【24年9月10日 第2巻発売】わらしべ長者と猫と姫 ~宇宙と地球の交易スキルで成り上がり!? 社長! 英雄? ……宇宙海賊!?~

岸若まみず

第1話 ミカンと猫と宇宙海賊

24年1月16日より、Ver.1を削除してVer.2への更新を行っております。

2月9日に発売される書籍版第01巻の続きはVer.2準拠で更新していきます。

書籍には書き下ろしが沢山載っておりますので、どうかよろしくお願い致します。






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アイテムボックスという物を知っているだろうか。


かつて創作の世界にしかなかったもの。


世界中に出現した異世界に繋がる洞窟、いわゆるダンジョン……


そこからスキルオーブが発掘されるようになった今でも、一般庶民にはとうてい手の届かない、夢のようなもの。


アイテムボックスというのは、何でもかんでも入れておける便利な倉庫の事だ。


剣でも銃でも住民票でも、そこに入れておけばいつでもどこでも取り出せる。


雨が降れば傘を取り出し、喉が渇けば水を取り出し、終電逃せば自転車を取り出す。


「あったら便利だなぁ」と誰もが夢見る、超絶便利な神スキルの一つ。


そんなアイテムボックスが、ある日突然俺の頭の中にできた。


といっても、頭に穴が空いて物が入るようになったってわけじゃあない。


思考の片隅に、方眼紙型のゲームのアイテム画面のようなものが浮かんで見えるようになったのだ。


まるでロッカーか靴箱のように四角い枠がずらっと並んでいて、そこに物を入れておけるようになったってわけだ。


俺以外の誰にも見えないその四角い枠には、一マスにつき一種類のものを入れておく事ができた。


バラバラの文房具や雑多な種類のゴミなんかでも、筆箱やゴミ袋に入れておけばそれは不思議と一マスに収まるようだった。



「しゃいませ~」


「揚げ鳥クンレッドください」


「揚げ鳥レッドひとつ~」



便利なものは使いたい、でも何も知らずに使うのはちょっと怖い、というわけで。


俺はアイテムボックスの実験のために朝のコンビニでお茶とおにぎりと唐揚げを買い、全くやる気のない耳のとんがったバイトのエルフお姉さんから袋を受け取った。


そしてそれをそのままアイテムボックスに入れておき、昼に大学のベンチで取り出してみる。


うん、まるで今買ったばかりのようにホカホカだ。


どうやら、俺に宿ったこの力は入れた物の時間を止めてしまう、時間停止系のアイテムボックスらしい。


その後も目につく物を手当たり次第に収納してみたり、子供のように網を振り回して捕まえた虫を捕まえて収納しようとしてみたり、いろんな事を試した。


結果、この力が世に言うアイテムボックススキルと全く同じものだという事がわかった。


つまり、体のどこかに触れたものを意識して収納でき、生物は中に入れられないというものだ。


こんな力がなぜ俺にあるのかはわからないが、あるものはあるのだから仕方がない。


誰に迷惑かけたわけじゃなし、返納する先があるでもなし。


俺は降って湧いた幸運にポンと身を任せ、毎日手ぶらで外に出られる最高の暮らしを始めたのだった。






そんなアイテムボックスに異変が起きたのは、使い始めて三ヶ月ほど経った冬の日の事だ。


骨まで凍える大寒波が来ているこの日も、俺はピザ屋のバイトを休まずこなし、帰ってきた暖房のない部屋で廃棄のピザを食べながらテレビを見ていた。



『じゃあ神戸山さんはたまたま芽生えた治療ヒーリングのスキルで今の会社を?』


『そうですね。元々いつかは自分のビジネスをと思っていたので、チャンスだと思ってすぐに大学を辞めて事業を立ち上げました。幸い四谷のダンジョン近くに一号店を構えられたので、冒険者の方が来てくださって無事に軌道に乗せる事ができまして』


「いいよなぁ……」



花の東京暮らしで同じスキル持ちでも、俺とは大違いだ。


実家を離れ、一人暮らしで都内の大学に通っていると言えば聞こえはいいが。


実際は金なし夢なし女なしの三拍子揃った悲しい暮らしだ。


親からの仕送りもあるにはあるが、不景気続きで物価の高騰も激しく、どう暮らしてもカツカツでバイトを休む余裕なんかない。


ついでに言えば、通っている大学でもあんまり上手く行っていない。


友達も数えるほどしかいないし、たいして遊び回っているわけでもないのに単位もそこそこ。


いよいよもって何をしに東京に来たのかわからないが、今更大学を辞めて地元に帰る気にもなれなかった。


自分の中に生まれたアイテムボックスのスキルで稼ごうかと考えた事もあったが、結局大学生の身でやれる事なんかそうそう見つからない。



「俺も治療とか占いとかの、すぐ稼げるスキルだったら良かったかな」



だいたいアイテムボックスというのは俺の中に物を保管するスキルなのだから、俺自身に信用がないと商売にならないのだ。


アイテムボックスを活用したいと思う企業の人だって、さすがに何の後ろ盾もない貧乏学生に商品を預けるような事はしないだろう。


かといって季節のものや限定品を保管しておいて高値で売ろうかと思っても、種銭もないしそういう知識にもいまいち疎い。


結局手持ちの少ない金を損するのが怖くて、ズルズルと現状維持のままここまで来てしまっていた。


一応スキル持ちを対象にしたバイトの求人なんかも見つけたのだが。


世界にダンジョンが沢山できてからの大不況のせいだろうか……


あるのはフルタイムの求人か、ピザ屋と大して時給が変わらないようなものばかり。


それならば、なんとなく性に合っている今のピザ宅配バイトを続けた方がいくらか楽というものだ。



「なんだかなぁ……」



どうにも先の見通しが立たない人生から目を背け、なんとなくゲームの電源を入れたらあっという間に午前二時。


遊んでいたテレビゲームをメニュー画面で止め、ちょっと一服しようとアイテムボックスからミカンとお茶を取り出そうとした……その時、俺は自分の人生を揺るがすような大変事が、音もなく始まっていた事を知ったのだった。



「あれ? ミカンが箱ごとなくなってる」



腐らないようにアイテムボックスに入れていた、実家から貰った箱入りミカン。


それがどこにも見当たらなかったのだ。


その代わりにアイテムボックスに入っていたのは、まるっきり入れた覚えのない、オレンジ色の缶ジュースだった。


冬に外を走り回るバイトをやっているのだ、常から熱々の缶コーヒーぐらいは二、三本入れてある。


だが見るからに炭酸飲料っぽい色合いのこの缶ジュースは、買った覚えどころか見た覚えもないものだった。


アイテムボックスから取り出してみると、何語かもわからない文字が表面に書かれたオレンジの缶はずっしりと重く、不思議な事に表にも裏にもプルタブが見当たらない。



「マジでなんだろこれ、ジュースじゃなくて缶詰?」



表面に書かれた謎の文字をスマホで翻訳してみようと思い、それを机にトンと置いた瞬間……カシュッと軽い音がした。


置いたはずみで缶ジュースの栓が抜けたのかと思ったがそうではなかった、それは変形していたのだ。


缶ジュースの腹の部分からは水色のピストルグリップが飛び出し、飲み口に当たる部分からは同じく水色の銃口が飛び出していた。



「え? おもちゃ……?」



俺は銃の形に変形した缶ジュースのグリップを掴んで、なんとなく壁へと向けた。


以前インターネットの動画サイトで、ちょうどこういう色合いの銃のおもちゃを見た事があった。


たしか、吸盤付きの弾が飛び出すんだよな?


そう思いながら、興味本位で引き金を引いた。



『ヴンッ!』



モーターが回るような音と共に、銃が一瞬だけ振動した。



「なんだ、音が出るだけか……」



俺は安心して、おもちゃの銃を机の上に転がした。


いろんな物を片っ端からアイテムボックスに放り込んでいるうちに混ざり込んだんだろうか。


机に肘をついて記憶を遡っていると、ふと壁に目が行った。



「あれ? あんなとこシミあったっけ?」



なんだかアイボリー色の壁紙の一点が、黒くなっているような気がした。銃から弾が出たような感じはしなかったのだが、気づかなかっただけで何か飛んでいたのだろうか。



「やべ~……もしかして弾めりこんだ?」



慌ててコタツから立ち上がって壁を見に向かうが、弾はどこにも見当たらなかった。


そう……弾はなかったのだ、弾は。


俺がこわごわと這いつくばり、壁紙にできた黒いシミに顔を近づけると……


壁にぽっかりと開いた二センチほどの穴からは、キラキラと瞬く外の星空が覗いていた。



「え!? 穴開いてる!? 今ので!?」



なんだか怖くなってしまった俺は、すぐに缶ジュース銃をアイテムボックスにしまって布団の中で震えていた。


こんな銃を手に入れた覚えなんかもちろんない。


だとすれば、これはどこから俺のアイテムボックスにやって来たのだろうか?


なくなったミカンの代わりに誰かが入れた?


だとすれば、一体誰が……?



「これ、やばいんじゃないの……」



前にネットで調べた時、アイテムボックスというのは本人以外誰も触れない空間だと書かれていた。


それが正しいのだとすれば、もしかしたら俺のアイテムボックスは誰かに中を覗かれているんじゃないか。


そう思い始めた俺は眠る事もできないまま、アイテムボックス(仮)の画面を弄り続けていた。



「おっ!」



布団の暗闇の中でもくっきりと見えるアイテム欄で、物をいろいろ移動させて整理をしていた時、唐突に画面に変化が起こった。枠の中のアイテム画像の隣に説明文が浮かび上がったのだ。


スーパーで買ったお茶の隣には『カントリー ブレンド玄米茶』という文章が表示されていた。そしてそのお茶から意識を外すと、説明文はフッと消えた。



「いつ買ったお茶だったっけ? と考えながら見てたら出たんだよな」



うんうん唸っていると、今度は菓子パンの隣に『カワザキ マヨタマソーセージ』と文章が出た。


どうやらアイテムボックスの物の情報を知りたいと意識して凝視すると、説明が出るようだ。


同じ要領でさっきの缶ジュース銃を凝視すると、その隣には『パラス 分子置換波射出装置』という情報が表示された。



「射出装置……? 銃じゃないの? もっと情報は……」



詳細情報が折りたたまれていたりしないのかと頭の中で画面を弄くり回すと、説明文の下からボタンがポップアップしてきた。



「KEEP? なんでここだけ英語なんだ?」



KEEPと書かれたボタンを凝視すると、黒色のボタンは赤色に変わった。



「うーん……わからん」



アイテムボックスにこんな機能があるなんて、ネットで調べた情報には書いていなかった。


もしかして……俺のこれって、アイテムボックスとは全然違う力なんじゃないか?


思考が堂々巡りする中、ブーッと音が鳴った。ビクン! と体を震わせた俺は恐る恐る布団をめくり……スマホの画面が光っているのを見て、大きくため息を漏らした。


海外のゲーム販売サイトからニュースメールが届いただけのようだった。


時計を見るともう三時、明日は大学も一限からある。


俺は無理やり目を閉じ、アイテムボックスの画面も無視して思考を止めた。


心臓がバクバクとうるさかったが、バイト後の体はしっかりと疲れていたようで、俺はいつの間にか眠りに落ちていた。






恐怖のSF銃発射事件より一週間後の事だ。


うちの玄関にはネット通販で届いた訳あり品のミカンの箱が三つ置かれていた。


全て訳あり品とはいえ、六キロもミカンを買うとなると、学生の懐にはちょっと、いやかなり……正直めちゃくちゃ痛い。


だが俺は、どうしてもこのアイテムボックス(仮)の秘密を解明せずにはいられなかった。


ミカンが消えて、銃が入っていた事には間違いがないのだ。


ならば同じようにミカンを入れておけば、またそれが消えて何かが入っているかもしれない。


俺はそう考えたのだ。



「もっと小さいのでも良かったかな……でも同じ条件じゃないとわかんないもんな……」



未知への好奇心ももちろんあるが……何がなんだかわからない物をこのまま使い続けるのが怖いというのが、正直なところだったかもしれない。


目を閉じて深呼吸し、俺はまず一箱をアイテムボックスに入れてKEEPボタンを押す。


そしてもう一箱をアイテムボックスに入れ、今度はKEEPを押さずにそのままにした。



「よし」



最後にもう一箱を開け、中からミカンを五、六個取り出した。これは俺が食べる分だ。


まあでも前回アイテムボックスにミカンを入れてからも五日ぐらいは無事だったのだから、多分こうして準備をしたってすぐに動きがあるわけではないだろう。


そう頭でわかってはいても、逸る気持ちは抑えられない。


俺はコボルトの女芸人二人組のコントが流れるテレビと、視界の隅に浮かんだアイテムボックスの画面を二窓で眺めながら監視を始めた。


ネットオークションで物を競り落とす時のような気持ちでドキドキしながらミカンを剥いて食べていると、なんと三十分ほどでアイテムボックスの方に動きがあった。



「マジかよ!」



アイテムボックスの中からはミカンが一箱なくなり、その代わりに見慣れぬ長方形のものが追加されていた。



「なんだこりゃ……」



それはアイテムボックス画面では単なるカラフルな棒にしか見えなかったが、凝視すると『ヤパブリンカ(34g)』と説明が出てきた。


これは一体どういう物なんだろうか?


疑問に思いながら机の上に取り出してみると、ミカンの皮の横に色とりどりのプラスチックの棒のようなものが数十本出てきて乾いた音を立てた。


手に持ってよく見てみるが、見た目はまるで麻雀の点棒のようだ。


表面に刻まれた見慣れない文字をスマホの翻訳アプリに読ませてみるが、残念ながら認識しないようだった。



「価値があるのかないのかもわからんな」



プラスチックの棒をアイテムボックスに移し、ついでに机の上にあったミカンの皮もしまう。


アイテムボックスは何でも入れ放題、だからこうしてゴミなんかもしまっておけば嫌な匂いもしない。


溜まってきたら後でデカいゴミ袋の中に出すだけでいいから楽ちんだ。


これは俺が編み出した、横着なアイテムボックスの使い方の一つだった。


一応もう一度アイテムボックスの中を確認するが、もう一箱のミカンはなくなっていない。


やはりKEEPボタンには物を留めておく効果があるようだった。



「おっ!」



一つ謎が解明した事に安堵したのもつかの間。


俺はまたアイテムボックスに見知らぬ物が入っている事に気がついた。



「今度は何だ……?」



なくなっていたのはさっき入れたミカンの皮。


そうして代わりに入ってきたものは……『ポプテ 雄(冷凍)』と書かれた、氷漬けの茶トラ猫だった。



「え?」



気づいたときには、俺は机の上に凍りついた猫を取り出していた。



「嘘だろ?」



自分の心臓がバクバクと脈打っているのを感じる。


別に立て続けの交換そのものに驚いたわけでも、凍った猫に驚いたわけでもない。


その猫の姿が、数年前まで実家で飼っていた猫と、瓜二つに見えたのだ。


オレンジ色のその毛並みも、背中にある渦巻きのような模様も、俺には実家にいた猫のマーズと同じであるようにしか思えなかったのだ。



「マーズ……」



なんだか急に、テレビの音が遠くなったような気がした。


俺は思わず、凍りついたその猫の背中を撫でた。


かちかちに固まった毛は冷たく俺の手を押し返し、ただその背中の形だけが、柔らかく弧を描いていた。



「かわいそうに……」



また冷たい背中を撫でる。


凍りついた猫の苦悶の表情が、我が事のように苦しかった。


気づけば俺は、そのかわいそうな氷漬けの猫の背を撫でながら……


生きていた頃の膝の上のマーズの暖かさを、指先に擦り付けられた湿った鼻先の感触を、寝ている間に腹の上に乗られた時の重さを懐かしく思い出し。


一人、さめざめと泣いていたのだった。






「つまりあんたが僕を解凍してたすけてくれたんだ? 正直助かったよ」


「まあ、自然解凍でだけどね……」



氷漬けの猫を前にして泣きに泣いたその翌日。


瞼を腫らした俺の目の前には、人語を喋る茶トラ猫型の自称・・宇宙人……そう言う他にない生き物が座っていた。


あぐらをかくようにして二つ折りにした俺の座布団に腰掛けた彼は、アイテムボックスに入っていたあの氷漬けの茶トラ猫だ。


どうやら彼は単なる猫ではなく、猫型の異世界人であるケット・シーだったようだ。


もっとも、本人は宇宙から来たポプテという異星人だと自称してるんだけどね……。



「乗ってた船に海賊の次元潜航魚雷が着弾したってとこまでは記憶があるんだけどさ……冷凍されてほっとかれてたって事は、多分うちの身内から身代金を取れなかったんだろうね」



なんて事をニャハハと笑いながら話す猫型宇宙人は、猫よりは大きいが人よりは小さい手で上手に湯呑みを持ち上げてお茶を飲んでいる。



「いやー、助けられたのが汎用言語脳内転写インプリントで会話できる相手で良かったよ。不幸中の幸いってやつだよね」


「あー、その、インプリントって何?」


「インプリントってのは……汎用知識の脳への焼き付けだよ。口頭言語ってのはさ、思念言語に比べてパターンが少ないから、船乗りはみんな最初の健康診断で予防接種と一緒に焼き付けを受けるんだ。どこに行っても日常会話ぐらいはできるようにってね」


「へぇ~」



そりゃ羨ましい、俺にも大学の講義で取ってる外国語だけでもいいから焼き付けてほしいもんだ。



「しかし、自分で言うのもなんだけどさぁ……君もよくこんな見知らぬ怪しいポプテを助けようとしたよね。しかもこの星、まだ銀河通商機構ギルドに加盟してないんでしょ? もしかしてポプテを見るのも初めてだったんじゃないの?」


「いや、宇宙人かどうかなんて見ただけじゃわかんなかったし。見た目が前に飼ってた猫にそっくりだったから、ほっとけなくてさ……」



凍りついた彼を解凍してから実家の庭に埋葬してやろうと思っていたら、生き返って風呂場でにゃあにゃあ騒いでいたのを見た時は本当に驚いた。


アイテムボックスの中で見た時よりも、凍った状態で見た時よりも、動き始めた彼はますます猫のマーズにそっくりだったのだ。


俺が子供の頃に父が拾ってきた小さなマーズ、俺と一緒に育った優しいマーズ、そして俺が家を出ていく少し前にふいっと消えた……老いたマーズ。


彼が俺のアイテムボックスにやって来てからというもの、そんなマーズとのいろんな思い出が次々に蘇り、俺はもう眼の前の猫がどうしても他人……いや、他猫とは思えなくなっていたのだった。



「それでそのさあ、さっきから出てくるって何なの?」


「ケット・シー、いやポプテって言うんだっけ……によく似てる動物なんだけど」



スマホの待ち受け画面になっていた今は亡きマーズの写真を見せると、フンフン鼻を鳴らしながらそれを見た彼は肩をすくめて首を振った。



「いやポプテと全然違うじゃん」


「いやいや、そっくりでしょ」


「いやいや、そりゃあ無理がある」



冗談はよしてくれと言うように、猫にしか見えない生き物は目を細めて肩を揺らして笑った。


正直俺はポプテと猫で違うところを見つける事が難しいぐらいなんだが、本猫からすれば大違いなんだろうか?



「君さぁ……あ、個体識別名とかある? 言語類型的にそういう文化圏でしょ?」


「ああ、俺は川島翔坊トンボ


「ふんふん、カワシマトンボね」



二十年もこの名前で生きてきてもう慣れてしまったが、俺はいわゆるキラキラネームだった。



「そっちの名前は?」



俺が聞くと、彼は前足で髭をしごきつつ、鼻をヒクヒクさせて答えた。



「僕たちにはトンボたちが使ってるような名前はないんだよね。ポプテの個体識別情報は全部匂いに紐づいてるんだ。銀河の中じゃ数も少ないから、実際他種族にも『ポプテ』以外の名前で呼ばれる事ってほとんどないしね」


「え? じゃあなんて呼べばいいの?」


「まぁ好きなように呼んでくれていいよ」


「あー……じゃあさ……君の事、マーズって呼んでもいい?」



もしかしたら俺の知る猫のマーズよりも、目の前の彼の方が年上なのかもしれないが……俺にはもう、彼の事が猫のマーズの生まれ変わりにしか思えなかったのだ。


とはいえ、死んだ猫の名前で呼ばれるなんてのはいい気がしないかもしれない。


そう思いながらも恐る恐る提案したのだが、彼は特に考える様子もなく首を縦に振った。



「トンボが飼ってたっていうポプテ似の動物と同じ名前か。いいよ」



そう言って、彼は机の上に置いていたスマホを持ち上げ、待ち受け画面をしげしげと眺めた。



「ポプテにはさ『毛皮十ぺん』って言葉があってね。同じ魂は同じ毛皮で十回生まれ変わるっていうんだよ。トンボの飼ってたマーズも、もしかしたら次はポプテに生まれてくるかもね」


「へぇ~」



そうならいいな、と思ったが。


同時に、もうそれはほとんど叶っているのだという気持ちもあった。


もちろん、眼の前の彼に言うような事でもなかったが。



「あ、そうだ、この板って情報端末でしょ? 星図って出せる?」


「星図?」


「ほら、銀河系の地図だよ。銀河通商機構ギルド未加入の辺境ったって、さすがにそんぐらいはあるでしょ?」



俺がスマホで銀河系の星図を検索してマーズに見せると、彼は肉球で器用に画面を操ってとびきり渋い顔をした。



「もしかして……この二次元図がこの星の一般的な星図?」


「俺はそういうのしか見たことないけど」


「……一つ聞くけどさ、仕事でも旅行でもいいんだけど、トンボは宇宙って行ったことある?」


「ないない。昔は月に行ったりしてたらしいけど……最近は宇宙開発も下火だって聞くから、個人が宇宙に行ける日はまだまだ遠いだろうね」


「軌道上に宇宙港とかないの!? 地上からの短距離転移装置は!?」


「そういうのはまだまだお話の中の事だなぁ」


「えぇ……マジかよ……」



マーズはわかりやすく落ち込んで、床の上にうつ伏せで寝転がった。


呼吸とともに上下に動く背中の毛を優しく撫でると、その手を肉球ではたかれた。



「もしかしてこの星、銀河通商機構ギルド未加入どころか……異星人との邂逅も果たしてない?」


「え? いや多分、そうだけど……」



マーズが本当に宇宙人だというのならば、今この瞬間がファーストコンタクトと言えるだろう。



「マジ!?」



叫びと共にマーズの尻尾はピンと天を突き、しなしなと力を失って机に垂れた。



「……トンボはさぁ、なんで異星人に会ったのにあんまり驚いてないの?」


「え? 驚いてるよ」


「驚いてないじゃん!」



というか半信半疑なだけでもあるけど……明らかに地球では見た事ないものが手に入るアイテムボックスから出てきたから、どっかのダンジョンの向こうにいた人なのかなとは思うけどね。



「船乗りの間じゃあ宇宙進出直前ぐらいの未開地の人間に捕まったら、解剖されて標本にされるって言われてるんだけど……トンボはそんな事しないよね?」


「しないしない」



そういう認識も二、三十年ぐらい前だったら、あながち間違いとは言えなかったのかもしれない。


だが、今の異世界人や他人種に溢れた状況ならいちいちそんな事するだろうか?



「だってポプテって種族、猫とかケット・シーにそっくりだし。ダンジョンができてからは異種族の人達はいっぱい地球に来てるから、ぶっちゃけ別にマーズが宇宙人でも誰も気にしないんじゃないかな? テレビにもよく出てるしね」



そう言いながらテレビの電源を付けると、ちょうどやっていたお昼のワイドショーの狼人ワーウルフのコメンテーターが映る。


マーズはごろんと横を向いてテレビに顔を向けた。



「彼は何星人?」


「ダンジョンの向こうから来た異世界人だよ。帰化した狼人ワーウルフの米山フガジさん」


「こういう人たちがいるからびっくりしなかったって事? あっ! 彼らの世界に宇宙船は……」


「うちの世界が一番科学技術が進んでるって話だけど……」



持ち上がりかけたマーズの尻尾は、再びぺたんと床に落ちた。



「そういや僕って、どうやってこの星に来たの?」


「そりゃあ俺のアイテムボックスの中に……」


「アイテムボックス?」



俺がマーズがここにやってくる事になった経緯を最初から詳しく説明し始めると、机から下りて座布団に座り直した彼は静かに耳を傾けた。


そしてアイテムボックススキルの発現から様々な実験、銃の暴発事故からマーズの解凍に至るまでを話す途中、俺に一切の質問をしなかった。


そうして全てを話し終えた時、マーズは難しい顔で目を閉じ、額を肉球で抑えていた。



「……トンボのそれ、多分アイテムボックスって異能スキルじゃないよ」


「えっ?」



薄々そうじゃないかと思ってたけど、やっぱりそうなのか。



「それは多分、銀河通商機構ギルドのお偉いさんや銀河総合商社ギャラクシーマートの創業者一族が持ってるっていう特殊な異能……こっち風に言えばレアスキルかな? それと同じものだと思う」


「それって?」


「詳しいことは知らないけど、そのスキルを持つ者だけがアクセスできる市場マーケットがあるとか……」


「俺のは入れといた物が別のものに変わってるだけなんだけど……」


「じゃあトンボのスキルはそれらの制限版なのかもね。出品だけができる……フリーマーケット……いや、ポプテの死体捨てに使われるような場なら、ジャンクヤードみたいなもんかな?」



ジャンクヤードか、どうせなら好きな物が自由に買えるような便利スキルなら良かったのにな。



「僕の他に交換された物ってどんな物だった?」


「えっと、この銃と、この点棒」


「銃に……点棒……? え? これ、マジ?」



マーズは点棒を肉球にくっつけて持つと、嫌そうな顔でそれを見た。



「銃の方は多分よくある偽装銃だと思うけど、この薬はパハブリンカでしょ?」


「薬なのそれ? ヤパブリンカって書いてあったけど」


「なお良くない! クソヤバい麻薬だよ。銀河一般法では所持だけで死刑。これは一生スキルの中に入れてた方がいい」


「げっ!」



俺は急いで点棒と銃をジャンクヤードの中に片付けた。



「ヤパブリンカのおかげでわかったよ。トンボのスキルにアクセスしてるのは海賊だ」


「海賊!?」


「ああ、偽装銃に麻薬に、身代金の取れない冷凍ポプテ。いかにも海賊が持ってそうな物ばっかりでしょ?」



言われてみればたしかにそうだ。



「それってヤバくない? ジャンクヤードだっけ? これやっぱもう使わない方がいいのかな?」


「まぁヤバいはヤバいけど、別に大丈夫じゃない?」


「えぇ? だって海賊でしょ?」


「こっちが相手の事を知れないように、相手だってこっちの事を知りようもないんだからさ。迂闊に情報さえ渡さなきゃ問題ないんじゃない?」



そう言われれば、そうか。


俺はとりあえずアイテムボックス……いやジャンクヤードに入れていた雑多な物全てにKEEP設定をかけた。


免許証とか取られて家まで来られたらたまんないからな。



「まあでも逆に言ったらさ」


「何?」



マーズはなんだか申し訳無さそうな顔で俺の事を見つめた。



「海賊なら海賊船とかも持ってるって事でしょ?」


「海賊船!?」



宇宙の海賊船を想像して、俺はドキッとした。不意に、小さな子供の頃の夢を思い出したのだ。


そうだ……俺には夢があった。


小さい頃の俺の夢は、左手に仕込まれたマシンガンで敵を倒し、宇宙の美女のピンチに颯爽とかけつける、かっこいい宇宙海賊になる事だった。


妹と一緒に、筒状のポテチの空き容器に腕を差し込んでよく遊んだものだ。


人は夢を忘れて大人になる生き物だ。


だが、その夢を本当には忘れる事ができないのもまた、人という生き物だった。


海賊姿の自分を思い浮かべて上の空の俺の膝を、マーズは訝しげにポンポンと叩いて話を続けた。



「それでさトンボ、もしこの先交換で船が手に入るような事があったらでいいんだけどさ。最寄りの銀河通商機構ギルド加盟星まで乗っけてってくんない? 地元に帰れたらさ、お礼に美味いもん死ぬほど送るから」


「ああ、もちろんいいよ」


「良かった、そうしてくれると本当に助かるよ」



頭を下げてそう言うマーズを見て、俺はなんとなく胸が切なくなるような気持ちになっていた。


彼は俺にあんまり迷惑をかけないよう、ああいう言い方をしてくれているんだと思うけれど、俺はもう彼の事を他人とは思っていなかったのだ。


同じ毛皮の猫が二回同じ人間の元にやって来たのだ。


きっと何かの宿命か、運命がある。


そう思わずにはいられなかった。



「いや、そうじゃないな……」


「え?」


「宇宙船、必ず手に入れよう」



そう返事をして、俺の中で何かが腑に落ちた気がした。



「そりゃあ嬉しいけど、なんで今日会ったばっかりのポプテにそうまで言ってくれるのさ?」


「さっき話した猫のマーズがいなくなった時さ、うちの家族はずーっと待ってたんだよ。毎日ご飯を用意して、心配しながら、探しながら、何ヶ月も何ヶ月も待ってたんだ」


「…………」


「多分さ、マーズの地元でも、俺と同じような人がずっと待ってるんだよ。その気持が痛いほどわかるから、俺はマーズを帰してあげたいんだ」



マーズは俺の言葉を聞いて、牙を剥いてニッと笑った。



「ありがたいね。猫のマーズには足を向けて眠れないよ」


「ただ、金もないから時間かかるかもしれないけど……まぁ、よかったらゆっくりしていってよ」


「ありがとう。この恩は返す時が来たら必ず返すから……じゃあ、しばらく世話になるよ」



俺はマーズの肉球と、ギュッと握手を交わした。


思えば大学受験が終わってからこっち、生活や単位に追われる事以外で何かをやろうとした事ってなかったかもしれない。


何の目的もなかった人生に、急に光が灯ったようだった。



「そんでさぁ、この星の人らって何食ってんの? どうもお腹減っちゃって……」



マーズは小さなお腹を手で押さえながら、すまなさそうな顔でこちらを見上げた。



「逆にポプテって何か食べれない物ある? 地球の猫はネギとかチョコとか駄目なんだけど」


「まあ船乗りは何でも食うよ。無機物はちょっと苦手だけど」



冗談のつもりなんだろうか、マーズはちょっと口の端を曲げながらそう言った。


まぁ猫に見えるとはいえ宇宙人だしな。


一回人間と同じ物を出してみて、駄目なら猫缶でも買ってくればいいか。



「袋ラーメン……炭水化物ならどう?」



ジャンクヤードから取り出した袋麺をマーズに見せると、彼はフンフンと鼻を鳴らしながらパッケージ裏の成分表を読んだ。



「酵母エキスってのが何なのかわかんないけど、多分これなら転化装置なしでも食えるかな」



袋麺を俺に返しながらそう言う彼をテレビの前に残し、水を入れた鍋に火をかけて換気扇を回す。


どこからともなく冷たい風が流れ込んできて、俺は裸足の右足を左足で踏んづけて暖を取った。



「あ……マーズ、醤油と豚骨どっちがいい?」


「美味しい方で!」



豚骨味の麺を鍋に入れ、シンクの上の窓をちょっとだけ開けると、外では太陽が隠れて雪がちらつき始めていた。



「あ、今日もバイトか……」



雪を伴った風が吹き込んでくる窓を閉じると、また別のところから風が吹き込んでくる家賃四万、1LDK、隙間風の吹きまくりの貧乏アパートで。


ジャンクヤード使いの俺と宇宙猫のマーズ、一人と一匹の奇妙な暮らしはこうして始まったのだった。

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