第1話 チカゲと陰の話
戦火を浴び、廃墟とかした建物の中。埃臭い空気の中で、少女と青年が化け物に囲まれて立っていた。
黒い瞳に黒い髪、裾が赤黒いシミで汚れ、ボロボロにほつれている黒いセーラー服を身にまとった少女、チカゲと、目を長い前髪で隠した白髪の青年、
汚らしくボタボタとそこら中に体液を撒き散らしながら、化け物たちは目の前の二人を舐めまわすように、襲う隙を見計らっている。
もはやその姿は人間とはいえず、至る所が欠損した肉塊が、ただ他の者の命を刈り取るために存在する、元人間だったもの。人は、それを
「……チカゲ、何体?」
口元に薄ら笑いをうかべ、陰がチカゲに問いかける。
「倒せるだけ」
そう冷たく言い放つと、チカゲは持っていた短剣で細く白い手首を貫いた。
貫かれた手首から赤い血が流れ出し、冷たい刃を流れて地面に落ちる。落ちた血液は血溜まりを作り、突如、意思を持って動き出して、猛者の身体を貫いた。
血はチカゲの牙となり、盾となる。チカゲの身体からとめどなく溢れる血は、襲いかかろうとした猛者たちを次々と絶命させた。
その様子を見て、陰はニヤリと笑う。一瞬、前髪に隠された赤い瞳が覗いた。
陰は軽やかに走り出すと、チカゲの血溜まりを避けて襲いかかろうとしていた猛者を蹴りあげた。猛者の体が大きくよろめき、陰がその喉元に肘打ちをくらわせる。陰の肘当てに仕込まれた刃が喉を貫き、猛者は口から体液を吹いて倒れた。
そのまま陰は大きく跳躍し、後から迫っていた猛者をかわす。空中で一回前転すると猛者の頭を踵で叩きつけ、靴の踵の仕込み刃が猛者の脳天を貫いた。
「!」
不意に陰の顔を掠めてチカゲの血が猛者に襲いかかった。血は鋭利な刃物となって、猛者の命を刈り取っていく。陰の頬に出来た切り傷から、血が流れる。
「……殺す気かよ……」
「死ねばいい」
「ああそうですか」
辺りにはチカゲの血が飛び散っている。白い手首から流れる血は止まることを知らず、辺り一面を血の海に変えていた。
「……」
陰がなにかに気がついて大きく飛び上がると、高い足場に着地する。その瞬間、血の海から無数の赤い針が飛び出し、猛者たちを貫いた。
散らばる体液と、絶命寸前の猛者の悲痛な叫び声。それを聞きながら、血の海の真ん中でたたずむ血塗れの少女。
「終わった?」
上からその光景を眺めて、陰は薄ら笑いを浮かべた。チカゲが下から睨みつける。
「巻き込まれなくてよかったよ」
その時、辛うじて死ななかった猛者が一匹、チカゲの首元に噛み付いた。首の肉が抉れ、白い骨が除く。ボタボタと落ちるチカゲの血。
陰は猛者に気がついていたが、何も言わなかった。
チカゲが横目で噛み付いた猛者を見ると、流れ落ちた血が猛者を貫く。抉れたチカゲの首は、みるみるうちに再生して、落ちた血肉をそのままに、チカゲはスタスタと歩き出した。
陰が足場から降りて、チカゲに駆け寄った。
「教えた方がよかった?」
「……別に」
「可愛げがないなぁ」
半壊した建物の中、元人間だったものはただの肉塊になって転がっている。辺り一面真っ赤に染まり、鉄の匂いと肉の腐った匂いが混じった異臭が漂っている。
それに背を向けて去っていく少女と青年。
遠いどこかで争いは続く。暗い過去が増えていく。肉塊に成り果てた者たちは、戦火にのまれて消し炭になり、生死の狭間で彷徨い歩く。
◇
教団「リンネ」本部、幹部室。
右手に大きな機械義手をつけ、傷ついた左目を隠すように眼鏡をかけている銀髪の大男、リンネの
「……以上、現場報告」
「ご苦労。最近『プシュケ』の襲撃が激しいな。あちこちから報告がされている。タータンとリブラの戦争は休戦中。プシュケが介入しているとして、狙いは戦争の再戦か……」
「なんであろうと変わらない。襲撃されたらそれを処理する。それだけ」
冷たく言い放った陰に、玉砕が苦笑いを浮かべる。チカゲは興味なさげに部屋をキョロキョロと見回していた。
「まぁいい。それよりも、今回はプシュケの人間はいなかったんだな?」
「いなかった。猛者だけだったよ」
「……ならいい。もういいぞ」
部屋を出てすぐ、チカゲは陰に背を向けて立ち去ろうとした。
「ちょっと待った」
その腕を掴んで陰がチカゲを呼び止める。チカゲは心底面倒くさそうに振り向いて、陰を睨んだ。
「……なに?」
「ちょっとお話しようか?」
「やだ」
「まぁまぁそう言わず」
陰はチカゲの腕を掴んだまま歩き出す。チカゲが嫌そうに陰の手を振り払おうとするが、そのまま腕を引かれて連れていかれた。
「俺、見つけちゃったんだよね」
「……」
「チカゲ、人間二人殺したでしょ?」
チカゲは何も答えない。自分の足元を見ながら、陰の行く方向とは逆の方向に進もうとする。それでも男の力にはかなわず、陰は物置部屋の扉を開けて、力任せにチカゲを放り投げた。バランスを崩してチカゲが倒れる。
陰が扉の鍵をかけ、倒れたチカゲに近づいてその顔を掴んだ。
「プシュケの人間は即刻捕獲。殺すとしても尋問の後。あんなに玉砕に言われたのに忘れた?」
チカゲが陰に噛みつきそうな勢いで陰を睨んだ。
「……自分だって殺すくせに……」
「俺だったらもっと上手く殺す。バレるようにやったチカゲが悪い」
「……」
「気持ちはわかるよ? 殺したくなるのも。でも、くだらない復讐心で行動するの、やめてよ」
チカゲが陰の手を振り払い、身体を起こした。黒い瞳で陰を冷たく見つめる。
「……その目、ほんとムカつく」
「⁈」
陰がチカゲの首を掴んで、そのまま後ろに倒れた。チカゲの細い首は締め付けられて、チカゲが逃れようと暴れはじめる。
「……うっ……あっ……!」
チカゲの口から弱い息が漏れる。それでも陰は手の力を緩めず、チカゲの力が抜けていく。
「……!」
「?」
微かに聞こえたチカゲの声に、陰が手の力を緩めた。
「死ね」
チカゲが自分の舌を噛みちぎった。口から赤い血が溢れ出し、床に落ちる。それを見て、陰はその場から逃げ出そうとしたが、血がその動きを封じて床に叩きつけた。
チカゲは息を整えて、身動きの取れない陰に近づくと、容赦なく腹を蹴った。
「がっ‼」
何度も何度も力任せに陰を蹴るチカゲの首には、赤い手の跡がくっきりと残っている。その跡は、徐々に薄れて跡形もなく消えた。
しばらく陰をボコボコにすると、チカゲはふぅと息をついて、部屋を出て行った。チカゲが去ると、陰を縛っていた血はただの液体に戻る。
「……いってぇ……」
ゲホゲホと咳き込みながら陰が体を起こした。
「またちぃちゃんに何かしたの?」
部屋に入って声をかけてきたのは、黒髪を二つの団子にした金目の少女、
「ちぃちゃんがすごい顔して出て行ったよ」
「……ちょっとからかいすぎたかな?」
「馬鹿みたい」
鈴凛が部屋の血を見て顔をしかめる。陰は腹を押さえながらヘラヘラと笑った。
「なんでちぃちゃんに酷いことするの?」
「さぁ、なんでかな?」
「……私、陰のこと本当にクズで最低だと思うけど、そんなに嫌いじゃないの」
「酷いこと言うなぁ」
「だから、ちぃちゃんとも仲良くして欲しいのに」
「それは……無理かな」
陰の返答に鈴凛が冷ややかな目線を向けた。
「……どうして?」
「……悪いけどさ」
「人間じゃないから?」
鈴凛の言葉に陰は答えない。その姿に鈴凛は悲しそうな顔をして、背を向けた。
「……最低」
「どっちが?」
「どっちも。私も、陰も、みんなも」
鈴凛が部屋から出て行った。陰が息をついて床に手をつける。ぬるりとした感触に陰が自分の手を見ると、手は真っ赤に染まっていた。
「……最低……ね……」
部屋の中には、鉄の匂いが充満している。
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