7:希望の力
子供は無力だ。大人になれば、力が得られる……そう、考えてしまうほどに。
そんな英雄に憧れて……と言えば、少年の夢としては立派なものだろうとカイル・レンは思う。だが、カイルが軍人を志した理由は一つ。力が欲しかったからだ。
「力」=「軍人」というのも短絡的だが、ただ大人になるだけでは力を得ることができない……その先見の明は、自画自賛に値するだろうと、カイルは思うのだった。
※※※
スペースコロニー「エスペランサ」。共和国のコロニーの中でも、よく言っても中の下、辺境の田舎コロニーにカイルが訪れた理由は一つ、アカツキの接収だった。
──ジリジリと、夏の日差しが照りつける。四季も自在なコロニーにおいて、このような酔狂な環境が設定されていることも驚きなら、木々と、虫と、老人ぐらいしかいない場所に、かの名機アカツキがあるとは、とても信じられないカイルであった。
黒い軍服は木漏れ日の下でもなお暑く、誰に見とがめられることもない状況で、なお着続けるのは自殺行為だと、カイルは上着を脱ぎ、シャツの袖を捲り上げる。
地図アプリも役に立たず、道を尋ねた老婆が「ああ、赤いロボットね」と合点し、指し示した森の中を一人、カイルは歩き続ける。ロボットはあるらしい。だが──
森を抜けた途端、駆け出すカイル。辿り着き、カイルの目に飛び込んできたのは、
マークスの孫娘ジェシカ・マイロードだろうと当たりをつけたカイルは、ハンカチで汗を拭うと、軍服に袖を通しつつ、現アカツキの所有者である少女へ歩み寄る。
「ジェシカ・マイロード?」
「……ふぁ~い?」
気の抜けた返事と共に、ゆるりと立ち上がった少女は、その小麦色の肌に何も身につけていなかった。資料にあった15という年相応の膨らみ、くびれ、茂──
ガツンと、マークスの鼻頭にシャワーヘッドが激突。避けれなかったのは、少なからず見とれていたからもしれない。うずくまったカイルに、ジェシカの罵声が飛ぶ。
※※※
家というより、小屋といった感じの木造建築……それが、ジェシカの住まいだった。支柱の傾きを始め、ところどころ、粗や拙さが見て取れるが、その全てがマークスの手作りであると聞けば、不思議と味わい深く思えてくるカイルだった。
カイルとテーブルを挟んで差し向かいのジェシカは、シャツに短パンと夏らしい恰好。椅子の上であぐらをかき、ばつが悪そうに、カイルの鼻の詰め物を見やる。
「……その、ごめん。誰か来るなんて、思わなかったから」
「こちらこそ、失礼致しました。まさか、水着を着ていらっしゃらないとは──」
「い、いいでしょ! 気持ちいいんだから!」
ジェシカは短い赤髪を掻きつつ、「単刀直入に言うけど」と切り出す。
「あの子は渡さないから」
「お見通しですか」
「……あのねぇ? それ以外に、誰がこんなところに来るっていうのよ?」
「では、理由もおわかりですか?」
「戦争でしょ?」
「ご明察」
「……天国のお爺ちゃんが泣いてるわよ。俺は何のために戦ったんだって」
「申し訳ございません」
深々と頭を下げるカイルを、ジェシカは怪訝そうに眺める。
「どうしてあなたが謝るの?」
「大人だからです」
「ふーん。子供じゃ戦争はできないもんね。奪われるだけだもん」
「私は──」
「あなただって、そのために来たんでしょ?」
図星だった。カイルはアカツキを譲ってくれるように頼みにきたわけではない。アカツキを接収するという共和国軍の決定事項を、伝えるためにやってきたのだ。
「ジェシカさん」
「……何?」
「一つ、お願いがあります」
※※※
その墓石は小さく、そうだと言われなければ見過ごしてしまいそうな程で、英雄と呼ばれた男が眠る場所としては、いさかか質素に過ぎると、カイルには思えた。
「私が埋めたんだ。遺言だったから」
身を屈めて、墓石を撫でるジェシカ。カイルは今になって、手向ける花の一つも持参していないことに気づき、何が大人だと心の中で自嘲する。……いや、建前がなければ、墓参り一つできない。それこそが、大人というものなのかもしれなかった。
「あなたも、お爺ちゃんに憧れて軍人になったの?」
「いえ」
「そっか。でも、何か嬉しいな。お爺ちゃんもきっと、喜んでるよ」
「それなら、私も大人になった甲斐があります」
「何それ? 変なの!」
屈託なく笑うジェシカに、カイルは「ですね」と応じる。
「ジェシカさん、ありがとうございました。私はこれで失礼します」
カイルはジェシカに頭を下げると、踵を返して歩き出す。
「泊まっていきなよ! お爺ちゃんが好きだった、特製カレーを作ってあげる!」
カイルは足を止め、振り返った。ジェシカはぐっと親指を立てて、ウィンクする。
※※※
夜。周囲は闇、空は人工の光で満たされる時間帯。ジェシカの特製カレー……とにかく激辛だった……を堪能したカイルは、携帯端末の着信を受けて、家の外に出る。
『あのメッセージは何だ?』
上官である女性の声には、怒りより戸惑いの色が強かった。
「ご検討頂けましたか?」
『本気か? 薬でもやっているのか?』
「私はただ、アカツキの接収を中止するよう──」
『検討に値する進言ではないことが、分からないのか?」
「それが大人のやることですか?」
『何を──』
「彼女は拒否した。これ以上、何をするっていうんです?」
『気の毒だとは思う。だが、仕方がないだろう?』
仕方がない。その言葉が具現化したような存在が、徐々に近づいていることを、カイルの耳は聞き取っていた。ジェシカも家を飛び出す。それは無遠慮に、空からドスンと舞い降りてきた。
高出力のアーマード・ギア「ベンケイ」。あれなら、アカツキも容易に運び去れるだろう。両手と副手が伸び、アカツキを掴む。「やめて!」とジェシカが叫んだ。
カイルは腰のホルスターから拳銃を取り出し、構えると、ベンケイに向かって発砲する。小さな火花が散る。何度も、何度も。弾切れ。リロード。発砲。発砲。発砲。
拳銃。これが、カイルの力の全てだった。小さな力ではない。だが、それはより大きな力……権力には無力だった。全弾を打ち尽くし、カイルは拳銃を投げ捨てる。
──力が欲しい。別に、世界を救うとか、そんな大それた目的のためじゃない。ただ、当然の権利が、当たり前の日常が、奪われないようにするための力が。それは、大それた願いだというのだろうか? そうだとしたら、この世界は一体、誰のためのものなのだ?
──アカツキの双眸に光が宿った。振り上げた右腕がベンケイの腕と副手を離れ、振り下ろした手刀が、ベンケイの腕を切り落とす。自由になったアカツキは、ベンケイを蹴り飛ばす。前蹴り。ベンケイの巨躯が浮き、尻餅を突く。大きな地響きに、カイルはたたらを踏んだ。
アカツキは身を屈め、右手を差し出す。その先にはジェシカ。アカツキの手に乗ったジェシカが「カイル!」と叫んで手を伸ばす。カイルは走り出した。アカツキ……希望の力に向かって。
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