老婆は山で骨砕く-怪異殺しの少女と青年-

君のためなら生きられる。

円の章

0-1 贄

 人通りの少ない都内某所。そこには区と区を隔てるように、不自然な林があった。

 枝を折り進むと地層が見える山場があり、そのまま獣道を抜けると、開けた場所に防空壕がある。地図上ではとっくに林を抜けているはずの洞穴は、確かに闇ごと蠢いていた。

 何かがいる、というより、その空間が揺れているようだった。


「ここで間違いなさそうだな」


 喪服を着た男が、神輿に担がれていた白装束の女に声をかける。


「うん。パパ、ごめんね」


 女は憔悴しきっている。高熱にうなされ、血の気がなく真っ青だ。男は言葉を返さずに、女の肩に手を置いた。

 神輿から降ろされた女を中心に、三名の喪服を着た男達が祝詞をあげながら清めの塩を撒く。その円端を防空壕の入り口までの道として繋げる。さらに塩の円の五点を高く盛り星を成し、日本酒をかけ固めた。

 女の前に餅と酒、榊が丁寧に配置される。


大源おおみなもと少将、準備が完了しました」


「……よし。静香、いいな?」


「……はい」


 大源は娘の静香を、神と見立てた怪異への供物として献上する準備を整えた。霊道を固定し、現れた所を連れてきた部下3名と共に祓うことが目的だ。

 供物となった静香の後ろに、部下達は正座した。


「呼べ」


 大源の言葉と共に、男たちはまた別の祝詞を声を揃えて上げ始める。三人は同時に頭を下げ、また上げることを繰り返す。すると、塩にかけたはずの日本酒がみるみる内に渇いていった。

 防空壕から生ぬるい風が吹き、悪臭を伴って静香を包み込む。


「うう……」


 静香は苦しみ、声を上げ胸を抑えた。大源は用意していたひょうたんから日本酒を静香の頭からかけ、同じ祝詞を重ねては正座し深く一礼した。

 すると防空壕の奥で蠢いていた闇と共に、木々の騒めく音と気配が消えた。静寂の中、心音が速度を上げていく。


 終わっていない。


 そう大源が直観すると同時に、防空壕の穴と同じ太さをした、巨大な薄紫色の皮張った腕が現れ、静香を掴んだ。


「嫌あああああ!」


「静香!」


 防空壕の中で静香の絶叫は、永遠に遠のいていくかのように反響する。


「追うぞ!……おい、嘘だろ」


 大源が振り向くと、静香の後ろで祝詞を唱えていた部下達はうずくまり、どす黒い嘔吐物を撒き散らし苦しんでいた。

 大源は見誤った。これでも娘のために、念には念をいれたつもりだったのだ。

 自分含め、少将1名、大佐2名、少佐1名。一般人から依頼される案件の対応ではあり得ない待遇だ。事前情報と静香にかかっていた呪いからするに、推測される結果は___


 


 大源は防空壕の入り口まで近づき叫ぶ。


「静香ぁあ!」


「おぇえええ おおおおおおおおおおお」


 大源の呼びかけに応じたは、まるで別人だった。骨が軋む音と、野太い静香の声がこだまする。

 このままではまずい。焦った大源が足を一歩踏み入れると___


「がはっ」


 強烈な眩暈と痙攣が起き、黒い吐瀉物が大源からも吐き出された。大源は2度見誤ったのだ。少将では太刀打ちできないということは、もう自分の責任の範疇を越えているということ。

 ふらつく体で塩で作っていた霊道の外に出ると、いくらか体が楽になった。スマートフォンを取り出し、本部に連絡する。


「大源だ。すまない、しくじった」


「防空壕の怪異の件ですね。どうなさいましたか?」


「そいつは恐らくもう喰われた。部下は全員動けない。想定外の怪異が居たんだ。このままだと神格化させてしまうかもしれない。大将含む今すぐ対応できる者の応援を要請する」


「畏まりました。……申し訳ありません、只今大将は全て出払っているようです」


「なんだと……中将なら10人は必要かもしれないな……少将以下はよこしても無駄だ、俺が近づくことも出来ない。がはっ」


 咳と共にまた黒いものを吐き出す。よくみると中にはウジ虫が混ざっていた。


「中将も6名しかすぐに向かえるものはいませんが……その」


 いつも要件を素早く伝えてくれるオペーレーターだったが、やけに口ごもっている。大源はそれにイラつき、叫んだ。


「なんだ、早くしろ一刻を争う!」


「は、はい! 元帥が待機中です。の二人です」


 大源は息を飲んだ。その字名あざなを聞くだけで全身が身震いする。だが、もうこれしか手はなさそうだった。不幸中の幸い中の不幸である。


「……手段を選んでいる時間はない。中将6名で現場に元帥を招致する準備を。俺は呪血じゅけつを使って時間を稼ぐ」


「畏まりました、すぐに手配します。それでは」


 電話が切れると大源は懐から三枚の特殊なお札を取り出した。

 小指の先を小さな鋏で切断し、血と肉と爪をその札にこすりつけてから包む。痛みは霊障からくる吐き気と眩暈が麻酔となり、ほぼ感じなかった。

 それを3つ作ると、眉間と両手、両足をナイフの先端で刺し血を流す。更に頭からありったけの日本酒をかぶり、傷口に清めの塩を揉み込んだ。


「3枚しかないが、もってくれよ……【呪血・三ノ界】」


 三年分の寿命を札に移し、身代わりとした。さらに鮮血と清め塩と日本酒を混ぜた呪血を身に纏い、大源の体が薄暗く発光する。光は防空壕の闇へと進んでいくのだった。

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