第2話「素直じゃない」





「ん……ぁ……っ」



 —―知らない天井。

 —―どこだ、ここは?




 目が覚めてハッとして、俺は飛び起きた。



「っ――――――⁉」



 気が付けばそこは病室だった。


 腕に点滴らしきものが刺されていて、少しだけ背中が痛む。心なしか頭も痛い。ちょっとだけぼーっとしてる気もする。


 ていうか、俺はどうしてこんなところにいるんだ?


 記憶がない――というか思い出せない? 

 ん、いや、そうだった。俺は高校生になったんだったっけか。


 それで、入学式に向かおうとして……尚也に会って……尚也と別れて……。


 そして、確か……なんか綺麗な女の子がいた気がする。


 清廉で……可憐で……静かなものすごく美人が俺の前に現れて。


 それで――――信号が青になって。


 ……車が来た。


 そうだ、俺は――あの時女子高生を助けようとして。そう、めっちゃ綺麗な噂の女子高生。


 助けた……いや待てよ、あの人はどうなった? 


 頭の中がまるで蒸気機関車の如く煙を上げて回転していく。まさに、その記憶にたどり着いた瞬間だった。




「だい、じょうぶ……ですか?」




 耳に透き通った声が聞こえる。

 心地よく、春風のように抜けていくその声音。

 

 すると、そこにはがいた。


 病室のベッドで横になる俺の隣。小さな椅子に腰かけ、目元を真っ赤にして、心配そうにこっちを見つめながら震える声音を響かせていた。


「あ、あなたは……」

「あの、大丈夫ですか? どこか異常は……?」

「え? あ、いや、俺は大丈夫ですっ。腰っていうか背中は痛いですけど……」


 質問に答えると少し申し訳なさそうに俯いた。

 

「大丈夫ですか? あなたこそ……」

「わ、私のせいですよね」

「え?」

「いえ、その。覚えてますか? 私が横断歩道を渡っていたら車が横から突っ込んできて……そしたらあなたが後ろから助けてくれて」


 確かにそうだった。

 そういえば俺も俺でよくわからなくて、気が付けば体が動いていて……それで俺は氷波先輩の体を包みこむように抱きしめていて。


 抱きしめた……柔らかかった。

 って俺何気に女子のこと触ったの初めてじゃね?


 まさか……胸、揉んでなかったよね?

 柔らかかった気がするけど。



 って何考えてんだ変態が。




 手を頭と背中に忍ばせると包帯でぐるぐる巻きにされていた。妙にずきずきしていた理由はこれだったようだ。


「車が見えたときには正直混乱しました。何が起きているのかさっぱりで……あなたが命を決して身を投げてくれなければ私は確実に死んでいました」

「い、いや。無事ならよかったんですよ。それに俺も先輩も無事でしたみたいですし」


 重苦しい表情を浮かべて話す姿は少しいたたまれなくて、そんなことはないと否定する。


「ぶ、無事ではないじゃないですか。お医者さん曰く、その……あと数センチ当たり所が悪かったら一生目覚めないと言ってましたし」

「え、マジですか?」

「ま、え、えぇ……だからその私のせいで。こんなことになってしまって」


 彼女はそういうけど俺は別にそう思っていない。

 それに、なんかちょっと気まずい。


 まさか氷波先輩との初めての会話が私のせいって……別にそんなつもりも、それで何かあるとかじゃないんだしあまり考えないでほしい。


 何より、罪悪感がえぐい。

 助けたとはいえだ。そんな彼女を悲しませているっていうことが直感的にやばいのが分かる。


 どうしよう、俺。このまま暮らしていけるのかな。

 この人、有名で美人だし、なんか美人局的なこともあるかもしれないし。


 いや、頭もよくて、こんなため込んで話す人がそんなことするわけないか。疑ってしまって情けないな俺は。


 とにかく、あまり背負わせたくはない。

 ここはしっかり否定しないと。


「いいんですよ。別に」

「でも……それじゃああなたが不憫じゃ」

「でもじゃありません。それに、知ってました?」


「な、え?」


「俺って将来人を助けるヒーローになるのが夢だったので。ほら、こうして女の子助けられたなら夢かなったなぁって……」


「は、はぁ……?」


 困惑して口を頬ける彼女。

 

「あ、あはははは……すみません。何でもありません」


 やってしまった。確実に滑った。柄にもないことするんじゃなかった。なんだよ、将来の夢がヒーローって、いい歳こいて何考えてるんだ俺はさ。そりゃ「はえ?」ってなるわな。こんなことなら尚也に女の子との話し方を学べばよかったよ。


 参った。変な人扱いされるかなこれは。


「あ、あの……っ」


 ため息を溢しながら嘆いていると隣から肩をトントンと突かれた。突くだけでなく、病人用の水色の服を引っ張ってくる。


 あの冷徹で鋭い瞳が柔らかく潤んでいるのが見えて、少しだけ胸が引き締まった。

 

 俺、すさまじいくらいにつまらないこと言っちゃったのかな。やばい。この人いろいろ権力持ち出し変なことしちゃったら……。


「な、なんでしょうか?」

「え、いやその大したことじゃないんです。その……そこまでかしこまらなくても」

「お、俺が寒いこと言ったのではなく? これから俺の息の根を止めようと……」



 一瞬、動きが固まるとすぐに彼女は首を左右にぶるぶると振った。


「—―っそ、そんなわけないじゃないですか。命の恩人にひどいことはしません。私はその、一生分の恩を感じてるんですよ? そんなことしませんって! じょ、冗談でもそんなこと言わないでください……」


 はぁはぁはぁと息を荒げて、ほっと一息を吐く彼女。

 さすがの冷徹姫さんの糾弾に驚いて声も出ない俺を見るや否や真面目な表情こういった。


「あの……私のことを心配してくださったんですよね」

「ま、まぁ。滑りましたけど」

「滑ってません。面白かったです」

「笑ってないんだけど」

「心の中では笑いました」


 なんだそれは。滑った人に対して全然慰めになってないぞ。


「……とにかく、その。今日のことは本当に私の落ち度です。しっかりと左右の確認をしていればこうはなりませんでした。だからその……この恩を返させてください」


「え、借り?」

「はい。こんな命まで助けてもらって何もしないわけでもありません。私が身をもって償います」

「償うも何も俺は何も失ってないですよ?」


「う、失ってるじゃないですか」


 否定しても押し続けてくる。

 とはいえ、俺は何も失ってはいない。

 それに……償うなんてこの人が口にしたらやばい。俺はそんなこと頼まないがほかの男だったら体を要求するやつだっているかもしれないんだ。


 だからこそ、これ以上俺に何か恩を感じる必要なんて……。


「—―入学式を失っています」


 ポット出てきたその言葉に俺の頭の中は支配された。


 入学式。


 そう、今日は俺の高校の入学式があった日。

 高校生活の始まりでもあり、スタートでもあり、青春のラストとも言える。


 そんな重要な日をましてはこの俺が休んだ。



 それが意味することはつまり……俺は確実に浮く。

 何が浮くって?

 そんなの決まっているだろう。俺の存在がだ。

 俺みたいな一人がお似合いの男がクラスで浮いた存在になるなど……やばい。今後の学生生活が危うくなるじゃないか!!!!



「大事な縁を私なんかで台無しにしてほしくないです……」



 ただ、そうは言っても焦る俺を裏腹に悲しそうに声を上げる姿には台無しだなんて言うことなんてできなかった。


 

「いやいや、俺は大丈夫ですよ。縁って言っても入学式ですし。それに、私なんかって言わないでください。俺はこんなにも綺麗な人助けられたってだけで俺は満足ですからっ」


  

 またしても、不意に冗談が出てくる。

 俺にとってどっちが本音なのかよく分からなかった。





「……っ」




 —―ん、あれ?

 なんか急に黙り込んだぞ、この人。



 今度こそやっちゃったのかと焦っていると彼女はそっぽを向いた。

 心なしか赤くなっている頬が見えるも、すぐにきりっとした表情を浮かべる。


「…………き、綺麗じゃありませんっ」


 羞恥心の塊のような動きだった。


 もじもじと足をこすり合わせて、目線は泳ぎ、落ち着かないのか両手をピタピタと合わせては離してを繰り返している。


 動揺が垣間見える。綺麗って言われて……嬉しいのか?


 どうやら言葉は素直じゃないようだ。

 それがちょっと可愛いとさえ思ってしまう。


 冷徹姫だとか氷姫だとか、そんな冷徹さがまるで嘘かのように。


 そんな姿に胸打たれていると、すぐに院内にアナウンスが鳴り響いて、ふと時計はすでに16時を回っていた。


「そ、それじゃあ私は帰ります……」


 バックを手に持ち、足早に病室から去ろうとする後ろ姿に俺は声をかけて引き留める。



「あのっ」


 ぴたりと止まって振り返る。

 綺麗な髪に、綺麗な瞳。

 スタイルが良く、完璧な人。


 そんな人を心配させるのは足手纏いになる気がして、つぶやいた。



「俺は本当に大丈夫です。だから気にせずに……」



 しかし、彼女は遮るように強い言葉で答えた。



「大丈夫とかじゃありません。私は、恩をくれた方にそれを仇で返そうなんて愚かな人間になりたくありませんからっ」



 まるで俺じゃない誰かへの因縁も微かに浮かぶような鋭い眼差しだった。


「っ!?」


 その言葉と重みにやられていると、ハッとしたのか。背中を向けて呟いた。


「す、すみません。熱くなってしまいました……」


「い、いえ……」


「それじゃあ……帰りますっ。また……っ」


 また?

 最後の二文字に疑問を抱くも、今度の今度こそ、逃げるように走って部屋を飛び出ていく。



 その後、すぐに入ってきた看護師が意識を取り戻した俺に開口一番投げかけてきた言葉は「痴話喧嘩?」だったのは納得していない。





 にしても、氷波冬香……冷徹姫って言われてる人があんなに心配性で表情豊かだなんて思わなかったな。




 俺、これからどうなるんだ?



 




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