第59話 法と猫と掲示板
とはいえ、俺達も別にずっと毛生え薬にばかり関わっていたわけでもない。
おまじない業務の立ち上げと並行して、宇宙技術商品を扱うための準備も行っていた。
会社の地下に宇宙の生産施設を入れるための事前工事の擦り合せや立ち会い、情報保持のためのセキュリティ面の更新。
そして一番大切な、生産して公開する宇宙製品の選定。
もちろん一般社員に任せられる仕事は任せるが、そもそも役職者以外立ち入り禁止の場所を作るという計画のため、一般社員にはタッチできない事だらけ。
となると、間違いなく一番暇な役職者である俺が全面的に動く事になり……
毎日毎日とにかくやる事が多く、一番忙しい時期なんか家にも帰れず会社に泊まり込みの日々。
お飾り社長の俺の手がフル回転どころか、なんなら猫の手を借りた上で犬の手まで借りたい状況で……
単純な力仕事やお使い、テスト作業なんかはシエラにまで手伝ってもらう始末だった。
きっと大学が春休みに入っていなければ、まず間違いなく単位を落としていただろう。
そんな大変な目に合って、ようやく完全に生産施設を部屋に据え付けられたのは、毛生え薬のおまじないサービスが始まってから一ヶ月ほど後の事になった。
「いやー、大変だった……」
魔石や素材を使ってものを作る、サードアイ作りですっかりお馴染みになった宇宙の全自動製造機械。
その表面を手で撫でながら、俺は万感の思いを込めてそう呟く。
しかし、そんな俺の隣でプチシュークリームをパクついているマーズは、なんとも言えない不満そうな顔でこちらを見ていた。
「ていうかさぁ……途中から本気で虚しかったんだけど」
「え?」
「最初からこんな部屋作らずに、毛生え薬全振りでよかったよね」
「マーズ……それは言いっこなしだよ」
そう、毛生え薬だ。
あのサービスの評判が、今とんでもない事になっているのだ。
きっかけはいつもの動画サイト……ではなく、インターネットの掲示板だったらしい。
『久々に会った冒険者のオッサンがフサフサになってたんだが……』
というスレッドが立ち、その二レス目に『川島じゃね?』というレスがついていたそうだ。
まぁ、いくら毛が生えた当事者を契約で縛っていても、わかる人には当然わかる。
特にうちの会社は悪い意味で名前が売れまくっていた事もあり、スレはそこそこ耳目を集めたそうだ。
『おまじない』
『何がおまじないなんですかねぇ』
そんなレスばかりのスレがまとめサイトにまとめられ、そこで認知を得たせいだろうか……
あのおまじないに申し込んでくる人が激増したのだ。
「会社的には全然ありがたいし、目的にも沿ってたんだけどさぁ……さすがに一気に予約が来すぎたよね……」
「俺がここんとこ忙しかったのも、間違いなく薬塗り作業のせいだしね……」
そして受けた人の数が増えれば、そこから噂は更に広がるもの。
俺は飯田さんが調整をしておまじないの方に人を回してくれるまで、まるで何かのサロンの店員のように、朝昼二回登板で毎日毎日人の頭に薬を塗り続ける事になった。
今でこそ増員のおかげでこうしてのんびりしていられるが、それでもまだまだ社員が病欠などで来れなくなると呼び出される立場だ。
「結構勇気がいるポイント数にしたつもりだったんだけどね」
「いやそれは俺も本当に後悔してる。間違いなく安かったよ、もう三ヶ月先まで予約でいっぱいだもん」
「世間ももう川島を軍事企業だとかどうとか言ってないよね、完全に育毛技術の会社扱いでさ……」
「いや、ほんとにね……姫もびっくりしてたもんね」
「ポイントの売買ぐらいはあるかもって言ってたけど、まさか川島ポイントの斡旋業者まで出るとは思わなかったしね」
「あれ、本当に肝が冷えたよね。姫が即規約いじって禁止にしてたけど」
「民間人をツアーみたいな感じでダンジョンに連れてってさぁ……連れてく方も連れてく方だけど、付いてく方も付いてく方だよね。命が惜しくないのかなぁ」
「まぁ人それぞれに事情はあるんじゃない……」
要するに、俺達は需要を読み誤ったのだ。
姫やマーズといった宇宙人たちの感覚では、髪の毛なんていくらでも自由に変えられる服のようなもの。
そして地球人ではあるがまだまだ小僧の俺にとっては、髪の毛なんて生えてて当たり前のものだった。
なんなら、自分が将来ハゲたらいっそスキンヘッドにするかなんて、気軽に考えていたぐらいだ。
だが、そんな事は所詮失った事のない者の戯言だと……
おまじない中に冒険者のおじさんに説教をされて、俺もようやくなんとなく理解できた。
人の見た目に関する事というのは、たとえ外からは問題がないように見えていたとしても……
それが自由にならない当人にとっては、どれだけの金や労力を支払っても全く惜しくはない、そういう分野の事だったのだ。
「まぁ、元々いろいろ売ってイメージを変えようって話だったから、これでいいのかもしれないけど。結局あの毛生え薬も、別にうちの地元の物じゃないから釈然としないとこはあるね」
「マーズたちの地元にも、ああいう毛生え薬みたいなのはあるんだっけ?」
「肉体改造なんてとっくの昔に研究終わってる分野だから、ほんとに色々あるよ。
「あっ、歯生え薬っていいなぁ。ま、あんまりやりすぎると普通に目つけられてヤバそうだけど」
「逆に僕からしたら虫歯ってマジでなる人いるんだって感じだよ」
なんて会話を、俺達がしていた翌々日。
俺達はとっくに国に目をつけられていたという事を、久々に会った防衛装備庁の佐原さんに告げられたのだった。
「困りますよ川島さん。ああいうのがあるんなら、先に言っておいてくれないと」
俺があんまりいないから、すっかり来客スペースや社員の休憩室として活用されている社長室。
そこに置かれた無闇に豪華なレンタル家具のソファに座った佐原さんは、そんな事を言いながらフサフサに見える頭のつむじあたりをポリポリと搔いた。
「ああいうのって言われてもなぁ」
「世間を騒がしてるアレですよ、アレ。うちも厚生労働省から、何も聞いてないよなんて突っつかれてるんですから」
「何の事かはわかんないけど、販売用途じゃない塗り薬は
異世界特別法というのはダンジョンできた当初、異世界の人間や魔物がどんどんやって来る混沌とした状況で緊急避難のように作られた法律だ。
これはどうやったって見張れない場所から出入りする物品を、国が最低限のレベルでコントロールしようとして成立したもので……
簡単に言えば異世界人が持って来た未知の動植物、薬などはとりあえず一回国に登録してもらい、その後問題があれば違法にするという、なんともおおらかな法律だった。
「対象外ではなく、任意対象なんですよ。まぁそうつっぱらないでください、悪い話じゃないんですよ」
「悪くはないけど、面倒くさい話なんでしょ?」
「とんでもない、面倒を避けるための話ですよ。何も咎め立てしようって事ではなくて、これはわが国から川島さんへのラブコールだとでも思っていただければ……大きな声じゃ言えませんがね、永田町の先生方にも興味があるっていう方が沢山いらっしゃるんです」
佐原さんはそう言って、顔の前で小さく手を合わせた。
「どうですかね? 魚心あれば水心って事にはなりませんか? 技術開示……とまでは言いませんから、こちらに枠を作ってもらうというわけにはいきませんでしょうか? みんながみんな髪が薄いからって冒険者になるわけにはいきませんでしょう?」
「じゃあ、そっちの魚心ってのは何なわけ?」
「とりあえずは、厚生労働省への口利きでいかがでしょう? もちろん今回の薬も問題なく許可が通るとは思いますが……
まぁ、実際あると思うけどね。
マーズはちょっと迷った風に頬を肉球で擦り、小さく頷いた。
「いいよ。でもさぁ、これってそんなに大事? 髪の毛なんて別に生えてなくたっていいと思うけどなぁ……」
佐原さんはそう言うマーズの前で大げさに手を横に振ってはぁーっとため息をつき、きっぱりとこう言った。
「お国元ではどうか知りませんが、こと地球においては……髪の毛は宇宙より重いのです」
「そんなに?」
マーズが尋ねると、彼は苦々しげな顔で小さく頷いた。
「宇宙に出られれば、それはもちろん利益は大きいでしょう。当然利益ずくではなく、学術的価値も、浪漫をお求めになる方もいらっしゃいます……ですが、そんな物は所詮絵に描いた餅。実際に髪が生えるという現世利益には、太刀打ちもできようはずもない、という事です」
「まぁ、そっちがこちらの技術を高く買ってくれてるってのはわかったんだけどさ。うちとしてはそれは本分じゃないわけ」
「当然わかっておりますとも。こちらも宇宙の件を掣肘するつもりは毛頭ございません。ですが、どうでしょう? この件、宇宙開発の副産物という事にできましたらば、近ごろの向かい風も少しは和らぐかと思うのですが……?」
「つまり、そうしたら諸々の露払いはそっちでやってくれると考えていいわけ?」
「さて、世論は単純ではありませんので、そこは何とも。しかし、単純に御社の社会的重要度が上がる事で、勝手に無くなる露というのもあるとご承知いただければ……常に若さと清潔感を求められる立場にいる方は、意外と多いものですから」
相変わらずこちらを煙に巻くような話し方でよくわからない話をして、佐原さんは帰っていった。
とはいえ、
うちのブレインたる姫も、なかなかいい話だと喜んでいたぐらいだ。
という事で、彼に繋いでもらった厚生労働省のコネで、我々はさっそく毛生え薬を異特法申請した。
もちろん申請したのは入手性に難のある異世界産のものではなく、宇宙技術が由来のそれっぽい見た目の薬だ。
ついでに、それに加えて歯生え薬の承認の打診をしてみたわけだが……
そのせいで佐原さんは一週間と間を開けず、歯生え薬についての質問をするために、またぞろうちの会社へとやって来る事になるのだった。
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