嫌いな●●殺し

ねむるこ

第1話 嫌いな……殺し

 私は今から人殺しをしようとしている。壁に隠れて、息を潜め、憎き相手をにらみつけた。

 私の姿が見えていないのは先ほど通り過ぎる生徒達の前に出て確かめたばかりだ。それでも思わずこそこそとしてしまう。

 そんな弱気な自分に私はため息を吐いた。

 これから行われることは誰にも見られることはないし、罪にも問われることはないというのに。






「殺したい奴?」

「そう。殺したい奴、いるんでしょう?」


 そんな物騒な会話をしたのは夜中のコンビニへ向かう道の途中だった。私は明日の歌手デビューを控えて、心を落ち着かせるために酒を買いに家を出たのだ。

 路地は街灯が1つあるだけで、静寂と暗闇に包まれている。そのせいで私はある人物と正面からぶつかってしまった。


 黒いフードを被った人物が私に話しかけてきたのだ。私は深いため息を吐いた。世の中には一定数、付き合ってはいけない人間がいるものだ。無言でその人物の横を通り過ぎようとした。


「これ」


 通り過ぎ際に突き出された物に私は「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。

 それは……真っ赤に染まった包丁だったのだ。


「あ!ごめんごめん~。トマトを切った後だった~」


 黒フードの人物は怪しい笑みを浮かべながら袖で包丁の汚れを拭った。


「この包丁はね。姿を見せずに誰でも殺すことができるの」

「……誰でも?」


 むしゃくしゃしていた私は黒フードの言葉に大きく反応した。


「そう。念じれば殺したい奴の場所まで連れていってくれるんだ。例えそいつがどこにいようとも」


 嘘っぽい商売トークなのに私の心は酷く惹かれた。それぐらいに必死だったんだ。

 気が付けば黒フードの人物に詰め寄っていた。


「……それって、殺したい奴が……でも?」

「はい、勿論。嘘だと思うなら特別にお貸ししましょうか?」


 そう言って黒フードが包丁を手渡す。

 包丁は街灯の光でギラリと怪しく光った。




 ……というような感じで包丁を受け取り、殺したい相手を思い浮かべたらこんなところにいるというわけだ。

 場所は懐かしさ満載のとある学校の中庭。ベンチでこそこそと何かをする地味な女子生徒だ。

 私はその広くて不格好な背中をうらめし気に眺めた。

 

 なんてひどい姿をしてるんだろう。


 全体的に肉付きがいいその女子生徒は制服のせいで黒いかたまりに見えた。眼鏡の奥で忙しなく動く瞳が人を苛立たせる。


 全体からただよってくるもっさりとした雰囲気がたまらなく不快だった。

 時々他の生徒が通り過ぎていくのだが、その女子生徒を見て笑みを浮かべる。あの笑顔の理由を私は知ってる。


 自分より格下の者に見せる態度そのものだ。

 私自身が見下されているような気分になって思わず吐き気をもよおす。

 

 そうだ、私はあの黒いかたまりとは違う生き物だ。

 肌だって綺麗だし。痩せてる。髪だってサラサラで……。明日、華々しく歌手デビューを飾るほどの実力も持ち合わせている。


 私の呼吸がだんだんと荒くなってくる。

 包丁を強く握りしめ、一歩一歩その女子生徒に近づいた。


 こんなきたならしいものなんて綺麗さっぱり消えてしまえばいい!


 勢いよく包丁を振り下ろそうとした時だった。


「あ!」


 目の前の女子生徒の手元から無数のルーズリーフが風で飛び散った。

 私はルーズリーフを見て、包丁を振り下ろす手を止める。


 ルーズリーフにはつづられていたのだ。


 何度も書いては消した跡がある。

 色ペンで訂正しているものもあった。

 

 ルーズリーフを黙って拾い集める女子生徒を見て、私はたじろいだ。急速に殺意が遠のいていくのえお感じる。


「何なのよ……。そんなの見せられても……私はあんたのことが嫌いなんだから!どんくさくて、輝かしい日々を送ってない。可愛くもなんともない、あんたのことが!」


 もういい。こうなったらもっと過去のあいつを殺せばいいのだ。

 包丁を握り直すと私は殺したい相手を強く念じた。



 再び目を開けると学校の風景はどこかへ消え去り、アパートが立ち並ぶ住宅街が現れた。

 ふと、小さな公園に視線を向けると私の殺したい相手を見つけた。


 一人でブランコを漕いでいる。


 私はほくそ笑んだ。今が殺すのに絶好のタイミングだ。

 包丁を強く握りしめ、真っすぐに女の子の背後へ歩いて行く。


 女の子の背後に突いた瞬間、突然その子は歌を口ずさみ始めたのだ。包丁を手にしていた手が震える。


 楽しそうに、何のしがらみもなく、青空に向かって歌う女の子は輝いてい見えたのだ。

 聞き慣れないフレーズとリズム……。恐らくこの子が考えた歌なのだろう。


 決して可愛い見てくれではないのに、来ている服だってダサいのに。

 今だって私はその姿を消してしまいたくて堪らないはずなのに、私は包丁を突き刺す勇気が持てないでいた。

 あいつを殺すことのできない自分自身に苛立つ。悔しくてその場で地面を蹴った。


 どうしてよ……。

 どうしてそんな風に格好悪く生きてるの?

 これ以上、恥ずかしくて汚い思い出を増やさないでよ!


 女の子の歌が耳に入る度に目から水滴が流れて出た。しょっぱくて、決して綺麗とは言えない涙だ。

 



 私が殺したかったのは……過去の私だ。


 歌手デビューという輝かしい道とは裏腹に私の過去は人に語るも恥ずかしい、くすんだ人生しか送っていない。

 有名になって過去を探られたら?多くの人に指をさされて笑われるなんて耐えられない。折角、輝かしい世界を手に入れたって言うのに、過去の自分に足を引っ張られれるなんて嫌だ。


 だから私は過去の私を殺したかった。

 自分が恰好悪かったことを綺麗さっぱり消してしまえば、私の中を渦巻く不安は全て消えるはずだった。


 でも、できなかった。


 私は気が付いてしまったのだ。

 過去の自分の恥じが、過去の自分の恰好悪さが今の自分を作り上げたということに。

 

 思春期に見た目を馬鹿にされたから今では見た目に気を遣うことができている。

 黒い塊だった私はどんなに馬鹿にされても詞を書き続けていた。あのルーズリーフの山の中に、デビュー曲が含まれていたはずだ。

 小さい頃に色んな場所でオリジナル曲を歌っていたのも。ブランコに乗りながらリズムを作っていたのも。


 全てが今に繋がっていたのだ。


 私は嗚咽しながらその場にしゃがみ込んだ。思わず包丁を滑り落としてしまう。


「あれ?お姉さん、どうしたの?」


 私は包丁が手元から離れて姿が露になってしまったことに気が付く。慌てて涙を拭うと笑顔を浮かべて答えた。


「ううん……。あまりにもいい歌だったから。感動して」

「本当に?ありがとう!りっちゃんね、大きくなったら歌手になりたいんだー」


 無邪気な笑顔を見て私は心が浄化されていくような気持ちになった。


「……がんばってね」


 私はそう言うと、包丁を手に持ち直して目をつぶる。




 

 目を開けると、そこは見慣れた夜道だった。

 街灯が1つしかない、誰もいない道をぼんやりと眺める。私は目元をそでぬぐうとつぶやいた。


「……帰ろう」


 気が付くとあの包丁はどこにも見当たらない。さっきまでの出来事は……夢だったのだろうか。それならきっとあの夢は良い夢だったに違いない。

 私は過去の自分を受け入れることができたのだから。




「あれ?鍵かけるの忘れてたかな?」


 私は部屋のドアを開けながら首を傾げる。

 パソコンの前に座り、明日のお披露目会に向けて準備をしようとした時だった。


「何これ?」


 えげつない通知の数。その一つを開くと、驚くべきことが書かれていた。


「有名音楽プロデューサーが不審死?」


 私は画面に食いつくように情報を追った。

 殺されたのは数時間前で刺し傷があったことから殺人事件として捜査されていることが読み取れた。


「どうすんのよ……。明日、お披露目会なんてやってる場合じゃないじゃない」


 スマホを手にして電話をかけようとした時だ。


 背中から左胸にかけて燃えるような熱い感覚が駆け巡る。

 それが痛みだということに遅れて気が付いた。


「……え?」


 身体を見下ろして、胸を突き抜ける突起物が視界に入る。

 私は背中から刺されたのだ。……恐らく包丁で。


 私はその場に倒れ込み、痛みにもがき苦しんだ。脳内が一瞬にして「痛い」という言葉で埋め尽くされ、多分ずっと口でも「痛い痛い痛い」とうめいていた。

 辛うじて顔を見上げて、私は息を呑んだ。


 倒れ込んだ私を見下ろしていたのは……黒フードの人物だった。

 




「デビューおめでとうございます!マッキーさん」

「ありがとうございます~」


 ツインテールの女性が沢山の記者に囲まれて微笑んでいた。


「話題の歌姫、リッツさんが殺害されたことについてどう思われますか?」

「残念だと思います~。同世代の歌手として尊敬してたんですけどね。同じ時期に動画投稿サイトでバズった仲ですし~」




 イベントの後。マッキーと呼ばれた女性は控室ひかえしつでほくそ笑んでいた。


「ラッキー。どこの誰だか知らないけど、リッツが消えてくれて良かった~。じゃなきゃデビューなんてできなかったかもね」


 マッキーはスマホで過去の写真フォルダをスクロールする。


「てか、顔変わりすぎだし。バレないと思ってんのかな~?私みたいにあんたの過去を知ってる人間がいることに」


 画面には黒い塊のような少女が映っている。卒業アルバムの写真を撮影したもののようだ。そのすぐそばにはマッキーとよく似た顔の少女も映っていた。


「イケてないあんたが私よりも上にいくなんて……許せないんだから」


 そう、一言呟くとポケットから紙を取り出す。


「だけど誰なのかな~?『未来の●●』って。この手紙には私のために苅谷律かりやりつを殺してやったって書いてあるのに。肝心の●●が分からないじゃない」


 突然控室の扉がノックもなく開いた。


「ちょっと!ノックぐらいしてよね!」

「ああ、ごめんよ。マキちゃん」


 扉に立っていたのはマッキーの楽曲を担当している作詞兼作曲家の男性だった。黒いパーカーを身に付け、フードを被っている。


「ほんと使えないんだから。あんたの曲が有名になったのは私のお陰なんだからね?てか、あんたちょっとけてない?お願いだからその見てくれで動画に出ないでくれる?」

「ああ、……分かったよ」


 マッキーは鏡に向き直ると、熱心に化粧を直し始めた。

 その後ろ手に……赤く染まったあの包丁が握られているとも知らずに。



 

 


 




 

 






 


 

 

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