第52話 事件と犬と大盛況

そんなこんなでほうぼうを駆け回り、ようやく川島ポイントアプリが浸透し、買い取りシステムが少しずつ回りだした頃。


川島家の中でも、一つ大きな事件があった。


それは季節が秋から冬に変わろうという時の頃、満月の晩の事だった。



「うどん上がるよー、ざる取ってー」


「シエラが取るぞっ」


「あれ? トンボは?」


「うんち」



そんな会話を聞きながら用を足していた俺は、事を終えてから何の気なしにトイレの扉を開いた。


そしてトイレから首を出したところで……


流しの上に設置された棚に背伸びをしながら手を伸ばす、白い髪の女の子・・・の背中を見たのだった。



「あれっ?」



俺は一度トイレの扉を閉め、もう一度開けた。


もう一度首を出すと、そこには姫にざるを差し出す毛むくじゃらのシエラがいた。



「俺、なんか……疲れてんのかな?」



そんな事をぼやきながら居間に戻ると、長い髪を三つ編みにした姫がざるにうどんをあげながら心配そうにこちらを向く。



「どったの、トンボ」


「いや、なんか一瞬シエラが人間の女の子に見えた気がして……」


「なにそれ」


「いやー、なんだろうね……」



こんな事言わなくても良かったかなと思いながら頭を掻いていると、部屋着のスウェットの腋の部分をちょいちょいと引かれた。



「トンボ」


「え? 何シエラ?」


「それ、これか?」



ガッチャンと、鍋がシンクに落ちる音がした。


俺だって、きっと何かを手に持っていたら落としていただろう。


なぜならば、俺の服を引っ張ったシエラが……白髪の、人間の女の子の姿になってたからだ。



「……おわーっ!!」


「あんた……シエラ? っつーか服服! 服着なきゃ!」


「えっ!? トンボそれ誰!?」


「トンボ、どうした?」



そしてその女の子は、バッチリ全裸だったのだ……。






ひとしきり騒いだ後、俺達はこたつに集合していた。


シエラらしき女の子には、とりあえず姫のジャージが着せられている。


小学生ぐらいの体躯であどけない顔つきの女の子は、ダボッとしたジャージの裾をたぐって手を出そうとしているようだ。



「君は……シエラでいいのかな?」


「そうだぞ」


「シエラあんた、なんでいきなり人間になっちゃったわけ?」


「もしかして満月だから? 狼男だったとか?」


「それならさぁ、狼から女になってるわけだから女狼って事になるんじゃない?」



そんなどうでもいいような事を三人で話していると、ジャージの裾から手を出したシエラは満足そうに目を細めた。



「シエラたちは潜入工作用に作られたから、潜入先に応じて変形トランスフォームできるようになってるんだぞ」


「えっ、変形? じゃあそれ以外の姿にもなれるの?」


「んーん、ヴォラムとカドルだけ」


「ヴォラムとカドルって……今の姿はどっち?」


「カドル」



シエラはそう言って、まるで魔法のように毛むくじゃらの身体に戻った。



「こっちがヴォラム」


「シエラあんた、どっちが本体なわけ?」


「本体って何?」



姫のジャージを着た真っ白なコボルトのシエラは、こてんと首を傾げた。


いつでも変われるから、どっちが本体とかはないって事なのかな?



「シエラはどっちの身体の方が好き?」


「こっちー」



いつもの細目でそういう彼女に、俺はなんだか安心していた。


俺の中では、シエラは完全に白いコボルトのシエラだったからだ。



「ていうか潜入工作用ってさ、錬金術師のイーサンとリーヤーは、一体シエラたちに何をさせようとしてたわけ?」



マーズがそう聞くが、シエラは舌を出して首を傾げるだけだ。



「知らなーい、そういう事は刷り込まれてない」


「逆に何を刷り込まれてるんだろ?」


「地理とか、言葉とか、武器の使い方とか、道具の使い方とか……あとねー……命令オーダー



シエラは顎の下を掻きながら、俺の方を見た。



「命令って?」


「シエラ呼び出した人、守る」



まるで一番強い刷り込みだと言わんばかりに、満足げにそう言って、シエラはムフーと鼻を鳴らした。



「結局、そこら辺に関しては何もわからないままか……」


「まぁでも、意外と好戦的な作りだったって事はわかったわ。とりあえずシエラ、あんた人間になる時は服着なさい。服は買ってあげるから」


「いらない」


「いやいやいや、服は着てくれなきゃ困るよ」


「そうそう、トンボが逮捕されちゃうよ」


「逮捕、困るな」



逮捕されると困るのはわかるのか。


まぁ、外で人間にならなきゃ服もいらないかもしれないな。



「とりあえずさ、外でいきなり変身とかしないでよ、お願いだから」


「寒いから、カドルならない」


「あったかくなっても変身ナシでお願いします」



俺はシエラに、深々と頭を下げたのだった。


よく考えれば、裸じゃなくたって大学生が子どもを連れ回してる時点でたいがいアウトなのだ。


彼女が気まぐれで変身をすれば、それすなわち俺の身の終わりだった。


結局俺に「約束したら美味しいものを食べさせてあげる」と言われたシエラは……


生まれて始めての宅配ピザを口いっぱいに頬張り、口の周りを真っ赤にしながら二つ返事で約束を交わしたのだった。






そんなシエラの戸籍を変獣人ライカンスロープとして取り直したりしているうちに、過ごしやすかった秋は終わり、冷たい風が身体を苛む冬がやってきた。


姫の見立てで買ってもらった、かっこいいけどちょい薄いコートの裾を押さえて震える俺を他所に、毛皮のあるマーズとシエラは寒い寒いと言いつつ割と平気なようだ。


もちろん、寒くてつらいというばかりじゃあない。


秋からこっち、自分の誕生日を忘れるぐらいに忙しく走り回っていた甲斐があってか、ドローン関係のシステムは無事に動き始めているらしい。


とはいえ配達の方は結構利用されているようだが、買い取りの依頼はまだまだ。


まぁ配達ドローンで便利さが広まればポイントの価値も上がり、買い取り依頼も増えていくはずだ。


と、そんな感じで宇宙開拓事業が一段落ついたところで、俺達はようやくあちらの方にも手をつけだした。


そう、リーヤーの薬だ。



「トンボ、捕まえた」


「おお、ありがとう! したら剃刀で毛を剃ってと……」



東京第三ダンジョンの中、始めてやって来た大広場Aベースの先で、俺はシエラが捕まえてきた兎ぐらいデカい鼠の魔物の毛を剃っていた。


理由は単純、毛生え薬の効果を試すためだ。


他にも色々薬は交換されて来ているが、多分一番効果がわかりやすいのが毛生え薬だった。



「えーっと、取り扱い説明書によると、塗って使うんだっけ。伸ばすなら効果はすぐで、生やすなら日を改めて何度も塗る……と」



この取扱説明書は、錬金術師のリーヤー直筆のものだ。


要は姫が実家の能力者に対してやったのと同じ事をやったわけだ。


シエラに手紙を書いてもらい、俺はそれをコピーしてりんごに貼り付けまくった。


いつだって、こういうアナログなやり方は効果抜群。


リーヤーからの返事は、数日のうちにやって来た。


俺達はそのやり取りの中で、りんごが大好きな彼にシードルを交換に出すのと引き換えに、薬の説明書を手に入れたのだった。


とはいえ他の事は聞いても答えてくれず、異世界の謎は結構残ったままなのだが……。



「まずは育毛部分の検証だね……」


「はいスポイト」


「ありがと、とりあえず背中にちょんちょんと……」



まずは鼠の背中に薬液を垂らして、しばらく待つ。



「効果あるかな」


「あってもなくても今のとこ捌く先はないわけでしょ? あんま意味ないと思うんだよなぁ」



あんまり乗り気じゃないマーズはそう言うが、俺は結構この異世界ポーション類の効果に興味がある。


単純にゲームのアイテムっぽくてワクワクするからだけど。



「まぁ効果あったら説明書付きで宇宙に流せばいいって、姫も言ってたじゃん」


「まぁねぇ。うちの銀河の方の交換も、同じようなものとか、うちじゃ扱えないような物がグルグル回るだけになっちゃったからなぁ。やっぱり交換する商品に指向性を持たせられないと、それだけでどうこうってのは難しいよね」



マーズの言う通り、運任せの交換ではなかなか当たりはこないものだ。


というか大体のものは姫が作ってくれるようになったから、当たりのハードルが上がってしまったのかもしれない。


最初の頃は清潔ボールひとつ手に入れただけで大騒ぎしてたのにな。



「あれ、これもう毛伸びてない?」



マーズに言われて鼠の背中を見るが、毛が生えているようにも、濡れて色が変わっているようにも見える。



「伸びてるかなぁ?」


「拭ってみたらわかるんじゃない?」



ジャンクヤードから取り出したキッチンペーパーで毛生え薬を拭ってみると、なるほどたしかにうっすらと毛が伸びているようだった。



「おおっ! 成功! これって凄いんじゃない?」


「たしかに凄いけどさぁ、これぐらいの増毛剤なら地球でもあるんじゃない?」


「ないない」



魔物の素材を使っての製薬はそこそこ研究が進んでるらしいけど、こんなに効果がある育毛剤ってのは聞いた事がない。


ちょっと気にしてたうちの親父にも送ってやりたいぐらいだ。



「一応、生えてないとこにも塗ってみる?」


「まぁせっかくこうやって調査に来たわけだしね」



俺はシエラの足の下でじたばたと暴れる鼠の、毛の薄い手先にも薬を塗りたくった。



「えーっとトンボ、あと何の薬があるんだっけ?」


「えーっとね、精力剤と虫歯薬と……」


補魔剤マナポーション


「ああ、そうそう……どうも毛生え薬以外は試すのも難しいものばっかりだなぁ……」


「たしかに、鼠に虫歯はなさそうだし、精力にも困っちゃなさそうだね。補魔剤は説明書読んだ上でも意味わからなさすぎて危なくて使えないし……」



シエラの足に踏んづけられたままもぞもぞと動く鼠を見ながらそんな話をしていると、ダンジョンの入口側から何かがやってくるのに気づいた。



「誰か来る?」


「いや、うちのあれ・・じゃない?」


「あ、なるほど」



と、俺がそう言うが早いか、それは姿を表した。


LEDをビカビカ光らせ……甲高いプロペラ音を響かせたそれは、マーズの言う通り川島うちのドローンたちだった。


三台連なって天井付近を飛んでいくその機械は、腹の下のカーゴに誰かの注文品を乗せているようだ。


彼らはまるで天井にレールでもついているかのように危なげなくカーブを曲がり、あっという間にダンジョンの奥へと消えていった。



「実際に注文運んでるとこ始めて見たなぁ、あれはもう姫が操縦してるんじゃないんだっけ?」


「基本は自動運転って言ってたね」


「変な鳥」



まぁシエラから見れば変な鳥だろう。


ちなみに三台連なって飛んでいるのは、どれか一台が飛行不能になった時に回収するためらしい。


壊れたドローンをダンジョンに置き去りにするのは問題だし、盗難の恐れだってある。


宇宙産の材料を使っているわけではないが、どこかでコピー品を作られて嬉しいというわけでもないのだ。



「シエラ、さっきのやつはドローンっていうんだよ」


「ドローン鳥?」


「鳥じゃなくて機械だよ、ゴーレムみたいなものかな」


「あいつら、疑似生命? でも、魔力ない」


「いや、ごめん……俺の例えが悪かった」



ほんとにゴーレムが存在する世界の人に、ゲームの知識で喋っちゃ駄目だよな。



「とにかくあれは、生き物じゃなくて……どっちかというと、シエラも乗ったことがある車とか電車に近いんだ」


「じゃあ、乗れる?」


「いやあれは小さいから、荷物を乗せて運んでるんだよ」


「ふーん」



そんなわかったようなわかっていないような返事をしたシエラの足元に目をやると、暴れ疲れたのか鼠の魔物はぐったりとしているようだ。



「そろそろ大人しくなったしさ、籠に入れてゆっくりしようよ」


「そうだね。シエラ、これに入れて」


「わかった」



俺がジャンクヤードから出した鉄の籠にシエラが鼠を入れ、キャンプ用の流し台を出して皆で手を洗う。


冒険者の人はあんまり気にしてないけど、魔物といえどぶっちゃけ鼠だからな、触ったら手を洗ったほうがいいだろう。



「なんか食べる人」


「僕ミカン」


「甘いパン!」



俺達はダンジョンの脇道へと逸れ、普段から店を出す時に使っている絨毯を敷き、その上に座り込んでのんびりとする。


ジャンクヤードから出したヤカンから、ティーパックを入れた紙コップに湯を注いでいると、さっき飛んでいったドローンが戻ってきて入口の方へと消えていった。



「おー、やってるねー」


「ああして見るとやっぱりドローンって早いよね」



そして二杯目のお茶を飲む頃には、また別のドローンが荷物を乗せて飛んで行く。


どうやら今日のダンジョンにはなかなか利用者がいるようだ。


と思っていたら、今行ったドローンが戻ってこないうちにまた別のドローンが飛んで行った。



「なんか、大盛況じゃない?」


「そうだねぇ」



その後も何度もドローンは行き来し、なんだかちょっと心配になりながらも、俺達は夕飯前に家路へとついた。


ちなみに数時間毛生え薬の重ね塗りをしてはみたが、鼠の手に毛は生えず……


それ以上の検証をやってもいられない俺達は、とりあえず「育毛の効果は有り」としてそれをジャンクヤードへ流したのだった。





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最初の投稿から3日後にちょっと改稿してます。シエラが変獣人ライカンスロープとして戸籍を更新するくだりを追加しました。

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