第二十四話 英雄

 ナインはハインリヒへの勝利を確信していた。


 決してなめている訳ではない。


 事実、闘技大会が始まるまでは、ナインは六~七割程度の勝率を予想していた。


 しかし、実際にハインリヒの試合を見た後は、十割に変わった。


 それほど明確な根拠を持って、ナインはハインリヒに勝つと言い切れる。


「君は魔力を身体の内部に込めて戦う身体強化系だね。シンプルだが、極めると強い力だ。君のポーションが切れるか、私の魔力が尽きるかの我慢比べになりそうだね」


 ハインリヒが牽制と様子見の斬撃を放ってくる。


「……」


 ナインは何も答えない。


 鎌のようなくの字の輝く光弾をただかわす。


 光弾は観客席を守る防護魔法にぶつかって、キラキラと四散した。


 どうやら、ハインリヒはナインが腰につけた革袋の中身をポーションだと誤解しているようだ。


 その推測は極めて妥当なものではあるが、間違っている。


 実は、ナインは普通の戦士のようにポーションによる回復はできないのだが、わざわざ教えてやるほど親切でもない。


「すごい。極めて魔力ロスの少ない、最小限の強化。そして、見事な回避。どれだけの修羅場をくぐればそれだけの技術と戦場勘が身に着くのか、私には想像もつかない」


「……」


 ナインは答えない。


 これは戦いとは呼べない。


 作業だ。


 戦わない相手とナインは言葉を交わしたくない。


「さて。私の魔力は尽きた。君たちの妨害の成果が出たね。後は、接近戦での決着となる」


 ハインリヒが距離を詰めてくる。


「……」


 ナインの血も残り少なくなってきた。


 革袋の中身を飲み干し、少しでも身体を軽くするために捨てる。


 守勢から攻勢に転ずる。


 ナインは一切守らない。


 ひたすら攻め続ける。


 一撃当てたら終わり、当たったら終わり。


 そんな急所狙いで相討ちのリスクのあるハイリスクハイリターンの攻撃を、手と足と頭と、ありとあらゆる身体の部位を使って体現する。


 百発打ち合い、一発当たった。


「ぐっ」


 肘の急所に一撃を受けたハインリヒが剣を取り落とす。


 一度崩れれば後は脆い。


 ナインは腕を折り、膝を砕き、ハインリヒの首に手をかけて持ち上げる。


 会場のいたるところから悲鳴が上がる。


「くっ、やっぱり勝てなかったか」


 ハインリヒが苦しげに、しかし、どこか悟ったような口調で言う。


「そりゃそうだろ。だって、あんた、俺を殺す気が全然ないんだもん」


 ハインリヒには殺気というものがまるでなかった。


 最初は敢えて隠しているのかと訝ったが、さすがに四戦も観察しているとそれがブラフでないことは察せられた。


 ハインリヒは敢えて、自らに不殺の縛りをかけている。


 そんな状況でナインに勝てるはずがない。


「誤解して欲しくないんだが、私は決して君を侮っている訳じゃないんだ」


「それくらいは分かる。この街には先生――聖女の代わりが必要だったんだろ。王様だけじゃ、ぬいぐるみの中身がないもんな」


「……どうやら、君は優秀な学生でもあるみたいだね」


 ハインリヒが目を見開く。


 アイシアは王国のために禁術を発動することなく、ファリスは敗戦した。


 なぜ発動しなかったか。


 それは、人間同士の戦争を長引かせたくなかったから。それ以上、民の血を流したくなかったからだ。


 つまり、王国は負けたのではない。


 『勝ちを譲った・・・・・・』のだ。


 ファリスの住民の多くはそう考えており、ハインリヒはその代表である。


 だから、ハインリヒは殺せない。血を流さないし、流せない。


 聖女という象徴がなくなった代わりに、彼はファリスという街の美学の象徴となり、それを背負うことから逃げなかった。


 おそらく、騎士の誓いというやつなのだろう。


「サービスで、とどめの刺し方を選ばせてやるよ」


 ナインはなぜ自分でもそんなことを言ったのか分からなかった。


 もちろん、ファリスの全住民、いや、旧王国民全員の反感を買うことを考えれば、わざわざ殺す必要はない。でも、そうだとしても、今までのナインならば倒し方になんか配慮することはなく、躊躇なく顎をぶち抜いていただろう。


 もしかしたら、日頃アイシアに、紳士的な振る舞いをするように、口を酸っぱく言われているせいかもしれない。


「優しいね。じゃあ、このまま締め落としてくれ。顔はやめて欲しい。多分、ジャムパン屋のご婦人が悲しむ」


「ああ、あれ、俺も食ったよ。美味かった」


 ナインはそのままフロントチョークの姿勢に移行する。


「そうだろう――ふふ、実を言うとね。負けてちょっとほっとしてるんだ。日頃は偉そうなことを言っていても、私は結局一度も国のために剣を抜けなかったハリボテの騎士だから。王にも王妃にも、合わせる顔がない。だから、優勝は困るんだ」


 ハインリヒが自嘲気味な早口で言う。


「ふーん、なら、背中を見せればいいじゃん」


「ふっ、ふふふ、ははは。はははははは! も、もし君が王族に生まれていたら、私は喜んで君に仕えたよ」


 掠れるような声で笑う。


「嫌だよ。他人に命を預けるなんて」


「騎士はそういう人をこそ、守りたくなるものなんだ」


「そうかよ」


 満面の笑みのハインリヒを、躊躇なく締め落とす。


 ハインリヒは床に膝をついたが、決して倒れ込むことはなかった。


 頭を垂れ、胸に手を当てたまま気絶するその勇姿は、英雄の彫像のようでもあり、ファリスという街そのものへ礼をしているようでもあった。


「勝者! ナイン!」


 司会が叫ぶ。


 失望の溜息が会場を支配する。


(はあ、やっぱり騎士ってやつは気に食わない)


 でも、不快な気に食わなさではなかった。


 それはいうなれば、野良猫が窓越しに貴婦人の飼い猫を見る気分に似ていた。

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