第31話~展望~

「乗り替わり、ですか?」


「本気か、横川?」



 憔悴しきった顔で横川が話を切り出してきた。3000mを走り終えたからでも、GIの舞台で戦ったからでもない。ステイファートムを勝たせられなかったことへの自責の念が主な原因だろう。



「はい。……皐月賞も、日本ダービーも、菊花賞も、全て2着。ファーは三冠馬になれた器でした。でも、僕じゃ力不足だったようです。それをつい先ほど痛感させられました」



 こりゃダメだ、横川のやつ完全にまいってやがる。オーナーの宮岡さんも困惑しているな。それほどファートムの背の重圧は凄かったか……。



「横川さん、つまりそれは……ファーを捨てるという事ですか?」


「っ!? 違いますよっ!」


「ならあんたは今まで何を見てきた!!!」



 あーあ、宮岡さんキレちまったな。確かにGIを勝たせられないプレッシャーは半端ないが、それを馬主に見せちゃいけねぇよ。


 普通の人なら喜んで外人ジョッキーかリーディングトップのジョッキーに乗り替わりだろうが、この人は違うってプリモールの時に感じなかったのか?


 いや、それを含めた上での進言か。クラシックロード全てで2着。成果を上出来ととるか、不服と取るか……この人は前者だ。



「あんたは仕事が休みの時もファーの餌やりや水浴びもして、散歩にも自ら進んで付いて行ったりしてたはずだ! 調教も騎手は都合がつかない時以外はあんたしか乗せたことない! それだけしておいて、あんたはファーに何も感じなかったのか!? ファーから感じた思いはないのか!? これを見なさい!」



 宮岡さんがメールやらを見せる。あぁ、アレを見せるのか。そこにはリーディングトップのジョッキーや、短期免許を取得した超一流の外国人ジョッキーのエージェントを名乗る人達から送られたメールが送られていた。



「全員がコンタクトを取ってきた人達だ! 中には直接頭を下げてまで、ファーに乗せてくれって! それでも断った! 君を選んだんだ! その意味を理解してでもまだ、君はファーを捨てると言えるのかい!?」


「ぼ、僕は、そんなつもりで……」


「はっきりしなさい! 君はステイファートムに乗りたいのか、乗りたくないのかを!」


「乗りたいに決まってるじゃないですか!」



 そう叫んだ横川の奴の瞳からは涙がポロポロと溢れていた。乗りたいと声を高らかに上げるほどの気持ちを持ちながら、しかし自ら乗り替わりを進言したのだ。どれほどの葛藤があっただろうか……。



「でも、気持ちがいくら強くても僕じゃGIを勝たせてあげられない! 勝たせてあげられてないんです! GI2着を3連続……悔しすぎますよ! GIの頂きに手をかけたと思った瞬間に崩れ落ちる時の、あの想い……今の自分じゃ、力不足なんです。……ファーを勝たせるためにには、足りない。だから、乗り替わりをお願いします」


「……そうかい。よし、決めたよ! 来年のローテと、目標をね」



 頭を下げて、それでもなお自らステイファートムの鞍上を降りると判断した横川の話を聞いた宮岡オーナーが急にそんな事を声に出す。



「今年は有馬記念を走ってもらいます。乗り代わりはしません。そして来年からは……GI大阪杯、GI天皇賞・春、GI宝塚記念、GI天皇賞・秋、GIジャパンC、GI有馬記念……春古馬三冠、秋古馬三冠の年6戦にします!」


「なっ、オーナー本気ですかい?」


「無論だとも。そして来年以降に1度でも敗北を許したなら、その時は潔く乗り替わりを決断しましょう」



 無茶だ。近年の有力馬は年4走が主流になりつつある。秋古馬三冠レースを走ることすらしない馬が多い。疲労が十分に回復せず調子が上手く整わないからだ。


 出せたとしても勝てない。それを承知の上で、宮岡オーナーは年に6戦走らせるつもりらしい。しかも、GIIの前哨戦を挟んで本命のGIレースに勝つのではなく、全勝を目標として……。



「テイエムオペラオーは年間8戦8勝。年間無敗のグランドスラムを達成しました。それより回数は落ちますが、GI勝利数は上回れるのでね」



 そんな30年ほども前の、歴代屈指の名馬を比較対象にするほど宮岡オーナーはファートムに夢を魅せられたのか……。



「横川、お前はどうなんだ?」


「ぼ、僕は……年6戦だなんて無茶だと──」


「回数を言い訳にするな。ファートムは今年の有馬記念を入れれば年6戦程度走っている。俺が聞いているのは……オーナーが聞きたいのはてめぇのくだらん御託じゃねぇ。やるか、やらないかだけ。やろうとする意思、GI6連勝をする覚悟があるのかを聞いてるんだ!」



 グッと横川の奴が纏う空気に力が入った気がする。……あぁ、それだよ横川。GIを勝ったことで、ファーと言う有力馬に乗った事でいつしか自然と無意識に忘れていたんだろうな。かくいう俺もだ。


 お前はいつだって挑戦者として挑んだ時に本領を発揮する。驕らず、貪欲に食らいつくその姿勢に、想いに、オーナーは魅せられたんだ。さぁ言え、お前の答えを……!



「……わかりました。年間無敗のグランドスラム、達成してやりますよ。クラシック三冠の雪辱は、古馬で果たします。……まぁ、まずは、今年の有馬記念でも勝ちますか」



 その意気だ! 俺が心の中で親指を立てると、オーナーも同じ気持ちだったのだろう。横川自身から言い出した乗り代わりの話は綺麗さっぱり消えていた。


 そして有馬記念の抽選会の日が来る。様々な有力馬が集結する中、堂々の推定オッズ1番人気に指示されたステイファートム。


 その運命を決める枠順抽選会で俺が引いた番号は……8枠⑯の大外枠だった。…………ぁ、終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る