副官の決意/Liellie's decision

ウツユリン

レンジャーチーム、CL

I.

 煌めく大都市・カシーゴの、色鮮やかな夜景をまとった摩天楼たち。

 その頭上、9月の澄み渡る夜空には、鋭利なカギ爪に似た三日月が浮かぶ。

 その下、数百万の人々が住まうこの街に、眠りのときは訪れない。


 ――命を救うことを己の使命とする者にとっては、なおのこと。


「――これがペントハウスかあ。すっご。さっすが、金持ち」


 上空を旋回する飛行救助艇〈ハレーラ〉。そのサイドハッチから半身を乗り出して、ダークブラウンのショートカットを短く一本に束ねた少女――リエリーが、感嘆と羨望の声を漏らす。

 眼下、天を突く摩天楼群のなか、ひときわ目を引く痩身の高層建築物がそびえ立っていた。

 夜闇にそそり立つ四角柱に似たそれは、市内有数の超高級マンション。近代建築を絵に描いたようなガラス張りの外壁から照明のぬくもりがこぼれ、ここに人が住んでいることを高らかに宣言している。


「リエリー、お前がチームを起業したら、このくらいのマンション、余裕で稼ぐんだろ?」

「あったりまえだ、ロカ! アタシは、世界最高のレンジャーになるんだからな!」


 傍らに立つ茶黒い巨躯へ、リエリーは咆えるように言い返して自らのこめかみへと指を当てる。

 幼さの残る顔の、上半分を覆うようなティアドロップのサングラス。その実、眼鏡型情報端末グラシスギアでもあるレンズに、たちまち救助活動に必要な情報群が重なり、リエリーは鳶色の瞳を素早く走らせた。

 必要な情報は、要救助者に関すること。

 なぜターゲットがしまったのか、その手がかりになりそうな小さな情報の断片を、リエリーは率先して探していく。――が。


「なんだよ、それ!?」

 

 珍しくもない素っ頓狂な声を上げ、リエリーは粗雑な手つきでグラシスギアを跳ね上げた。機内昇降口の薄暗い明かりの中で、その目が苛立ちに震えている。


「……プライバシー優先度レベル4――情報提供拒否、か」


 リエリーの傍らで、こちらは四角いギアを覗いていた巨躯の低い声が、リエリーの苛立ちの原因を代わりに口にする。


「どっちがだいじなんだよ! プライバシーなんかより、命のほうがだいじだろ! それで手遅れになったら、元も子もないじゃんか!」

「落ちつけ、リエリー。人にはそれぞれ、事情があるもんだ」


 大ぶりの肉球を備えた手が、リエリーの肩にそっと置かれる。ロカと呼ばれた巨躯――マロカはこういうとき、暴走しがちな娘のクールダウンが役割だ。

 リエリーはまだ14歳になったばかりで、つまり情熱が理性を上回る年頃。威療レンジャーチーム〈CL〉のリーダーであり、リエリーの養父たるマロカには、使命と家族、その両方を守り抜く責務があった。


「事情なんか知るもんか。アタシらは、命を救うために来てんだ。こんな目の前で時間を食ってられっかよ!」


 文字通り、地団駄を踏んで今にも飛びだそうするリエリーを「少し待て」と引き留め、マロカは人耳ジッジに装着された通信機を鋭いカギ爪の先端で器用に突く。


「ルヴリエイト。通信指令センターから続報は届いているか?」

『ないわね。こっちからも問い合わせてるけど、レベル4じゃ、センターも立ち入ったことはしないでしょうね』


 マロカの耳に返る、凛とした人工音声。

 チームのサポートAIにして、自ら“母親もどき”と自称するルヴリエイトの言葉は、半ばため息交じりで、マロカの予想した通りの内容だった。


「……時間がないな」


 出動要請を受け、現場に到着してから約5分。要救助者のをこちらが知る術はないが、経験上、対応が遅れるほどターゲット、ひいては周囲の被害が増していく。

 リエリーと、どちらからともなく視線が交錯し、マロカより早くリエリーが口火を切った。


「ロカ。鼻、貸して」

『エリーちゃん! ロカの嗅覚地図スメルスマップは今朝の現場で使ったばかりなのよ? 連続のユニーカ行使は身体に負担が……』

「ルー。俺なら心配いらない。これが終わったら、君の手作りのベーコンエッグを食わせてくれれば、疲れも吹っ飛ぶ」

『マ、マロカったら、もうっ!』

「はいはい、おノロケはそこまで」


 と、妻子の声が重なり、〈ハレーラ〉の機内に弛緩した空気が満ちる。が、それは日常茶飯事であり、だからといって緊張感が薄れることも、各々の手が止まることもない。

 マロカが狼耳ロッジの付け根に装着されたひたいを囲う銀のリングに爪を当て、システムをアクティベート。ぼうっと、真白い光を放つ円環を頭部に戴いた巨体の膝を折り、叙任される騎士さながらリエリーの前へ頭を垂れる。


「俺は西から回り込む。リエリー、お前は正面からいけ。ターゲットを発見しても、負傷者の位置を特定するまで手を出すなよ?」

「わぁってるって」


 雑な返事は焦りの表れだ。リエリーもまた、ターゲットのを恐れてしきりに腕時計へ目をやっている。本来、焦りは救助活動の妨げになるだけだが、リエリーに限ってそれはないとマロカは胸を張って言えた。

 娘は年齢こそ幼いが、踏んできた場数は数多に上る。かつて名のあるレンジャーだったマロカでさえ、娘の救助活動で発揮される天賦の才には、驚かされっぱなしだ。

 だからマロカはそれ以上、何も言わずにまぶたを閉じて呼吸に集中した。

 緊張からか、少し冷たい小さな手が額に当てられる。


「――いくよ、ロカ」


 ――意識が、“匂い”となって拡散する。

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