19話「招待状」

「ここ、でしょうか?」


 手元の紙に視線を落として、私はそこに書かれた内容を今一度確かめた。


 手紙。それも便箋まで凝った丁寧な贈り物です。今時珍しいですね。


「『未来を選ぶ会』ですか」


 選択の世界を持つあの人らしい。

 地上48階建てビルの、45階から最上階まで。そこが差出人の拠点のようですね。


 エントランスの案内板を確認してから、エレベーターに乗り込んだ。

 45の数字を押すとボタンが黄色く光って、エレベーターは動き出した。


 この手紙が届いたのは、厄日のこと。

 力兼継りきかねつぐさん率いる一派と手紙の差出人が一堂に会した、あの夜。

 アカシックレコードを巡って、皆さんが神宮へと向かった後のことです。


 足元にこの手紙が落ちているのを見つけ、拾い上げました。記優香しるしゆうか宛で書かれた、この手紙を。


「ようこそ、『未来を選ぶ会』へ。記優香しるしゆうか君」


 45階への扉が開くと、差出人が自ら出迎えてくれた。

 現与党げんよとう未来党みらいとう。その党首の一人息子にして、2度も参議院議員さんぎいんぎいんとして国会に名を連ねた秀才。

 真壁択真まかべたくまさん、その人が。


「来てくれて嬉しいよ」

「誘いに乗るかどうかは、まだわかりませんが」

「構わないさ、まずは5人しかいないメンバーを紹介しようか。さぁ、こちらへ」


 エレベーターホールの奥へと進み、一枚の扉を隔てたその先は、開放感のある空間だった。

 ワンフロアをまるまる使いながらも、内壁は一枚もない。

 パーティションでやんわりと区切られてはいるけれど、5人で利用するにはあまりに広い気がします。


「飲み物を用意させよう、コーヒーと紅茶、それに———」

「紅茶でお願いします」


 開放的な空間の隅の方。打ち合わせ用に設けられたスペースでしょうか、10名用の長テーブルと椅子、観葉植物、壁掛けのモニターとその脇に専用パソコン。天井にはスクリーン。映写機もある。


「紅茶だね、せっかく椅子があるんだ、掛けてるといい」


 真壁まかべさんが席に着いたので、向かい合う形で席に着いた。

 エアコンの効いた室内と、窓の外に広がる青空。

 こんなことでもなければ見ることなんてなかった景色でしょうね。


弍識にしき君、みんなを呼んできてくれないかな。それと紅茶も」

「はいはい。ちょいと待ってて」


 弍識にしき? もしかして弍識美音にしきみおんさんでしょうか?

 その名前には覚えがあります。ノート越しにだけれど、何度か情報のやり取りをしたことがあるので。

 まさか真壁択真まかべたくまと繋がっていたとは。


「先に紹介しておこう。今見えた彼女は、弍識美音にしきみおん。認識の世界の覚醒者だ」

「彼女が……」

「見立ての通り、年は君とさほど変わらない。学年で言えば中学2———」

「私は高校生です」


 言いたくありませんが、精神年齢と比較して乖離かいりしすぎているこの容姿が、1番のコンプレックスなのです。


「おや、気を悪くさせたかな。だが、僕からすればさほど大きな違いには思えなくてね」


 真壁まかべさんの年齢は確か30過ぎ。時間で考えれば2倍程度長く生きていることになります。中学生二年生も高校1年生もどちらも同じ未成年なのでしょうね。


「そんなことより、ちょうど疑問に思っているところだろう。弍識にしき君が何故ここにいるのかってね。だが安心して欲しい、君ならすぐにわかるさ、数多の本を読み尽くした聡明な、君ならね」

「どういう……」


 尋ね終える前に届けられた紅茶と現れた面々。彼らを見て、先程言われた言葉の真意が、うっすらと輪郭を表し始めた。


 現れたのは計4人。男女2名ずつ。

 年齢層はバラバラな上、服装に共通点のようなものは見受けられない。この場以外では、接点を持つことさえなさそうな4人ですね。


「簡潔に紹介しよう。先程も話した弍識美音にしきみおんとその隣から、数式の世界数本学かずもとまなぶ、ゲームの世界十亀隼人とがめはやとそして、確率の世界早川率はやかわりつだ」


 全員と面識はない。けれど、知っていた。名前も世界も年齢も。


 妙ですね。

 違和感が明確になったのは、その時だった。


「とは言っても、君は全員知っているだろうがね」

「ぇ、ええ。お会いするのは初めてですが」


 情報の売買を始めてから覚醒者、非覚醒者問わずやり取りをしてきました。当然個人からの依頼もあれば団体から依頼されることも。

 いつしかそれなりの規模となった情報屋、西野木由紀にしのきゆきのコミニュティは、現存する覚醒者の9割を掌握しています。そのため、知らない覚醒者の方が稀のはずです。


 不自然なのは、この面々に繋がりがあったこと。


 兼継かねつぐさん一派や直人なおとさん一派のように団体で行動しているのなら、基本的にその内の1人とのやり取りになることが多い。

 個人的に依頼されることもなくはないけれど、5人いて5人全員が個別にやり取りをしているのは、いくらなんでも不自然でしょう。


 それに、あたかも最初から繋がりなどないかのように振る舞っていた点も。


「さて、記優香しるしゆうか君。紹介は以上だが、なにか聞きたいことはあるかな?」


 考えられるのは一つでしょう。

 この面々は、私に個別で依頼してきたよりもあとに繋がったということ。

 それだけの話であれば気にかけることなど何もないですが、私には1つだけわからないことがあった。

 どうしてか、それと繋がっている気がしてしまう。


「……このメンバーで、どうやって私を特定したのでしょうか?」

「君としては当然の疑問だろう。ちょうどいい、僕が君を招待した訳とも絡んでくる話だ。少しばかり長い話になる。紅茶でも飲みながら聞くといい」


 促されるまま、紅茶のカップを持ち上げた。

 いい香り。ダージリンティですね。爽やかな風味と口に残る渋み。早摘みでしょう。


「遠回りになるが、まずは僕の目的から話そうか」


 真壁まかべさんが何をしたくてあんな手紙を書いたのか、気に掛かっていたけれど、まさかそんな事を考えているなんて。

 なにを考えているのか、本当にそこがしれない人です。

 それくらい、次に鼓膜を震わせたその言葉が信じられなかった。


「———『世界』の存在を、公にする」


 疑わずには、いられない。


「……正気ですか?」

「生憎、生まれてこの方、冗談の一つも言ったことがないほどお堅い人間性でね、それを売りにしているんだ」

「でしょうね、冗談にしても面白くありませんから」

「これは手厳しい。君には情報屋を廃業して、その手伝いをしてもらいたいんだ」


 カップに再度口をつけてから、深く息を吐き出した。

 細く。長く。


 言っている意味がわからない。

 真壁まかべさんだけでも世間的には十分な影響力を持つ。その上、十亀とがめさんや数基かずもとさんはの世界は、見せ物として十分過ぎるでしょう。

 今更私が必要になる理由がない。


「具体的には何を?」

「今とある覚醒者を探していてね、まずはその捜索の協力をしてもらいたい」

「であればノート越しで十分かと」

「君の力が真に必要になるのは、その後のことさ。世界を公にした、そのあとの世界さ」


 やはり正気を疑ってしまう。

 この国の政治は民主主義。小を切って大を生かす考え方が根本に定着している。だからと言って、与党の議員が率先して小を切り落とそうとしているなんて。


「既にその段階まで来ているというわけですか」

「なにせ始まりは3年も前だからね。君とこうして話せている時点で、現在の進捗は8割5分といったところかな。あとは最後の一人を迎えて、事が済んだあとの計画を練るだけさ」


 この段階での勧誘。見方を変えれば、脅し以外のなにものでもありませんよ。


「……すぐに見つかるんですか?」

「あと一歩と言ったところだよ。早川はやかわ君の世界で既に大方の情報は掴んでいる。その覚醒者の世界は時間。名前は不詳だが、年齢は16から20歳までの間。性別は女性。身長は平均値の範囲で青色の髪。北側の都市にいるところまでわかっている」

「時間の世界……ですか」


 対象を時間として捉える覚醒者であれば、やり方によっては未来さえも知り得ているでしょう。

 近い世界でいえば、質直人しちなおとさん派閥の然立真ぜんりつまことさんと三琴みことさんがいるけれど、彼女達とまるで違う使い方ができそうですね。

 ですが、どうしてその覚醒者の存在を?


「3年前までは存在しなかったんだ、だから作ったのさ、早川はやかわ君の世界でね」

「作ったって……まさかっ!」


 思わず口を覆っていた。

 早川はやかわさんは、確率の世界。

 世界を確率として捉える彼女が、書き変えたのですか。この世界に『時間の世界の覚醒者が存在する確率』、を100%に。

 いや、ですが、


「ですが、そうなれば対象はこの世界そのもの、簡単に書き変えられる次元を軽く超えているはずで———」


 だから。だから、3年もかかったのですか……


「君の言う通り代償は大きかった。あまりの負荷で早川はやかわ君は3年もの間、意識不明で寝たきりだったからね」

「……そこまでして」


 目的のために自身を3年も犠牲にできる。

 それが少しだけ恐ろしく思えて、視線が自然と早川はやかわさんに向かった。

 彼女は静かに目を閉じたまま動かなかった。後悔など微塵もないかのように。


「あーりつまた寝てる」

「え? 寝てるんですか、これ? 立ったままですが……」

「彼女は極度の面倒臭がりでね。僕が、一生生活に困らないだけのお金を提供する代わりに、ここに所属してもらったんだ。3年間の寝たきり生活を経ても、彼女はまだ食事さえ面倒がる始末さ」


 なによりも驚いたのが、「その上、合法的に寝ていられるからと、また覚醒者が存在する確率を書き変えたいらしい」というその後の言葉。


「彼女の生き様に僕が口を挟むようなことではないが、しるし君を見つけられたのも、早川はわかわ君の世界によるところが大きい、今はまだ眠ってもらうわけにはいかなくね」


 直接的な接触もせずに、私を探し当てられるというのは、想像以上に厄介な世界ですね。確率の世界は。

 おそらく、対象の絞り方はこうでしょう。


 ひとまず『時間の世界の覚醒者は16から20歳の間である確率』を調べる。

 重要なのは、それが高いのか低いのかではなく事実かどうか。

 仮に事実として17歳でも、確率は事実を表現するものではなく、事象が起こる割合を表すものなので、その確率は100%にはなり得ない。


 そこで確率を100%に書き変えようとした時にかかる時間を利用している。

 仮に16から20歳の間でなかった場合、時間の世界の覚醒者はそれに該当する年齢へと書き変えらる。

 それは人一人に流れる時間を書き変えることになるため、かなりの負荷がかかるはず。

 逆の場合は、書き変える対象が存在しないので、世界は簡単に書き変えられる。


 そこから判断がつけられるという仕組みでしょう。

 ただ、それでもあと一歩届かない、西野木由紀にしのきゆきから私本人へは繋がらないはずなのです。


「確率の世界でおおよその情報は絞れても、本人まではあと一歩届かないはずです。どうやって私を特定したのですか?」

「驚いたな。その様子だと確率の世界で何をしたのか、大方予想がついているようだね」

「おおよそですが」

「話が早くて助かるね。では最初の疑問の答えを話そうか。君が疑問に感じていたのは、僕たちが、いいや、この『未来を選ぶ会』はいつからできたのか。だろう」


 やはりそこに裏があったようですね。


「答えは最初からさ。君とやり取りをするようになった時にはもう、『未来を選ぶ会』は存在して、このメンバーが揃っていたんだ」


 その上で個別にやり取りをしていたっと。


「……なぜそんな回りくどい事を?」

「他でもない、君の居場所を特定するためさ」


 やり取りする人数を分けたからといって、私に繋がる情報なんて出ないはず。


「僕らが君とやり取りをするようになった時点で、僕らは既に、君の情報を大方集め終えていた。年齢と性別、住む地域なんかをね。ただこれ以上の情報を得ようとすれば、得られる情報より早川はやかわ君への負担の方が上回る。だから、ここからはフィールドワークさ」

「そうは言っても、私は誰にも正体を明かしたことはありませんよ?」

「そう。君は正体を隠す事に、なにより重きを置いていた。ただそれに縛られるあまり、その人物像が見てとれたんだ」

「返事を返す時間帯……ですか」


 懸念したことはあります。

 ですがノートやメモ帳は、電子的であってもメールと違って通知が来ません。

 返事が書かれるその瞬間を、物理的に観察し続ける他ない。

 そもそもそれで情報を得られとしても、それはあまりに僅かなもので、私まで繋がることもない。


「そう。君からの返信は、午前なら5時30分から8時まで、午後はどんなに早くても16時から24時までの間に行われた。そこから高校生だと辺りをつけた。部活動はやっていたとしても、週3回程度。君は特定の曜日に限り返信が20時以降となっていたからね。実際にはご両親のお店を手伝っていたようだね」


 それならいっそ未来で私と話したことがあるも言ってもらった方が、まだ納得できたかもしれませんね。


「そして君の住む地域にある高校の数は50程度。最も早い返信が16時ということなら、通学時間はおおよそ30分程度。加えてやり取りからわかるおおよその偏差値。本という特殊な世界に目覚めている生い立ち。つてを使って集めた10校の在校生リストを、全部チェックするまでもなかったさ。実家が本屋という人物の時点で、その人数は片手で数えられたよ」

「……そこまでしますか」

「なんだってするさ、目的を達成するためならね」


 そこまで聞いてようやくわかった。

 私が必要だったのは、あと一歩を埋めるため。

 時間の世界の覚醒者に繋がる情報なら、どんな些細なものでも構わないということですか。


「ここまで聞いて、どうかな? 僕らがどういう組織なのか、ある程度わかったはずだ。手紙にも書いた通り、君が長年探し続けているものも、ここでなら見つかるかもしれない。そのために手助けが必要なら僕が手を貸そう。時間も、お金も、人脈も。どこよりも手厚くサポートさせてもらうつもりだ」


 どうもなにも、条件的にはこれ以上ないくらいに破格。

 それに私が断っても、真壁まかべさんはきっと世界を公にできる。

 そうなればもう、何の後ろ盾もなしにこれまで通り生活していくのはほぼ不可能でしょうね。

 ここに所属すればその問題は解決でき、その上で私の望みも叶えられるというのなら、この話を無碍にする理由なんて、私には思いつかない。

 ただ———


「最後に一つだけ伺ってもいいですか?」

「なにかな?」

「私の探し物について、その情報はどちらで?」

「あぁ、かなで君だよ。アカシックレコードを差し出すその報酬でね」

「そうでしたか」


 天音奏あまおとかなで

 情報の売買をしたことはないけれど、名前は知っていた。

 音の世界。

 確か『あまの声』という宗教法人で、神から未来の出来事を信託として受け取る、神様の世界の覚醒者がいましたね。そこの繋がりですか。

 まったく厄介ですね。

 やはりそろそろ単独での行動は、難しい時代でしょうか。


「ぜひ、協力させてもらいます」

「それは良かった。ではこれからよろしく頼むよ」

「はい、こちらこそ」

「見つかる事を祈っているよ、君にとっての『幸せ』が」

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