観覧車を選ぶ理由

五色ひわ

観覧車を選ぶ理由【蓮司】

 蓮司れんじは、幼馴染の香苗かなえの家の前で朝から盛大にため息をついた。蓮司の手には最近隣町にできた遊園地のチケットが二枚握られている。香苗に渡すために持ってきたのだが、蓮司にとって遊園地のチケット以上の意味を持ってしまっていて渡せそうにない。


 これは先日、父親が会社から貰ってきたチケットだ。蓮司の両親は深く考えることもなく、幼馴染の香苗を誘って行ってくれば良いと蓮司に渡した。小学生の頃には、どちらかの両親に連れられて香苗と一緒によく遊園地に行っていた。両親としては中学二年になった今も同じ感覚なのだろう。無邪気に誘えるほど子供じゃないのに……


 とはいえ、誰かを誘うなら香苗以外に考えられない。何にも考えずに渡してしまえばよかったのだ。


 それなのに、香苗に断られる事を恐れた蓮司は、香苗が絶対に断れない誘い方を探して、遊園地について、ありとあらゆる方法で検索をかけてしまった。


『観覧車で告白すると両思いになれる』


 SNSで話題になっていたその言葉はよくある話題作りだと思う。普段ならば笑って流してしまうところだが、香苗との関係に行き詰まっている蓮司にはそうすることなど出来なかった。


 ガチャリ


 香苗の家の玄関が開く音を聞いて、蓮司は慌ててチケットをかばんに突っ込んだ。


「おはよう、香苗」


 なに食わぬ顔で香苗を迎える。


「おはよう、蓮司」


 小学二年生で蓮司が引っ越してきたときから始まった二人での登校は、中二になった今も毎日続いている。この年齢でなんとも思っていない異性と登校するなんてありえない。蓮司はそう思っているが、香苗はどういう気持ちで一緒に登校しているのだろう。


  聞いてしまえば遊園地のチケットを渡すより、蓮司が長年知りたかった答えがはっきりと分かる。それは残酷な答えかもしれないが……


「……」


 二人の曖昧な関係を終わらせる勇気がなくて、蓮司は今日も香苗に尋ねることなく二人で歩く。


 蓮司と香苗は登校中、何か話題があれば会話もするが、特になければ一言も話さない。香苗は無口な蓮司相手でもいつも楽しそうにしてくれていて、ずっと見ていられるほど可愛い。


 あっという間に二人が通う中学校の校門が見えてくる。同じ制服を着た生徒たちが校門に吸い込まれていく中、蓮司は悪友を見つけて片手を上げた。蓮司の大切な時間だと知っているはずなのに友人は蓮司を手招きしている。蓮司は心の中で盛大に舌打ちをした。


「じゃあ、香苗、俺は行くから」


「うん」


 蓮司は仕方なく悪友の元に走っていった。



 放課後、部活がない日は香苗の教室に蓮司が迎えにいく。朝よりもずっと緊張する瞬間だ。


「香苗、そろそろ帰ろう」


「今、準備するから、待ってて」


 今日も香苗に断られなかったと蓮司は隠れてホッとする。『今日からは友達と帰る』と言われたら、それだけで簡単に終わってしまう関係だ。


 香苗の友人たちが冷やかしの視線を香苗に送っている。蓮司の気持ちに気がついていないのは、今この教室で香苗だけだ。


 香苗は蓮司と他の女子とが噂になると冷やかしてくることさえある。蓮司はそのたびに痛む胸を隠して笑うしかなかった。それに明るい香苗の事を狙っている男だって実はそれなりにいる。毎回、蓮司が威嚇しているわけだが、その男たちの視線にも香苗は一度も気づいたことがない。


 香苗の中で蓮司は兄弟のような存在なのだろう。他の男にさらわれるかもしれないと悩むのも今日で終わりにしたい。蓮司はかばんの中のチケットを確かめて決意を固めた。


 蓮司は香苗の準備が終わるのを待って並んで教室を出た。


 お互いに部活のない水曜日と金曜日は、一緒に帰れるので蓮司にとっては特別だ。


 靴を履き替えて中学校を出ると、慣れた道を二人で並んで歩く。蓮司はいつ話を切りだそうかと必死でタイミングをはかった。同じ学校のやつに見られたくはない。かと言って、家の近くでは家族に見られる可能性がある。


「蓮司、お腹でも痛いの?」


 蓮司の緊張が香苗にも分かったのか、心配そうに香苗が蓮司を見ている。


「ち、違う」


 蓮司は慌てて否定したが、その後の言葉が続かなかった。今が話すタイミングだっただろうか?


「……」


 いつもと違って沈黙が重い。香苗も居心地悪そうにしていて蓮司は自分の不甲斐なさに情けなくなった。


 もたもたしている間に家が見えて来て蓮司は慌てて立ち止まる。香苗は不思議そうな顔をして蓮司を振り返った。


「どうしたの?」


「明日の土曜日、隣町にできた遊園地に行かないか?」


 蓮司は落ち着くためにひと呼吸おいたが、いつもより声が大きくなってしまった。


「うん、いいよ」


 香苗はあっさりと言った。それはもうあっさりと……


「え、いいのか?」


 不安でもう一度聞き返すと香苗は大きく頷いた。


「うん、あの遊園地、一度行ってみたかったんだ。今、話題だもんね」


「え? 知ってたのか!?」


 香苗が観覧車のジンクスを知っていて遊園地に蓮司と行くと言っている。ということは……


「もちろん。あそこのジェットコースターはオススメだって聞いたよ。最先端の技術が使われているんでしょ? 明日、乗るの楽しみだね」


「そ、そうだな」


 恋愛に疎い香苗が知っていると思った蓮司が悪い。落ち込む自分に言い聞かせて歩き出す。


「香苗、明日は10時に待ってるから」


「うん、また明日ね」


 香苗を家の前まで送ると蓮司は隣にある自分の家へと逃げ込むように入った。香苗は何も気づいていない。本当の勝負は明日だ。



 翌朝、両親に緊張が悟られないように気をつけながら家を出た蓮司は、待ち合わせの15分前から香苗の家の前にいた。昨晩は緊張してほとんど眠れなかった。あくびを噛み殺しながら香苗を待つ。


「おはよう、蓮司」


「お、おはよう」


 五分前に家を出てきた香苗はお気に入りだと言っていたワンピースを着ている。これは、蓮司とのデートにおしゃれをしてきてくれたということか!?


 どこまでもいつも通りな香苗を見ていると、デートであることに気がついているかも怪しいが……


 蓮司も折角だから楽しまなくては。そう思うのに緊張はどんどん増すばかりだ。そういえば、学校帰りにどこかに寄ることはあったが、二人っきりで休日に出かけるのは、はじめてかもしれない。そんなことまで気がついてしまって、蓮司はいつも以上に無口になった。


「遊園地、休日だし混んでそうだよね。話題のジェットコースター、何回乗れるかな?」


「そうだな」


 香苗の問いかけにも何だか適当に答えてしまって、何を話していたか分からず慌てる。


「どうしたの? 蓮司?」


 近い……


 よりにもよって香苗は蓮司の顔を覗き込んでくるので、蓮司は大袈裟にため息をついた。香苗はまったく蓮司を意識していない。


 改札をくぐるとホームに入ってきた電車に乗り込んで混雑する車内に並んで立つ。香苗はいつも危なっかしい。蓮司は香苗が潰されないように気をつけながら電車に揺られた。


 遊園地の最寄り駅に着くと直結している遊園地のゲートを二人でくぐる。遊園地の中はたくさんの人で賑わっていた。


「まずは何に乗る?」


 香苗は遊園地の地図を広げてウキウキと蓮司を見上げてくる。


「観覧車」


「え、観覧車といえば、遊び疲れて途中で乗るものじゃない? この辺りの乗り物に乗って肩慣らししてからジェットコースターが王道でしょ?」


 香苗が地図上を何ヶ所か指し示すが、蓮司は頑なに首を降った。最初で最後のデートになるかもしれないのだ。普通は満喫してから最後に観覧車に乗るべきだろう。でも、幼馴染と遊んでいるだけだと思っている香苗とのデートが最後の思い出なんて逆につらすぎる。


 なんで断られる前提なのだろうか。


 こんなときに弱気になってどうする。


 結局、香苗が譲ってくれたので、観覧車に乗ることになった。


「観覧車は、どこかな?」


「こっちだ、行くぞ」


 方向音痴な香苗の手を引いて、蓮司は観覧車めがけて歩き出す。気分は判決を待つ犯人のようだ。


 正面から歩いて来た女性のグループが、蓮司たちをさり気なく見てから声を潜めて話し出す。それでも蓮司の耳には、はっきりと聞こえてきた。


「カップル多いね」


「SNSで話題になってたしね」


「あ、私も見た。観覧車で告白すると両思いになれるってやつでしょ」


 女性たちは楽しそうに去っていく。香苗が蓮司を見ている気がするが、振り向くことができない。平静を装っているつもりでも、真っ赤になった顔を香苗に見られてしまえば、隠せるわけがない。


 香苗にもさっきの会話が聞こえていただろう。きっと、鈍い香苗にもこれから起こることの予想がついたに違いない。


 そんなつもりはなかったと言って手を離されたら、どうしよう。そんな事をされたら、蓮司は立ち直れない。


 香苗が手を離せないように力いっぱい握ってしまおうか。一瞬ひどいことを考えてしまうが、香苗の嫌がることなどできるはずがない。


 近くに見えている観覧車が中々近づいて来なくてもどかしい。


 蓮司の手がぎゅっと握り返されていることにも気づかないまま、二人は観覧車へと向かった。


 終

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観覧車を選ぶ理由 五色ひわ @goshikihiwa

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