■ マリア ■
女神マリア
むかし、むかし。
二人の女神がいた。
マリアという名の二人の女神がいた。
どちらも戦神であった。
女神マリアと女神マリアは争い始めた。
争いは止まらなかった。
止めるものがいなかった。
なぜなら二人の女神しかいなかったからだ。
生き物は愚か、世界すら存在してなかった。
むかしの、むかし。
ふたりの女神だけがいる時代。
女神マリアと女神マリアの争いは百年続いたと言われている。
女神マリアと女神マリアの争いは一瞬で決着がついたと言われている
その瞬間、二人の女神が誕生した。
生きている女神マリアと、死んだ女神マリア。
それは同時に、二人の女神がいる時代の終結でもあった。
生きているマリアは、そこで初めて自分しか居ないことを知った。
動かない死んだマリアを抱き起こし、止まらずに流れ続ける死んだマリアの血の、その意味を知った。
生きているマリアは戦神であった。
死んだマリアを生き返らすことはできなかった。
死んだマリアを抱き上げて、生きているマリアは歩き出した。
何もないその場所を、なんのあてもなく歩き出した。
百年をかけて、また、一日もかけずに。
生きている女神の後ろには道ができていた。
むかしの、むかし。
まだ、二人の女神だけがいた時代。
生きているマリアは考えた。
歩きながら考え続けた。
考えてから、棺を用意することを決めた。
そこで初めて歩くのを止めた。
女神マリアは戦神である。
死者を弔う方法は知っていた。
振り返ると歩んだ道の上には死んだマリアの血痕があった。
死んだ女神マリアからはまだ血が流れていた。
棺に納めると、傷口という傷口から血が噴きだし、見る間に死んだマリアは血だまりの中に沈んでしまった。
生きているマリアは溜息を吐いた。
二人の女神しかいなかった。
むかしの、むかし。
ひとりの女神が残された時代。
女神は、ひとりで在ることに最初は寂しがった。
寂しさに慣れた頃、悲しくなった。
悲しさに満たされた頃、嘆くようになった。
嘆くのが飽きた頃、腹が立った。
苛立ちが収まった頃、空しくなった。
むなしくなって、歌を歌い始めた。
歌で喉を痛めて、それも止めた。
止めた。
結局は一人だということに生きている女神は気づかされただけだった。
生きている女神マリアは死ぬことにした。
けれど、女神マリアは戦神であった。
自分に刃を向けることはできなかった。
ひとりでは死ぬこともできなかった。
血に満ちる棺の前で、ただひとり、座り込んでいた。
むかしの、むかし。
ひとりの女神が悲しみに暮れていた時代。
時間は流れた。
一日では足りず。
一年では足りず。
十年でも、百年でも、千年でも万年でも足りず。
とにかく永い永い年月が流れた。
気づくと、死んだマリアの遺体は血の海の上に浮かんでいた。
争った時とまったく変わらない姿のままで浮かんでいた。
生きている女神は息を詰めた。
万年の記憶を失う程の衝撃だった。
気持ちが落ち着いた頃、それでも死んだマリアは変わらずに在った。
生きているマリアは死んだマリアの名前を呼んだ。
一回だけ、恐る恐る名前を呼んだ。
生きている女神マリアは戦神である。
死んだ女神マリアは、生き返ることはなかった。
生き返らなかったが、血だまりに沈むこともなかった。
生きている女神マリアの目に、涙が溢れた。
溢れた涙は死んだマリアの遺体に隈無く降り注いだ。
むかしの、むかし。
ひとりの女神が死んだ女神の為に泣いていた時代。
生きている女神マリアの涙が死んだ女神マリアの体に満遍なく染み込んだ頃、生きている女神マリアの涙は枯れ果てた。
最後の一滴を拭った生きている女神は驚いた。
涙で滲むこともなくなった視界に飛び込んできたのは、死んだマリアの体を苗床に芽吹いた植物達の姿だった。
生きている女神マリアは驚くことしかできなかった。
生きている女神マリアは戦神である。
創造の神には成れない。
けれども、創造が目の前で成されていた。
生きている女神マリアの涙を使って、死んだ女神マリアが創造を行った。
血は海に。
肉は陸に。
生きている女神マリアの涙が乾いた頃、楽園が出来上がった。
むかしの、むかし。
そうして世界ができた時代。
生きている女神マリアは怖々と死んだ女神マリアの名前を呼んだ。
けれど、何も起こらなかった。
女神マリアは戦神である
何か起こるはずもなかった。
落胆に肩を落とした生きている女神マリアの溜息が死んだ女神マリアの森を吹き抜けると、そのまま溜息は風になった。
風を追いかけて人々が大地を駆けていった。
生きている女神マリアは驚いた。
死んでいる女神マリアが生きている女神マリアの息で人々を創りあげていることに。
人は増えていった。死んだ女神マリアの体の上で人々は生活し始める
生きている女神マリアは死んだ女神マリアの名前を呼ぶと、そこから文明が生まれた。
人間を最初に、創造は止まらずに成されて、気づけば楽園は喜びに満ち溢れていた。
生きている女神は眼下に広がる楽園を見下ろして考えた。
戦神である女神マリアは冥府の神にはなれない。
戦神である女神マリアは創造の神にもなれない。
けれど、世界は出来上がった。
これは。
この奇跡は誰が行ったのだろうか。
そんなことは明白だ、死んだ女神マリアが行った。
生きている女神マリアを使って、死んだ女神が行った。
たった一人残された生きている女神マリアの為に。
むかしの、むかし。
女神が女神に与えた楽園の真意。
それは今もなお受け継がれて現代へと至る。
世界は生きている女神マリアと死んだ女神マリアで造られている。
死んだ女神マリアの肉(大地)を使って、血(大海)を使って。
生きている女神マリアの魂(呼吸)と意識(言葉)を使って。
世界はそうして動いている。
血と肉と魂と意識。
世界はそうして生きて死んでいく。
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