10話「宣戦布告」

 真奈美まなみとお参りを済ませてから、アジトに向かっていた。


 麻奈美まなみと話したことを早くみんなに話したい。そんな気持ちで一杯だった。

 そんなこともあって、気持ちが盛り上がっていたからか、らしくもないメッセージを送っていた。

 みんなにじゃなくって、お母さんに。


あまの声って知ってる?」


 私は知ってる。きっとお母さんでも知らないようなことまで。

 我ながら子供っぽいが、それが嬉しかった。

 お母さんは基本、仕事のことで手一杯。すぐに既読はつかないから、消えないうずうずした気持ちを抱えたままなのは仕方ない。

 携帯をポケットにしまう。


「あれ?」


 その時に気がついた。スマホカバーに結んであったピックが無くなっていた。

 どこかで落とした?

 いつ?

 さっき麻奈美まなみの前で取り出した時でさえ、付いていたかも覚えていない。それにもうアジトが目の前だ。時刻は3時くらい。


 ちょっと。いや、わりと下がった気分を写したみたいに、空には少し雲がかかり始めていた。気温はあいも変わらずに高かった。


「お疲れ」


 気持ちを引きずりながらも普通を繕い挨拶して入ったんだけど、その瞬間にわかった。

 異常な雰囲気。

 体が自然と強張った。

 誰からも、挨拶が返ってこない。

 広くはないリビングにはみんなちゃんといて、声が届いてないことなんてこともないのに、視線さえ私には向かいない。

 目に見える限りにいつもと違うことなどなく、異様なのは空気。それ以外にはなかった。

 閉じた口を開けない私を差し置いて、言葉を発したのはけいだった。


「なにそれ? まじで言ってんの?」


 声を荒げることはなかったけれど、不機嫌なのは明らかだった。


けいちゃん落ち着きなよ」

「──アンタはそれでいいわけ? 納得できんの?」


 ほとんど間髪も入れず首だけ捻ったその目は、つり上がっている。

 けいが怒っているのは、誰に?

 そもそも何が原因なの?

 詩葉うたはと、特に胡桃くるみは萎縮してしまって口を挟む素振りもなさそう。

 となれば矛先は、兼継かねつぐ


「そうは言っても現実問題、僕らにはどうしようもないんじゃないかな」

「だからってこのまま諦めるわけ? ウチは納得いかない、絶対に!」


 けいすっごく怒ってる。怒らない性格には見えないけど、実際に怒ってるのを見るのは初めてだ。


「さっきから黙ったままだけど、兼継かねつぐはどうなのさ?」


 ギロっとした目を向けられても、兼継かねつぐはただ告げる。


「ちょっと待て、今考えてる」


 それも、視線も合わせず俯いたまま。

 火に油を注ぐ態度に思えたけど、存外けいから返る言葉はない。

 けいの怒りは兼継かねつぐが原因じゃない?

 それから数秒経つと、兼継かねつぐはさっとテーブルに腕を伸ばす。伸ばした手はノートを掴み、そのままページを開くと何やら書き込み始めた。


「どういう状況?」


 そこにきてようやく、私は詩葉うたはに耳打ちをする。


香織かおり……嫌な雰囲気のところに来たわね」


 自分でもそんな気がしてる。


「ノートの彼女から返信があったのよ」


 ノートの彼女?

 ああ、西野木由記にしのきゆきのことか。


「アカシックレコードの件?」

「ええ。見つけられたそうよ」

「ほんと!?」


 自分で言っておきながら半信半疑だったから、小声ながらに驚いた。


「それで、中身は?」

「それが問題なのよ」

「というと?」


 詩葉うたはが次に口を開いたのは、視線が一度、ほんの少しの間だけけい兼継かねつぐに向いてからだった。


「彼女の話だと、アカシックレコードとおぼしき莫大な情報量を有する記録を発見したのだけれど、中身が読めないから確認のしようがないそうよ」

「そこもある程度は予想済みだよね。詩葉うたはなら読めるかもしれないし、断片的にでもノートに書いてもらえば?」


 なんて、そんなことは誰でも思いつくか。

 黙ったまま首を左右に3回ほど振ったから、既にダメだったってわけね。


「文字でも絵でも表現できないのだそうよ」

「そうきたか」


 実をいうと、その可能性も気にはしていた。だってアカシックレコードとは、元をただせばアーカーシャの記録。

 世界がまだ5つの元素で構成されていると信じられていた紀元前の時代に、その要素の一つとして考えられていたもの、それがアーカーシャ。

 それすなわち、『虚空』。なにもないということなのだから。


「具現化もできないの?」

「できるそうだけど、肝心の本人が会いたくないって」

「あーじゃあ住所を指定して郵送してもらうとか?」

「本に代表されるあらゆる記録媒体は、そのすべてに書き手が伝え引き継ごうと試みた言葉や技法、文化、歴史あるいはそれらに属さないありとあらゆる情報を持ってして生み出された記録であるから故に、その──」

「ごめん、なに言ってるの?」

「要は、本の一部を切り取って郵送するって行為が、製作者に対する不敬。ポリシーに反するそうよ。かと言って全部を具現化するには、情報量が莫大すぎるって」

「色々言いたいことあるんだけど、その前に一ついい?」

「ええ」

「あんな長くてよくわからないセリフ、よく覚えられるね」

「どんな表現であれ言葉だもの」


 答えになっていない気がしたけれど、それ以上は触れないことにした。


「それで、けいが怒ってる理由って?」

「ノートの彼女って情報屋でしょ? 今回の件だと、アカシックレコードの発見と内容の開示までってことで前金を払って、その解読ないし具現化で満額払うって条件だったらしいわ」

「ところがどっこい。蓋を開けてみれば、発見のみにも関わらず前金全額持っていかれてしまいましたとさ。的な感じ?」

「ええ。なにより、情報の開示まで可能な状況にあるのに、ポリシー違反で拒否というところがより納得がいかないみたいね。約束が違うでしょ? ってことでけいがご乱心なのよ」

「その上、打つ手なしってわけね」


 相手は本の世界でこちらの情報を得ているかもしれないけれど、こちらは相手の情報を一切持っていない。

 西野木由記にしのきゆきという名前から女性であるとみているが、その年齢も住んでいる場所も知らない。知りようがない。

 西鶴さいかくが言っていたどうしようもないとは、おそらくこのことだろう。


「で、なんて?」


 ノートを閉じた兼継かねつぐけいは詰め寄る。


「言っちまえば俺は、金の事なんてどうだっていい。ただ世界の全部が書かれてるっていう記録の現物には興味があるんだ」

「それで?」

「ここまで言ったら他にねーだろ?」


 まさかって思ったけど、けいの唇が引き上がって確信する。


「戦線布告だ」


 やっぱりか。


「そうこなくっちゃ!」

「それで、なんて言ったんだい?」


 兼継かねつぐが手放したノートが、今度は西鶴さいかくの手に渡る。


「らしいね」


 にっこりとした顔を上げた西鶴さいかくの後ろから、ノートを覗き込む。


 ──後金、きっちり払わせてもらうからな。


 ってなかなか聞かないセリフだ。

 だけど、らしいよ。鬱陶うっとうしいほど。


「で? 啖呵たんか切ったのはいいとして、どうするつもりなのかしら?」

「そういうのは俺じゃないだろ?」


 挨拶した時は誰とも目が合わなかったのに、こういう時だけ誰とでも目があってしまう。


「はぁ……なんかいいように使ってない?」

「人には向き不向きがある、いいように使えてるならいいことじゃねーか」


 言葉は受け手の解釈次第とはいうものの、随分と都合のいい解釈があったものだ。


「何かしらは思いついてんだろ?」

「まぁ、二つは」


 なんでか偉そうに「上出来だろ、で、具体的には?」だって。

 気に入らない、ってほどでもないからいいけど。


「一つは然立ぜんりつ姉妹の世界で西野木由紀にしのきゆきと出会う事象を作ってもらう。もう一つは———」


 誰とでも目が合う中、私から一人に目を合わせる。

 セミロングの茶髪がよく似合う彼女だ。


「私?」

「そう、けいの世界。西野木由紀にしのきゆきと繋がりを作るの」


 けいの繋がりの世界は、人と人、物と人の繋がりが見える。なら相手と関係さえ築ければそれを辿ることができるはずだ。


けいの世界って繋がりが線で見えるんだよね? なら西野木由紀にしのきゆきとなんらかの形で繋がりを作って、その線を辿れば———」

「いずれは本人に辿り着くってことだね。けいちゃん、今契約の線は何本くらいあるんだい?」

「あー、そゆこと。えーっと、灰色の一点鎖線(いってんさせん)は……部屋に電気ガス水道でしょー。あっ、あと携帯。それとカードが……で他諸々あるから……20本もないくらい。追えなくはない?」

「どうかな。西野木由紀にしのきゆきちゃんが市内に住んでるとは限らない。場合によってはかなり厳しいだろうね」

「逆に言えばそれだけすれば絶対に辿り着けるってことだ。他にねぇーならやるだけだろ」


 西野木由紀にしのきゆきにあんなことを言っちゃったわけだから、諦めるわけにもいかないよね。


「早速だが、二手に別れるぞ」


 兼継かねつぐの采配はこうだ。

 私と兼継かねつぐ西鶴さいかくの三人は質直人しちなおととコンタクトを取り、協力を取り付けること。

 他三人、けい詩葉うたは胡桃くるみは、西野木由紀にしのきゆきと繋がりを作ること。


「計画は以上だ。意見のある奴はいるか?」


 顔を見合わせてから、ただ頷いた。


「今回のターゲットは不詳だ。ただ頭が回り情報収集能力に長け、財力もそれなりのはずだ。場合によっては多少荒事になる可能性もある。各々自己の領分をわきまえ、無理だけはするな。以上だ」


 普段はあんなにだらけてる癖に。

 思ってたより、リーダーっぽい。


「じゃあ、始めんぞ!」



*   *   *



 時はその日の午前に遡る。

 街中のビルとさほど変わらない高さを誇る杉の木々。そこは四方を緑に囲まれた神聖な土地。

 関係者でもほとんど立ち入ることが許されない庭の四阿あずまやに、和装の乙女が姿を現した。


「お待たせ致しました」

「いいや、構わないよ。今は休暇みたいなものだからね」


 一本の細道から続く四阿あずまやには既に、一人の男が腰を下ろしていた。

 自然豊かな場所には似つかない、紺のスーツ姿。


「君の方がよっぽど多忙だろう、今回の件といいね」

わたくしのこれは趣味のようなものですから」


 瞳を開かないまま屋根の下に入り、「失礼しますね」と男の正面に腰を下ろした。

 鳥がさえずり草木が擦れ、水はどこかへ流れゆく。穏やかに時が流れていた。


「さて、本題ですが、首尾しゅびはいかがですか?」

「今のところ順調だよ、本命の彼女まで、もう手が届く」

「それはなによりです」

「そちらも、僕の欲しい物は見繕ってくれているのかな?」

とどこおりなく」


 娘は装束のたもとから四つ折りにされた小さな紙を取り出して、「こちらになります」と宙に置く。

 見えないテーブルでもあるかのような素振りで置かれた紙は、自ら動き出し男の手が届くところで止まった。


「それはよかった」


 紙を受け取り開く男の表情は、少しも動かない。

 そのままの表情で、「確かに受け取ったよ」っと紙をまた折りなおしてスーツの内ポケットへしまった。


「ところで今回の件、なぜ西野木にしのき君が関係してくると?」

わたくしは貴方様のまつりごとに加勢し、貴方様はわたくし神事しんじに便宜を図る。これまで通りで参りましょう。知らぬが仏。互いに知らない方が良いことも多分に在りましょう」

不躾ぶしつけ、だったかな。でも君はまだこの茶番を続けるつもりなのかな? 僕はもう飽きてしまってね」


 彼女から返される言葉ない。が、纏っていた雰囲気が一変したのは明らかだった。

 鳥がたちまちに羽ばたいて、途端に庭がざわめきだす。


「この件に関してなら問題はない。ただ———」


 男の目つきが鋭くなった。

 見据えているのは正面の彼女か、それとも。


「アカシックレコード、その存在はこの関係を消し去るには十分なものだ。そう思わないかい?」

「ご立派な身なりをしていても、浅ましい本性までは整えられない様ですね」


 男の口が緩やかに笑った。そのすぐ後のこと。

 和装の乙女が一度、首をかくっと左に倒す。

 あまりに不自然な動きの後、閉じていた瞼がゆっくりと開く。

 奥から覗いた蒼色の瞳が、彼を見据えたままに言った。


「認識の世界、だったでしょうか? わたくしあざむくのであれば、音と光の他、温度、匂い。最低でもその辺りまでは認識を阻害するべきではないでしょうか?」


 舌を打つ音が一度鳴って、何もなかったはずの空間から一人の少女が姿を現した。


「阻害してたでしょーに!」


 悔しそうに呟いた少女は、肩から下げて使うはずのバックをなぜか両手で力一杯握りしめていた。


「それは失礼致しました。風の流れがどうにも不可解に感じたもので」


 認識の世界で阻害されたのは、弍識美音にしきみおんから発せられる音と光、温度そして匂い。

 それら全てを音として捉えている天音奏あまおとかなで弍識美音にしきみおんの存在を直接的に認識することができなかった。

 それでも、美音みおんが動くことで空気に流れが生まれる。通常皮膚では感じることができない程些細な感覚でさえ、かなでには音として聞こえる。

 この場には二人しかいないと認識している彼女だが、その不自然な音は第三者がいる証拠に他ならなかった。


「音の世界。実に見事だ」

まつりごとの次は戦事いくさごとですか。時の流れとは残酷なものですね」

「大抵のものは時間が経てば変わる。だからこそ、いつまでも変わらないこの世界ほど残酷なものはない」


 三人の中に生まれたを、風が鳴らす葉の音だけが埋めた。


「わかりました。こちらの要件が済みましたのちの、記録の扱いに関してはお任せしましょう。ですが、今件について、それ以上の干渉は避けさせて頂きますので」

「けっこう。このような形で旧友を失うのは、心苦しかったところだからね」

「———先の件、不問に処すつもりはございませんので」


 そう言うとまた、開いていた瞳が瞼の裏にうずくまった。


「それは困ったね。では明後日、翠月亭すいげつてい水羊羹みずようかんを手見上げにしよう。もちろんレコードの方もね」


 翠月亭すいげつてい。天の声が運営する和菓子店だ。


「では本土へのお土産に10箱、ご用意してお待ちしております」

「やったぁ! 当然、択真たくまのおごりでしょ?」

「僕は友人が少なくてね、1箱有れば十二分なんだ」

「でしたらこれを機に交友を広められるのが良いかと。人間関係の良好を願うお守りも、ご一緒に用意させましょう」

「……わかったよ。いただこう」


 男は、苦笑いを隠しきれない様子だった。

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