小説や怪談

柳家花ごめ

人魚の夜

昔書いた脚本です。


登場人物

山岸 詩織

坂田 美和子



明転


詩織 : 目の前が、真っ暗になった。医者が何か説明していたけど、話なんか入ってこない。分かった事はただ一つ。私に残された時間は、あと半年という事実だけ。どうして私なの?何も悪い事はしていない。こんなの理不尽だ。人生なんて理不尽なものだと分かってはいるけど、これだけはどうしても受け入れられない。まだやりたい事は沢山ある。仕事も楽しい。両親も元気だし、友達もいる。好きな人だっている。なのに…。私は嫌だ。絶対にそれだけは嫌だ。私はまだ…死にたくない。


美和子 : 詩織さん、はじめまして。坂田美和子と申します。突然のコメント失礼します。ブログ、拝読いたしました。本当に死にたくないですか?もし、何を犠牲にしても生きたいのなら、ご連絡下さい。こちらに、私のアドレスを載せておきます。メール、お待ちしています。


詩織 : 拝啓、坂田美和子様。初めまして。先週、ブログにコメントを頂いた、山岸詩織です。正直に言うと、ご連絡しようかどうか迷いました。ですが、どうしても気になって。一体、あのコメントはどういう意味なのか、教えて頂けるでしょうか。


美和子 : メール、ありがとうございます。私も正直に申しますと、本当に連絡頂けるとは思っていませんでした。これまでも、貴方の様な方のお力になりたくて何人かにコンタクトを試みましたが、お返事をくれた方はごくわずかです。その人達も、結局は私の話を信じてくれず、直接お会いする事は出来ませんでした。メールではこれ以上お話出来ません。これを読んだ上で、まだ私の話を聞いて下さるなら、お返事下さい。直接、お話ししましょう。


詩織 : 私は、からかわれているのでしょうか?もしそうなら、こんな事は止めて下さい。ブログに書いた事は本当です。私の余命はあと半年。あなたの言葉に希望を感じ、藁にもすがる思いで連絡しました。もし、そんな私を笑い者にする気なら、私はあなたを…許しません。


美和子 : 申し訳ありません、私が言葉足らずだったばかりに、お気を悪くされたなら謝ります。あなたをからかったり、騙したりするつもりは全くありませんが、確かに、あれだけの情報ではそう思われるのも無理は無いでしょう。なので一つだけ、この言葉をお教えします。「人魚の肉」


美和子、店外に去る。


詩織 : 人魚の、肉……。それが、私の命をつなぐ手段。あなたの言葉、信じましたよ…。



詩織、カウンターに腰掛けている。美和子が店に入って来る。


詩織 : 坂田美和子さん、ですか?


美和子 : ああ、あなたが…


詩織 : どうも、山岸詩織です。


美和子 : ごめんなさい、遅くなって。


詩織 : いえ、私も今来たところです、分かり難い場所を指定してしまってすみません。


美和子 : とんでもない。ご病気のこともありますし、詩織さんが来やすい場所が一番ですよ。それに、何だかこの辺りは見覚えがあって、迷わず来られました。このお店は…?


詩織 : 実は、私の親戚のお店なんですけど、二人だけでゆっくりお話しするために、貸切にしてもらったんです。店員さんも今日は来ません。その方が、いいでしょう?


美和子 : そうですか、それは…、正直、助かります。あまり人に聞かれたくありませんから。


詩織 : 何か飲まれますか?店の飲み物なら、私がご馳走します。あいにく、おつまみはありませんが。


美和子 : いえ、お気遣いなく。


詩織 : 遠慮なさらないで下さい。暑い中おいで下さったんですし、何か冷たい物でも。


美和子 : じゃあ、ウーロン茶を。


詩織 : どうぞ(ウーロン茶を出す)


美和子 : ありがとうございます(飲む)


詩織 : いかがですか?


美和子 : え?


詩織 : ああ、すみません、いかがも何も、ただのお茶ですよね。ごめんなさい、変な事聞いて。


美和子 : あ、いえ、美味しいです。ちょうど、喉が渇いてたので。


詩織 : よかった。それで、早速なんですが、本題に入っても。


美和子 : ええ、私も回りくどい話をするつもりはありません。単刀直入に言います。詩織さん、私はあなたに、永遠の命を差し上げることが出来ます。


詩織 : …永遠の?


美和子 : メールでも触れましたが、人魚の肉の伝説をご存知ですか?一口でもその肉を口にすれば、不死の身体を手に入れられる、八尾比丘尼の伝説を。


詩織 : ちょっと待って下さい。その、人魚の肉というのは、新種の薬か何かの事なんですよね?本当の事を教えてくれて大丈夫です。何か、違法のものなんですか?こうしてお会いしたんです。秘密は守ります。私は、病気を治してさえくれれば…。


美和子 : 信じられないのは当然です。でもこの話は本当です。第一、ご病気の詳細も分からないのに、効果のある薬なんて渡せるはず無いでしょう?こう言ってはなんですが、何もしなければ、あなたには死を待つしか道はない。ほんの10分で構いません。私の話を聞いてはもらえませんか?


詩織 : (立ち上がる)言ったはずです。からかうつもりなら許さないと。のこのこ会おうとした私がバカでした。(店を出ようとする)


美和子 : 私、いくつに見えますか?


詩織 : …は?


美和子 : 年ですよ。私、実年齢よりだいぶ若く見えるんです。


詩織 : 何の話?


美和子 : あなたと同世代に見えるでしょ?でもね、本当はずっと年上なんです。そうですね…、ざっと80は上かしら。


詩織 : 何なんです、さっきから突拍子の無いホラ話ばっかり。一体あなた何がしたいの。


美和子 : 食べたんですよ、私も。


詩織 : まさか…


美和子 : まあ、味はハッキリ言って不味かったけど、効果は本物でしたよ。あの日から私は、年をとらなくなった。怪我してもね、すぐに治るんですよ。もちろん病気にもなりません。あなたも、死から解放されますよ。私の言葉を信じればね。


詩織 : 証拠はあるんですか?あなたが人魚の肉を食べた証拠が。


美和子 : ありませんよ。ここで喉でも掻き切ってもいいですが、トリックだと言われればそれまで。それに傷口はすぐ塞がるけど、血は出ますからね。お店、汚しちゃ悪いでしょ?


詩織 : だったら…


美和子 : でも、そんなもの必要ないですよね?だってあなた、心の底では私を信じてる。少なくとも、信じたがってる。じゃなきゃとっくに私を無視して帰ってるはず。


詩織 : もし…、もしその話が本当だとして、どうしてそんなすごいものを私に?大体、どこで手に入れたんです。


美和子 : まあ、座って下さい。(詩織が座る)あなたと同じですよ。私も昔、死に直面したことがあります。やはり病気で。もうかれこれ80年前になります。


詩織 : 80年て…。


美和子 : 私ね、こう見えて、もう100歳超えてるんですよ。


詩織 : 一体、どうやって、人魚を見つけたんです。


美和子 : 私が見つけたんじゃありません。言ったでしょ、あなたと同じだって。もっとも、当時はもちろん、ネットでやり取りなんて出来ないから、人伝ての噂に過ぎなかったけど。大金と引き換えに、人魚の肉を食べさせてくれる人がいると聞いたんです。当時の私は、権力者の一人娘で、お金には困らなかった。父親も、私を助けるために、あらゆる手段を惜しみませんでした。そしてとうとう、見つけたんです。


詩織 : 本当に、そんな話が…。


美和子 : もちろん私だって、最初は信じなかった。むしろ、父の方が、とりつかれた様になって、私に手に入れた肉を食べさせようとしたんです。そんな得体のしれないもの食べたくなかったけど、父を納得させるために、一口だけ食べたんですよ。後は、お察しのとおり。


詩織 : 病気も治った…?


美和子 : ええ、その時手に入れた肉の残りは、不思議な事に今日まで腐ることも無く、こうして私の手元に(鞄から肉を取り出す)


詩織 : …!


美和子 : なぜこれをあなたに譲るのか、そう聞きましたね?私はお金は要りません。何なら、あなたじゃなくたって構わない。


詩織 : どういう事?


美和子 : 不死の身体を手にいれた代償は、孤独でした。周りの人間はみんな私を置いて死んでしまう。たった100年で既に、私はその孤独に耐える自信が無くなってきてます。これから先、何百年生きるか分からないのに。だから私は、ずっと探してきたんです。私と同じ運命を背負ってくれる人を。誰も信じてくれなかったけど、あなたは違う。一緒に生きてくれとは言いません。ただこの世界に、私以外に不死の人間がいると思うだけで、私は救われるんです。


詩織 : あなたに、その肉を譲った人は?その人は、不死じゃないんですか?


美和子 : 父の話では、大変高齢な老婆だったそうです。不死は望んでいなかったと。きっとその人は、こうなる事を恐れたんでしょうね。


詩織 : (肉を手に取り、見つめる)


美和子 : よく考えて決断して下さい。それを食べれば…


詩織 : (肉を食べる)


美和子 : 詩織さん!


詩織 :(肉を飲み込み)私は孤独より、死が怖い。


美和子 : (ウーロン茶を飲み息を整えて)詩織さん、ありがとう、ありがとう…


詩織 : それはこっちのセリフです。あなたのおかげで…


美和子 : あなたのおかげで私は、また命をつなぐ事が出来る。


詩織 : え?


美和子 : ごめんなさい、実はあなたに、いくつか嘘をつきました。


詩織 : 嘘…、それじゃあやっぱり。


美和子 : いいえ、全部が嘘じゃありません。私が不死の身体を手に入れたのは本当です。ただし、それには条件があった。


詩織 : 条件…。


美和子 : 不死の効果は、いわば一種の呪いです。その呪いで命を落とすか、人である事をやめるか、私は選択を迫られた。そして私は後者を選んだんです。


詩織 : どういう意味?さっきの肉は一体…


美和子 : 私に肉を譲った老婆は、本当は自分でも食べていたんです。そしてそれを後悔していた。不死を手に入れたくせに、今度は死にたがっていたんです。随分身勝手ですよね?私はそんな勝手な事は望まない。死ぬ事なんて望まない。


詩織 : 何の事?何言ってるの


美和子 : だから望みを叶えてあげたんです。私が食べたのは、人魚の肉じゃない。人魚の肉を食べて不死となった…老婆の肉です。


詩織 :…! ( 立ち上がる)


美和子 : (詩織の腕をつかみ)そして不死の効果は、私に受け継がれた。でも私はそれから定期的に、人の肉を欲するようになりました。それもただの人じゃない。同じ呪いを受けて不死となった人の肉。これが死なないための条件だったんです。同類に喰われるか、同類を喰うのを止めた時、私は死を迎える。


詩織 : さっきの肉は…まさか…


美和子 : 言ったでしょう?私は怪我の治りが早いんです。多少肉を抉った位、何でもないんですよ。


詩織 : (美和子の手を振りほどき)どうして私だったの…


美和子 : 何人か食べる内に気が付いたんです。生きる事に執着している人間の肉程、私の食欲を満たしてくれる事に。だからあなたの様に、より死ぬ事を恐れている人を探しては、こうして近付いているんです。大丈夫ですよ。痛い思いはさせません、だって…


詩織 : だってさっきの肉には、睡眠薬が混ぜてあるから。


美和子 : …なんですって?


詩織 : 寝てる間に一息に喉の肉を噛み切って殺してあげる。それがあなたの最後の優しさですもんね。


美和子 : どうしてそれを…。


詩織 : ここに来る時、迷いませんでしたか?


美和子 : どういう事?


詩織 : さっき言ってましたよね。この辺は何だか見覚えがあるって。街並みは随分変わったけど、土地勘が鋭いんですね。でも残念ながら、人の顔を覚えるのは苦手ですか?


美和子 : あなたは…


詩織 : まあ覚えてないのも無理もないですね。もう20年近く前ですから。私があなたに、食べられたのは。


美和子 : 食べられた、私があなたを食べた…。


詩織 : 今日と同じですよ。20年前、余命宣告された私にあなたは近ずいてきた。永遠の命を与えると。あなたの餌になるとも知らず、私は差し出された肉を食べてしまった。でもそれはもういいんです。死にたくない気持ちは私自身よく分かってる。死を回避するために仕方なくやったことだもの。騙された私が悪かったの。


美和子 : あなたはもう…


詩織 : 許せないのは、死ぬ前に全てを私に話したこと。どうして黙って、眠ってる間に死なせてくれなかったの?これから食い殺されると知った気持ちがあなたに分かる?生きるためにわずかな希望にすがった私に、わざわざ恐怖を与えて殺したあなたを、私は絶対に許さない。必ず同じ思いを味あわせる。意識を失う最後の瞬間、私はそう誓った。


美和子 : 思い出した…ここはあなたを食べた場所…。そう、私に復讐したいその一念が、私をここに導いたの。


詩織 : 私はこの場所から動けない。店は随分前に畳まれて、それ以来誰も来なくなったけど、かえって好都合だった。あなたの死に場所に、ここは相応しいもの。


美和子 : (笑って)随分長く生きたけど、幽霊と喋ったのは初めてね。その執念は大したものだけど、どうやって私を殺すつもり?あなたに私は殺せない。分かってるはずよ。


詩織 : よもつへぐいって知ってますか?


美和子 : なに?


詩織 : あなたの不死は呪いの一種。呪いには呪いで対抗するしかない。


美和子 : 面白いわね。私に呪いをかけるの?一体どうやって。


詩織 : もう、終わってます。


美和子 : 何ですって?


詩織 : 言ったでしょう、よもつへぐいですよ。あの世のものを飲み食いすれば、もう戻っては来られない。死者に差し出されたものを、あなたは身体に入れてしまった。


美和子 : …!(立ち上がる)


詩織 : そのお茶、美味しかったですか?


美和子 : そんなもので、人魚の肉に勝てると思ってるの?肉体も持たない、たかが人の死霊の分際で、八尾比丘尼の伝説を覆せるとでも。


詩織 : さあ、どうでしょうね。私にも分かりません。でも、死霊の私と不死のあなたが対峙しているこの場所は、既にあの世とこの世の境目。もしあなたの不死の呪いが勝てば、その扉から外に出られるはずです。私が勝てば…


美和子 : …扉は開かない


詩織 : 確かめるのは簡単です。心の準備が必要ならどうぞ好きなだけ。お互い、時間はいくらでもあるんだから…


美和子が扉の前に立つ。振り返り、詩織を睨み付ける。微笑む詩織。睨み合う二人。


暗転


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