勇者になりたい詭弁家の、世界を救う小さな嘘たち

斗話

勇者になりたい詭弁家の、世界を救う小さな嘘たち

 傘を差すか迷うほどの雨が降っている日の事。臼田誠はどんよりと曇った空を仰向けで眺めながら、自分でも驚くほど冷静に現状を理解した。


「誰か! 救急車!!」

「じ、事故です! 高校生が一人はねられて! 場所は……」


 知らない人の声が聴こえてくる。水中にいるかのようなくぐもった声だった。

 身体に痛みは感じない。意識だけが遅れて死へと向かっている。


「生きろ!」


 誰かがそう言う。

 けれど、誠はすでに死という現実を受け入れていた。もとより、いつ死んでもいいと思っていたし、それほどに誠は自分のことが嫌いだった。


『嘘つき』


 今度は誰かの声ではなく、自分の声がはっきりと聞こえる。自身の人生を振り返って洩らした吐息のような声だった。


誠の人生は嘘でできている。


 幼稚園の頃、自分が壊してしまった砂山なのに、気弱な男の子が壊したのだと嘘をついた。

 小学生の頃、実家はお金持ちで、買ってもらえないものなんて無いのだと嘘をついた。

 中学生の頃、飼ってた犬が死んだ時、命はいつか終わるのだから悲しくないと嘘をついた。

 高校生になって、学校が楽しいのだと母に嘘をついた。沢山の友達に囲まれ、恋人になりそうな女の子もいるのだと。

 今日だって、気を使って遊びに誘ってくれたクラスメイトに、予定があるからと嘘をついた。駅前で遭遇するのが気まずくて、遠回りをして、そして、車にはねられた。


『嘘つきだから死んだ』


 また自分の声が聞こえる。

 全くもってその通りだ。今日の誘いを素直に喜んでいたら、あるいは学校に行きたくないと言えていたら、飼い犬の死を嘆き悲しめていたら、見栄をはらず、正直に謝れていたら、今日死ぬことはなかったのかもしれない。

 小さな嘘の積み重ねが、今、死のもとへ帰結したのだ。だから、悲しくともなんともない。むしろこんな人生、早く終わってくれて万々歳だ。


『嘘つきでよかった』


 今度は聞こえたのではなく、自分の口から言葉を発したような感覚だった。

 誠の頬に雨が伝う。

 人生最後の嘘を、今まさについたのだ。


『承認』


誰かの声が聞こえ、誠の意識は途絶えた。




 頬に雫が落ち、誠は目を覚ました。


「ん……」


 ゆっくりと身体を起こすと、そこは洞窟の行き止まりのような場所だった。空気が冷んやりとしていて心地いい。傍には泉があり、その周りではいくつもの水色の結晶が、綺麗な光を放っている。


「何だこれ」


 身体に傷がないかと確認しようとして、誠は自分が着ているものが制服ではなく、麻色の道着のようなものに変わっていることに気がついた。


 ぽちゃんと音を立てて泉に雫が落ちる。


 誠が泉を覗き込むと、そこに映っていたのは誠と同年代くらいの青年だった。細くて艶のある白髪に、目鼻立ちも良い。


「夢か……夢なら早く覚めてくれ」


 事故で死んだと思ったら、白髪の美少年になって覚めるなんて、小説や映画の類いの話だ。


『却下。実行不可能』


女性の声を模した機械が喋ったような声がする。


「うわぁぁぁぁ!!」


 どこからともなく聞こえたその声に驚き、誠は辺りを見渡した。


「だ、誰だ! 出てこい!」


 とは言ったものの、実際に出てこられたら困る。つい条件反射でついた嘘だ。


『却下。システムである私に実態はありません』


 また同じ声だ。


「システム? 何だそれ」


 誠の声が洞窟に反響し、その後、静寂が訪れる。機械の声は一向にしてこない。


「おい!」


 反応がない。何だか気まずい。


「まぁ別に説明なんてなくても分かるけどね 俺は死んだんだろ? 早く死なせてくれよ」

『承認。臼井誠のシステムに関する情報を開示する』

「は?」


 途端、頭の中に小さな光が灯されたような感覚になった。

 不思議な感覚だった。懐かしい駄菓子を見つけて幼少期を思い出すように、システムとやらの概要が頭を巡る。


「……ついた嘘が現実になる……」


まるで初めから知っていたかのような気にすらなってくる。


「詭弁家……」


 この世界で、誠はそう分類されるらしい。これも最初から知っていたかのように思い出す。どうせなら勇者とか魔法使いとかが良かった。

 ついた嘘が現実になる能力を持った詭弁家という役職であることは理解できたが、何ができて何ができないのか、その範囲は分からない。早いことこの夢から抜け出して死にたい。そうだ、俺は早く死にたいんだ。そう自分に言い聞かせ、誠は泉に背を向け、薄暗い洞窟を進み始めた。


 洞窟を進みながら、誠は色々な嘘をついてみた。


「視界良好だな」

『承認 臼井誠の集光可能量を増幅』


暗い洞窟が一気に明るくなった。中々に長い一本道だ。


「地面が平らだな」

『範囲指定を要求』

「この先五百メートル」

『承認 土魔法、クエイクを発動』


 誠の足元に茶色い紋章が現れ、凹凸の激しかった地面が一律の高さになった。

詭弁家の能力は体内外関わらず実現するようだ。


「お腹いっぱいだな」


 沈黙。


「ラーメンが食べたくない」


 沈黙。


「そこの角を曲がるとラーメンが落ちてる」

『承認 究極魔法、創造を発動』


 T字になっている角を左に曲がると、ラーメンが落ちていた。誠が慣れ親しんだカップラーメンだ。しかし、残念なことにお湯と箸が無い。


「来た道を戻ると完成したラーメンが落ちている。あと箸も」

『承認 究極魔法、創造を発動』


 道を戻ると、そこにはお湯の注がれたカップラーメンと箸が落ちていた。

ある程度の具体性が発動条件らしい。

 一体ここはどこなのだろう。誠はカップラーメンを啜りながら考えた。


「俺はここがどこか分かる」

『承認 現状理解』


 能力を理解した時と同じ感覚だ。頭の中に文字が浮かんでくる。


〈暗い洞窟〉


「そんなこと見たら分かるわ!!!!」


 思わず出たツッコみが虚しく反響する。


「目の前の壁に、半径三キロメートルの地図が記されているな。あと現在地も記されている」

『承認 空間魔法、サーチ、基礎魔法、ドローイングを発動』


 洞窟の壁に地図が記されていく。学校の見取り図のように地下一階から、地上五階までの見取り図が描かれた。地下一階は蟻の巣のように入り組んでおり、その端の方に赤い印が付いている。どうやら誠は大きな建物の地下にいるようだ。

 地上階にあたる地図には、真ん中に大きな空間と、それを囲うように通路と部屋が並んでいる。ショッピングモールのような形だなと誠は思った。

 とにかくここを出てみよう。


「この地図、完全に覚えた」

『承認 記憶』


 誠は地上への階段がある方向へと歩き出した。次の角を曲がって、真っ直ぐ。歩き慣れた通学路のようにスタスタと進んでいく。


「お前って会話できるの?」


 機械の声に問いかけてみる。が、反応はない。


「お前と会話がしたくない」

『却下』


 システムとしてというよりかは、単純に断られた気がして軽く落ち込んだ。


「ま、一人の方が楽だけどね」


 独言のように呟きながら道を曲がると、少し先の地面に何かが落ちている。

 恐る恐る近づくと段々輪郭がはっきりしてきた。女の人が倒れている。


「だ、大丈夫ですか!」


 誠は駆け寄り、横たわる女性を抱き起こした。息はしている。

 身に纏った白いワンピースは汚れがひどく、薄桃色のロングヘアーから覗く美しい顔にも沢山の傷が付いている。


「兄さん……」


 彼女はうなされるようにそう言った。




 誠は最初に目を覚ました泉に戻った。ボロボロになっている彼女を見て、何か危害を加えるような、例えば魔物だとかがいる危険性に初めて気づき、とりあえず引き返した次第である。

 苦しそうに横たわる女性に、誠はかれこれ三十分近く手をかざし続けていた。誠と彼女の間にはぼんやりと緑色の光が灯っている。


――俺は手をかざすだけで傷を治せる。


 三十分前についた嘘は承認されたが、彼女の傷が相当深いのだろうか、中々目を覚さない

「ん……」


 やっと彼女の目が開いた。


「うわぁぁぁぁぁ!」


 彼女は勢いよく起き上がると、そのままバランスを崩して泉に落ちる。


「ちょっ! 助け……! あ、思ったより浅い……」


 恥ずかしそうに立ち上がり、膝下くらいまでを水に浸からせながら、誠の方を見た。


「えーっと、あなたは?」

「臼井誠……です」

「珍しいお名前ですね……私はトゥルシア・ライラ。王国騎士団の一人です」


 騎士団というよりかは、魔王から命からがら逃げてきたお姫様のような印象だ。


「君はどうして倒れてたの?」

「私は……兄さん!!」


ライラは何か思い出したように泉を飛び出した。


「ちょっと待って! 状況を整理しよう!」


 少なくともそれまで誠が居た世界ではないのだ、彼女が有力な情報源なのは間違いない。


「……そうですね。私は王国騎士団の一員として、魔王との戦闘中でした。途中で転移魔法を使われ、目が覚めるとこの場所に……。どれくらい時間が経っているか分からないけど、きっと兄は……まだ魔王と戦闘を……」


 そこまで言って、ライラの両目から涙が溢れ出した。

 魔王がいるのか。まるでRPGじゃないか。聞きたいことが山のように浮かんでくる。


「お兄さんも騎士団なの?」

「はい、騎士団長です。兄は真の勇者です。強くて、優しくて」


 兄の話をするライラの顔は誇らしげで、どこか寂しそうだった。


「とりあえず外に出よう! 何か分かるかもしれない」

「あなたは……マコトさんはここで何を?」

「あー、ちょっと野暮用で」


 また小さな嘘をついてしまう。


「この先に地上につながる出口があるから、一回外に出よう」


 これもさっき思いついた嘘だった。


『承認 土魔法、クエイクを発動』


 通路の奥から瓦礫を崩したような音が微かに聞こえる。


「分かりました」


 誠を先頭に、二人は歩き出した。

 王国騎士団に魔王。段々とこの世界の輪郭を捉えてきたような気がする。ワクワクしないと言えば、嘘になる。




 一時間前。

 騎士団長トゥルシア・アイル率いる一行は、絶望の淵に立たされていた。


「危ない!」


 アイルの声がした直後、ライラの薄桃色の髪を火球がかすめ、体勢を崩す。硝煙と血の匂いが充満している。


「大丈夫か! 下がっていろ!」


 赤い鎧に身を包み、剣を構えるアイルが、ライラの目の前に立ち塞がった。

 こんなはずじゃなかったのに。

 ライラは溢れそうな涙を必死に堪えた。

 えんじ色を基調とした大広間。周りには何十人もの兵士が倒れている。その一人一人が王国の精鋭であるというのに、彼らはあいつに指一本触れることができなかった。


「ツラいなぁ」


 あくびをするように気だるげな声。

 大広間の奥には玉座がある。そしてそこに座る黒いローブに身を包んだ男、それがあいつ――魔王。


「あーツラいツラい。君たちが弱すぎてツラいよ。もうちょっと遊べると思ったんだけどなぁ」

「黙れ!」


 アイルの怒号が飛んだ。


「貴様のくだらない私利私欲のために、どれだけの民が死んでいったと思っている! 先人が命を賭して繋いでいった文明がいくつ消滅したと思っている!」

「そんなのいちいち数えてないよ〜。僕はね、みんなを呪いから解放してあげてるんだよ。生という呪いからね。むしろ感謝してほしいな」


 魔王が指を鳴らす。すると、既に息の絶えた騎士団員たちがむくりと起き上がった。


「仲間を殺すのはツライよなぁ」

「外道が……!」


 アイルを含め、息のある兵士はライラと数名のみ。勝てるわけがない。アイルさえも立っているのがやっとのはずだった。


「兄さん! 逃げよう!」


 ライラが叫ぶ。魔王を前にして、情けない。それでも、死んでしまったら全部終わりだ。


「大丈夫だ、ライラ。生きて帰れる」


 アイルが振り向き、微笑んだ。ライラに物心ついた時から何百回と見てきた表情だ。ライラが泣いているときはいつも、優しいその笑顔で頭を撫でてくれた。


「ダメだ! 兄さん!」


 ライラの大きな双眸から涙が溢れてくる。


「俺がライラに嘘をついたことなんてないだろ?」


 アイルはそう言うと、左手をライラの方へ伸ばした。ライラも同じように手を伸ばす。そうだ、彼は一度だって嘘をついたことはない。王国一の剣士になると言った幼い笑顔も、嘘じゃなかった。家族や村を壊した魔王を倒すと誓った横顔も嘘じゃないはずだ。そしてその横にはいつも私がいるんだ。私が信じなくてどうする。一緒に魔王を倒すんだ。


「転移魔法」

「え?」


 足元に紋章が現れ、ライラの身体が透けていく。


「どうして!」


 もうライラの声は届かない。


「ごめんな」


 最後に兄は、そう呟いた。




「アルバ城跡の地下だったのですね」


 地上に出ると、そこには城があった。至る所が崩れ落ち、植物が外壁を覆い尽くしている。


「魔王……にやられたの?」


 そこまで言って誠は自分のミスに気づいた。もしかしたらこの城は誰もが知る場所かもしれない。

 驚いたような顔でライラが見つめてくる。


「あ、えーっと、アルバ城ね! ひどいやられようだよね!」


 反射的に取り繕ってしまう。いつもこうだ。どこの世界にいても。


「あーいや、ちょっと記憶があったりなかったりでさ! 記憶喪失? 的な」


 嘘を嘘で塗り固めて自分が苦しくなる。分かっていても、気づいた時には身動きがとれなくなっていて、引き返せなくなる。


『嘘つき』


 機械の声ではない。自分の声だ。死ぬ間際に聞いた、あの声だ。


「いやー困ったな、こんなことも忘れ……」

「マコトさん」


 ライラが優しく微笑んだ。


「知らないことは恥ではありませんよ。マコトさんは私を助けてくれたんですよね? だったら私はマコトさんを信用します。記憶喪失なのであれば、ゆっくり取り戻していけばいいです。それが嘘でも本当でも、何か事情があるならどちらでも構いません」

「え……」

「この世界には優しい嘘だってあります」


 嘘が、許された。それは誠が感じた初めての感覚だった。大きな毛布に優しく包まれたような暖かい気持ちになっていく。


「わ! 私なんか変なこと言いましたか! ごめんなさい!」


 ライラが慌てて頭を下げ始めた。

 知らず知らずのうちに涙が溢れていたようだった。顎の先から雫がひとつ落ち、地面を濡らす。


「だ、大丈夫。ちょっと嬉しかったからさ」


 本音だ。本音が言えた。


「悲しくないのであれば、良かったです」


 ライラが笑顔になる。数時間前まで魔王と戦っていたというのに、なんて優しい女性なんだろう。

 ライラは意を決するように息を吐き、真剣な顔で誠を見つめた。


「では、私は兄を助けに向かいます。マコトさんもご無事で」


 そう言い残し、ライラは城を背にして駆けていく。


「ちょっと待って!」


 ライラが振り返る。

 嘘だらけの人生。今度はその嘘で誰かを救えるかもしれない。


「俺もついていく! 君の力になりたい!」

「……ありがとうございます。でも」


 勇者でもなければ、魔王を倒すだなんて夢物語だ。けれど、俺なら。


「俺は勇者だ!」


 幾つでも嘘をついて、君を守れる。


『承認』


 機械の声は、少しだけ嬉しそうに聞こえた。

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