金に困ったらとりあえず肝臓売っとけってばっちゃんが言ってた

前編1:働こう、明日から



 薄暗い部屋、その隅に置かれたベッドの上。影宮後路は毛布シェルターの中で娯楽本を読んでいた。


 ジャンルは成り上がりモノ。いわゆるシンデレラストーリーで、冴えないモテない運がないの三拍子を持つ平民のヒロインが、なんだかんだ幸せになっていく物語。どこかの誰かに似たような性格のキャラクターだった。


「うぇへへへ………」


 締め切ったカーテンから差し込むわずかな光を頼りに、後路は頬を歪ませながら本に顔を近づけている。幸いにも宿から提供される食事は栄養バランスが整っており、肉体的な健康は損なわれていない。おそらく、異世界転生の恩恵も多少は関係しているのだろう。


 半年前。街についてすぐ、比較的安全な知識チートをしようと思った。


 醤油、マヨネーズ、ソースなど、現地に出回っていなかった調味料の作成に取り掛かった。


 作り方がわからなかった。


 ならばと、天使から貰ったらしいスキルで無双しようと思った。


 クソスキルだった。


 後路のステータスは局所的な近接物理アタッカー、レベルは40。現地人と比べてそこそこ高く、身体能力も決して低くは無い。


 だが、運動音痴な後路が急に超人的な身体能力を手に入れたところで、まともに戦えるわけもなかった。名剣であっても、使い手がゴミカスなら宝の持ち腐れである。


 ならばとスキルを確認。その名は『阿修羅覇王拳』。


 MP(魔力のことらしい)を全て消費して超威力のパンチを叩きこむだけのシンプルなスキルだ。


 試し撃ちをしてみたが、拳を中心として爆風が巻き起こり、スライムは爆散。ここまでなら強そうに見える。


 魔力が枯渇した後路は、その場に生き倒れた。


 深夜。狼に頬を舐められ、ゴブリンに棒で突かれ、熊にボールのように転がされた。襲われなかったのは、ぴくりとも動けなかったのが功を奏したのかもしれない。


 翌朝、巡回の衛兵が来てくれなかったら、多分そのうち死んでいた。


「タノシイ……ニートタノシイ………」


 廃人が出来上がるのに、一週間とかからなかった。


 あと半年。


 あと半年はこの生活ができる。


(そのうちどうにかなる。頑張れ未来の私、負けるな未来の私。やればできる子、それが私……あ、そろそろ宿代の更新日だっけ)


 ふと思い出して、後路はスウェットのポケットに手を突っ込むと、天使からもらったキャッシュカードを取り出した。


 宿代はかなり良心的で、食事込みで月あたり7万。1年と2ヶ月は暮らせる計算だ。少なくとも50万くらいは残っているはず。

 チラリと残高を見てみる後路。


 残高1500ゴル。


(……うん?)

 見間違えかと、もう一度見る。


 1500ゴル。


(……ほわっつ?)


 おかしい。変だ。狂っている。

 この世界に来て半年しか経っていない。単純計算で50万はあるはずだ。

 

(夢かな。夢だろうな)


 後路は布団に潜り込むと、ゆっくりと目を閉じた。



 ………。


 ………。


 ………。


 ………。


 ………。




「寝てる場合じゃないっ!?」


 どうしてこんなにお金が減っているのかと、後路は記憶を辿る。


 思い当たることなんて―――結構あった。


 娯楽本の大人買い。快眠用にスウェットを購入。寝心地を求めてベッドの買い替えなどなど。


「どうしよう、どうしよう……………」


 家賃支払日まであと三日。滞納なんてしようものなら、強面のお兄さんが乗り込んでくるに違いない。


(睡眠薬を飲まされる私。奴隷の首輪とかをつけられて、地下アイドルとして働かされて、気づけば三十路を過ぎて、ついには内臓を売る羽目になるんだ………)


 後路は自業自得という四字熟語から目を背けて、自らの不幸を嘆く。


「空から降ってくるお金で飲み食いしたい……。知らないおじさんとご飯だけ食べてお金をもらいたい……会話はゼロでお願いします」


 ベッドの上でごろごろと左右に転がる。


 異世界に来れば楽に生きられるってネット小説に書いてあったのに。


 後路は先ほどまで読んでいた本をぼうっと見つめる。シンデレラな人生が羨ましい。こんなご都合主義なお話の世界に生まれたかった。


 ふと、キャッキャ、わいわいと子供の笑い声が窓から聞こえてくる。


 窓を開け、死んだ魚の目で外を見やる後路。子供たちがボールを投げ合って遊んでいた。


「いいなぁ……きらきらしてるなぁ……あんな時代が私にも……」


 後路の脳裏に、子供の頃の記憶がよぎる。


―――じゃあみんな、まずは二人組作ってー。


「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!」


 後路は悶絶した。


 体育の授業、バスケットボールの時間。パスの練習をするために作られる二人組。右往左往として過ぎる時間。当然のように一人余る後路。クラスメートからの憐憫、近づいてくる体育の先生。


 ―――影宮さんは、先生と組もっか。


 最後に囁いてくる悪魔の誘惑に、後路は心を折られ泣き崩れた。


「同情するならクジにしろや!!!!」


「ママ―、あの人頭大丈夫かなー?」


「しっ。見ちゃいけません!」


 その場から逃げるように離れる母子が3セット。

 子供にも心配される人生。


「なんて……惨め……」


 自分の人間性に涙が出てきた。

 このままではいけない。


「は、働こう……明日から」

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