第8話

「夏休みとか、大変じゃないの?」


「この間、保護者説明会行ったんだけど、持ち回りで荷物運びやら、差し入れやらあって大変よ。遠征ってなると費用もかかるしね。遺産があっても、やっぱり大学出すまでは物入りだわ」


「よくやってるわよ。えらいよ、響ちゃん」


「その分嬉しいこともいっぱいあるけどねー。あ、旦那さん来たよ」


智咲の口に向かってカレードリアを差し出しながら、響子がカフェテリアの入り口に向かって手を振る。


熱々のドリアをハフハフしながら背後を振り向けば、白衣姿の理汰がこちらに歩いてくるところだった。


智咲を見つけた途端、へにゃりと柔らかくなった目元にキュンとなってしまうのは、新婚マジックということにしておく。


「お疲れ様です。あ、天そばにしたんだ?なに、熱いの?」


相変わらず口を閉じることが出来ない智咲に向かって、理汰が笑いながらグラスの水を差しだしてくる。


「智咲さん、猫舌なんだから気をつけなきゃ」


「あ、ごめん。そっか、ちさっち猫舌だったっけ?」


智咲の前で、響子が申し訳なさそうに片手を立てた。


どうにかカレードリアを飲み込んで、勢いよくグラスの水を煽る。


トントンと背中を撫でる手のひらが優しくてこそばゆい。


「理汰、カレードリア美味しいよ。スパイス効いててあんたの好きな味だわ」


「じゃあ、それにしようかな。あ、冷凍庫のドライカレーのストックそろそろ食べないとね」


「ほんとだ。明日の夕飯にしよう。あ、忘れるかもだから」


「帰ったら冷蔵庫のホワイトボードに書いとく」


「そうして。今日何時?」


「夕飯一緒に食べれるよ」


「おー凄いね!今週ずっと早いじゃない」


「智咲さんが一人だと寂しいだろうと思って、急いで帰ってる」


「それは・・・どうも・・・・・・じゃなくて!」


思わず頷きかけて、目の前の友人がニヤニヤしながら自分たちを見ていることに気づいて、慌てて理汰の腕を叩いた。


さっさと行けと、カフェテリアでの決済用に借りていた社員カードを押し付ける。


「いいねーいいねー。なんか、高校時代のちさっちが、語ってた理想の夫婦そのままだわ」


「え、それ聞きたいです、詳しく」


「はあ!?ちょっと理汰」


「何でも言い合えて肩ひじ張らずに過ごせて、一緒にキッチンに立てるような人。亭主関白は絶対不可って豪語してたなぁ」


あの頃語り合った憧れや理想は、すっかり遠いものになったと思っていたけれど、響子が覚えている言葉が正しいのだとすれば、もう完全に叶ったことになる。


願いはやっぱり口にしないといけないという事かもしれない。


「あ、じゃあ俺セーフだね」


良かった良かったと微笑んだ理汰が、思い出したように響子に視線を向けた。


「あの、丹下さん、一応駄目もとで訊くんですけど」


「うん、なに?」


「挙式に来てた、大学の研究室の先輩が結婚相手探してましてー・・・」


結婚生活が落ち着いて随分経ってから、極々内輪で行った挙式のみの小さな結婚式に、友人代表として参列してくれた響子が男性の目に留まったなんて、嬉しい限りだ。


結婚なんて一生しなくて良いと思っていた自分ですら、こうして幸せな日々を送っているのだから、事情はあれば、響子にも諦めて欲しくない。


おせっかいを承知で口を挟んでみる。


「え、いいじゃない、響ちゃん、どうどう?」


再会してからこちら、いい人は現れていないようだし、休日のほとんどを甥っ子の応援と家事に費やしている彼女は、異性と出会うチャンスがそもそもないらしい。


「いや、いいよもう、今更だし。子育てが終わってから気が向いたらシニア向けの婚活でもする」


「ええー。響ちゃん、まだ30代よ?まだまだいけるのに」


「気力が無いのよ。わかるでしょ、ちさっち」


ぴしゃりと撥ね付けられて、うっと言葉に詰まってしまう。


智咲とて、理汰からの熱烈なアプローチに折れて交際が始まったので、彼の情熱がどこかで途切れていたら、きっといまも全力でおひとり様を満喫していたことだろう。


「それは・・・分かるけど」


「羽柴くん、申し訳ない。ほかにいい人当たってあげて」


「わかりました。俺的にも、丹下さん、いけると思いますよ」


笑顔で付け加えた理汰に、よくやったと心の中で賞賛を送る。


これからまだ開ける未来があるかもしれないのに、さきに自分から扉を閉ざすことはして欲しくない。


智咲の心の声が届いたかに見えたのだが。


「アラサーから言われると、頑張れる気がするわ、ありがとね。気持ちだけ貰っとく」


返って来た答えは、やっぱり予想通りのものだった。

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