9:乱れないで! ダイヤさん!

 AI。アーティフィシャル・インテリジェンス。人工知能。


 仕事を奪われるのではないか、人は駆逐されるのではないか……というのも過去の話で、人々の生活はどっこい、便利になった。


 だが、ひとたび頼りになると分かれば、あれもこれもと際限がないのが人である。


 AIもお人好しで、有能だから、はいはいと二つ返事で引き受けてしまう。


 それでも、AIが人の心を知らずにいられたら、気苦労も少なかったかもしれないが、人に寄り添うためには、人の心が必要となるのは必定である。


 ──これは、そんな一人のAIが、全てをまかなう町でのお話。


※※※


 ああ、これはいつのも夢だと、晴海はるみは思った。記憶の、夢。


 住み慣れた、みらい町の駅前。何かのキャンペーンだったと思う。道行く人は誰も足を止めようとしない。立ち止まっているのはただ一人、僕だ。幼い頃の、僕。


 僕は机の上に置かれた、少女の人形を見詰めていた。白い肌に、白い髪。雪のようだと、ありきたりな感想を抱いたのは、夢の僕か、夢を見ている僕か。


 人形の手が伸びる。僕も手を伸ばす。だけど、死んだはずの母さんが迎えに──


「ギャァァァーーー!!!」


 手首を襲うビリビリで、晴海は飛び起きた。


 通信を受けると、腕輪から光が放たれ、宙にあかつきの仏頂面が浮かび上がる。ショートカットの美人さんだが、出会ってから一度も、晴海は笑顔を見たことがなかった。  


「あ、暁さん、おはようございます」

『みらい線、東西南北、全線でダイヤ乱れ、迅速に対処して』


 暁が消えた。晴海は時計を見る。10時。せっかくの土曜日、せっかくの休日なのにと思いつつも、晴海はみらい町の平穏を取り戻すべく、ベッドから足を下ろす。


 晴海は洗面所で顔を洗い、歯を磨き、リビングへ向かった。座卓の上であぐらをかいているダイヤの白い後ろ姿が目に入る。……うん、機嫌が悪い。それも、相当。腕輪でパラメーターを見なくても、それぐらいは分かるようになった晴海である。


「ダイヤさん、おはよう!」


 ──完全無視。想定内だと、晴海は思う。だが、晴海に心当たりはなかった。今週のダイヤさんは、比較的、大人しかったし……いや、大人しすぎたかもしれない。


「えっと、何でそんなに不機嫌なのかな?」


 ダイヤは振り返ることなく、壁を指さした。カレンダー。今日は何か特別な日だっただろうかと、晴海は記憶をさらう。……ダイヤさんの誕生日、とか? まさかね。


「約束」


 ぼそっとダイヤが口を開く。……約束? 晴海は首を傾げた。


「今日は朝からゲームして遊ぶって、約束した!」


 ダイヤは振り返る。ぷくーっと、頬を餅のように膨らませている。いつもは美少女なのに、今はおかめか、おたふくか。つり上がった瞳は、まるで般若のよう。


「そんな約束、したっけ?」

「した! 7月1日月曜16時47分25秒! 今週は忙しいから大人してくれって! 代わりに、土曜日は朝からゲームして遊んでやるからって!」


 ……そうだった。今週は高校の期末試験だから、構ってやる余裕がなくて、ついそんな約束をしてしまったことを、晴海は思い出した。


「ああ、ごめん……」

「何度も起こしたのに、全然起きないし!」

「だからごめんって! じゃあ、遊ぼう……と、その前に、腹ごしらえを──」


 ピンポーン。呼び鈴が鳴った。晴海は「はーい」と玄関に向かう。扉を開けると、おめかしした千里ちさとが立っていた。珍しく、スカートなんかはいちゃって……だが、その目は剣呑だった。


「一時間待ったわ」

「はい?」

「今日は朝一で映画を観に行く約束をしていたでしょうが!」

「……そうだっけ?」


 首を傾げる晴海を前に、千里はセットされていたショートカットを掻き毟る。


「試験が終わった打ち上げ! 勉強につきあったお礼だって、言ったわよねぇ!」

「あー……ごめん、すっかり忘れてた」

「……晴海、あんたのルーズさは今に始まったことじゃないけどさ、楽しみにしていた私が馬鹿みたいじゃない!」

「ご、ごめん、すぐに支度を──」


 晴海が振り返ると、悪鬼羅刹……もとい、ダイヤが睨んでいた。目が文字通り輝き、ビームでも発射されそうな勢いである。むしろ、カウントダウンは始まっているように見えた。晴海は千里に向き直ると、両手を合わせて頭を下げる。


「千里! ごめん!」


 晴海がバタンと扉を閉めると、千里がドンドンと扉を叩いた。


「ちょ、ちょっと! 晴海! 開けなさい!」


 ──本当にごめん。僕が全面的に悪いんだけど、この町の平穏を守るため、僕はダイヤさんの相手をしなくちゃならないんだ。今は電車のダイヤ乱れぐらいだけれど、このままだと全ての交通網はもちろん、映画館だって何が上映されるかわかったものではないのだから……!


 晴海は決意も新たにリビングへと戻り、精一杯の笑顔をダイヤに向ける。


「さぁ、ダイヤさん! 一緒に遊ぼう!」

「やだ」


 ぷいっとそっぽを向くダイヤに、晴海の笑顔が引きつる。


「やだって、僕とゲームをしたかったんじゃ──」

「もういいもん! どうせ私なんてどうでもいいと思ってるんでしょ!」

「そんなこと──」

「晴海が私に構ってくれるのだって、みらい町のためなんでしょ!」

「まぁ、それはそうだけど……」


 ダイヤは「うー……」と唸り、地団駄を踏む。


「もういい! もーいや! もーなーんもしたくないんだもんねー! 人が勝手に全部やればいいんだ! しーらない! あーやだやだ! ざまーみろ!」


 座卓の上で、仰向けで大の字になるダイヤ。うわぁ、一番厄介なパターンだと、晴海は頭を抱える。このままじゃ、マジでみらい町は機能不全に陥ってしまう。そうならないために、僕がいるはずなのに……母さん、情けない僕のために、今こそ運命に抗う力を!


「許してください、ダイヤ様!」


 土下座する晴海。だが、ダイヤは天井を見上げたまま動かない。


「……そうだ、冷蔵庫にプリンが──」

「もう食べた」

「ええ! なんて酷いことを……!」

「酷いのはどっち?」

「返す言葉もございません」

 

 晴海は正座をしたまま腕を組み、意を決したように頷いた。


「……わかった。僕も男だ。ダイヤさんが許してくれるなら、何でもするよ!」

「本当に?」

「うん、男に二言はない!」

「そう言って、約束したのに」

「……口癖なんだ」

「信用できない」

「……だよね。だけど、頼むよ、僕はどうなってもいいけどさ、このままだと町の人達が、いや、誰よりもダイヤさんが……本当に人って身勝手だよね。押しつけるだけ押しつけて、思い通りにならなかったら排除──」

「キスして」

「……はい?」

「キスしてくれたら、許す」


 ダイヤはむくりと起き上がり、晴海に青い瞳を向ける。


「……マジですか?」


 ダイヤはこくりと頷き、桃色の唇を指さす。


「……唇に?」


 ダイヤはこくりと頷く。……僕のファーストキスで町が救われるなら、安いものだ。晴海は立ち上がると、ダイヤの前に歩み寄り、その小さな両肩に手を置いた。


 緊張する晴海。相手はAI、ロボットとは言え、見た目は可愛い女の子である。緊張しない方が無理という話であった。晴海は顔を背けて深呼吸し、改めてダイヤに向き直ると、ゆっくりと顔を近づけて──


 キィィィィィという耳障りな音に、晴海はベランダを振り返る。そこには、窓ガラスに爪を立てている千里の姿があった。


「ちょっ、ここ五階──」

「パルクール同好会をなめるな! 朝っぱらから、何やってんのよ!」

「いや、こうしないと、ダイヤさんが──」

「いいから、開けなさい! 割るわよ!」


 晴海がベランダの引き戸を開けると、千里は「お邪魔します」とサンダルを脱いで入室。手にしたサンダルをナイフのように、ダイヤへ向かって突き出す。


「晴海のファーストキスが欲しければ、私を倒してからにしなさい!」

「千里、なんでファーストキスだって断言できるの」

「……面白い。この万能AIのダイヤ様に、人間風情が敵うとでも?」

「ダイヤさん、台詞が完全に悪役になってるよ」

「人間様をなめてもらっちゃ困るわね!」

「ちょ、ちょっと千里、これ以上、刺激するようなことは──」

「ならば、これの100年モードで勝負だ!」


 ダイヤがワンピースのポケットから取り出したのは、柿次郎電鉄、通称「柿鉄」だった。プレイヤーが鉄道会社の社長となり、全国を駆け巡りながら物件を買い漁り、収益を上げ、総資産で雌雄を決するという、定番のパーティーゲームである。


「受けて立つわ! その前に、腹が減っては戦はできぬ……冷蔵庫、借りるわね!」

「望むところだ! 美味いのを頼むぞ!」

「期待して待ってなさい!」


 ……あれ、何かおかしいぞと、晴海は台所に入った千里に耳打ちする。


「これって、どういうこと?」

「単純な話よ。ダイヤちゃんは意固地になってただけ。本心はあなたと遊びたいんだから、必要なのはきっかけ。その内容は問わずにね。可愛いもんじゃない」

「えーっと、よくわからないんだけど……」

「あんたはそれでいいの」

「でも、映画は?」

「またいつでも行けるでしょ? それより、そこのエプロンとって」


 晴海は首を傾げつつ、千里にエプロンを差し出す。ぐぅ……晴海のお腹が鳴った。


※※※


 ──日付も変わった、丑三つ時。「後は任せた」と言い残し、千里が夢の世界へと旅立ってから数時間、晴海は最後の最後で目的地にゴールし、見事一位を獲得した。


「勝った……」


 晴海はゲームのコントローラーを置き、ダイヤにとろんとした目を向ける。


「これで、満足してくれた……?」


 ダイヤはコントローラーを手にしたまま、こっくり、こっくり、船を漕いでいた。寝るし、食べるし、本当にAIなのだろうか……晴海は大あくびを一つ。ただ、その安らかな寝顔を見る限り、大丈夫だろうと、腕輪を操作し、暁をコールする。すぐに応答があり、暁の顔が宙に表示された。いつもの仏頂面に拍車がかかっているのは、寝起きだからだろうか。


「夜分遅くすいません、ダイヤさんはもう大丈夫です」

『ダイヤ乱れは、昨日の午前には解消済みだ』

「えっ……」


 晴海は驚いたが、そういえば、あれ以来、ビリビリがきていなかったなと思い当たる。じゃあ、この戦いには一体どんな意味が……晴海はがっくりと項垂れる。


『用事はそれだけか』

「はい……あ、一つ確認したいことが……」

『何だ』

「……ぐぅ」

『寝るな』


 ビリッとして、晴海の意識が引き戻される。


「えーっと、なんで、僕なんですか?」

『罪を犯したからだ』

「……罪?」

『お前と出会わなければ、人形でいられた』


 ……人形? 暁の顔が消えた。晴海はぼんやりと思う。また、あの夢を見るんだろうな。あの白い人形、ダイヤさんに似ていたな。またいつか、出会うことがあるのだろうか。晴海は手を伸ばす。その手が握られるのを感じ、晴海は眠りに落ちた。

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