも。
いつの間にか見下ろしていた町の夜景も見えない所までやってきた。下に見えるのは丸い地球。人々の暮らす明かりが地球を飾っているが、それ以外は暗くてよく分からなかった。
そんなことよりも、星々がもう目の前まで迫っていた。物理的に語れば、こんな短時間で何光年と離れた星に近づくのは無理だ。だが、ケイのもたらした不思議はそれを可能にする力を持っていた。
右の方で小さな星が輝いていた。手は届かないが、すぐそこにあるのは分かる。
立ち止まってその星を見るユウマに、ケイは言う。
「あの星が気になるかい? いいよ、もっと近づいてみよう」
すると、真っ直ぐ上に伸びていた階段に、右へ向かう脇道が現れた。
ユウマはすぐさまその脇道を通って小さな星に近づいた。
星の白い輝きは眩しくて、でも優しかった。顔を近づけて見てみると、その輝きが瞬く中に何かを見つけた。
「これは……」
ケイは嬉しそうに言う。
「見つけたかい? これはね、夢だよ」
「夢?」
「人々はずっと星に願ってきた。それはもう様々なことを。何かを成し遂げたい。あの人と恋人になりたい。世界に幸あれかしと望んだ人もいる。その願いはね、叶う叶わないは関係なく、こうやって星に残っているんだ」
無数の星々は人々の願いを受け止め、湛えて輝いている。今目の前にある小さな星も、ここから見える無数の星も、全て人の抱いてきた夢の煌めきが輝かせているのだ。
今目の前にある光は全て夢の煌めき。そう、ここは夢の集う場所。
「どうだい? すごいだろう!」
ケイは空にいながら、天を仰いで言った。
そして、ユウマに向き直って今までとは違う、真剣さを孕んだ表情をした。
「ユウマ、今こそキミに問おう。――キミの夢はなんだい?」
「俺の、夢…………」
ユウマは答えられなかった。
「キミは受かるために努力をしてきたと言ったね。でも、仮に受かったとしてその先は? 何故その学校に受かりたかったんだい?」
「それは……将来のため、とか……」
しどろもどろのユウマに、ケイは畳み掛ける。
「その学校に受かってユウマは将来どうしたいんだい?」
「……良い会社に入るには、良い学校を出てた方がいいだろ?」
「良い会社とは言うけど、何の会社に入りたいんだい?」
「……それは、まだ分からないけど……」
「うん、そうだね。それも素敵なことなんだ。キミはまだ何にでもなれる」
ケイは微笑んでそう言った。
「だからこそ、キミの努力は否定なんかされていない。何のために努力したいのか、その夢を見つける前なんだからね」
ケイはユウマの手を引いて、いま来た脇道をもとの階段へ戻る。
「さぁ、もっと上へ行こう。ここにはもっとたくさんの夢があるんだ、それを見てみよう」
ユウマは手を引かれるまま、階段を駆け上がった。星を追い越して、夜空を駆けた。
透明の階段が終わる場所、そこでは辺り一面に夢の輝きがキラキラと光っていた。
階段はそこから一際大きな星へ向かって細く枝分かれして伸びている。
「あの大きな星は?」
「あれは一等星だね。地球からよく見える星だから、他よりたくさん願われてきたんだ。もっと近づいて見てごらん」
ユウマは言われたように、枝分かれした階段を通って星に近づいた。
その星は赤い星だった。燃えるように赤く、どこか毒々しささえ感じさせた。
覗いてみると、そこにあった光景は、誰かが走っている姿だった。あるいは、何かを学んでいる姿だった。あるいは、楽器を演奏している姿だった。
「みんな頑張っているね。夢はね、ただ待っているだけじゃ叶わない。みんな本気で叶えたくて、一生懸命努力していたんだ」
ユウマは疑問を持った。自分は本当に本気だったのかと。
「あっちも見てごらん」
ケイの指さした先、そこには青い星が輝いていた。
ユウマは言われるままその星へ近づいて、覗き込んだ。
見えたのは、誰かが悲しんでいる光景だった。
理由は分からないけれど、泣いている人がいた。あるいは、ただ何かの紙を見つめていた。あるいは、寝転がってぼーっとしていた。
「夢を追いかければ辛い思いをすることもあるね。それでもみんな諦めなかったんだ。諦めれば星に願うことはない。ここにその想いが残っていることが諦めなかった証拠さ」
ユウマは恥ずかしくなった。まだ将来のことが分からないぐらい何も始まっていないのに、打ちひしがれて努力をやめようとしていた自分が恥ずかしくなった。
「さぁ、今度はあっちを見てみよう」
ケイの指の向く先を視線で追ったところには白い星が輝いていた。
近づいていって、それを覗く。
見えたのは、誰かが喜ぶ光景。手を握りしめて歓喜に震えていた。あるいは、誰かと酒を飲みながら笑っていた。あるいは、泣きながら笑っていた。
「大きな目標を達成しても、夢はまだ続く。人は人生をかけて夢を追いかけるんだ」
ユウマは想像もできなかった。人生をかけて追いかけるほどの何かを、今は想像することもできなかった。
ケイは手を広げて興奮したように言う。
「素晴らしいだろう!」
星々に包まれながら、夜空で二人は向かい合う。
「ユウマ、改めて言うよ。キミはまだ何にでもなれる。夢を見つければ、キミも輝くんだ。この星の輝きのように」
ケイは幼子に言い聞かせるように言う。
「……その結末がどうなったとしても、キミの輝きは必ずどこかに残る。だから、恐れないで」
「……ケイ、ありがとう。俺はまだ始まってすらいなかったんだな」
それを聞いたケイはニッコリと笑って、
「ずいぶんさっぱりした顔になったね。もう大丈夫かな?」
「多分。これからいろいろ考え直してみるよ」
ユウマもぎこちなく笑みを作った。
「それじゃあこれでお別れだ。怖くなったら今日を思い出して、星を見上げてごらん。決して陰ることなく、ユウマが星に願う夢を楽しみにしているよ」
ケイはユウマの背に手を回し、ユウマもそれに応える。
「ああ、ありがとう」
「またね」
ユウマはすーっと力が抜けて、意識を失った。
* * *
――十数年後。
「やったじゃねぇかユウマ!」
同期の友人がユウマの肩を叩く。
「おう、ありがと! でも、俺の夢はまだまだここからだからさ、満足はしてられないけどな」
「かーっ、言う事がちげぇなぁ」
「そうでもないさ、俺も教えてもらったんだよ」
「誰に?」
「そうだな……星に、かな」
「なんだそりゃ。ポエムか?」
「お前もたまには星空を見てみろって」
「そんで星に願うんだよ、夢が叶いますようにってさ」
Starry Sky of Wishes 皆戸新索 @MinatoShinsaku
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