糸と釦

yui-yui

糸と釦

 おれは売れないバンドマン。基、営業マン。

 バンドは趣味でプロじゃない。プロなのは営業だけれど、プロにも色々まぁいるものさ。

 売れない営業マン。それなりの売り上げはあるけれど、叩かれも褒められもしないくらいの業績で。

 ハンバーガーショップで買った昼飯を近くの公園のベンチに腰掛けて食い始める。あと何日かすりゃ四〇度にも届きそうなクソ暑い中で阿呆みたいに鳴いている蝉の声はもう鬱陶しさを通り越してBGMにもなりゃしない。

 目の前にはエレキギターのソフトケースを肩にかけた、学生服の小僧ども。シャツの背中をぺったりと汗で背中に張り付かせて、仲間同士でああでもないこうでもないと言い合っている。

(へぇ、まだバンドなんかやってるコーコーセーなんているんだなぁ)

 当時からおれはヘタクソで、今でもそれは大して変わっちゃいないけれど、それでもあの時が一番一生懸命だったように思う。

 バンドのこともそうだけれど、きっと生きることに。

 生きることの意味なんぞ今だって判りゃしないのに当時のおれが一生懸命だったなんてお笑い種かもしれないけれど、判らなかったからこそ、がむしゃらに一生懸命になれたんだと思う。

 いや、大人になったからこその、ってやつかな。


 おれが初めてギターを手にしたのは一九八〇年代後半のバンドブームの頃だ。今みたいに普通に髪染めて、携帯電話があって、なんて時代じゃない。バンドブームの数少ない生き残り。生きた化石。当時ブームに乗って楽器を手にした連中の中の何人がおれみたいに楽器をその肩から降ろさないでいるだろう。

 きっとろくにいやしない。ライブも近いし、そろそろ練習にも本腰を入れないといけない。

(あー、なんか懐かしいねぇ……)



「っぶねぇばかこのっ!」

 と叫んだところで間に合う訳もなく、おれのスクーターの後輪が悲鳴を上げた。

「ぐえぇ~」

 おれも悲鳴を上げた。

 急勾配の細い道。アクセルを開けなくても結構なスピードが出るほどの坂で、いきなり人が飛び出したと思ったら、その場に立ち止まりやがって。膝と肘が痛む。火傷するんじゃないかってくらいアスファルトは熱いし、つーかそれよりおれのギター。痛む身体を無理矢理起こして、肩にかけてあったはずのギターのソフトケースを探す。

「あ、あの、脇田わきた君」

 おれと激突しそうになったウチの学校の制服を着た女の子がおれのすぐ傍でギターケースを抱えて立っている。さらりと長い髪が熱をはらんだ風にさらされて揺れている。中々に可愛い子だが名前は知らない。

「あぉ!お、おれのギた……。つーか怪我ない?大丈夫?」

「あ、大丈夫……」

 と言った彼女の肘が明かすかに赤く染まっている。

「肘、すりむいてる」

「え?」

 その子はギターケースを抱えたままの腕に目をやる。いや多分その体勢じゃ見えないし。

「あ、いたいっ」

 おれに言われて痛覚が復活したのか、彼女は形のいい眉を少しだけひそめた。おれはギターケースを彼女から受け取り、カバンの中を漁った。たしかポケットティッシュくらいあったはずだ。

「血ぃ出てんじゃん」

 完全に形の崩れたポケットティッシュをカバンの中から発掘して、何枚かをいっぺんに引っ張り出すと彼女の手を取った。傷口に軽くティッシュを当てると、再び彼女は眉をひそめた。夏服の袖から出た白い肘に赤くなった擦り傷が嫌に目立つ。彼女は額にうっすらと汗を浮かべていたけれど、おれはもう頭から水でも被ったんじゃないかってくらい汗でびしょびしょだ。そのままティッシュを彼女に渡して、傷も自分で押さえさせた。あんまり長くやってると傷口にくっつきそうだけど血が止まるまでは仕方ないよな。

「あの、脇田君、ごめんね」

「いいって。おれもちょっとスピード出しすぎた」

 あー、エンジンかかるかな。倒れっぱなしだよ。おれのスクーター。

「あれ、なんでおれの名前知ってんの?」

「え、だって隣のクラス……だし」

(隣のクラスのヤツの名前なんて普通覚えるか?いや、もしかしてこれは、前からおれのこと好きだった、とか)

「で、キミは?」

 阿呆な妄想全開でおれは彼女の名を聞いた。

保科ほしな

 ホシナさんか。やっぱりおれは知らなかったな。

「んで、今更だけど、飛び出してきたってことは急いでんじゃないの?」

「あ……」

 腕時計を見るホシナさんを横目に、ギターケースを肩にかけて、とりあえずスクーターを起こす。少しガソリンが漏れただけで、まぁ後は擦り傷が増えた程度。そもそもスターターは使えないから、キックスタートでしつこく蹴ってりゃそのうちかかるだろう。

「あの、ど、どうしようか……」

 ホシナさんはおれに問うてくる。そんなことおれに訊かれたってなぁ……。

「急いでんなら行きなよ」

 別に何の気も、他意もなくおれはそう言った。

「でも修理代とか……」

「え、別にいいよそんなもん」

 こんなボロスクーターの外装なんか修理するだけ無駄だ。律儀というか、馬鹿正直というか、要するに変わったヤツだ。

 おれは折りたたまれているキックレバーを出すと、勢いをつけてキックレバーを蹴った。燃料がスパークプラグにまで逆流してしまったせいで簡単にはかからない。三十回ほど蹴って蹴って蹴りまくって、運動不足の足が泣き言を言い出した頃にやっとスパークプラグにかかってしまったガソリンが燃え、エンジンがかかった。

 もう水を被ったどころではなく、制服のままプールにでも飛び込んだのかってくらいびしょびしょでめちゃくちゃ気持ち悪い。

「ほら!だいじょーぶ!」

 俺の行動をただ黙って見ていたホシナさんにそう言ってサムズアップ。スパークプラグに流れてしまっていた燃料が燃えて、マフラーから白煙が吹き上がる。しばらくは仕方がないけれど、時期に収まるだろう。おれはというとぜーぜーと息を切らせて中々格好悪い状況だったが、まぁこれでホシナさんも安心するだろう。

「傷が酷いよ……」

「いや、どうせ傷だらけだったんだから!んなことより急いでんじゃないの?」

「あ……」

 再び時計を見てホシナさんは言った。ボケてるのか確りしてるのか判らない子だな。

「何?バイトかなんか?」

「うん……」

 一番ありそうな理由を適当にチョイスして言ったおれにホシナさんは頷いた。

「じゃヤバイじゃん。早く行きなよ、おれは平気だからさ」

「で、でも……」

 腕時計とスクーターを見比べて、本当にどうしたら良いか判らなくなってしまっている様だった。

「よーし判った、じゃあホシナさんは、どうしたい訳?」

「え?」

「バイトには行かなくちゃなんない、でもこの場をこのままにもできない、これが多分ホシナさんの今の気持ち。で、おれは別に多少傷が増えただけで、この通りエンジンもいかれてないから、全然大丈夫。……さてどうすっか」

「だけど、何もしない訳には……」

 つまりはそういうことね。それなら判りやすい。要するにおれをこけさせてしまった代価ってやつだな。……代償か?

「よし、じゃああれだ、チケット買ってくれ」

「え?」

 きょとんとしておれの顔を見る。今まで全然知らなかったけど、ホシナさん、まじで可愛いな……。

「ライブのチケット!な!それで決まり」

「ライブ?やるの?」

「……まだ予定はないけどなー」

 空を仰いでおれは言った。ライブをやるにはまず技術の向上が必要な訳で。そのためには努力の時間も必要な訳で。

「じゃあ約束。ライブやるときはちゃんとチケット売ってね」

「オッケ。んで、バイト先は?どうせだからケツ乗っていきなよ。原チャなら間に合うでしょ」



 ホシナさんのバイト先はおれんちの近くの洋菓子店だった。時間は充分に間に合って、バイト先には消毒液も絆創膏もあって、ホシナさんの肘の傷は一応それで大丈夫そうだった。

 おれはケーキを一つホシナさんに奢ってもらって、それをイートインスペースで食って(彼女は仕事をしてたから一人で食ったんだけれど)それから帰った。

 おれも肘と膝を擦り剥いていたが、血がたれるほどでもなかった。けれどギターの弦が何本か切れていた。アスファルトにぶつかったのであろう箇所に傷もついてたけれど、そのくらいは別に音がどうのという問題でもない。こっちもスクーターと同様、元々が安ギターだ。

 一旦シャワーを浴びて、またスクーターで楽器屋に向かった。一番安い弦のセットを買って、帰りにケーキ屋の前を通った時に、ホシナさんが店の外にあるベンチで何かをしていた。

「脇田君」

「よ。バイト終り?」

 スクーターから降りたおれに気付いたホシナさんがおれの名を呼ぶ。

「うん、あとすこし。みんなのエプロンとかテーブルクロスとか洗濯して終り」

「そっか。で、洗濯してるようには見えないけど」

 どう見ても彼女の膝の上に乗っているのは裁縫セットだ。

「エプロンのボタンが取れかかってたから」

 そう言って糸の先を唇で挟んでから、針の穴に糸を通そうとする。が、通らない。

「メガネ忘れちゃったからなぁ……」

 恥ずかしそうに言って何回もチャレンジする。おれはホシナさんの隣に座ってしばらくそれを見ていたが、いい加減飽きてきた。

「貸してみ、目はいいんだ、おれ」

 あんまりやったことはないけれど。よく見ると糸の先がバラけている。唇でそれを平らにして、糸の先が少し冷たくなっていることに気付いてしまって、がっ、と顔が熱くなった。

(やべぇ、ヘンタイじゃん、これじゃ……)

 妙に冷たい糸の先の感触が唇に残ってしまって、何だかドキドキしてしまったけど、二回目はすぐに針に糸が通った。

「あ、あいよ、通った」

「わ、結構脇田君って器用?」

 何事もなかったようにホシナさんは言って、針を受け取った。どうやらおれが糸をくわえたのは見ていなかったみたいで少し安心した。

「でも裁縫はやったことないな」

「でも小学校でやらなかった?」

「あぁ、女子にやってもらったよ」

 そもそもそれは縫い物なんか男がするもんじゃない、とか古臭いことを思っていたこともあったんだけど。

「そっかぁ……。あれ、脇田君は帰ったんじゃなかったの?」

「ん、ちょっと弦を買いに出たんだ」

 今更なことを言い出す。なんだかやっぱりちょっとずれているんだな、この子は。

「ギターの弦?ギター壊れてなかった?」

 布とボタンの穴に針を通しながら、ホシナさんは言った。手は遅い、と思う。

「あ、あぁ、全然平気」

「ボタン……」

 おれの返事を聞いているのかいないのか、そう呟いた。

「え、ボタンがどうかした?」

「あ、うん……。なんか、全然違うなぁ、って」

 何を言っているのか判らない。

「こうやってお洋服についてるボタンと、例えば横断歩道の歩行者用の信号のボタン、ゲームのボタンも、私がレジで打ってるレジのボタンも、みんな同じボタンなのにね」

「あぁ、言葉の意味ね。それ言ったら糸だってそうじゃん」

 やっぱり変わった子だ。

 ホシナさんはおれの名前を知っていたかもしれないけれど、会話をしたのは今日はが初めてだ。そんな男にこんな、小学生の素朴な疑問みたいな、今日日子供電話相談室にだってこんな疑問を問いかけるヤツはいないだろうってレベルの話を普通に話してくる。それでもそういう話に乗っかれない訳でもない。おれも少し変わってるのかもしれないけれど、なんだか、今、この空気が少し気に入ってしまったから。

「え?」

「こうやってボタンを留めてるのも糸だけど……」

 そう言っておれは紙袋からギターの弦を取り出した。

「ギターに張って音を鳴らすのも糸……。まぁこの場合は鋼糸だけどさ」

 ボタンを縫い付ける手を止めて、ホシナさんは驚いたような顔でおれを見ている。

「え、なに?」

 何かとんちんかんなことをやらかしたか?それとも……。

(やっぱ、おれのこと、好き、とか……)

「脇田君て、変わってるね」

(は?)

 そりゃお前だ、と突っ込みを入れたくなった。

「私の話にまともに付き合ってくれる男子の人なんていないよ」

 苦笑しつつ、でもそれがなんだか妙に楽しそうにホシナさんは言った。

「……まぁ、そんなのもいるってことじゃん。ホシナさんの相手をしないヤツもいればおれみたいなのもいて、それでいんじゃん?好きとか嫌いとか、尊敬だとかムカツクだとか、そういうのさ、いいのも悪いのもなくちゃ世の中成り立たねぇよ」

 おれはおれのことを嫌っているやつがいることだって知っている。おれはおれでムカついてるヤツもいる。だからそれでいいと思う。

「糸とボタンだね」

「は?」

 今度は声に出して言った。

「レジ打ちのボタンとギターの弦なんて関係ないように思えるけど、ちょっと見方を変えれば、おんなじ、糸とボタンなんだね」

「あぁ、ま、そういうことだな。物の見方なんてさ、それこそ人それぞれじゃん」



(あの頃はセーシュンだったねぇ……)

 やっぱりぱっとしない一日の業績を残して帰路に着く。

 もう五年以上も前のことだ。五年という年月を生き抜いたおれの相棒、ボロスクーターはまだ動いている。夢を見ることも誰かを想うことも、あの頃はそれにどんな意味があるかなんて判らないまま夢中になっていた。すごく真剣だった。目先のことを考えていただけかもしれないけれど、それはそれで純粋だった。

 おれはあれから高校にいる間にライブをやることはなかった。

 ホシナさんは知り合ったその年が明けた三月に引っ越していった。

 それからは会っていない。

 社会人になってから生まれて初めてライブをやった時に、どうにか伝で彼女の連絡先を調べようと思ったけれど、判らなかった。

 それだって数年前のできごとで、その時はまだ彼女との『約束』を果たそうと思っているおれがいた。

 今はもうそれもない。

 それだけ大人になってしまった。

 子供の頃は純粋だった、と思うことにした。

 結局ボタンはどれだけ頑丈につけたって、糸が切れて取れてしまうものだ。


 駅からはスクーターで家まで帰っている。夏は暑いし冬は寒い。快適なのは春と秋だけだ。渋滞を抜けられていいね、なんて言葉も良く聞くが、実は道交法違反な上に、でかい交差点でバスと大型トラックに挟まれて信号停止になどなれば簡易サウナのできあがりだ。しかしそれでも無茶することもなく、毎日乗っているからなのか、思ったよりも長持ちだ。ボロボロの外見はいかにもロックっぽくて気に入ってはいるが、これを見た誰もが口を揃えて『買い換えろ』という。まったくロックの判らない連中だ。

 携帯電話がぶるぶるっと短く震えた。

『今日誕生日だからね』

 妹からのメールだ。知ったことか、と思う。兄貴の誕生日には何も寄越さないくせして。そう思ったけれど、家の近くの洋菓子店でスクーターを停める。我ながら情けないが、小言を言われるよりはマシだ。さっさとお彼氏でも作ってお豪華なおディナーでもかっ喰らってれば良いのに。適当に六個、ケーキを選んで、簡単な包装をしてもらう。昔からあるイートインスペースには客が一人。包装をしてもらっている間、バイトのお姉ちゃんのエプロンだとかテーブルクロスを眺めた。今でもあの時のホシナさんみたいに洗濯や裁縫をしている子がいるのだろうか。

 そんなことを考えている間に包装も終り、箱を受け取ると、おれは店を出た。

 もうバッテリーは寿命だ。スターターではエンジンはかからない。おれはとりあえずケーキの箱を地面に置いて、キックレバーを思い切り蹴り飛ばす。

「脇田君……」

 懐かしい声が聞こえてきたような気がした。

 ヘルメットをかぶって、地面に置いたケーキの箱を取ろうと思ったら、それを先に取る手があった。

「え?」

「久しぶり、だね」

 そう、五年前と変わらない声で、彼女は言った。

 少しだけ大人びた笑顔。

「ホシナ、さん?」

「まだ、乗ってるんだね、このスクーター」

 おれの話を聞いているのかいないのかも相変わらずだ。

「あ、あぁ……」

「すごい傷だらけ……。こういうのもロックっぽいのかな?」

 くす、と笑ってホシナさんは言った。

「え、わ、判る?やっぱりおんぼろなのがかっこいいよね!」

 そうじゃなくて。

 何か理由がなければここにいはこないだろう。ただ懐かしむためだけにきた訳ではない、と思う。想像の域は出ないけれど。

「どしたの」

「ずっと引っ掛かってたことがあって……」

(や、やっぱりおれのこと好き、とか……は、ねぇよな、いくらなんだって)

 自分の頭の中が案外五年前と変わっていないことに苦笑する。

「引っ掛かってたこと?」

「うん……。取れちゃったボタンを、もう一回つけにきたの」

「え?」

 言っている意味がやっぱり少し判らない。意味深というのとは少し違う気がする。ホシナさんに限って言えば。

「ライブのチケット買わなくちゃ」

 少し俯いて、ホシナさんはそう笑った。

 その笑顔を見て、少し改まった思いだった。

「そっか……。ボタンは取れちゃってもまた付け直せるんだっけ……」

「そうだよ」

 おれの聊か的外れな言葉に、ホシナさんは笑顔のままそう答えてくれた。


 糸と釦 終り

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