11
澄んだ青空が広がっている。
ひしめき合う建物や狭い路地、喧噪や無秩序を洗い流すように風が吹いていく。
犬養が着るパーカーのフードが煽られる。便利屋本社の外階段を昇り、屋上に出る。
「おう。戻ったぞ」
「おかえり」
牛尾が顔をあげた。
屋上は緑の芝生が敷き詰められた小さな広場となっている。数脚のガーデンテーブルとイスのセットが置かれ、牛尾は大通りに近いテーブルについていた。タブレットやファイル、缶コーヒーとシガーケースが置かれている。雑多な街並みの向こうにはまるで蜃気楼のように、背の高いビルと駅の建物がきらきらと輝いている。
「もろもろの首尾はどうだった?」
「ぼちぼちだな」
犬養は牛尾の向かいの席に座った。
中州での一件から、二日が経過していた。
この街での申谷の目標は達成した。小日向善一の情報を持つ森山を捕獲して、便利屋の地下の一室に回収。便利屋と依頼人との契約は終結し、犬養のナビゲーターとしての仕事は終わった。与えられた休暇中は街の様子を見に行っていた。
「井戸川が映画館から逃がした連中のほとんどは、もとの生活に戻った。それでも精神的ダメージがでかくてツライってヤツもいて、まわりでどんなフォローしていくかって話を緑ヶ淵や石黒たちとしてた。あっちはあっちでなんとかなりそうだ。俺なんかが首を突っ込むのも野暮だった」
白い犬歯を見せながら犬養は笑い飛ばした。
そしてゆっくりと息をつく。視線を落とすと、覇気のない声で言った。
「……まぁ、まだ生きてるからな。どんなこともやってやれる。……でも、死んじまったヤツにはなんにもしてやれねぇ。遺された人たちにも、どんな言葉をかければいいのか、それすらわかんなかった」
頭に浮かぶのは、静かに泣いている少年の姿だった。
彼は、居なくなった兄の友達を探していた。眉に傷がある青年が亡くなっていたことを告げると少年は嗚咽を堪えて泣き出した。
青年が関わっていたことなどの詳細はすべて伏せた。その所為でかけるべき言葉が限られて、何も言えなくなってしまった。透明な涙に、希望を潰してしまった罪悪感や無力感が犬養の胸のなかで渦巻いていた。
牛尾は何度も頷くと、おだやかな口調で言った。
「言葉を見つけるのも、その言葉を素直に受け取れるようになるのも、時間のかかることだ。お前はいま出来る限りで誠心誠意向き合っている。いまはそれで良いと思うよ」
ゆるやかな風が芝生と鉢植えの観葉植物を撫でていく。
「そういえば彼女はどうなった? ほら、お前がうちに就職したせいで拗ねたっていう」
「無茶苦茶な言い方すんなっ。紫のことな」
前のめりになって眉間をよせる犬養に、牛尾は「そうそう」と指をさした。
犬養は鼻を鳴らしながら、肘置きに頬杖をつく。
「あいつは、グループのメンバーたちと一緒に田舎のばあちゃん家に行ったってよ。畑耕したり草刈して気持ちの整理をしてくるって。めっちゃ怖いばあちゃんらしいから、ばちぼこ怒られてんじゃねぇかな」
「そうか、街を離れたのは正解だ」
牛尾の言葉に、犬養は顔を向けた。
「中州の商業施設跡地の崩落は老朽化によるもの、ということになっているけれど、勘の鋭い怖い人たちにはちょっと通用しないかも。その界隈がピリついてるっていう情報がある。あそこで何があったのか調べる準備を、すでに初めているんじゃないかな」
中州という土地は、利権が絡み合った複雑な場所だ。その所為で人がいなくなったあとも、取り壊すことも出来ずに放置されてきた。
身を隠すのに絶好な場所だが、反面、最も危険なところでもある。所有権を主張する者たちが、縄張りを荒らされた猛獣のごとく毛を逆立てて襲い掛かって来る。
緑ヶ淵や石黒たちがやってきたもの、そういう者たちに目をつけられないように紫を回収するためだった。
「まぁ、今回のことに関わったほとんどは、ただ報酬に釣られて動いていただけで、誰が何の目的でそんなことをしていたのかまでは知らない。質問には、わからない、としか答えられない。そういう子たちについては問題ないと思うよ」
犬養は真面目な面持ちで頷く。
牛尾は缶コーヒーを手に取って、円を描くように底を揺する。
「危ないのは直接的に詳細を知っている者たちだ。お前を抜かせば、紫さんと井戸川くん」
そう言ってコーヒーを一口飲んだ。
一息ついた所長へ、犬養は言う。
「申谷たちもだろ。死ぬほどど真ん中じゃねぇか」
「彼らのことはいい」
天板に置かれた缶が乾いた音をあげる。
「もう、この街からいなくなるから」
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