美食会奇譚
差掛篤
前編
同僚の里くんには感謝している。
「美食会」に僕を紹介し、このような素晴らしい世界に招いてくれたのだから。
僕は舌が繊細で、常においしいものを求めていた。
美味しいものを食べる事こそが僕の人生の目的であり、生きることの動機だった。
会社のランチタイムで、和牛の自作ローストビーフを特A高級米に載せ、持参した卵黄を乗せようとしていた時だった。
僕を奇異なものとして見つめる同僚の中から、里くんだけが興奮して話しかけてきたのだ。
「君にぴったりの場所がある!」と。
1
里くんは大柄で太った気のいい男で、やはり食べるのが好きだった。
仕事もそつなくこなすが、飲み会や食事の手配となると彼は目つきが変わった。
「僕はね、美味しいもののために生きてるのさ」里くんは、同僚からからかわれるとよくこう言っていた。
里くんに案内されたのは、路地裏の、さびれた中華料理屋だった。
「ここは、絶対取材NGなんだ。一見さんもお断り」と里くん。
うまいけど汚い店や、ガイドに乗らない地元の店…そんな店はグルメにとって珍しいものではない。
「そんな単純なものじゃないさ」里くんは言った。「食べてみれば分かる」
その中華屋は、里くんや僕と変わらない年代の男が一人で切り盛りしていた。
名前は陳さんと言った。もともとは外国の方らしい。
とても気のいい人だった。取材拒否するような性格にも見えない。
テーブルに出されたのは、大ぶりの肉料理だった。
角煮、スペアリブ、から揚げ、排骨飯…
一口食べて僕は衝撃を受けた。
味わったことのないおいしさ、溢れ出す滋味、繊細な味覚の調和…
僕が30数年生きてきた中で、紛れもなくナンバーワンだった。
僕は思わずがっついた。
こんなおいしい料理を前にして、冷静にはいられない。
里くんは満足そうにがっつく僕を眺めていた。
「最高にうまいだろう?ここは僕ら美食会のメンバーしか入れないお店なんだ。美味しいものに対して、異常ともいえる執着を持つものだけがたどり着く、まさに美食の終着駅さ」
僕はスペアリブにかじりつきながらうなづいた。
「店主の陳さんも美食会メンバーだったんだ」里くんが言った。「陳さんも僕と同じようにお客の一人だったんだけど、前の店主から店を引きついでね。今はこんな凄腕を振る舞っているというわけ」
厨房から陳さんがにっこりとほほ笑んでいる。
結局、僕と里くんはそのまま宴会になった。
時々お客さんが来たが、やはり美食会のメンバーだ。
閉店が近くなると、陳さんもビール片手に加わる。
皆、料理を楽しみ酒を飲み、最高に舌を楽しませ、夜は更けていった。
2
美食会での料理を味わってから、ほかの食事が楽しくない。
味気ないのだ。
美食会の料理があまりに美味で、脳裏にこびりついたのだ。
まるで禁制薬物のようだ。
そんな僕を、里くんは察してくれて、毎日必ず連れて行ってくれた。
「僕もね。子どもの頃から食事に関しては異常でね」と里くん「美味しいもの以外は何一つ食べたくないんだ。でも、ローストビーフ丼を作る君を見て、君とならこの価値を分かち合えると思ったんだ」
僕は里くんに感謝した。
決して安くはない。値はそこそこ張るが、そんなことはおかまいなしにうまいのだ。
「気を付けなよ」里くんは一度、真面目な顔をしてクギを差してきた。「美食会に、大金持ちの社長がいたんだ。建設会社の社長さんでね。僕や君より食への執着がすごかったと思う。だから、あまりに美食会の食事が美味しくて、美食会で食事をする以外の時間は無意味だというようになったんだ。社長さんは、仕事をすることもなく、会社も家も売り、家族と別れえて、ずっと美食会の店に入り浸るようになった」
厨房で聞いていた陳さんが悲しそうな顔で聞いている。
里くんは続けた。
「陳さんも困って、立ち直るように助言したんだけど…社長さんは変わらなかった。朝から晩まで、お金はきちんと払い、だらだらと飲み食いした。幸せそうだったよ、すごく」
「それで…どうなったの?」僕が聞く。
「病気になりそうだって言ってたネ…そして、フルコースを食べてから…ぱったりと来なくなったネ」陳さんが答えた。
「お金がなくなったのかもな」と里くんが悲しそうに言う。
「だから、ワタシの店、昔から取材禁止ね。もし、悪い噂独り歩きしたら困る。社長さん、よくしてくれたけど、社長さんの家族、私が麻薬を混ぜたなんて言ってる。そんなのあり得ないヨ」陳さんが言った。
「陳さんが来る前から、美食会ではこういうことがあったんだ。おいしさは罪だね。」里くんがいった。
「悪い噂もイヤね。それに、行儀悪い、味音痴お客さん来るもイヤ。食事を愛する人…美食会の人だけに来てほしいね」陳さんが悲し気につぶやき、取材拒否の理由がなんとなく分かった気がした。
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