第45話 不幸の始まり
「何だ、これは……どうなっている! 一体、どういうことだ! 誰か説明できる者はいないのか!」
激昂する主に張り詰めた空気が漂う。その空気を断ち切らんばかりに初老の男が一歩前へ進み出た。
「ゼフィランサス様。誠に僭越ではございますが、私からご説明させていただきます」
毎年、四大公爵家の定例会議後に行われる八侯爵家の総会で提出する予定の決算書に目を通した後、アーネスト侯爵は顔を真っ赤にし、声を荒らげた。
一年前の決算書とは大幅に違う。領地経営やその他の資産運用、それによる収益、そのすべてが減少している。たった一年で、だ。
「昨年度、所有している鉱山で大きな事故がございました。それにより多くの領民を失い、まだ崩落の危険もあるため、採掘自体ができなくなりました」
「何だと? そんな報告、受けていない!」
「いえ、確かに報告いたしました。ゼフィランサス様、こちらをご覧ください」
初老の男は胸元から一枚の紙を取り出すと、アーネスト侯爵へと差し出した。
「なっ、これは……」
そこには、事故の報告とその事故によりしばらく収益が見込めなくなったということが細かに記されていた。そして、最後には――“自分のサイン”。
確かに自分のものだ。ゼフィランサスはサインが書かれた日付の記憶を辿る。
(あの日は――そうだ!)
屋敷に戻ったゼフィランサスが初老の男――執事であるローレンスから定期報告を受けていると、急に屋敷内が騒がしくなった。ゼフィランサスは仕事の手を止め、執務室に従者を呼び、何があったのかを報告させた。
聞けばウィステリアがローズマリーの部屋で傍若無人な振る舞いをしているという。
屋敷内に悲鳴にも似たローズマリーの悲痛な泣き声が響き渡る。ゼフィランサスは、いても立ってもいられず、「対応は任せる」とだけ指示し、手早くサインをした。
「働いていた領民や事故で亡くなった者への手当や補償金もご用意いたしました」
「くっ……! それで、大幅な赤字か……」
「いえ、それが……それだけではございません」
「まだあるのか?!」
驚いて目を見開いたゼフィランサスにローレンスの表情が暗く曇る。
「実は……リアトリス様のご実家であるディオーネ侯爵家からの援助が切れまして……その、ウィステリアお嬢様が除籍されましたので……」
ディオーネ侯爵家から任された財産や土地などはすべてウィステリアの名義だったという。
結婚の際、リアトリスに付いてきたディオーネ家の元執事ジャレッドもウィステリアが除籍となった後、辞職していた。
ゼフィランサスは頭を抱える。
「他にもございます。領内の農作物の生育が悪く、例年の収穫が見込めません」
「何だと!? それをなぜもっと早く報告しないのだ! 生育が問題ならば、私の魔法で対処できるではないか!」
「申し訳ございません!」
ガタリと席を立ったゼフィランサスは、農作物の様子を確認するため、急ぎ現地へと向かった。
◇◇◇◇
干からびた土地。およそ農作物が育っているとは思えないような光景。
ゼフィランサスは息を呑んだ。
思っていた以上に深刻だ。これでは、いくら西風の神ゼピュロスの加護を受けているゼフィランサスでもすぐに何とかすることは不可能だ。
それこそ、何か月もかけて、その土壌から作り直さなければ――ゼフィランサスは唇を噛みしめた。
(なぜ、こうなった? 一体、なぜ……?)
はじめから上手くいっていなかった。
最初の妻は嫡男オレアンダーを出産後、すぐに天に召されてしまった。そもそも、愛するロザリーがいたのに遠縁のダイヤモント公爵から、養子となりアーネスト侯爵領を継げと指示され、結婚も勝手に決められたのだ。妻が儚くなったのには心が傷んだが、これでやっと愛する人と一緒になれると思っていた。
しかし、ダイヤモント公爵はそんなに甘くはなかった。早々に次の妻を用意した。それがアーネスト侯爵家と同じ八侯爵家の一つであるディオーネ侯爵家の令嬢リアトリスだった。
一人目の妻と違っていたのは、自分に向けられた熱を持った視線。愛を『期待』されても、返すことはできない。自分にはすでに愛を捧げた人がいるのだから。
嫡男であるオレアンダーがいたことにより、妾としてロザリーを側においても、ダイヤモント公爵は何も言わなかった。侯爵夫人としてリアトリスには接していたが、彼女の重すぎる愛から逃れるようにロザリーに愛を注いだ。
結果、二人は同時期に懐妊し、リアトリスが先に出産した。リアトリスによく似たウィステリアと、ロザリーによく似たローズマリー。
愛情が湧いたのはローズマリーだけだった。
産後体調を崩していたリアトリスが儚くなると、念願叶いやっとロザリーを妻にすることができた。
ただ、年々リアトリスに似てくるウィステリアを見ていると、自分の心が平静ではいられなくなる。
だから、なるべく見ないようにしてきたのだ。
しかし、ある時、ウィステリアがローズマリーにしてきた酷い仕打ちを目の当たりにした。
(今までも、ずっとこんな酷いことをローズマリーにしてきたのか……!)
アーネスト侯爵家にとって、害にしかならない。よりによって、ただローズマリーより先に生まれたというだけで、王太子の婚約者にまでなっているというのに。
悪夢のような日々を過ごし、我慢してきたが学園卒業間近でローズマリーに大怪我を負わせた。
もう、これ以上は限界だった。
『家族に危害を加える者を、家族としておいておくわけにはいかない』
王太子との婚約を解消し、侯爵家から除籍、屋敷からもウィステリアを追放した。
ようやくリアトリスの呪縛から逃れることができたと思い、平穏な日々を過ごしていた矢先、王城で仕事をするウィステリアと会ってしまった。
表情のない淡々とした話し方。――死を前にしたリアトリスが脳裏をよぎる。
『今後、王城での仕事は一切、許さん。城と侯爵家の屋敷には近づくな。――分かったな』
もう二度と、思い出したくもない。
リアトリスとウィステリアがいなくなれば、幸せになれると思っていた。――それなのに、なぜ?
次から次へと不幸が舞い込むのだ。
ただ、幸せになりたいだけなのに。
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