第10話 真冬のハネムーン
「フランチェスコは私と同じように依頼主のオチェアーノ氏に雇われただけだから、私も詳しくは分からないわ。ただの警備員なんじゃないかしら? マフィアなんかじゃないことだけは確かよ」
「それならいいが、俺たちの仲間はそのフランチェスコと行動を共にしているようなんだ。
連絡は付けられないのか? そのフランチェスコってやつに」
裕星が真顔で訊くと、可笑しいとばかりに首をかしげながらミケーラが逆に裕星に質問した。
「あなたこそ、そのお仲間に連絡くらいできるでしょ? 皆ケータイは通じるんでしょ? それならなぜ?」
裕星はケータイの着信履歴をみせた。
「とっくにやってるよ。だが、これを見れば分かると思うけど、全部不在着信ばかりだ。メールにも既読が付かないし、向こうからの連絡を待つしかない。これで心配しない方が不自然だろ」
少しイラついた声で答えた。
四人が、消えた仲間の話やこれからの旅程のことを話している内に、列車はいつの間にかヴェネチア、サンタルチア駅に到着しようとしていた。
三人はミケーラの案内で、ホテルまで水上バスで移動した。
このヴェネチアは水の都と言われるだけあって、街は水路が主な交通手段になっている。
ホテルはまたしてもヴェネチアの五つ星ホテルだった。
三人のチェックインを終えると、ミケーラがこちらに近づいてきた。
「これからは自由行動でどうぞ。ディナーはまたこちらからご案内いたします。
それまでホテルの部屋で休まれてもいいし、観光もいいし、ランチもご自由に」
そう言うと、肩をすくめてニコリとした。
光太はニコリともせずにミケーラがエントランスを出るまで軽く睨んでいたが、裕星の方を向くと「あの女、なんだか怪しくないか? 本当に信じられるのか? 結局、あの女について分かってるのは、名前と職業、それに雇い主のことだけで、何の目的なのか、俺たちをどうしようとしてるかも分からない。
美羽さんに対しては多少態度が冷たい気もするが。なあ、裕星、どう思う?」
「――俺は少しあいつを探ってみようかと思う。今はもう無理だが、今度ディナーの時にやって来たら、跡を付けてオチェアーノと接触するかどうか見極めようと思って」
するとその時、美羽がケータイのメールの着信に気付いて開いた。
『皆さま、お疲れ様です。無事にヴェネチアに着きましたね。美羽さんにはわたしが見つけてきてほしいものがある、と日本で手紙を出しておりました。覚えていらっしゃいますか?
しかし、何のことか指示を出されず不安になったことでしょう。
それは最終目的地で見つけられるからです。どうぞそれまではご心配なさらず、ヴェネチアを存分に楽しんでください。
それから、わたしが派遣したミケーラに関して、あまり深入りせずに信じてくだされば大丈夫。
彼女はわたしの知り合いの娘で、最も信頼できる女性の一人です。
彼女は日本人の女性とイタリア人男性の間に生まれたハーフで、頭も良く器量も良い完璧な女性です。
わたしのために皆さまを安全に目的地まで送り届けてくれるはずです。どうぞご安心を。 オチェアーノより』
美羽がメールを裕星に見せると、裕星は益々険しい顔になった。
「素性を言われれば言われるほど謎が残る。メールで済むようなことをなんでわざわざあの女に案内させるのかな……」と腕を組んでいる。
「裕くん……今日はせっかくお昼から時間があるんだから、皆でゆっくり市内観光しない? 光太さんもご一緒にどう?」
美羽に笑顔で言われると、裕星の険しい顔がすぐに雪溶けのように崩れる。
「ああ、それもそうだな。せっかく初めてのヴェネチアだ。美味いもんでも食って、色々見て来よう」と口元がくにゃりと緩んだ。
しかし、光太はまだ固い表情のままだ。
「俺は部屋にいるよ。観光よりも調べたいものがあるからね。
二人はゆっくり行って来たらいいよ。またディナーのときにここで待ってる」
そう言うと、ポケットからカードキーを出してエレベーターホールに消えて行った。
裕星と美羽の二人はサンマルコ広場に向かっていた。ここは観光客でいつも人がいっぱいになっている人気の場所。到着するなり見えてきた巨大な建物、サンマルコ寺院の特徴的な5つのドーム屋根の装飾が見事だった。
この場所は多くのストリートミュージシャンやバンドの生演奏があるため、広場のカフェのテラス席は割高料金になっている。
しかし、せっかくのベネチアの旅で、今まであれだけ贅沢な接待を受けてきた裕星が、ここでケチるのもおかしな話だ。
裕星は、美羽がバンド演奏も景色も楽しめるようにと、テラスのテーブルでランチを取る事にした。
しかし、いくら地中海式気候の温暖なイタリアといえど、1月のヴェネツィアは真冬の寒さだ。
この寒い時期に、美羽が食べたいと言っていたジェラートがコーンの上にどっさり乗っかって出てくると、気温のせいか更に寒々しくみえた。
それでも美羽が鼻の頭にアイスをくっ付けながら美味しそうに食べるのを見て、裕星は微笑ましくなり思わず美羽の鼻に付いたアイスを指ですくって舐めた。
二人はすぐにカフェを飲んで体を温めると、今度はイタリア名物のパスタを頬張り、口の周りがトマト色になった。
裕星と美羽は顔を合わせて二人で大笑いしている。
辺りはカップルや家族連ればかり。
二人が大笑いしている隣りでは大きな音で生バンドがイタリアの名曲「サンタルチア」を演奏している。
美羽は日本から持ってきたウエットティッシュを取り出して、裕星の口の周りを拭いてあげると、自分も鏡を見ながらササッと拭いた。
裕星は平然を装っていたが、まるで美羽が自分の奥さんのような自然な行為をするので、耳の後ろまで真っ赤になって照れていた。その恥ずかしい表情を幸運にも美羽には見られなかったようだ。
こんな優雅なひと時を、サンマルコ寺院の外観や運河を行き交うボートを眺めながら、生演奏に体を揺らしていると、真冬のベネチアも二人には自分たちが今まで経験したこともない
裕星は美羽と一緒にしばしの間、景色と音楽を堪能していたが、美羽があまりにも幸せそうに微笑んでいる姿が天使のように思えて、思わずその細い冷たくなった手を温めるように両手で包んで引き寄せた。
「美羽、良かったな。まるで俺たちハネムーンに来たみたいだな。まあ誰かに振り回される変な旅行だけど、全てが最上級のことばかりだ。
こんな旅行、俺だって計画できなかったかもしれないな。まあマフィアだろうが、暇な金持ちの老人の趣味だろうが、感謝したいくらいだよ」
「――ええ本当にそう。裕くんと一緒にこんな素敵な旅行ができるなんて……夢みたい。
でも……これでいいのかしら? 陸さんや社長さんたちは大丈夫なのかしら?」
さっきまでの美羽の天使の笑顔がまた曇り始めた。
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