第2話

 私が通う坂野傘高校は高台の、文字通り坂を上がった場所にある高校で、毎年有名大学に進む生徒がいるわけでも、スポーツで結果を残すわけでもなく、数ある高校の数あるどこにでもある何の変哲もない普通の高校だ。



 けれど高い場所に建っているからか、退屈な授業中に頬杖を突きながら何の気なしに窓を開ければ、心地よい風が頬を撫でてくれる。

 私が唯一この高校を好きだといえる理由だ。



 季節は春、2年生に上がり、まだまだ周囲の生徒たちが浮足立っている空気の中で、私は――。



「せんせ~い、のがちゃんがゾンビみたいな顔しているので保健室連れて行ってあげても良いですかぁ」



「またかぁ乃上有、お前去年もそうだったが、定期的にゾンビになるなぁ」



 2年になってまだ1週間を過ぎた4月、すでに授業は始まっており、新1年生は中学からの違いに頭を悩ませ、新2年は何となく普段通りを演じてみる。



 私もまた、普段通りを演じていた。



「のがちゃん、すっごい爽やかなこと考えてそうな雰囲気だけれど、無理だよそのツラじゃ。春の風を浴びてるツラじゃないもん。なに? タケノコに肛門ぶち抜かれた?」



鶴来つるぎぃ、アウトだぞ~。お前も去年から口の悪さが変わってないからなぁちゃんと治せぇ」



「は~い、それでのがちゃん、保健室行く?」



「は、はは、何を言っているんだ恋華れんげ、ラーメンを食べる時はつるぎかレンゲだと言っているだろう」



「あ、駄目だこれ。先生、のがちゃんシャットダウンさせてきます」



「穏便に済ませろよ~」



 高校で出来た友人、鶴来 恋華に首根っこ――襟を掴まれそのまま私は引きずられていく。



「はは、見ろ恋華。瞬く星々が綺麗じゃないか。ああ流れ星、願い事願い事願い事――三度の願いを後輩たちへの三顧の礼、キラッキラな1年生たちに私は頭を下げて懇願する。私は一体どこへ向かうのでしょうか?」



 私の眼には確かに星が映った。

 ここは廊下のはずだけれど、どういうわけか星が見える。そして何故か後頭部が痛い。



「えい、えい、えい。うちのテレビはこれで直るんだけれどなぁ」



「恋華、この世界は宇宙だ。全ての因果に繋がってアカシックレコードを通して人類に反映される。私の記憶ではお前の家のテレビはブラウン管ではなかったはずだ――」



「よいしょ!」



「ぐぇっ!」



 乙女にあるまじき蛙が潰れたような声を上げた私はハッとなり、辺りをキョロキョロと見回す。

 いや違う。私は宙に浮く不快感を覚え、そのまま世界にパンツを晒しながら一回転して、廊下に叩きつけられた。見事な一本背負いだったと思う。



「起きた?」



「……恋華、私のこの珠のようなまなこを見ろ。視力2,0の美しい目だぞ」



「良かった、起きたみたい」



「まったく、お前はいきなり何をするんだ」



「のがちゃんが寝てたからでしょ~」



「馬鹿なことを言うな、私は授業中に居眠りなどしない。これでも優等生で通っているんだ、お前みたいに元気はつらつに夜更かしなどしない」



 この娘は何を言っているのかと私は彼女に目を向ける。

 今どき珍しい黒のお団子ヘアー、私よりも小さな体躯に秘められているのはクマみたいなパワー、コロンとした丸顔は年齢よりも幼く見えるロリー。



「まあいいけどさぁ。それにどうせ有海くんのことでしょ」



「ななな何を言っているんだこのお団子マッスルは」



 いつかあのお団子から腕が生えてラスボス化するに違いない。私にはわかる。



「ウチはその手の話はよくわかんないから相談には乗れないけどさ、でもこれだけはわかるんだ――のがちゃん、またアホなこと画策して失敗したんでしょ?」



「アホではない! お姫様抱っこしてほしかっただけだ!」



「……」



 感情のない恋華の視線が私を貫く。

 無言は止めろ。その顔も止めろ。

 まるで私がいつも失敗しているみたいではないか。



「で、今回は何したの? 有海くんひん剥いて背中に跨ってはいよシルバーした?」



「するかバカ!」



 微妙に目的に近いような気がするのが腹立つが、ここで狼狽えたらこのお団子からどんな非難を受けるかわかったものでない。

 私は彼女から視線を外し、優雅に口笛を吹く。



「のがちゃん」



 お団子が私に迫る。目を合わせてはならない。が、彼女のマッスル部分が爆発し、私の肩を掴んだ。砕けるかと思った。



「いや、その――だってぇ! 成功すると思ったんだもん!」



「はいはい。で、なにしようとしてどうなったの?」



「私はただぁ! アルミ缶の上にあるミカンを実行したくてぇ! でも口に出せなくてぇ! 結局残ったのは、部活動の一環でダジャレを面白おかしく再現する活動予定が出来ただけでしたぁ!」



「うん、そう……うん、あ~うん」



「憐れむようなその目を止めろ!」



 保健室までの道すがら、階段の踊り場で私は叫んでいた。近くの教室から先生の1人が顔を出したけれど、私たちの顔を見るなり、いつもの光景だという風に教室に戻ったのが見えた。



「とりあえず、ジュース奢ってあげるね」



「ナタデココじゃないとヤダぁ!」



「はいはい」



 こうして私は、恋華に背中をさすられ、介護されているかのように自販機まで歩みを進めていくのだった。

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