第29話 ナナセ子爵のグリーンティー

これで、何回目だろうか。ここにも結構通った気がする。


今日も巨大な庭で駄犬を走らせ、俺はというと凜とした美女とお茶を楽しむ。


この、目の前の人は何が楽しいのか、俺がここを訪れる度にお茶を出してくれる。暇なのだろうか。


俺は、彼女……すなわち、ナナセ子爵から出されたお茶をゆっくりと堪能する。


そして、「この茶葉は、そもそも紅茶じゃないと思います。緑茶ですよ。これ」と言った。


日本人を舐めるなよ? 紅茶と緑茶の違いくらいは分かる。


目の前の女性は、少しだけ目を大きく開き、「あら、緑茶グリーンティーをご存じなのね」と言った。


「まあ、私の国にはありましたから」と応じる。


その時、庭を走り回っていた駄犬バターが戻ってくる。舌を出して、ハッハッッハと小刻みに息をしている。


『ばうばう(あの、も、もういいんじゃないか? 最近お腹も引っ込んできたし)』と、バターが言った。


「駄目だ。後100周」


バターは、『ばう~(鬼、お前は鬼や)』と呟き、庭にとぼとぼと戻っていく。


俺と美女のティータイムを邪魔すんな。というか、あいつまだ結構余裕がある。


「……あなた、テイマーの才能があるのかも知れないわ」と、俺と駄犬バターのやり取りを黙って見ていたナナセ子爵が言った。


「テイマー? ってテイマーですか。そですかね」


テイマーといえば、ビーストテイマーとかのテイマーだろう。俺は軟体動物であって、フェンリル狼なるものの調教師ではない。


「一節によると、魔獣というのは人の魂が動物に乗り移った存在だと言われていますの。だから魔獣は人語を解すし、その鳴き声には言霊が宿っていて、言語理解の才能がある者は、魔獣の声の意味を理解することができる……」と、ナナセ子爵。口ぶりからすると、テイマーとは実在しているんだろう。巷には六本足の馬スレイプニールや化け蜘蛛なんかもいるから、きっとテイマーは大活躍しているのだろう。


「私がテイマーの才能があるかどうかは置いておいて、確かに解りますね。何となく」と、応じておく。実はバッチリと理解できているけど。


ナナセ子爵は、じっと俺の瞳を見つめ、「ご存じ? 優秀なテイマーは、貴族待遇で国家に迎えられるくらいの価値がある」と言った。少し気恥ずかしい。


だが、俺は国に雇われることが魅力とは感じないし、貴族待遇というのもピンと来ない。日本の国家公務員は超激務で薄給だというイメージしかないし。なので、「へぇ~そうなんですね」と、適当に答えておく。


ナナセ子爵は「本当に何も知らないようね……」と言って、少しだけ目線を下にずらし、「あの、あのね。今のは、あなたが欲しいっていう意味なんだけど……」と続けて言った。いつもは歯切れのいい彼女が意外な反応を示す。


しかし、まったく気付かなかった。俺って駄目なやつだ。だが、その『欲しい』というのは、この人の部下になれということなのだろう。だがなぁ……


「その、私はこう見えて、冒険者パーティーのメンバーでして」と言いいつつ、以前にも同じ事を言ったことを思い出す。


ナナセ子爵は少しだけばつが悪そうな顔をして、「困らせるつもりはないわよ。意味が通じていないんじゃないかって、不安になっただけ」と言った。


そうなんだ。俺ってやっぱり駄目なやつだ。会話がかみ合っていない。


「その、なんとなく、犬としゃべれると、良い就職口があることは理解しました」


ナナセ子爵は少し難しい顔をして、「ううん、あなた、女性やお金に興味はないの?」と言った。


「お金に女ですか。私も人間ですから、欲はありますがね。だけどもう40歳も過ぎていますんで、どちらもほどほどでいいです。大きすぎる欲は身を滅ぼす。まあ、目の前にドンと積まれたら、その時どうなるか分かりませんが」と、呟くように言った。


「うふふ。正直な回答ありがとう。でも、テイマーの価値と、あなたが欲しいっていう話は、覚えておいてね」と、ナナセ子爵が言った。


「え、ええ、解りました。ですが、私は二日後にはこの街を出発します。仲間の賛同が得られれば、先日ご紹介いただいた温泉付き荘園に是非寄りたいなと考えています」と応じる。


ナナセ子爵は、「そう……二日後かぁ。あ~あ、私も行きたいな。自分の荘園なんだもの。結構頑張って育てたのよ。でも、今、私がここを離れるわけにはいかないの」と言って、天を仰ぐ。


「温泉付の荘園でしたよね。寄るのが楽しみなんです」


ナナセ子爵の荘園は、『シラサギ』という。4年前に彼女が引き継いで、そして徐々に育ててきたらしい。


「楽しんで来てね。今なら新米が食べられるわ」


「え? 米があるんです?」


「あるわ。ウルカーンは本来小麦文化。でもね、小麦は土地が痩せるの。だから私は、水の国ララヘイムから稲を取り寄せて、自分の荘園で育てることにした。『シラサギ』は水が豊富だから」と、ナナセ子爵。


「そうですか。米の産地なんですね。ますます楽しみになってきました」


ナナセ子爵は、「そ。米は、土地が痩せない奇跡の穀物。私は稲作で、荘園とこのネオ・カーンの地を潤したかった」と言った。


少し遠い目をしている。潤したかったという過去形が何だか気になるけど。


「やっぱり、貴族さんはお仕事大変なんで?」と返す。


ナナセ子爵は姿勢を戻し、「最近、私がここでお茶しているのは、あなたがいる時だけよ? そうね、ここはウルカーン国のネオ・カーンであることは、ご存じなのよね」と言った。


「ええ、そのくらいは知っています」


ナナセ子爵は、「私の実家は国王派。そして、いい加減知っているでしょ? この街では、かつて虐殺が行われてしまった。その首謀者は国王派だったのよね」と言った。少し自虐的に聞こえてしまう。


「戦争が起きたら、正気ではいられなくなる人も、出てくるでしょう」と、返してみる。


「あなた、平和ぼけした顔をしているくせに、戦争を知っているの?」


俺、平和ぼけした顔をしているのかなぁ……まあ、戦争は知らないな。俺のメンタリティは、つい先日、人語をしゃべる人の形をしたものを殴り殺してしまっただけで、結構凹んでいるレベルなのだ。


「まあいいわ。この街は、表面では平和だけど、水面下では様々な問題を抱えている。ああ、あなたのお友達のバッタ男爵とトマト男爵は宰相派だから違うわ。虐殺したのは自分達じゃないって主張してる」


「彼ら、別にお友達じゃありませんけど。だいたい、虐殺された側からすれば、相手の派閥なんて関係無いような気がしますね」と、返しておく。お友達じゃないのは本当だ。トマトのところのアリシアはともかく、バッタは絶対に友達じゃないはずだ。あいつはごついおっさんの癖に、何故か服装が乙女なのだ。秋葉原でちょくちょく見かける、おっさんメイドみたいだ。


そんなことを話していると、あっという間に時間が過ぎる。

そして、お昼前、駄犬がふらふらになりながら戻ってくる。


舌を出してハッハ、ハッハと息を荒げている。流石に少しキツそうだ。


『ばうわう(走ってきたぜぇ。もうしんどい)』


「あらあら、よく運動したわね」と、ナナセ子爵。彼女は、この駄犬の言葉なら、何となく解るらしい。だけど、この駄犬、ご主人様と交尾したがっているんだが……そこまで正確には読み取れないんだろう。


「では、私はそろそろおいとまします、ね」と言って、席を立つために少し椅子を後ろに引く。


『ばう~~(お前ぇよ、もう少しお嬢さんと一緒にいてやれよ)』と、バターが言った。


犬に引き留められてしまった。何となく立つタイミングを逃す。


「もうお昼前なのね……あなた、二日後にはこの街を出るのよね」と、ナナセ子爵。


「その予定ですね」


俺がそう言うと、ナナセ子爵は、無表情になって、「……悪鬼討伐隊が、本国から送られてくるわ」と言った。


「噂の悪鬼討伐隊ですか。悪鬼がバッシュラン村付近に出たんで、この街に派遣されて来るんですね」


悪鬼は、戦うと自分も悪鬼になってしまう可能性があるし、殺すと反動でそいつも死んでしまう恐れがある。そのような危険な任務に就くような連中だから、さぞかし凄いのだろう。先日まで日本にいた身からすると、ちょっと想像しにくい。


「そうよ。泣く子も黙る悪鬼討伐隊……二日後の出発、準備はしっかりなさい」


「え、ええ。今、仲間達が大八車とかを造っているんです。万全ですよ」


ナナセ子爵は何か言いたそうな顔をしているが、「そう……さて、今日も楽しかった。明日も、この依頼を出すわ」とだけ言った。


この人は、ひょっとすると、戦争前夜であることを知っているのかもしれないなと思った。

子爵の隣では、未だにハッハと荒い息を上げる巨大な駄犬が伏せている。


「分かりました、では、お暇します」と言って、立ち上がる。


「人数と、旗よ」


「はい?」


「悪鬼討伐隊の話。彼らの人数と、旗の紋章を、よく見ておきなさい」


俺は、何の事かよく分からなかったが、「分かりました」と答えておいた。

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