2023-1-21

今日の晩御飯でクラムチャウダーを食べた。とても熱かった。昨日のお昼はラーメンを食べたのだが、それが熱かったのか、温かかったのか思い出せないことに気づいた。所詮はその程度の幸せだったのかもしれないが、1日前の些細な幸せさえ完璧に保管できないでいる自分がいた。幸せがないと生きるのが辛いと喚くのに、その幸せを自分から手放していたのだ。しかし、昨日友人と麻雀を打ったときに、跳満を放銃してしまったことは、何を切って放銃したか、相手の役はなんだったか、など完璧に覚えている。私だけかもしれないが幸せより、辛いことを頭に優先して刻むのは人の欠陥なのではないだろうか。それとも辛い思いを二度としないように、記憶を整理しているのだろうか。だとするなら、幸せに再現性を求めるのは間違っているのだろうか。

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