2 23:47
「――と、いうわけでね。C班はここの警備をよろしくお願いしまっす」
俺を含め四名の新人警察官は、美術品展示室から少し離れた通路の警備を任された。非常用出入口に近いため、逃げる犯人を取り押さえることくらいはできるかもしれない。犯人――つまり『かたゆでたまご』を。
かたゆでたまごは、昨今不法侵入および窃盗を
「あぁ、それと。最後に確認がひとつ」
頭にギャグ漫画みたいなタンコブを乗せた都築巡査が、整列した俺たち四人をぐるりと見回す。当然それは、さっきのなんちゃって漫才の代償に土橋課長から受けたものだ。
クールな名探偵のように人差し指をピンと立てて、「ひとつ」を表す。タンコブを乗せたままなのでクールさはないけれど。かと思えば、俺たち四人を左から順に一人ずつジロジロと見ていき、突如キュニュと頬をつねってきた。
「いだだだだ!」
「つ、都築さん、力強くないスか?」
更にはギニニニと伸ばし、「痛い痛い」とそれぞれが身悶えする様を観察し始めた。悪趣味極まりない? いやいや、そうではない。これはアニメで何度も見たことがある。
「うーん、変装してる者はいなさそうだなぁ」
「そりゃそうですよ!」
「はー、ほっぺ取れるかと思った……」
都築巡査は変装の確認をしていたんだ。そのことに一人目の時点で気が付いていた俺は、つねられながらだったのに心のどこかでワクワクしていた。怪盗って本当にこんなふうに紛れ込むことがあるんだ! ってね。警察官としては不謹慎だけど。
「あっはっは、すまないすまない! じゃあC班の諸君、よろしく頼んだよ」
多分最後のは土橋課長のモノマネだな、と
「都築さん面白いな。見た目ガチムチだからもっと熱血漢なのかと思ってた」
都築巡査が去ってから、同期の
『こちらA班。対象物のセキュリティに不具合あり。セキュリティ班の確認願いたい』
「ついに来たな」
「ああ、みんな身構えとけよ?」
『こちらセキュリティ班。一旦対象物のセキュリティを解除し、三分以内に復旧させます』
つまり、三分間はかたゆでたまごが盗むとした美術品を人力で護り徹さねばならないってことだ。実にアナログで心もとない三分間だろう。
しかし俺たち警察官が、今夜はこうしてたくさん配備されているんだ。たとえ展示室から持ち出されたとしても、出口前で取り押さえればいいだけのこと。重要なのは展示室ではなく、出入口付近に配備されている俺たちなんだ。
無線で、土橋課長とセキュリティ班がガーガーやり取りを続けている。上辺だけ聴いているけれど、いま俺たちにとって重要なのは、不可解な『物音』や『気配』なんだ。そっちが近付いてくるかもしれない緊張が高まっ――
バツン。大きな音がした。なにかが切れたような音。
「なっ、なんだ!」
同時に辺りの明かりが消える。
「停電だっ。ひとまず落ち着け」
「持ってるライト点けろ、急げっ!」
こういうときは「不用意に動いてはいけない」と、初めに土橋課長が言っていた。短く深呼吸をしてから肩口に付いている携帯用ライトを外し、点灯させる。
「班長は土橋課長に連絡っ!」
「ああ、誰も持ち場絶対に離れんなよっ!」
耳をすます。無線は途切れていない。班長の笠原が「通用口付近の廊下、停電です」と無線で繰り返し報告をしている。
『ぐわあっ!』
『なっ、何だこれはッ』
『い、E班ですっ、こちらに煙幕が……ゴハゴハッ! 突ぜ――がっ……みえ、……ねがッ……ちょおお!』
『E班! どうしたE班っ!』
『土橋課長っ! D班二名突然倒れま――どわあっ!』
『このッ、何者――』
ドタドタバタバタと激しい物音が、無線を通して館内に響き渡る。明かりは点かない。下手に身動きが取れないのが歯痒い。
『D班E班?! 応答しろ! 課長ダメっス、音聴こえなくなりました』
『クソ、いつの間に。かたゆでたまごめぇっ!』
都築巡査の焦燥感ある声と、土橋課長の悔しそうな一声。
『動ける者は出入口を塞げ! セキュリティ班はなにをやっとるか! まずはなんとかして館内の明かりを点けろ!』
『こちらセキュリティ班ッ。ダメです、予備電源もつきません。断線が予測されます』
『こちらF班。展示室及び対象物へ応援に向かいますか?』
『いや、F班の二名はE班の応援へ向かってくれ。あと動けるのは?』
指示の都築巡査の声は、先程よりも落ち着きを取り戻していた。笠原が間髪容れず返事をする。
「C班動けますッ」
『ではC班も同様、うち二名でD班の応援へ!』
「だそうだ。俺は班長だからここに残る。……じゃあ
わかった、と
まっすぐの廊下は暗い。携帯用ライトの二筋の光が、走りの上下に合わせてゆさゆさと揺れる。
「なんか、白くね?」
「E班が煙幕っつってたから、煙幕の残りかもしんないな」
D班の警戒範囲に到着するも、そこには人影がない。その場の膝から下の空気が、言うとおり白くモヤモヤとしている。いうなれば、ドライアイスをもくもくとさせているような感じだ。
「停電と煙幕で撹乱させて、その間に紛れ込んだってこと?」
「そ、そうらしいな。つーことは、実際にここ通ってったってことだよな? かたゆでたまごが」
小山内の声がどんどん尻すぼみになっていく。「そうっぽい」と声に出して返す。独りではないことをタイムリーに耳で認識させるためだ。
「ディ、D班? おい、誰かいねぇ?」
携帯用ライトで床周りを照らしてみると、横たわる人影が五人分認められた。小山内が照らし、俺が一人へ駆け寄る。
「た、
それは、同じ中央署地域課配属の髙野というふたつ歳上の先輩だった。慌てて起こすもびくともしない。目を閉じ、全身に力が入っていないようだ。
「髙野さん、髙野さんっ!」
何度と肩を揺すり、大きく声をかけ続ける。
「しっかりしてくださいっ、髙野さん! 髙――」
「ぐおー……すぴぃー……」
「……え」
寝、て、い、る?
「ね、寝てね?」
「やっぱそう見える、よね?」
小山内と顔を見合わせた俺は、髙野さんが命にかかわるような状態ではないとわかり心底安心した。同時に、急に冷ややかで脱力的な気持ちになってしまった。このまま髙野さんを床にズシャッと放って転がしてしまいたい。そんな冗談めいたことを思うくらいには気持ちに余裕ができた。だって、まるで酔い潰れた先輩たちを介抱するような気持ちなんだ。
ひとまず、と無線を入れる。
「えっと……。こちらC班応援組。D班の持ち場に現着。なお、D班全員が煙幕の中で眠らされていました。起こすのを試みましたが難しいです。指示をお願いします」
『こ、こちらF班応援組……。C班応援組と同じです』
俺と同じ気持ちなのかもしれないF班の無線の主。俺と同じくらい気の抜けた声色だ。
『わかった。仕方ない、応援組は代わりにその場の警戒にあたれ』
『非常口を囲う方法で頼むよ』
土橋課長の指示のあとで都築巡査も柔く追加する。了承を伝えると無線が切れた。
悪いけど髙野さんにはこのまま眠っててもらおう。髙野さんから手を離し、立ち上がる。小山内が「通行の妨げになるし怪我をさせたらまずい」と言って、壁際に就寝中のD班を寄せ並べた。俺は一人で非常用出入口に仁王立ち、神経を尖らせる。
来れるもんなら来てみろ。俺がここで食い止めてやるから。そう強く思っていたんだけれど、なんだかさっきの脱力感が勢力を増してきた気がしなくもない。なんか、なんだろう、なんとなくこう……眠い、というか。
意識がとろみを帯びてきたことを自覚する頃、数歩先で小山内が崩れ落ちるように倒れた。
「お、さな、いっ!」
クソ。この煙幕、やっぱり催眠ガスか。しかも、威力がかなり残って、いて、あとから駆けつけたやつまで、その、眠っちゃう……ふあぁ。
「だ、ダメだろ、俺。ね、寝るな……」
みずからに言い聞かせるも虚しく、未だ薄く煙幕の残る床に片膝をついてしまう。
瞼が勝手に下がる。あくびが漏れる。煙幕を吸い込んではいけないだろうに、口を覆うなども出来ない。なにをしたらいいかの判断が、ど、どんどん鈍って、いく、よう、な……。
「――あらあら。まだ起きてる。精神力のお強い警察官ですことォ」
どこからか、女声が聞こえる。夢か? それとも、かたゆでたまご?
「眠いでしょう? いいんだよ、そのまま横になって」
カツーン、カツーン、とヒールが床を行く音がする。それはどんどん、俺に近付いてきている。
「さぁ、よい子はねんねんの時間でちゅよぉー」
ま、まずい、逃げられる。俺の背後には、非常用出入口があるんだ。
「と、通さない。かたゆでたまご……!」
眠い目をこじ開け、声の主へ顔を上げる。正直、いまの俺は幼児よりも非力になっていることだろう。そんな俺一人じゃここを突破されてしまう。せめて威勢だけでも、向け続けておかなければ……きっと、都築巡査が、来てくれる、から。
暗がりを照らすべく、左手に握っていた携帯用ライトを声のする方へ向ける。
高いヒールの革ブーツ。その身に貼り付いたような黒い服。隙なく徹底管理されたであろう胸元と腰のしなやかな湾曲。いやに妖艶な女だ。
そして、展示品である『銀華咲く盃』がその女の手にあることを目視したことで、俺は目の前の女がかたゆでたまごであると確定認識した。
眠ってなどいられるか。きっと……いや確実に、ここで俺が食い止めるんだ。そう強く思いながら、左手の携帯用ライトで女の顔を照らす。
同時に、天井近くに開けられた明かりとり用の横長の窓ガラスから、満月よりも少し欠けた月――
「え……」
息を呑むように見つめ合っていた。まるで時が止まったかと思えるほど、互いに動けない。
俺が向けた携帯用ライトで照らされている女……いや『彼女』の顔がみるみる曇っていく。憎たらしいほど余裕のある笑みから、私的感情に侵食された真顔に変わったのだ。
「た、
細くて弱い声色。半信半疑の、まるで問いかけるような呼び声に、俺の胸の奥底の懐古感が八つ裂かれるように酷く痛む。
俺――外川
「
「いたぞ! かたゆでたまごォ!」
静寂を裂いた一声に、はたと我に返る。かたゆでたまごの女が公私を切り替えたのがわかった。そういうハッとしたときの呼吸音が聴こえた。
「逃がすなッ、捕まえろ!」
「かかれぇー!」
土橋課長がA班とB班を引き連れ全力疾走でこちらへ向かっている。「助かった」と「まずい」の二極した気持ちが、俺を無意識的に行動させた。
「きゃっ?!」
彼女の右足首を掴む。身体がダルい、催眠ガスのせいだ。しかし、俺の手を振りほどくための抵抗が遅れたために、より強固に掴むことができた。
「ちょ、は、離してッ!」
「離、さない……警察官として、盃は、護らなきゃ……」
「だめよ。これはむしろ盗られたものなんだからっ。だから絶対に、私が持って帰――」
「このままじゃ捕まっちゃうよ?!」
視線が再びかち合う。困惑に歪んだ彼女の顔は懐古と恋情を呼び覚まし、俺の義務感や正義感を無効化していく。
「今日のとこは、盃だけ、返して。それでもう、行って!」
「かーたーゆーでーたーまーごぉー!」
土橋課長の怒号が近付いてくる。このままでは片手の指の数よりも少ない秒数のうちに捕まってしまう。
「……ばか」
彼女は小さく独り言を残して、手にしていた盃を俺へと放った。盃キャッチのために彼女の足首を開放。すると途端に、彼女の姿はその場から消えてしまった。
「おいっ、意識あるか?!」
「盃はどこだ?! 探せ探せぇ!」
「B班はワシとともにやつを追え!」
誰か複数人の足音が俺を取り囲んだことと、彼女がこの場から逃げ去ったことへの安堵で充たされて、俺はずるずるとその場に伏してしまった。
「さ、盃……は、無事です……」
右手に握り締めた盃から、瑠由ちゃんの匂いや指紋が出ないことをひたすら願っていた。
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