「味噌汁が飲みたい」

波色 兎

「味噌汁が飲みたい」

 この私は生粋の日本人。この世界に来て数年が経つ。現代日本社会にて、独り身ではあったが充実した生活を続けていたら女神を名乗るものが突如現れ、そんなにも疲れた顔をして、と勝手に私の事を辛い生活を続けていると勘違いし、この世界に送り込んだ。傍迷惑な話だ、昔から一つのことに集中すると周りが見えなくなる性格が災いして、よく徹夜をしてしまうからこういう顔なだけだ。

 この世界は、いわゆる剣と魔法と冒険の世界。いわゆる異世界から現れるものはごくたまにいるようで、そういう人たちは基本的には冒険者と呼ばれる職業になるようだ。インドア派で漫画やアニメが趣味の私ではあまりに縁のない事柄ばかりで、眩暈がしそうになった。一応、異世界から来る者には魔法の力、いわゆる魔力が多めに宿るらしい。あとは使いこなせるように努力する必要があるようなのだが、その時の私にはマヨネーズの最後の方くらいしかモチベーションがなかったので、宿屋や料理店で日雇いしてもらいなんとか食い繋いでいた。叶う事ならあの女神とやらに一言文句が言いたかった。

 今、私はとある商人に執事として雇ってもらっている。どうやら同郷のようで、たまたま米があったので私のオリジナル料理として出した炒飯に日本を感じたそうだ。炒飯で感じる日本……不思議な感じだ。彼女はかつての日本ではバリバリ働く社長だったそうで、技術的には大きく劣るこの世界でも流通を発展させたそう。私は決して仕事のできるタイプではないので、彼女的には「仕事はあまりしなくていい」との事だった。では何をしているかというと、身の回りの世話だ。彼女は生活の全てを仕事に打ち込むタイプだったらしく、この世界でもメイドを雇っていたようだが、生活文化の違いからよく違和感を感じていたようだ。

 女性の身の回りの世話というのは、いかんせん浮いた話のなかった私にとっては大変ではあったが、大きな屋敷に住み込みで働け、さらに給金も良いとくれば大変に都合が良かった。美人で仕事はできるが、私生活がままならぬ女社長に雇われるなんて、別のアニメが始まりそうだ。

 そんな浮ついた気分で生活をしながら生きていたが、彼女の朝食を揃えている際に、急になにか違和感を感じた。なんだろうと彼女に、世間話程度に問いかけてみると


「お米と焼き魚はあるのに、汁物がないね。」


 と。

 たしかに。まさにその通りだった。やはり、日本人として一汁一菜はしっかりと整えたい。よおし、汁物を用意しよう。となったところで、はたと気づいた。気づいてしまった。


 味噌汁が飲みたい。


 味噌汁だ。思い出した途端急に飲みたくて飲みたくて仕方ない。この世界に味噌はあったろうか、いやない可能性が高い。この世界、いや、この国はあまり湿度も高くなく生活がし易い。しかしそうなると、麹菌があるとは思えない。麹菌がなければ、醤油や味噌が出来ない。なんて事だ、飲めたないとわかればもっと飲みたくなってくるぞ味噌汁。

 麹を使わない作り方も確かあったような気がするが、私は料理人ではない、下手なものを作ったら余計に飲みたくなってしまうだろう。私は非常に落ち込んだが、社長が鋭い一言を放つ。


「魔法でなんとかなんないかな。」


 なるほど、かつての日本にない特別な方法。それならば、私の中のあり得ないを払拭してくれるかもしれない。そうと決まれば行動しよう。私の口はすでに味噌汁になってしまったのだ。しかし、いくら魔法といえど、私の頭の中に存在する調味料を作り出してくれ、などということはできないようで、さまざまな文献を確認してみたが、菌を生み出す魔法などというものもなかった。

 そもそも私の認識としては、大豆と麹と塩を混ぜて発酵させればできるというイメージなのだが合っているのだろうか。根本的なところが間違っていては、魔法だろうとどうしようもないのだ。そういうわけではあったが、やはり思い直し、できる事を始めることにした。まずは社長に頼み、質の良い大豆や塩を揃えてもらった。最近よく売れ始めていたようで、手に入れるのは一苦労だったようだ。ありがたい話だ。そうして材料は手に入ったが、菌を生み出す方法がわからない。そうして一度冒険者ギルドに赴いた。魔法使いにもピンからキリまでいるのだ、もしかしたら菌を生み出せる人がいるかもしれない。ともすれば、味噌を生み出せる人がいるかもしれない。冒険者ギルドの中は私の想定してたよりもかなり雰囲気が良く、綺麗な内装だった。冒険者というのは荒くれが多いと思っていたと、素直に伝えると、受付のかっこいいお兄さんが、あんたおもしろいなと笑ってくれた。しかし、斡旋している魔法使いの中ではそういう事をできる人は見たことがないという。ギルドに所属している人で一番すごい人は時間を停止する人で、何かをゼロから生み出せる人はいないそうだ。


「そうだな、城仕えの魔法使いならもしかしたらできるかもしれない。彼らは魔力が高いからな。」


 ありがたい情報だ。藁でも掴む思いで、私は早速城に向かった。しかし、まぁ当然と言えばそうなのだが文字通り門前払いを喰らってしまった。目的の、菌を生み出す魔法使いに会えるかもしれないと、少し浮かれていたかもしれない。もう昼だ、仕方なく近くの定食屋に立ち寄り、唐揚げ定食を食べる。あぁ、美味しい。やはり米に味噌汁は本当に合う。ちなみに社長にはお弁当を持たせてあるので大丈夫だ。私が菌を生み出す魔法使いを見つけてくるのを心待ちにしているだろう。


「お味はどうでした?」


 店を出ようとする時、女性店員さんが声をかけてくれた。相当美味しそうに食べるから気になったようだ。美味しかったと伝えると嬉しそうに顔を綻ばせた。


「いろいろ大変だったので嬉しいです!」


 聞けば、大豆を急に買い付けた商人がいるらしく、揃えるのが困難になったそうだ。うちの社長も大豆を揃えるのが大変だったと聞くし、大豆を狙う商人がいるのだろうか。

 さて、店を後にした私は、なんとか菌を生み出す魔法使いに会いたいがため、一度社長に相談してみることにした。屋敷内の仕事もあるし、これは仕方のないことだ。そうしたらなんとも運のいいことに、ちょうど国王への謁見が数日後に控えているそうだ。その際にどうにか魔法使いに会えるようにお願いしてもらうことにした。


「まぁ、それくらいなら聞いてみるけど……期待しないでね。」


 社長は本当に優しくて仕事のできるお方だ、国王の側近との手紙のやり取りで、その謁見の後、国一番の魔法使い様とお話しする機会を設けることができたそうだ。

 さて、数日後、王への謁見を終え、私は魔法使い様と話をすることができた。菌を生み出すことは可能かと問うと、どういうつもりでその発言をしているかと聞かれた。どういうつもりも何も菌を生み出してほしいのだと伝えると、何に使うのかと聞かれた。説明が非常に難しかったが、大豆を腐らせると美味しいものが出来上がると伝えると、彼はすこし呆れたように答えた。


「君も、麹菌を生み出せというのか。」


 その通りだった。麹菌を知ってるとは思わなかったと伝えると、まさかの同郷だそうだ。しかし、それもそう、異世界からの人間は魔力が高いのだ。その中でも特に秀でていたそうだが。

 衝撃ではあったが、私にとっては非常に都合のいい展開になった。そのままお願いし、麹を生み出してもらい、それを持ち帰ることとした。これで私は美味しい味噌を作ることができるだろう。大豆を茹で、塩と麹と混ぜて、そのまま熟成。どれだけの時間かかるか忘れたが、それこそ数ヶ月だったろう。しかし、私は閃いてしまった。これも魔法でどうにかなるのでは、と。そうだ、冒険者ギルドには時間を操る魔法使いがいたはずだ。彼に頼んで熟成を加速させれないだろうか。改めて冒険者ギルドに向かうと、受付のお兄さんが、出迎えてくれた。彼に時間の話を伝えると今は仲間と共にダンジョン攻略に出てて、帰ってくるのに数ヶ月かかるらしい。なんということだ、それでは本末転倒ではないか。どうにか早めに会えないだろうかと伝えると、流石にそれは不可能だという。大人しく待つしかないのだろうか、そう思っていると彼から魔導書と呼ばれる魔法の会得方法が書いてある本を渡された。彼曰く、時間を止めたいなら学んでみるといい、らしい。なるほど、私も異世界人の一人、魔力なら多い方だ。時間を操る魔法、会得してみよう。

 そこから私の、時間魔法を会得するための勉強の日々が始まった。社長の世話もしつつ、勉強というのはなかなかにハードではあったが、苦労が報われていくのだろうと考えれば苦はなかった。そうした日々が瞬く間に過ぎていき、数ヶ月後、私は時間魔法を会得することに成功した。私は成し遂げたのだ。社長も「ボディガードとしても使えそうだね。」と喜んでくれた。ちょうど帰ってきていた時間魔法の魔法使いに見てもらい、太鼓判ももらうことができた。よしこれで私は熟成の時間を早めることが……。

 しまった。この数ヶ月忘れていた。こうなったら熟成は済んでいるのではないか。慌てて味噌を確認してみると、少し早熟だが、うまくできている。時間魔法は要らなかったのだ。その事を社長に伝えると、大笑いしていた。


「キミ、なんで最近頑張っているのかなと思ったらそんな事だったか。そもそもなんで味噌が作りたいんだい。」


 そう言われて、すこし腹が立って私は「味噌汁が飲みたい」と伝えると、さらに大笑いされた。いくら社長とはいえ非常に不愉快だ。私の努力を一切わかってくれていない。


「キミねぇ、味噌汁だなんて、今では近くの定食屋で……。」


 聞く耳持たず、私は部屋を出た。社長ならこの気持ちをわかってくれると思ったのに。自分の部屋に入り、灯りもつけずに、ベットに倒れ込む。

 この異世界にきて、日本の時ではあれだけ身近だった味噌汁が一切飲めない。そんな寂しさが日本人ならあると思ったのに。私はベットに沈み、悔しくて泣いた。あぁ、味噌汁。思い出すとまた飲みたくて飲みたくて仕方ない。思い出されるのは一番最近飲んだ、からあげ定食の味噌汁だ。あれはホッとする味で美味しかった。確かあれは数ヶ月前……。


 数ヶ月前だって?


 私はすぐに跳ね起きた。

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