10話「宣戦布告」
そんなこともあって、気持ちが盛り上がっていたからか、らしくもないメッセージを送っていた。
みんなにじゃなくって、お母さんに。
「
私は知ってる。きっとお母さんでも知らないようなことまで。
我ながら子供っぽいが、それが嬉しかった。
お母さんは基本、仕事のことで手一杯。すぐに既読はつかないから、消えないうずうずした気持ちを抱えたままなのは仕方ない。
携帯をポケットにしまう。
「あれ?」
その時に気がついた。スマホカバーに結んであったピックが無くなっていた。
どこかで落とした?
いつ?
さっき
ちょっと。いや、わりと下がった気分を写したみたいに、空には少し雲がかかり始めていた。気温はあいも変わらずに高かった。
「お疲れ」
気持ちを引きずりながらも普通を繕い挨拶して入ったんだけど、その瞬間にわかった。
異常な雰囲気。
体が自然と強張った。
誰からも、挨拶が返ってこない。
広くはないリビングにはみんなちゃんといて、声が届いてないことなんてこともないのに、視線さえ私には向かいない。
目に見える限りにいつもと違うことなどなく、異様なのは空気。それ以外にはなかった。
閉じた口を開けない私を差し置いて、言葉を発したのは
「なにそれ? まじで言ってんの?」
声を荒げることはなかったけれど、不機嫌なのは明らかだった。
「
「──アンタはそれでいいわけ? 納得できんの?」
ほとんど間髪も入れず首だけ捻ったその目は、つり上がっている。
そもそも何が原因なの?
となれば矛先は、
「そうは言っても現実問題、僕らにはどうしようもないんじゃないかな」
「だからってこのまま諦めるわけ? ウチは納得いかない、絶対に!」
「さっきから黙ったままだけど、
ギロっとした目を向けられても、
「ちょっと待て、今考えてる」
それも、視線も合わせず俯いたまま。
火に油を注ぐ態度に思えたけど、存外
それから数秒経つと、
「どういう状況?」
そこにきてようやく、私は
「
自分でもそんな気がしてる。
「ノートの彼女から返信があったのよ」
ノートの彼女?
ああ、
「アカシックレコードの件?」
「ええ。見つけられたそうよ」
「ほんと!?」
自分で言っておきながら半信半疑だったから、小声ながらに驚いた。
「それで、中身は?」
「それが問題なのよ」
「というと?」
「彼女の話だと、アカシックレコードと
「そこもある程度は予想済みだよね。
なんて、そんなことは誰でも思いつくか。
黙ったまま首を左右に3回ほど振ったから、既にダメだったってわけね。
「文字でも絵でも表現できないのだそうよ」
「そうきたか」
実をいうと、その可能性も気にはしていた。だってアカシックレコードとは、元をただせばアーカーシャの記録。
世界がまだ5つの元素で構成されていると信じられていた紀元前の時代に、その要素の一つとして考えられていたもの、それがアーカーシャ。
それすなわち、『虚空』。なにもないということなのだから。
「具現化もできないの?」
「できるそうだけど、肝心の本人が会いたくないって」
「あーじゃあ住所を指定して郵送してもらうとか?」
「本に代表されるあらゆる記録媒体は、そのすべてに書き手が伝え引き継ごうと試みた言葉や技法、文化、歴史あるいはそれらに属さないありとあらゆる情報を持ってして生み出された記録であるから故に、その──」
「ごめん、なに言ってるの?」
「要は、本の一部を切り取って郵送するって行為が、製作者に対する不敬。ポリシーに反するそうよ。かと言って全部を具現化するには、情報量が莫大すぎるって」
「色々言いたいことあるんだけど、その前に一ついい?」
「ええ」
「あんな長くてよくわからないセリフ、よく覚えられるね」
「どんな表現であれ言葉だもの」
答えになっていない気がしたけれど、それ以上は触れないことにした。
「それで、
「ノートの彼女って情報屋でしょ? 今回の件だと、アカシックレコードの発見と内容の開示までってことで前金を払って、その解読ないし具現化で満額払うって条件だったらしいわ」
「ところがどっこい。蓋を開けてみれば、発見のみにも関わらず前金全額持っていかれてしまいましたとさ。的な感じ?」
「ええ。なにより、情報の開示まで可能な状況にあるのに、ポリシー違反で拒否というところがより納得がいかないみたいね。約束が違うでしょ? ってことで
「その上、打つ手なしってわけね」
相手は本の世界でこちらの情報を得ているかもしれないけれど、こちらは相手の情報を一切持っていない。
「で、なんて?」
ノートを閉じた
「言っちまえば俺は、金の事なんてどうだっていい。ただ世界の全部が書かれてるっていう記録の現物には興味があるんだ」
「それで?」
「ここまで言ったら他にねーだろ?」
まさかって思ったけど、
「戦線布告だ」
やっぱりか。
「そうこなくっちゃ!」
「それで、なんて言ったんだい?」
「らしいね」
にっこりとした顔を上げた
──後金、きっちり払わせてもらうからな。
ってなかなか聞かないセリフだ。
だけど、らしいよ。
「で?
「そういうのは俺じゃないだろ?」
挨拶した時は誰とも目が合わなかったのに、こういう時だけ誰とでも目があってしまう。
「はぁ……なんかいいように使ってない?」
「人には向き不向きがある、いいように使えてるならいいことじゃねーか」
言葉は受け手の解釈次第とはいうものの、随分と都合のいい解釈があったものだ。
「何かしらは思いついてんだろ?」
「まぁ、二つは」
なんでか偉そうに「上出来だろ、で、具体的には?」だって。
気に入らない、ってほどでもないからいいけど。
「一つは
誰とでも目が合う中、私から一人に目を合わせる。
セミロングの茶髪がよく似合う彼女だ。
「私?」
「そう、
「
「いずれは本人に辿り着くってことだね。
「あー、そゆこと。えーっと、灰色の一点鎖線(いってんさせん)は……部屋に電気ガス水道でしょー。あっ、あと携帯。それとカードが……で他諸々あるから……20本もないくらい。追えなくはない?」
「どうかな。
「逆に言えばそれだけすれば絶対に辿り着けるってことだ。他にねぇーならやるだけだろ」
「早速だが、二手に別れるぞ」
私と
他三人、
「計画は以上だ。意見のある奴はいるか?」
顔を見合わせてから、ただ頷いた。
「今回のターゲットは不詳だ。ただ頭が回り情報収集能力に長け、財力もそれなりのはずだ。場合によっては多少荒事になる可能性もある。各々自己の領分を
普段はあんなにだらけてる癖に。
思ってたより、リーダーっぽい。
「じゃあ、始めんぞ!」
* * *
時はその日の午前に遡る。
街中のビルとさほど変わらない高さを誇る杉の木々。そこは四方を緑に囲まれた神聖な土地。
関係者でもほとんど立ち入ることが許されない庭の
「お待たせ致しました」
「いいや、構わないよ。今は休暇みたいなものだからね」
一本の細道から続く
自然豊かな場所には似つかない、紺のスーツ姿。
「君の方がよっぽど多忙だろう、今回の件といいね」
「
瞳を開かないまま屋根の下に入り、「失礼しますね」と男の正面に腰を下ろした。
鳥が
「さて、本題ですが、
「今のところ順調だよ、本命の彼女まで、もう手が届く」
「それはなによりです」
「そちらも、僕の欲しい物は見繕ってくれているのかな?」
「
娘は装束の
見えないテーブルでもあるかのような素振りで置かれた紙は、自ら動き出し男の手が届くところで止まった。
「それはよかった」
紙を受け取り開く男の表情は、少しも動かない。
そのままの表情で、「確かに受け取ったよ」っと紙をまた折りなおしてスーツの内ポケットへしまった。
「ところで今回の件、なぜ
「
「
彼女から返される言葉ない。が、纏っていた雰囲気が一変したのは明らかだった。
鳥がたちまちに羽ばたいて、途端に庭がざわめきだす。
「この件に関してなら問題はない。ただ———」
男の目つきが鋭くなった。
見据えているのは正面の彼女か、それとも。
「アカシックレコード、その存在はこの関係を消し去るには十分なものだ。そう思わないかい?」
「ご立派な身なりをしていても、浅ましい本性までは整えられない様ですね」
男の口が緩やかに笑った。そのすぐ後のこと。
和装の乙女が一度、首をかくっと左に倒す。
あまりに不自然な動きの後、閉じていた瞼がゆっくりと開く。
奥から覗いた蒼色の瞳が、彼を見据えたままに言った。
「認識の世界、だったでしょうか?
舌を打つ音が一度鳴って、何もなかったはずの空間から一人の少女が姿を現した。
「阻害してたでしょーに!」
悔しそうに呟いた少女は、肩から下げて使うはずのバックをなぜか両手で力一杯握りしめていた。
「それは失礼致しました。風の流れがどうにも不可解に感じたもので」
認識の世界で阻害されたのは、
それら全てを音として捉えている
それでも、
この場には二人しかいないと認識している彼女だが、その不自然な音は第三者がいる証拠に他ならなかった。
「音の世界。実に見事だ」
「
「大抵のものは時間が経てば変わる。だからこそ、いつまでも変わらないこの世界ほど残酷なものはない」
三人の中に生まれた
「わかりました。こちらの要件が済みましたのちの、記録の扱いに関してはお任せしましょう。ですが、今件について、それ以上の干渉は避けさせて頂きますので」
「けっこう。このような形で旧友を失うのは、心苦しかったところだからね」
「———先の件、不問に処すつもりはございませんので」
そう言うとまた、開いていた瞳が瞼の裏にうずくまった。
「それは困ったね。では明後日、
「では本土へのお土産に10箱、ご用意してお待ちしております」
「やったぁ! 当然、
「僕は友人が少なくてね、1箱有れば十二分なんだ」
「でしたらこれを機に交友を広められるのが良いかと。人間関係の良好を願うお守りも、ご一緒に用意させましょう」
「……わかったよ。いただこう」
男は、苦笑いを隠しきれない様子だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます