第55話 『娘』の奪還


「残念ですが侯爵様、あなたの望みは叶いません」


 ゼフィランサスはリアの言葉に「ふん」と鼻から息を吐き出した。


「やはり……『予知』なのか? お前には今、何が視えている?」

「私が『予知』をできたとして――侯爵様は、私が言ったことを信用できるのでしょうか? 一体どうやってそれが真実であると見極めるのです?」


 ゼフィランサスの顔から薄ら笑いが消える。


「簡単なことだ」


 ぐいとリアの胸元を引きずり上げると、冷ややかに目を細めた。


「『予知』されたことが起こり、それに上手く対処できた場合のみ、お前の身に少しずつ自由を与えていけばいい。そうだな、始まりは――屋敷の地下室から、だ」


 ゼフィランサスの顔は、どこか吹っ切れたように冷酷な笑みを浮かべていた。



 ◇◇◇◇



 リアが姿を消して、2日が経っていた。


 この3か月で、毎日顔を合わせ、側にいることが当たり前になっていたアッシュにとって、気が遠くなるほどに長く感じられた。


 しかし、この2日で、通常では考えられないほどの用意を整えた。傍から見れば、およそ2日で準備などできるはずもないことを。


 まずはリアを取り戻す――侯爵家自体を奪い返すのは、その後だ。


「エルダー園芸店でございます」 


 定期的に訪れているアーネスト侯爵家にアッシュは庭師として立ち入った。


 庭の花を剪定しつつ、時が訪れるのをただ待つ。準備は万全だ。


 突如として、屋敷内が騒がしくなる。慌ただしく動き回る従者たち。


 ――始まった。


 アッシュは静かに口角を上げると、そっと作業を切り上げた。



 〜・〜・〜



「た、大変です!!」

「何だ、騒がしい!」


 ゼフィランサスが駆け寄ってきた執事ローレンスに眉をひそめた。

 普段、走り慣れていないからなのか、初老の身体には堪えたのだろう。少々苦しそうに肩で息をし、ハンカチで汗を拭っている。


「ハートラブル公爵閣下がおいでになられました」

「はっ? 何の先触れもなしにか?」

「はい……!」


(一体、なぜ? 考えられることといえば、先日の八侯爵総会で提出した決算書について、くらいか。だとしても、先触れもなしに来るなど……)


 あの赤字決算をそれほど重く見ているということか――。


 ゼフィランサスは眉間の皺をより深くした。


「急ぎ、準備を整えろ」

「はっ! すでに取りかかっております……!」 


 執務室から足早に退室すると、ゼフィランサスは応接室へと急ぎ移動する。

 待たせるわけにはいかない。何せ、あの赤の王女が直々に足を運ぶなど、普段ならあり得ないことなのだから。


 すでに案内を済ませ、待たせている応接室の前で、ゼフィランサスは大きく息を吸い込むと、肩の力を落とすように吐き出した。


 ――コンコン。


 部屋の中から「どうぞ」と美しいが切れの良い声が聞こえる。

 ゼフィランサスは内側から開かれた扉の中へと、やや頭を垂れながら入室した。


「急にごめんなさいね、アーネスト侯爵」


 公爵の傍らにはいつも側にいる護衛騎士。そして、どこかで見たような男。従者にしては良すぎる身なりだ。


「いえ。こちらこそ……わざわざハートラブル公爵閣下に足を運ばせてしまい、申し訳ございません。お呼びくだされば、こちらからお伺いさせていただきましたのに」


 頭を上げたゼフィランサスの目には微笑みの欠片もない美しい顔が飛び込んでくる。無表情だというのに、なぜか心奪われ目が離せなくなるほどの魅力的な面持ち。思わず見惚れてしまう。


 持っていた扇子で口元を隠した公爵に、飛ばしていた意識をハッと取り戻したゼフィランサスは問いかけた。


「本日は……いかがなさいましたでしょうか?」


 その問いに不服そうに真っ赤な瞳を伏せた公爵は、そっと目を開け、ゼフィランサスを見つめた。


「あら? 心当たりがない、と?」


 ゼフィランサスは息を呑む。


「迎えに来たのよ? 公爵家うちの花屋を」

「え……?」


 決算書のこと、だとばかり思っていたゼフィランサスは呆気に取られる。しかし、徐々に怒りが湧いてきた。

 

 やはり、公爵はウィステリアの『能力』を知っている。だからこそ、その『能力』がほしいのだ。

 それが『予知』であれば、なおさら。


 まるで勝ち誇ったようにゼフィランサスは口角を上げた。こちらにウィステリアがいるかぎり、怖いものなど何もない。ウィステリアに『予知』させ、そうならないように『修復』すればいいのだ。


 元々、ゼフィランサスはダイヤモント公爵の遠縁で、今は養子となっている。ダイヤモント公爵家の責務は『修復』である。ただ、それを実行するだけのこと。


「何を勘違いされていらっしゃるのか……ここにはハートラブル公爵家の花屋などおりません」


 赤の公爵が目つきを変え、口元を覆っていた赤と黒の扇子を叩きつけるようにパシッと閉じた。


「ウィステリアを返しなさい」


 やはり――と、ゼフィランサスは眉を上げた。


「なぜでしょうか? ウィステリアは私の娘です」


 こちらが優位、とばかりに唇の両端を上げたゼフィランサスは、その理由を問う。


 赤の公爵は後ろに立つ護衛騎士に向かって、ひらりと手を差し出す。赤の騎士は、その手に胸元から取り出した書類を乗せた。

 そして、公爵は受け取ったものを向かいに座ったゼフィランサスへと差し出す。


「これは……?」

「読めば、分かるわ」


 書類を手に取り、目を通し始めたゼフィランサスの顔が少しずつこわばっていく。


「なっ、何なのですか……これは!」


 ゼフィランサスの書類を持つ手にぷるぷると力が入っていることに、赤の公爵は満足そうにニッコリと微笑む。


「まずはウィステリアがすでにアーネスト侯爵家から除籍されているという公的書類。そして、彼女が現在、公爵家の花屋であるという正式な契約書よ」

「し、しかし――ここには……」


 赤い護衛騎士の隣に立っていた男が音も立てず、一歩前に出る。

 どこかで見たことのある顔――彼は……。


「アーネスト侯爵閣下。を返していただきたい、今すぐに」

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