第50話 その物語のフラグ
「お父さま! なぜアドルフ殿下はエスコートしてくださらないのです?」
「殿下は、お忙しいのだ。夜会には来てくださると手紙をいただいただろう?」
「でもっ……!」
ローズマリーは白い頬をぷくっと膨らませる。
ハートラブル公爵邸で行われる舞踏会。会場へと向かう馬車の中で父ゼフィランサスにローズマリーは不満をぶつけていた。
本来であれば、アーネスト侯爵家にアドルフ殿下が迎えに来てくれるはずだった。そして、馬車の中も二人だったはずなのに。今はこうして、父と二人で向かい合って座っている。
現地で合流するとしても入場のエスコートに間に合うかどうかも書かれていなかった。このまま父にエスコートされて入場するなど、王太子の婚約者であるのに立場がない。
王太子の隣で常に真顔だった姉ウィステリア。
それに比べ、王太子に愛され、互いに微笑み合う仲睦まじい姿を大勢に見せつけるよい機会だというのに。
それに――あの日以降、“彼”と会えていない。
不意にローズマリーは、ハッと気がついた。
(公爵邸の夜会……そうだわ! アッシュ様と再会するのは確か舞踏会だった! だからアドルフ殿下のエスコートがないのね!)
先ほどまでは苛立っていた気持ちが、あっという間にドキドキに変わる。
(ああ、もっと早く気づいていれば、もっともっと着飾ってきたのに!)
急に機嫌が良くなったローズマリーにゼフィランサスは首をひねるも、ホッと胸を撫で下ろした。
会場に着いて馬車を降りると、王太子アドルフが手を差し伸べていた。
「待っていたよ、ローズマリー嬢。今日は屋敷まで迎えに行けず、すまなかった」
ローズマリーはアッシュではなかったことに肩を落とすも、弱々しく微笑み「いえ」と首を振った。
ハートラブル公爵邸は、まるで“あの物語”の“あの女王”のお城、そのものだ。やはり、ここは自分の知る物語の世界なのだ、と実感する。
そうだとすると、先ほどの期待がますます現実味を帯びてくる。いつ出会えるだろう、どんなふうに会えるのだろう、とローズマリーの胸は高鳴った。
王太子アドルフにエスコートされ、ホールに入ると、赤や黒で統一された空間に一際キラキラと輝く白い薔薇が目に映る。
(わあ……綺麗な薔薇……)
そういえば、物語の中でアッシュから白い薔薇をもらう描写があった気がする。花言葉になぞらえて愛を囁くアッシュにドキドキしたものだ。
(白い薔薇の花言葉は確か……『私はあなたにふさわしい』『約束を守る』『相思相愛』だったような。王子様であるアッシュ様が、まだ正体を明かせない主人公に花を通して贈った言葉――ということは、もしかして……この花は、アッシュ様が?)
先日、園芸店として王城に来ていたのだ。今回も花を通して出会えるはず。
ローズマリーは白い薔薇に引き寄せられるように近づくと、その中に一輪だけ青い薔薇を見つけた。
まるで大切な宝物を隠しているみたいに目立たず、それでいて夜空のような濃紺が美しく、吹き付けられた水滴が星のようにきらめいている。
「素敵……」
思わず青い薔薇に触れる――と、触れた部分から色が抜け落ちていく。
「えっ……何で……?」
ローズマリーが触れた青い薔薇は他の薔薇と同じ真っ白になっていた。
目の前で起こった出来事にわけが分からず、混乱するローズマリーにエスコートしていたアドルフが「どうした」と声をかける。
「薔薇が……」
「その薔薇が、どうかしたのかい?」
「触れたら色が変わってしまって」
「……何だって?」
アドルフはローズマリーが示した薔薇に触れた。
「これは――」
(魔法の痕跡、だ。でも魔法自体は、すでに消えている。一体、なぜ?)
アドルフは何が起こったのか分からずに困惑しているローズマリーに視線を向けた。
(触れただけで消える魔法? そんなもの、聞いたことがない)
そもそもどんな魔法だったのか――と考え、仮説を立てる。もしもこれが王太子である自分や、その婚約者ローズマリーを狙ったものであれば、何らかの害を及ぼす魔法かもしれない、と。
「ローズマリー嬢。身体は何ともないか?」
「えっ? ええ……」
アドルフは安心してホッと息をつくも、念のため近くにいた護衛に医師を呼ばせた。そして――
「この花を用意した者を、この場へ」
「かしこまりました」
突然の展開にローズマリーは驚く。
しかし、ここに“花を用意した者”を呼んだということは――やはり、これは“彼”に会うためのフラグだったのだ、と思わず頬を緩ませた。
◇◇◇◇
(大丈夫。青い薔薇の花言葉は誰にも話していないし、知らなかったと言えばいいだけ――)
まさかジャックが青い薔薇の花言葉を知っているとは思わなかった。危うく同じ世界から来た転生者だとバレてしまうところだった。
リアは額に滲んだ汗をそっと拭った。
「ねえ、リア」
アッシュに呼ばれ、びくりと心臓が跳ね上がる。
「リアは青い薔薇の花言葉を知っていたの?」
「え……っと……」
たった今、思い浮かんだ台詞を言えばいい。
そう思っていても、リアにはそれを口に出すことができなかった。
アッシュに、嘘はつきたくない。
藤色の瞳にじわりと増えてきた涙をいっぱいまで溜めて、リアは唇を噛みしめた。
「知ってた」
リアの頬がひと粒の滴で、ツゥと濡れる。
「ずっと、秘密にしていたことがあるの」
リアはアッシュの瞳をじっと見つめた。堪えきれずにあふれた涙が、次から次へと頬を伝う。
「すべて話すから……帰ったら、聞いてくれる?」
アッシュはリアの頬に両手を伸ばし、そっと涙を拭うと、ゆっくり頷いた。
「ちゃんと聞くよ。リアが話したいこと、すべて」
アッシュがリアの背中に手を回し、抱き寄せようとした瞬間、控え室の扉が叩かれた。
「大変です! 問題が発生しました! 今すぐ会場へ、いらしていただけますか」
「「わかりました」」
リアは慌てて涙を拭うと、飛び込んで来た給仕係と共に、ホールへと向かった。
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