4−8

——時が止まる。


シンと音が消え、兎の目が赤く輝く。

ユウヒと兎以外の全てが止まる。


メイドの手にある包みが薬を溶かした水に向かって傾き、今にも粉が流れ込みそうになっている。

しかし、こぼれずに写真に収めたかのように止まっていた。

ユウヒは衛兵の間を抜けてメイドの元に駆け寄って、コップをとりあげてメイドの腕を掴む。

粉が入らなくなったのを確認すると、兎に話しかけた。


「アリス、ありがと」


10秒程の時間停止2人だけの時間が終わった。


——時が動き出す。




「何事だ!?」


突如ユウヒが発した兎を呼ぶ大声に驚き、振り向く領主。

だが、振り向いた先には既にユウヒの姿はなく、メイドの側に立っていた。

右手には水が入ったコップ、左手にはメイドの腕を握っている。


その姿を見て、衛兵は先ほどまで監視していた運び屋がいなくなっている事に気づき焦るそぶりを見せる。


「……不思議ね」


対照的に夫人は素直に不思議がっていた。

夫人の位置からは元々ユウヒが衛兵に挟まれているのが見えていたのである。

ところが、ユウヒが叫んだかと思うとメイドのもとに瞬間移動したように見えたのだ。


「大声だしてごめんなさい」


謝るユウヒ。

腕を握られたメイドの手にある包みから、白い粉末が机に流れて小さな山を作っている。

状況が分からず呆然としていたメイドはその場にへたり込む。


「運び屋、どういうことだ?」

「お姉さんが薬の水に、この粉をいれようとしてたんだ」


ユウヒはメイドを見ながら領主に説明した。

呆然とへたり込んでいたメイドが、ぐすぐすと泣きだす。

その様子をみて、領主がユウヒに確認する。


「なんでわかった?いや、どうやって止めた?」

「お姉さん、この粉入れようとした時に泣きそうな顔してたから止めたんだ。どうやって、は秘密」

「泣きそうな顔だと?」


嗚咽するメイドを見て怪訝な表情を浮かべる領主。

メイドに問いかけた。


「一体、何を入れようとしたんだ」

「っ、っ、ちょっと気分が悪くなる、薬って、聞いてます」

「そんなものをなぜ」


領主がさらに問い詰めようとしたところでメイドは地面になすりつける勢いで頭を下げた。


「すみません!奥様、旦那様!」

「どうしてこんなことをしたの?」


その様子を見て、夫人は穏やかにメイドに問いかける。


「父の、父の薬がどうしても必要なんです」

「……お前の父親も同じ病気に罹っているのだったな」

「はい。奥様に薬を届ける商人から薬を分けてもらっているのです。今日、薬と一緒にこの粉を渡されて、別の薬を試すことになった場合はこれを入れるように言われました」

「私のための薬を受け取るときに言われたのね」

「誰かに言うか、断れば薬はもう渡さないと。本当に、本当に申し訳ございません」


頭を下げるメイドの様子に、険しい表情の領主はため息をつく。

その様子を見て、夫人は恐る恐る領主に話しかけた。


「この子を許してあげてもらえませんか」

「甘い」


声色厳しく話した領主に、びくっと肩をすくめる夫人とメイド。

領主はその様子を気にすることなく、額に手を当てて呟く。


「私はこんなことになっているのも見えていなかったのだな。つくづく甘いものだ」


引き続き頭を下げつづげているメイドに向き直って領主は告げた。


「私がお前の立場ならそうせざるを得ないだろう。悪いのはお前ではない」

「旦那様」

「ただ、お前に仕向けた奴らを野放しにする事はできん。知っていることを全て話せ」

「わ、わかりました」


ユウヒを監視するために部屋にいた衛兵に別室で聞き取るように命じた。

命令を受けた衛兵はメイドの腕を掴み、連れ出そうとする。

項垂れながらも衛兵についていくメイドに領主が声をかける。


「今日届いた薬はお前の父の分も確保しておく。心配するな」

「!……ありがとうございます、旦那様」


メイドは振り向くと領主に向かって頭を下げ、衛兵と共に部屋から出ていく。

部屋には領主と夫人、ユウヒが残された。


ベッド上の夫人がユウヒに向かって頭を下げる。


「ありがとうございます、運び屋さん。おかげであの子を罪に問わずにすみました」

「うん、よかった。あ。はい、よかったです」

「ふふ、大丈夫よ。あなたは恩人ですもの。楽にしてくださいな」

「ほんと?よかった。はい、これ」


右手に避難させていた薬を溶かした水を夫人に差し出すユウヒ。

夫人は受け取ると領主の方に向かって目線で確認した。


「ああ、飲んでみてくれ」

「わかりました」


言うと、コクコクと水を飲み干した夫人。

領主は恐る恐る問いかける。


「どうだ?体調に変化はないか?」

「焦らないでください。そんなすぐに効果が出るものでもないのですよね?」

「それはそうだが」

「ただ、ちょっとだけスッとしました。しばらくこのお薬で試してみたいです」


心持ち明るくなった表情の夫人を見て領主も顔を緩める。

2人が和やかな雰囲気になったのを見て、満を辞してユウヒが再度踏み込んだ。


「あの、受け取りのサインいただけますか?」

「ああ、そうだったな。サインしよう」


ついにサインしてもらえることになり小さくガッツポーズするユウヒに領主は続けて話す。


「あと、頼みがあるのだが」

「なんでしょう?」


まだサインもらえないのかとガッツポーズのまま固まるユウヒに、軽く手を振る領主。


「そう警戒するな。受け取りのサインと一緒に私からの返事を渡したいのだが、頼めるか」

「運び屋のお仕事ですか?構わないですが」

「送り主から何か返事がある場合はお前に託せ、とあってな。返事を書いてくるから少々待ってくれ」

「わかりました」


ユウヒから受け取った配送完了書を受け取り、領主は執務室に向かって一旦退出した。

その間、残された夫人は恐る恐るユウヒに頼み事をする。


「あの、運び屋さん。よければその鞄から顔を出している兎さんに触らせてもらえないかしら」

「うん、いいですよ。アリス」


ユウヒは頼みに応えて兎を取り出すと、夫人の手の届くところにおいた。


なでなで。

夫人が撫でるのに気持ち良さそうに目を細める兎。


「もふもふでかわいいですわね」

「かわいいでしょ」

「それに、さっき助けてくれたのもこの子よね?アリスというのかしら?」

「あー、そうだけど、秘密だよ」

「秘密ね、わかりましたわ」


顔を見合わせてクスリと笑い合う2人。

そこに返事をしたためサインをした領主が部屋に戻ってきた。


「配達ご苦労。これを送り主に届け返してくれ」

「運び屋兎、お仕事請け負いました」


立ち上がって一礼。

ユウヒは領主から、受け取り完了書と行きとは違う家紋で封がされた箱を受け取った。

背中の鞄に箱を入れていると、領主がユウヒに声をかける。


「それと、また仕事があるかもしれん。その時はよろしく頼む」

「はい、またのご利用お待ちしてますね」


話して、名残惜しそうな夫人の手元から兎を回収。

そのまま部屋を出ようとしたユウヒだが、ふと足を止めて夫人に声をかけた。


「病気に負けないでね」

「頑張りますわ。運び屋さんも兎さんも応援してくれると嬉しいです」

「もちろん」

「私からもよろしく頼む。あと、先方には感謝していたと伝えておいてほしい」

「かしこまりました。では失礼しますね」


今度こそ領主と夫人に一礼。

部屋を出ていくユウヒなのであった。

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