そんな女が異世界転生したお話

綾南みか

第1話


 前世、私は結婚していたけれど子供はいなかった。

 共働きで忙しくて、出張などもあったりして、その日は出張帰りで、ちょっと早めに帰ったのだ。そしたらアパートの玄関に見慣れない靴があって、不審に思って奥の部屋を開けたら、ベッドに私の旦那が女性と裸で絡み合っていたのだ。


 あまりにショックで、逃げる事しか頭になかった。外に飛び出して走って、走って、車の急ブレーキの音が聞こえて宙を飛んだ。その後、覚えていない。


 そんな女が何故か異世界に来てしまった。

 通勤電車の中でちまちま読んだスマホの中の小説のような世界。


 でも、異世界ファンタジーって主人公の名前とかほとんどカタカナ表記だし、沢山あって覚えてないの。どれがどれだか分からないの。

 あああ、少しでも覚えておけば良かったけれど、後の祭りだった。


  ***


 前世の記憶を思い出したのは婚約した時だった。


 目の前に非常に綺麗な少年がいて、ボケらと見惚れていたら、何故か死ぬ前の一連の出来事が、まるで危険信号のようにチカチカと頭の中に浮かび上がったのだ。


 わたくしは侯爵家の次女、その時13歳。

 家族は両親と祖父母、兄1人、姉1人、私、弟1人の8人の大家族。

 ちなみに祖父母は領地で楽隠居を決め込んでいるし、兄姉は片付いているし、弟は悪たれだし、両親は仕事と社交が忙しくて基本放任主義だ。


 わたくしの婚約のお相手は、同い年の第三王子殿下。


「姉上、ブスなのに殿下が可哀そう!」

 ふたつ年下の弟が酷いことを言うので殴っておきます。

 ゴン!

「痛ーい! 姉上なんか、婚約破棄されてしまえ!」

 どこでそんな言葉を覚えたのよ!


 わたくし、王子様の婚約者だし悪役令嬢なのかしら。

 それにしては茶色の髪に茶色の瞳でごく普通の容姿なのだ。

 全然、悪役令嬢らしくない。


 本当に、何でわたくしが婚約者に選ばれたの?

 単なるモブの方が余程似つかわしいのだけれど。


 第一王子殿下は結婚しているけれどお子様はいなくて、第二王子殿下はお身体が弱い。でも、子供が死にやすいこの世界で、うちの兄弟は誰も死んでいない。おまけに祖父母まで健在である。丈夫が取り柄の一族だ。

 それで婚約者に選ばれたのだろうか?


 第一王子殿下も第二王子殿下もお丈夫ではなくて、なんだか、お家騒動もあるかもしれないし、陰謀に巻き込まれて死亡とかあるかもしれない。

 その前に不細工で婚約破棄があるかもね。

 そんな事に巻き込まれてもいいと思う程、王子妃にも殿下にも思い入れはない。


 なんせ、記憶を取り戻した時に、前世の旦那以上のイケメンが居たのだ。

 わたくしが危機感バリバリになっても仕方ないだろう。


 出会った時が反抗期で、わたくしの挙動もおかしければ、殿下もわたくしを睨みつけて、話どころではなかった。

 その後、背が伸びて無駄に顔が良い上に、金髪碧眼で体格がよくなって威圧感も出てきて、愛想もなく上から睨まれれば非常に怖い。


 ああ、前世の私が泣いている。こんな奴イヤと。

 きっと、きっと、浮気されて、そんな場面に遭遇して、

 まさか、まさか、婚約破棄とか断罪で殺されたりとか──。


 この先入観を打ち砕くものは何もないのだ。

 わたくしの容姿ひとつ取っても、おっとりのんびりを絵にかいたような福々しい顔で身体だし、相手は非の打ち所の無いイケメンであってみればなおさらに。


 まあでも大抵、ヒロインが現れて婚約破棄されるのよね。

 思い出したからには、こんな奴にへこへこしなくても、

 どうせどうせ、浮気されるんだもの機嫌取らなくてもいいわよね。



 そして最初のお茶会の日。時間きっかりに現れた第三王子殿下に内心驚いた。

 呆然として殿下を見るわたくしに、殿下も首を傾げた。

「何だ?」

 ちょっと可愛いと思ったわたくしは、前世からの面食いだ。泣きたい。

「いえ、お茶会にはいらっしゃるんだと思いまして」

「決まっているから仕方がないではないか」

 しかし仏頂面だ。

 お互い好き合っていないのは不幸の始まりではなかろうか。


 その後、第一王子夫妻にお子が出来る様子もなく、第二王子殿下は相変わらず病気がちで、王家の人員は一向に増える気配はなくて、わたくしもお妃教育を受ける事となった。泣きたい。

 お家騒動まっしぐらとか、死亡フラグ何本立っているのだろうか。


 お妃教育の後は、殿下とお茶をして帰るのだ。

「ちゃんとやっているか?」

「もちろんでございますわ」

 ツンと澄まして答える。

 お妃教育といってもわたくしは侯爵家の令嬢でほとんどのことは終わっている。王妃様との時間は親睦だ。お肌の手入れとか、化粧品の話。体形維持のための美容体操とか、流行りのドレスや装飾品の話題で終わる。


 あら、今日のお茶菓子はマドレーヌだわ。王宮のはバターの風味がとてもいいのだ。アーモンドも入っていてとても美味しいわ。


 わたくしイチゴ大福とかおはぎとか食べたいのだけれど、こちらの世界にあるのだろうか。食べ物の恨みは晴らしておくべきだわ、心残りなく過ごさねば。


 わたくしが嬉々として食べていると「よく食べるな」と冷めた声が降ってくる。

 相変わらず仏頂面で言うのね、殿下。食べ物に罪は無いのよ。

 少しはにっこり笑って面食いのわたくしに応える気はないの? ないのね。

 わたくしもニッコリなんかしないわ。



 そうこうしている内に王都の貴族学園に入学する年になった。

 わたくしは意を決して殿下にお願いをしてみた。


 お妃教育の後のお茶の時間だ。殿下もわたくしも一度も欠かすことなく、このお茶会を乗り切った。もはや同士だ。

 わたくしが思っているだけかもしれないが。


「もうすぐ学園に入学するにあたって、殿下にお願いがございますが、お聞き入れくださいますか」

「聞ける願いであるならば聞こう」

 顔は仏頂面だが言う事はまともだ。

「最近よく学園の夢を見ます。わたくしの不安が形になったような夢でございます」

「夢など──」

「ですが、何度も見ると不安になります」

「ふん」

 横を向いた。聞く気がないのね。でも聞かせてあげましょう。

「殿下が夢の中で他の女性に熱を上げて、わたくしを蔑ろにし、婚約破棄をなさるのです」

「いつ私がお前を蔑ろにした」

 ちょっとムキになっている。どうして? お顔が少し怖い。

 だが最後まで言わなければ。

「これからでございます。わたくしは婚約破棄を受け入れます」

「私は忙しい。そのような事はせん。さて、時間だ」

 殿下は立ち上がった。その表情はわたくしには見えなかった。

 わたくしはカーテシーをして、歩き出そうとしたら殿下が手を差し出す。そういえばいつもちゃんとエスコートして下さった。

 キッと睨みながら手を乗せると、殿下は口をへの字に曲げてスイと前を向いてしまった。

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