第十八話 ファリス

 闘技大会が一週間後に迫ったその日、ナインたちはファリスに辿り着いた。


「おー、あれがファリスか」


 朝焼けの小高い丘の上から、その街を見る。


 色味の少ない無骨な城塞都市だ。


 石造りの城壁が幾重にも張り巡らされ、南のそれのように綻びもない。


 二十年後に来たるべき魔王との戦争への緊張感を感じさせる威容だった。


 ナインはかつてファリスの近くを通って北の戦場に向かったことはあるのだが、当時は市民権を有していなかったので、中に入ることはできなかった。


「『人は誰しも土くれ。塵より生まれ、塵に還る』」


 アイシアが土魔法を詠唱する。


 たちまち外見が代わり、朴訥な印象の男に早変わりした。


 いかにも、『闘技大会を見ようと田舎から出てきた観光客』のような風情である。


「変装するんだな」


「ファリスには私に対して色々思う所がある人が多いです。なので、私がそのままの姿でついて回ると、ナインくんの活動に良くも悪くも影響がありそうですから。公平な実習を担保できなくなるので」


「検問は大丈夫か?」


「民主化に伴い移動の自由が保障され、だいぶ緩くなりましたから。今は宝具による魔族看破の自動チェックだけです」


「ああ、そうだったか。じゃあ、行くぞ」


 丘を下り、特に問題もなく二人でファリスへと通じる門をくぐる。


 かつては当たり前だった通行税は廃止されていたが、代わりに都市防衛協力金なるものが新設されていた。


 それも妥当といえる金額で、確かにアイシアの言う通り『緩く』なっていることを感じさせる。


 街に入ると一気に色彩が華やぐ。


 民家も商店もギルドの建物も全て、暖色系の明るい色で塗装されている。


「外から見た印象とはだいぶ違うな」


「北国の冬は長く暗いので、せめて家くらいは明るい色で飾って憂鬱を払おうという風習なんです。ただし、王城――現都庁だけは例外です」


「なんでだ?」


「王は城を飾っている暇があるなら民のために働くべきだからです。王は色のない城から街を眺め、民が家を飾るほどの余裕があることを誇りとしたそうです」


 どこか他人事のように言う。


「へえ」


 ナインは気のない返事をする。


 何となくマリシーヌが好きそうな話だと思った。


 ナインは家の色に興味がない。


 ファーストならば共感しただろうか。


 どうせすぐに血で汚れるのに、やたら綺麗な服を欲しがった。ソーセージよりもリボンを選ぶような奴だった。


「お恵みをー。お恵みをー。ああ、そこのお兄さん方。この哀れな男にどうかお恵みを! 元義勇兵なのです! 世界の自由と民主主義を守るために戦いました! あのガイナ高地の激戦の生き残りです! 腕が動かないので働けないのです」


 路上にへたり込む男が、哀切を誘う声で叫ぶ。


「……」


「やめとけ」


 ナインは、空間魔法を発動したアイシアを制する。


「ナインくんにまで施しをしろとは言いませんよ?」


「そうじゃなくて、嘘だからやめとけ」


「なぜ分かるんですか?」


「ガイナ高地の敵は俺――ナンバーズが全員殺したからだ。もしあの戦場で生き残りがいたなら、増援を呼ばれて全滅していた。だから絶対に嘘だ」


 淡々と事実を告げる。


「そうですか……」


 アイシアは少しシュンとして、空間魔法を閉じた。


「――傷痍軍人に貢ぎたいなら、あっちにしとけ」


 ナインは辻の傍らで椅子と鋏一つで商売する男を一瞥する。


「あの床屋さんがですか? 怪我をしているようには見えませんけど」


「義足だよ。体幹をかなり鍛えてる身のこなしだから気付かなくても仕方ないけど」


「そうですか。――あっ、そうだ。ナインくん、髪ボサボサですし、清潔にしましょうよ。私がお金を出すので、髪型を指示しても構いませんか? 前からナインくんにはネオシーフタイプの髪型が似合うと思ってたんですよ!」


「別にいいけど、それ、サポート供与で減点対象じゃないのか?」


「ああ、そうでした。取り下げます」


 首を横に振る。


 今日のアイシアには、どうにも空元気を振りまいてる感がある。


「……いいか?」


 ナインは前の客が席に立ったタイミングを見計らない、規定の料金を床屋の椅子の上に置く。


「おう。座りな」


 床屋が椅子の方を顎でしゃくる。


「適当に切ってくれ」


 腰かけて言う。


「おう。……あんた、闘技大会の参加者か」


 水魔法の霧で髪を濡らしながら言う。


「分かるか?」


「何となくな」


「そうか。確かに俺は闘技大会に出るそのつもりだ」


「なら髪は短い方がいいな」


 床屋が髪に大胆に鋏を入れてくる。


「そうだな……。目ぼしい参加者はいるか?」


「なぜオレに? 床屋じゃなくて、酒場の飲んだくれか、情報屋にでも訊け」


 小刻みに鋏が動く。しかし、頭に振動はほとんど伝わらない。


 やはり刃物の使い方が上手い。


「そっちにも訊く。でも、今はあんたの意見が知りたいんだ」


「……客は地元の戦学院で鳴らしたタリスって奴か、元近衛騎士団長のハインリヒってのを推す奴が多い。だが、俺は昨日切った客が気になっている」


「ほう。それはどんな奴だ」


「客の出自は尋ねない主義だ。ただ、ファーストと名乗っていた」


「ほう。ナンバーズか。それは強敵だ」


 にやりと笑う。


 ナインの知っているファーストは死んだ。


 ということは、別の隊の生き残りか。


 一般的に、ナンバーズは番号が若いほど強い。


 これはおもしろい戦いができそうだ。


「きっとな。だが、次誰かに同じことを訊かれたら、あんたのことを言うよ」


「世辞はいい。おっさんは喋りで客をつけるタイプでもないだろ。ろくな武器も持ってない俺が勝つと思うか?」


「雑魚ほど装備に頼る」


「違いない」


「――終わったぞ」


 床屋が布で細かい髪の毛を払って言う。


 中々の早業だった。


「そうか。ありがとう」


 そう言い残して席を立つ。


 ナンバーズが名前を隠さずに残した。


 それはすなわち、「俺様を見つけてみろ」という挑発を意味する。

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