2-2娘遊び

 ひどく疲れて、気が昂ぶっていた。

 燈吾との逢瀬の翌日、疲れているのは常のこと。寝る間も惜しんで求め合い、ほぼ徹夜してしまうのだから。だが、充足感もあって、若さの為せる技なのだろう、眠気など感じず一日を終える。満たされていれば、娘たちの嫌みや難癖も大して気にならない。

 だが、今日は鷹揚になれなかった。あんなに熱い夜を過ごしたばかりだというのに。

 燐とのやりとりのせいだ。


〝かすのみに……何がわかるっていうんだ〟


 配慮が足りなかったのは事実だ。だが、自分は既に〝かすのみ〟ではない。里の男に光らないというだけで、燈吾にはしとどに濡れ光る。 

 娘宿の浴場は、火事に配慮して娘宿から少し離れたところにある。うつうつした気持ちを抱えながらも仕舞い湯で汗を流し、掃除を終えて戻れば、娘宿はとっぷり闇に沈んでいた。

 すでに夜半だ。秋祭の準備をしている娘ももういまい。

 だが、娘宿を見上げれば、ちらり、ちらりと蝶がひらめくような光が漏れ出ていた。赤、青、緑、桃、紫、鬱金色。ああ、と思う。今夜はあれ・・が催されているのだ。


  せのきみ、せのきみ、あのこがほしい

  せのきみ、せのきみ、あのこはわからん

  くろぬまきこか、そうしよう

  あねさんおりて、いもさんにげる 

  おくだりさまは、おやまへかえる

  おくるいさまは、いついつでやる

  いちばん光るの、だーあーれ


 小さな唱和だった。けれど、浮き立つような、弾むような、興奮を抑えきれないそれ。さざなみが寄せては返す。

 その波音を崩さぬよう、足音を忍ばせて、そっと寝所に入り込む。およそ三十名弱が眠る一間にはすでにとこが延べられていた。

 大抵の朝、かすみは一番早くに布団を上げるため、自然と布団は一番奥に仕舞うことになり、延べられるのは最後でいつも適当な隙間となる。足裏の感触と明滅する娘らの光で、自分の床まで辿り着く。布団をめくり、するりと身を滑りこませた。


 ……せのきみ、せのきみ、あのこがほしい

 せのきみ、せのきみ、あのこはわからん……


 歌は途切れず、潮騒めいて続く。くすくす笑いと光がさんざめく。

 かすみは布団からわずかに顔を出して、気配と光で人数を探った。

 十数名が車座になって座っている。輪を離れて布団を被っている娘もいるけれど、寝入っている者はおそらくいまい。この娯楽が催されるのに、眠っていられるはずがない。

 歌が途切れ、押し殺した、でも堪え切れない嬌声が上がる。同時に、若葉色の光が一際大きく放たれた。

 これは娘宿で代々受け継がれている娘遊びだった。

 初光――十三、四の初めて恋をして光ること――を迎えている娘らが車座になって座り、歌い始めた娘が左隣の娘の肩に触れる。触れられた娘はやはり左隣の娘の肩に触れ、歌いながら次に回す。歌の終わりで触れられた娘が、にえとなる。贄と言っても、娘たちの好奇心を満たすための餌というだけ。贄は質問には絶対に答えなければならない。

 意中の相手を思い浮かべれば、娘は自然と光る。だが、想い人を前にしているわけではないので、さほど大きくはならない。ぽうっと胸に灯る光は、顔までは浮かび上がらせない。誰かわからないという安堵感から(声での判別はできるのだが)、娘たちは恥ずかしがりながらも、問いに答える。

 相手はどんな人物か、二人きりで逢ったことはあるのか、想いは伝えたのか……他愛ない質問が、若葉色の光に矢となり雨となり降り注ぐ。多分、若葉の光の主は、春に娘宿に入った年若い娘たちの一人だろう。


「二人で逢ったなら、手を握るぐらいしただろう?」

「いやいや、手などで収まるものかい」

「どこまでいったか、白状しいな」

 

 年長組の娘がやいのやいのと問いつめる。若葉がしどろもどろになりながら、


「二人で逢ったけれど、手も触れていない」


 と、消え入りそうな声で答えると、どっと笑いがおき、意気地のない、誘い灯が下手では先には進めん、あたしが教えてやろうかと、茶化す声がそちこちから上がった。そして少し落ち着くと、再び歌が始まる。

 

  ……くろぬまきこか、そうしよう

  あねさんおりて、いもさんにげる  

  おくだりさまは、おやまへかえる……


 暗闇の中、ぼんやりと灯る思慕の光は、燈吾の鬼火に似て、かすみを夢見心地に誘う。

 そう、一年前、秋祭の楽の音から逃げるようにして向かった黒沼からすべては始まった。十七にして一向に光らない〝かすのみ〟は、物の怪の君に出会い、あっさり光り濡れた……

 初めて抱かれたのは二度目に黒沼で逢った時。一度目はただ求婚の歌を交わしただけで終わり、ふわふわと夢の中にいるように現実感が乏しかった。次に娘頭から黒ヒョウビ採りを命じられた時、黒沼に足を運びながら、その晩に起きることを考えておののいた。

 里では、里の外の者と交わってはならないという定めがある。寒田は外道とは、阿古が狂女であると同じぐらい幼い頃から刷り込まれてきた。里での平穏な暮らしを望むならば、もう黒沼へ行ってはならなかった。

 考えとは裏腹に、足は黒沼へ向かう。熱に浮かされた足取りで。怖くもあり、信じられなくもあり、また諦める心地でもあった。

 満月から半月へと欠けた月が照らす晩、青白い蛍火に導かれて辿りついた黒沼の対岸で佇む黒狐の物の怪の君を見つけ、止まらなくなっていた。

 引き寄せられたのか、飛び込んだのか。物の怪の君の胸は熱かった。掌も唇も。緊張のあまり硬直していた自分をあたため、ほぐし、とろけさせた……


「あんた、狸寝入りしてないでちゃんと入りな」


 揺さぶられて我に返る。


「高みの見物なんて許さないよ」


 声から察するに、年長組の誰かだろう。

 彼女はかすみの薄い布団を引っ剥がし、腕を引く。今まで娘遊びに誘われることはなく、参加したこともなかった。〝かすのみ〟は光らないから。

 はっとして身体を確認すれば、寝間着の合わせから淡い暗紫紅の光が漏れていた。しまったと思う。

 初光を迎えて一年、疲労ですぐに眠りに落ちていたので、娘宿で光るという失態を犯さなかった。慌てて布団を引き上げようとするが、もう遅い。車座になっている娘たちは唱和を止めて、注意を向けてくる。


「さあさ、早く早く」


 腕を引く娘は、暗紫紅の光の主がかすのみだとは気付いていない。他の娘もきゃあきゃあ言いながら腰を押してくる。

 赤、青、黄、緑、橙、紫と明滅する光。時折浮かび上がるまろみを帯びた身体。若い娘特有の湿った甘ったるい匂い。歌が再開され、くるくるくるくると、万華鏡の中に閉じこめられた錯覚を起こす。

 万華鏡は燈吾が前に一度見せてくれた。遊学に出た際、土産と買い求めたそれを、覗かせてくれたのだ。娘宿では身に着けるもの以外は盗られる可能性があったため、もらえなかったが。

 燈吾とのひとときは不思議だ。自分を淫らな雌にすると同時に、童女の無邪気さも与えてくれる。

 早く早く。娘たちはかすみの腕を引き、腰を押す。


 ……おくるいさまは、いついつでやる 

 いちばん光るの、だーあーれ……


 夢か現かわからぬままに、かすみは娘たちの輪に加わった。

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