2022-12-19

今日読んだ本に、人は記憶を都合よく変えて補完する生き物である。というようなことが書いてあった。私は中学生時代を思い出そうとすると1年生の時にいじめを受けていたことばかり思い出してしまう。これは変化もできぬ程頑強に守られている記憶なのか、それとも。自分にとっていじめられていた事実が、言い訳になるので都合が良いのかどちらなのだろうか。私は3年間いじめられていた訳でもないし、楽しい記憶がない訳でもない。それでもいじめばかり思い出すのはそういうことなのだろう。熟、自分という人を嫌いになる。自己嫌悪すら、話のネタになっているのだから。本心かどうかの線引きが生きた時間に反比例するように難しくなっていく。言葉は感情を伝えるのに便利だ。共通認識のある道具だから。ただそれだけだ。音楽や絵画で共通の認識を作れたらイメージの内側まで伝えられて良いのでは、と思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る